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光の砂漠 闇の迷宮  作者: 立花招夏
第一章 闇の迷宮
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第二十話

 軌道エレベーターの天窓から見えるカーボンナノチューブの先端を、どこまでも目で追うと、遥かかなたにフォボスポートが見える。カナメを乗せた軌道エレベーターは、チューブをガイドにして這うようにスルスル進む。一見頼りなくさえ感じる太さのチューブだが、フォボスとハルをつなぐ大動脈だ。物資の移動にはこれを使うし、よほど急いでいる場合を除き、人の移動にもこれを使う。まるで母体と胎児をつなぐ胎盤のようだとカナメはいつも思う。


 軌道エレベーターは巨大なドーナツ状の円盤で、人工重力が無い為、デッドスペースを可能な限り排除して大勢の乗客を収容できるよう客席は立体的に配置されている。ポートを出発して重力から解放されてしまえば、高い席にいようが不便は感じない。よって、ドーナツ外径窓側の高い席が人気なようだ。もっとも、宇宙を覗きこむことによって気分が悪くなる人もいるので注意が必要なのだが。

 

 エレベーターの中には、リフレッシュメントや食事をとれるブースも用意されているが、大抵は座席をフラットにして音楽を聴いたり眠ったりしてのんびりと過ごす人が多い。フォボスからハルまで丸一日かかるし、体に負荷を掛ければそれだけ無重力酔いしやすくなるからだ。


 カナメは窓際中ほどの高さの椅子に座って宇宙空間を覗きこみながら、この一週間フォボスで起こったことを反芻していた。


 今回のフォボス行きは、ハデス市長ルドの依頼で、急きょ決まったものだ。

「カナメ、この前話した森の民の力を搾取するという植物が、どうやら完成間近らしいんだ。おまえ、ちょっとフォボスに行って見て来てくれないか?」

 ルドはそう言った。


 しかし実際に来てみれば、なるほど力を入れて研究はされているようだが完成にはまだ程遠いようだ。お陰でフォボス市長には、来訪の真の目的を散々追及され、おまえはいつまでハルにしがみついているつもりなのかと嫌味を言われ、とっとと森の民をなんとかしろと文句を言われた。


――できるもんなら、とっくにやってるさ。

 カナメは盛大なため息をつく。

 

 せっかく来たのだからと、フォボスの分解再生装置や大脳コンタクトや、その他諸々の機器の点検をさせられて、フォボス市長に目一杯こき使われた揚句、次の来訪を約束させられて、ようやく帰途に就くことができた。


 ただ、帰り際、フォボス市長に言われた言葉が妙に引っかかって仕方がない。

「カナメ、ルドには気をつけた方がいい。あいつは変わった。あいつは……いや、私の思いすごしかもしれないか……。とにかく、ルドに会ったら伝えておいてくれないか? いい加減ハルにしがみつくのはやめろと、私が言っていたってな……」


 ブルネットの髪を結い上げた、やけに妖艶でかつ冷徹な雰囲気をもつフォボス市長は、ルドの同窓なのだと聞いている。かつては、夫婦だった時期もあるそうだ。その彼女が変わったと言うのならば、やはり何かあったのだろうと思う。要確認だな、カナメは記憶に刻む。


 軌道エレベーターのもう一つの天窓からは、赤茶けたハルの大地が見える。海などとうになく、川があったのだろう水が流れた後や、氷河が削ったと思われる大地に刻まれた深い谷が、未だ遠くを這いずっているドーナツから僅かに確認できる。ドーナツは乾燥した不毛の大地の上にある、まるで泡のように連なった半球形のドーム群を目ざして進んでいた。ハルポートはその半球形のドーム内にあるのだ。与圧されたドームの中でしか、生身の人間はハルの大地を踏むことができない。

 不治の病に伏した惑星ハルは身を縮めて、ただ黙々とその余命を消化しているかのように見えた。


 一週間前、出発したハルポートの土産物屋にあった星ウサギのぬいぐるみを何故かふと思い出す。星ウサギのぬいぐるみのお腹を押すと、きゅい、と鳴いた。


 森の民は惑星ハルがこのような不毛の惑星になっていることを知らない。しかも、フォボスに人が住んでいるなど、夢にも思ってないだろう。その事実を知った森の民は、二度とアール・ダー村で暮らすことはできないし、長く生きることもできないからだ。


 確かに、例えディモルフォセカをアール・ダーに帰したとしても、彼女はいつか死ぬ。早く死ぬか遅く死ぬかの違いだけだ。再生できない命があるということが、我々を正気に保たせている。カナメはそう思う。


 我々が開発した分解再生装置は、実は夢の装置などではない。そう思う。

 分解した時点で生物は死ぬ。再生すれば、しかし、それは全く同一のものだろうか?


