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光の砂漠 闇の迷宮  作者: 立花招夏
第一章 闇の迷宮
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第二十二話

 やれることはすべてやった。

 蹲って啜り泣く影に向かい合って、男は小さくため息をつく。


 ハル一番の名医だと評判の医者に診せても、再生治療を繰り返してさえ、彼女が元に戻る事はなかった。再生が不完全な森の民ならばまだしも、一般人でこのような状態になってしまうのはひどく珍しい。十万人に一人あるかないかだろうと医師は言った。十万人に一人だろうが百万人に一人だろうが、当事者にとっては百パーセント、その現実と向き合わねばならない。次の手が無いまま、もう随分長い時間を費やしていた。

 希望は摩耗して失望に変わり、やがてその奥から、手に負えないほど巨大になった絶望が浮上する。

 

 後、俺にできることは、楽にしてやることだけなのかもしれない。でも一人ではいかせない。一人にはしない。

 

 俺のせいだから……俺のせいなんだから……。

 

 男はしばらく頭を抱え込んでいたが、やがて意を決したように立ち上がった。

 だが、まだだ。まだ二人も残ってる。許さない。俺はあいつらを許さない。


◆◇◆


 真夜中にふと目が覚めたディモルフォセカは、いつもと違って、カナメに前方から抱き枕にされていることに気づいた。穏やかな寝息が、ディモルフォセカの頭上から聞こえる。

 

 胸元に挟まれた手でカナメの胸板をなぞる。いつ鍛えているのか、彼の胸筋はやけに硬くしまっている。首筋から鎖骨、鎖骨から大胸筋へと指先でゆっくりなぞっていく。好奇心のままに、最初はぎこちなく徐々に大胆になりながら、胸から肩、肩から二の腕へと指を滑らせる。

 

 こんなに力が強そうな腕なのに、ディモルフォセカに触れる時は、まるで生まれたての雛に接しているかのような柔らかな扱いだ。でも、一旦この腕が本気を出せば逃げることは不可能だ。そう本能で感じる。

 

 そう感じた途端、ひどく心臓がドキドキした。

 恐かったからじゃない。それは……もっと息苦しくて、胸が締め付けられるように苦しいのに熱い、甘やかな感覚。


「少しおイタが過ぎないか?」

 突然頭上から降って来た少し怒っているような声と、なぞっていた小さな手を掴む大きな手に、ディモルフォセカは息を呑んだ。

「ご、ごめんなさいっ。あの……起こしちゃった?」

「君がどんなつもりでこんなことをしているのか知らないけど、僕も一応男なんでね。君を地下道で襲おうとしていたやつと何ら変わらない。獣が食いつくかどうか試してみるなんて、愚かなことはしない方が身のためだ」

 そう言うと、カナメは手を放して起きあがった。


「違う! カナメはあんな男とは違う。だって、カナメは私を助けてくれたじゃない。あんな人とは違……」

 慌てて起きあがりカナメの夜着の袖を捕まえたディモルフォセカの口をカナメの唇が塞ぐ。そのままベッドに押し倒されて、両手首を押さえつけられた。

「君は自分のやってることが分かってないんだ。そうなんだろ?」

 ディモルフォセカは瞠目したまま懸命に首を振る。


「私は……私はカナメの傍に居たい。森の民の自分がカナメの傍に居れるわけないってことも分かってるのに、それがどれほど無茶な事かってことも、カナメにとってはただの迷惑だってことも、分かってるのに……」

 幾筋もの涙が零れ落ち、頬をつたって耳の奥にまで流れ込む。その冷たさにぞくりとして身震いした。

「どうしようもなくって……どうしたらいいか分からなくって……」

 後は思いが膨れ上がって言葉にならなかった。


 暗闇の中に響く嗚咽が恥ずかしくて、居たたまれなくて、だけど止めようがなくて困惑していると、再び唇を塞がれた。軽く何度も、角度を変えて次第に深く。触れる唇の感触に夢中になっているうちに嗚咽は収まって、代わりに甘やかな吐息が零れる。


「ディム、僕など君にはちっとも相応しくない人間だ。君はここに来るまでに辛い思いや恐い思いをたくさんしただろう? だから、たまたま君を助けた僕を美化して考えていだけだ。君は君の居るべき場所に帰って、君に相応しい人と未来を築くことを考えなさい。一時の気の迷いで、馬鹿なことはしないことだ。だからすまない、今のは忘れてくれ」


