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光の砂漠 闇の迷宮  作者: 立花招夏
第一章 闇の迷宮
22/33

第十九話

 ズルズル ぴちゃっ ぴちゃ

 薄闇の中で、一際濃く淀んだ闇がぞろりと身じろぎをする。

「あぁ……おおぅ うぅどぅぉぉ うううう……」

 その声は、懇願しているようであり、嘆き悲しんでいるようであり、いずれにしても地獄の底から響いているように聞こえる。


 部屋に入って来た背の高い男は、その淀んだ闇に対面すると、まるでふわふわの子猫の相手をしているかのような甘ったるい声で話しかけた。

「どうした? そのミルクは気に入らなかったか? ちゃんと食事を摂らないと、元気にならないぞ?」

「うぅどぅぉぉ、いぃあぁあぁ いぃあぁ……いぃぃぃ」

「ダメだっ! そんなこと……そんなこと二度と言うなっ」

 男が怒鳴ると、闇は怯えたように部屋の隅で更に縮こまった。気まずそうな様子で男が部屋を出て行くと、後はただ、啜り泣くような呻くような声だけが、密やかに部屋を満たした。



◆◇◆



 サクッサクのパイ生地の間にコクのあるクリームを挟んで何層にも重ねたミルフィーユは、デザートの王様だとディモルフォセカは思う。その上に宝石のような果物をふんだんに乗せるのは、フェリシアおススメのカスタマイズだ。ディモルフォセカはあっという間に、このデザートの虜になった。


 今日は、フェリシアは来るのが遅くなるのだと言った。夕飯は先に済ませておいてほしいと言う。カナメの部屋に転がり込んで以来、一人で夕飯を食べるのは初めてだ。ぽつんとした気持ちで、モルオーブンのモニターにメニュー画面を呼び出して、気がついたらこのデザートを注文していた。


 モルオーブンとは、分解再生装置の料理版だ。軽く稼働音がした後、呼音が軽やかに鳴り、がらんどうだったオーブンの中に、注文したデザートが忽然と出現する。モルオーブンは、当然アール・ダー村の各家庭にもあったが、地下都市とはメニューが少し異なっているようだった。それに、森の民は果実や穀物などを自分たちで栽培しているので、普段の料理は手作りする家がほとんどだった。モルオーブンを使った料理は、特別な日の料理といったイメージなのだ。


 香りの良いお茶とパイを堪能しながら、ディモルフォセカはぼんやりと考える。

 もうすぐ、カナメが帰ってくる。今日連絡があった。


 カナメに早く会いたいのか、会いたくないのか、実は自分でも良く分からない。カナメが帰ってくれば記憶採取が再開される訳で、記憶採取は何度やっても慣れそうにないし、気持ちが不安定になるのが辛い。だけど、それよりも、記憶採取が終わってしまえば、恐らく自分はオーランティアカの家に帰されてしまうのだろう。そのことを考えると……気が重い。誰も自分の帰還を喜んでくれるとは、とても思えないからだ。なのに、カナメはディモルフォセカをアール・ダーに帰す気満々だ。


 しかしながらディモルフォセカの一番の悩みの種は、カナメと別れることを考えただけで、どうしてこんなに気持ちが苦しくなるのか……ということだったりする。ディモルフォセカはため息をつく。カナメは、厄介事である自分をさっさと帰してしまいたいと思っているに違いなかった。



 一度、カナメに訊いてみたことがある。それは一番聞きたい事ではなく、二番目に気になっていたことだったけど……。



「え? 森の民の力が感染るのが気にならないのかって?」

 そう言ってカナメは首を傾げた。頷くディモルフォセカにカナメは苦笑する。

「感染るんだったら、もうとっくにアール・ダー村に行って、楽しく暮らしてるよ。僕ならね」

「アール・ダー村、楽しいかな……」

「君は楽しくなかった?」

 楽しくなかったと言えば嘘になる。


 暖かく降り注ぐ柔らかなジタンの光、どこまでも高く薄紫色に染まる美しい空。暑い日に泉で水浴びをしたり、友達とふざけ合ったり、バスケットにママお手製の美味しいタルトや果物を詰めて友人たちと森で遊んだり、キノコを採ったりするのはとても楽しい。星ブドウ狩りの季節には、村で一番大がかりなお祭りが開かれる。蛍光を発する星ブドウの棚の下で、大人も子供も陽気に騒ぐのも楽しかった。


「……でも、じゃあどうして地下都市の人は、森の民の力が感染するって思ってるの?」

 ディモルフォセカの問いに、カナメは小さく肩を竦めて苦笑する。

「またディムのどうして病が始まったみたいだね」

「だって……知りたいもの」

「しょうがない子だな。さっき、僕は森の民の力は感染しないって言ったけど、厳密に言えば、稀に力が移ったのではないかと思われる事例が発生することがある」


 例えば、一般人をアール・ダー村でしばらく過ごさせたとする。すると、ほとんどの人は何の変化もないのだが、稀に力を獲得するものが現れる。しかし、その人を再び地下都市で過ごさせると、一年も経たないうちにその力は失われる。かつて、そういう実験をしたことがあった。


 カナメの説明にディモルフォセカは首を傾げる。

「その感染った人は、一般人なの? それとも森の民になったの?」

「力を保持できない以上、その人は一般人だ。その実験に関しては、詳しいメカニズムは解明されていない。分かっているのは、僕は、君と居ても森の民の力を獲得することはできないと言うことだけだよ」

 そう言って、カナメは肩を竦めて小さく笑った。




 食べ終えた食器を片づけようとしたところで、誰かがドアの鍵を開錠している音が聞こえた。とりあえず、ディモルフォセカは慌てて身を隠す。

 フェリシアにしては早すぎる時間だ。予定が変わったんだろうか。それともカナメの帰りが早くなったの?



 小部屋の机の下で身を縮めて耳をすます。聞こえてきたのはカナメの声でも、フェリシアの声でもなかった。

「ディモルフォセカ、俺はカナメの友人のコブ・ケルクスだ。出て来てくれないか?」


 カナメの友人の、コブ・ケルクス?


 ディモルフォセカは考え込む。確かにカナメからその名を聞いたことがあった。たしか、ファームの民で、エリアEから果物や野菜を持ってきてくれている人だ。彼は森の民を怖がっているので、持ってきた野菜や果物をドアの外にいつも置いて行く。だからディモルフォセカはコブに会ったことが無かった。ちゃんと顔を出せばいいのにと、カナメが愚痴っていたのを聞いていた。そんなコブが、どうしてカナメのいないコンパートメントにやってきて、森の民である自分に会おうと思うのだろうか。


 ディモルフォセカは、小部屋のドアを用心深くそっと開けてリビングを覗きこむ。薄く開いたはずのドアは、次の瞬間、強い力で引き開けられた。

「っ!」


 驚いて目を見開くディモルフォセカの目の前に、スラリと背の高い男が立っていた。銀色の鋼のような髪に冷ややかなアイスグレーの瞳。


「ディモルフォセカか?」


 瞠目して佇むディモルフォセカをしげしげと見つめた後、アイスグレーの双眸が弧を描いた。


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