 なるほど、遺伝子も記憶も全く同じだ。科学者の中には、それは同一のものだと証明する者も居る。しかし、カナメにはどうしてもそうは思えなかった。自分は分解された時点で死に、再生された時点で別の者になって蘇えっているのだという気がしてならない。それは皮膚感覚のような曖昧なものかもしれないが、しかし、だとすれば、分解再生装置は、惑星ハルに存在する最後の文明を滅ぼす凶器に過ぎないのだとは思えないか? そんなものに縋る人々が正気だとは、カナメにはとても思えない。

 しかし……そんなものに縋らざるをえないのが惑星ハルの現状なのだ。カナメはため息をつく。


 生きているものはいつか死ぬ。文明は滅び、星でさえ永遠ではない。滅ぼそう、あるいは滅びようとする強い意思が、虚空の宇宙空間に満ち溢れている気がした。


 存在するものはいつか滅びる。それが世のことわりならば、しかし生き延びようとあがくこともまた、命のことわりなのだとも思う。死に物狂いであがいている只中にあれば、それが正気か狂気かなど、問う方がむしろおかしいと言うものだ。


 カナメが今、あがいている理由は唯一つ、慈しむ命が手のうちにあるということだ。慈しむ命が手にあるからこそ、あがく力をも手にしているのだということになる。


 手の内にある命……それを在るべき場所に戻さなければならないのだと思う一方で、手放したくないと思い始めている自分に戸惑う。ディモルフォセカが部屋に逃げ込んで来てから、カナメの暮らしは一変していた。色々なことが彼女を中心にして回り始めている。ここで彼女を失って、果たして自分は元の生活に戻れるのか。そう考えただけで途方に暮れてしまう自分に呆れるほどだ。しかし、大脳コンタクトを使っても力を失わない彼女にとっては、アール・ダーで暮らすことが最善なのだと自分に言い聞かせる。


 しかし、その前に……。


 ディモルフォセカが見ることを嫌がるので、採取した彼女の記憶をざっとしか見ていないのだが、何かしら感じる違和感にカナメは気づいていた。


 嫌がられても、アール・ダーに返す前に調べておいた方が良さそうだ。これも要確認だな。そう小さく呟くと、カナメはリクライニングのボタンを押して座席を倒すと目を閉じた。


◆◇◆


 カナメの友人のコブだと名乗る男と対峙したディモルフォセカは、戸惑ったように、その冷ややかなアイスグレーの瞳を見上げる。


「コブ……って、ファームの民ではないの?」


 ファームの民は、たしか体内に葉緑体を持ち、緑色の肌をしているはずだ。実際に見たことは無かったが、学校でそう教わった。コブだと名乗ったその男の肌は、カナメと同様に透けるような青白い色をしていた。


「良く知ってるな」

 賢い賢いとコブと名乗った男は、ディモルフォセカの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「俺は葉緑体の色素を失ったんだ。アルビノって聞いたことが無いか?」


 アルビノとは動植物でメラニン・葉緑素などの色素を欠き、多くは白色となった固体のことだ。確かにファームの民にも、そういう人がいてもおかしくは無い。ディモルフォセカは、多少腑に落ちないながらも納得する。

「ほら、エリアEの果物を持ってきたぞ」

 そう言って、コブは果物が一杯詰まった袋をディモルフォセカに手渡した。


 コブはダイニングテーブルに乗っている食器を見て怪訝そうな顔で問う。

「もう食事は終わったのか? まさかとは思うが、デザートだけ食べたわけじゃないだろうな」


 内心ぎくりとしながら、ディモルフォセカは首を振った。慌てて食器をダストシュートに放り込む。このダストシュートは分解装置に繋がっている。放りこんだ途端、食器は闇に吸い込まれたように音もなく消えた。


 すべてを呑み込んでしまう闇が、生活圏内に普通に存在する事に、最初は凄く違和感があった。もし間違えて、この中に大事なものを落としてしまったらどうするんだろう。取り戻す為に手をつっこもうものなら、その手さえ分解されてしまうと言うのに……。アール・ダー村では、分解装置は各々の家庭には無かった。恐らく中央管理棟にあったのだろう。不用品は管理棟に持って行くことになっていた。不用品がその後どうなっていたのかなんて、考えたこともなかった。


 ふと、顔を上げるとコブが鋭い視線で見つめている。その透徹した瞳に、ディモルフォセカはごくりと唾を飲んだ。


「……なるほど。カナメが手を焼く訳だ」

 すべてお見通しだと言わんばかりに肩をすくめると、コブは苦笑した。



「ダメダメ! おまえ、やる気あるのか?」

 コブが眉間にしわを寄せる。

 やる気ないよ! そんなの飛躍しすぎでしょぉ?

 そう胸の内で叫びつつ、ディモルフォセカは教えられたセリフを再度口にする。

「そーゆーのをな、棒読みと言うんだ。もう一度っ」



 コブは部屋に来るなり、根掘り葉掘りディモルフォセカに質問した挙句、おまえはカナメのことが好きなのかと訊いた。

「え?」

 それまでの質問、アール・ダーでの暮らしやカナメの部屋での暮らしとは全く異なった唐突な問いに、ディモルフォセカはポカンとする。


「思うに、カナメはおまえのことが好きだな。昔からの友人である俺には分かるんだ。で、おまえはどうなんだ」

「はぁ……そりゃ、好き……ですよ。なんだかんだ言ってもカナメはすごく優しいし。だけどカナメは……」

 カナメが自分のこと好きだとはとても思えないと、ディモルフォセカが言いかけたところで、コブは我が意を得たりとばかりに、破顔すると、カナメの心をがっちりつかむ方法を教えてやると言って、前述のレッスンを始めた訳なのだった。



「真面目にやらないのなら、今日の夕飯をデザートだけで済ませたことをチクるからな」

 コブはアイスグレーの瞳で睨みつける。そんなことを告げ口されれば、怒ったカナメに、しばらくデザート抜きにされかねない。ここは大人しく従った方が得策かな……。


 ディモルフォセカは小さくため息をつくと、俺をカナメだと思えと言って背を向けて立っているコブに、背後から抱きつくと、教えられたセリフを呟いた。

「ありがとうカナメ、大好き!」



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