 目を潤ませて見上げるディモルフォセカを置き去りにして、カナメは部屋を出て行った。


 一人になった寝室で、ディモルフォセカはコブの言葉を思い出す。


 カナメは臆病者なのさ。大事な人をまた失うことが恐いんだ。だからやつは、人であろうと物であろうと、頑なに所有しようとしない。その頑なことと言ったら、もう気が遠くなるくらいさ。おまえは、そんなカナメの懐に入り込むことができた数少ない人間だ。しかし、まだ奴の心の鍵を解いただけに過ぎない。ドアを開けて入ってみなければ、奴の中に巣食う闇を理解することも、その闇を祓うこともできない。俺は奴の友人として、何とかしてやりたいとずっと思ってるんだが、俺にはどうしようもなくてな。おまえ、なんとかしてやってくれないか?


 コブ……やっぱり私じゃ無理みたい。森の民だし、それに私ね、アール・ダー村で嫌われ者だったんだ。力だってコントロールできなかったから、森の民としても役立たずだったし……。


 誰も面と向かっては言わなかったけど、いつもいつも、何かしら感じていた疎外感があった。学校でだけじゃなく、家族の中でも……。


 膝を抱え込んだまま、ディモルフォセカはしゃくりあげる。


 婚約が決まってからは、既に恋人のいた婚約者のシーカスは、やけにディモルフォセカによそよそしくなっていたし、両親は喧嘩ばかりするようになったし、唯一の味方だと思っていた弟のホルトが怒りっぽくなって、ディモルフォセカに辛くあたるようになっていた。年頃の男の子だし、ディモルフォセカの何かが気に障るのだろうと距離をとれば、更にそれが気に入らないと怒りだす。自分一人のせいで、周りの人すべてが不協和音を奏でているようだった。


 だから自分さえいなくなれば、すべてがうまくいくんだと思ったのだ。


 だけど、結局、私は辛い現実から逃げただけだったのかな。私ってば、いつだって逃げてばかりで……でも、結局何も変わってなくて。相変わらず、ここでも迷惑をかけて困惑させて……。私、どうしてこんなにダメダメなんだろう。


 私、どうしたらいい? どうしたら良かった?


 ベッドに突っ伏して、シーツの表面を指先でなぞる。幽かに月光樹の爽やかな香りがした。カナメはアール・ダーにあるダフネの泉の匂いがする。切ない気持で頬を擦りつける。


 月光樹は、金色に輝く月ウエスペルの守護神であり美の女神であるウエスペルの化身だと言われる。赤い月は軍神ルシフェルだ。神話では、ルシフェルとウエスペルは美しい双子の兄妹だ。兄妹なのだけれど愛し合ってしまう。禁断の恋というやつだ。ルシフェルとウエスペルは神の怒りを恐れて逃げる。逃げて、逃げて、辿りついたのが、フォボスという大海だ。二人はそこで永遠の愛を誓い合って海に身を投げた。哀れに思った神様は、二人とフォボス海を夜空の星にした。


 二人が身を投げた海だから、フォボスは不吉な月と言われている。アール・ダー村で、フォボスを見てはいけないと言われている所以だ。


 森の民は、どうして一般人に恋をしてはいけないの? 兄妹じゃないけど、やっぱり、これも禁断の恋なのかな……。


 恐い思いをした後だから勘違いしてるんだってカナメは言ったけど、本当にそうなのかな。だって、カナメだって随分恐かったよ? 脅かすし、怒るし、二言目には帰すって言うし……。なのに、ここを出されてカナメともう二度と会えなくなるって考えただけで、こんなに切なくて苦しくなるのはどうしてかな。

 

 苦しい……苦しいよ……カナメ。


 翌朝目覚めると、何事もなかったかのように、不自然なくらい自然に、前の暮らしに戻っていた。


 カナメは仕事に行く前に記憶採取の器具をディモルフォセカにセットして出て行き、終われば、ディモルフォセカはヴィジシアターを見て好きに過ごす。


 変わったところと言えば、あれ以降、カナメが二度と一緒のベッドで眠ろうとしなくなったことだ。代わりにどこで手に入れたのか、あるいは自作したのか、温め機能が付いたシーツをベッドに敷いた。


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