第十八話
深緑色のマスクに、やはり深緑のマントのような布をずるずるっと引きずった人型の生き物が立っていた。頭から首にあたる場所までフリルルタスの葉っぱで覆われていて、両手はハナッコリーだ。
もし、何の情報も持たずにこの状況に遭っていたならば、ディモルフォセカは、それを変質者だと思ったかもしれない。しかし宇宙人と思い込んでしまったのは、ひとえにカナメからの情報のせいだった。カナメは、植物型の宇宙人がやってくるのだと言った。
もう来ちゃったってこと? ディモルフォセカは瞠目する。
「あ、あなた宇宙人ねっ? も、ももも、目的は何なの?」
ディモルフォセカは上ずった声で問いかける。
一方、宇宙人の方も驚いているようで、薄紫色の元々大きな瞳を更に大きく見開いて、ハナッコリーの手を差し出したまま固まっている。
「……女……の子? 宇宙人? 目的? なにそれ……」
差し出されたハナッコリーに、突き出したディモルフォセカの指先が触れた瞬間、蕾が次々に開花して、まるで黄色い花の花束のようになった。
「あなた、森の民なのっ?」
宇宙人は、驚いた様子で深緑色のマスクを脱いだ。
ディモルフォセカはぽかんと口を開いたまま、中から出てきた見目麗しい女性と対峙した。
フェリシアは少し途方に暮れたまま、森の民の少女と食事を摂っていた。カナメの説明書にあったように、生野菜の生長点を取り除いてディモルフォセカのプレートに乗せる。先ほどから、ディモルフォセカはぽつりぽつりと、自分の身の上を問われるまま話してくれている。
アール・ダー村の生活や学校の様子、家族のことや森のことや村から見える空のこと。フェリシアが子どもの頃に行きたくて仕方が無かったアール・ダー村、そしてもう何十年も前に手放した娘が居たはずのアール・ダー村。
フェリシアの娘は子どもを二人残して、若くして既に亡くなっていた。森の民は元々短命なのだ。
娘の子どもたち、つまりフェリシアにとっての孫たちが、今どうしているのか、調べようと思えば分かる事だが、フェリシアは調べることをとうにやめていた。会ったこともない孫のことを想像することができなかったからだ。想像できない自分が辛くてやめた。再生治療を受けて若返った自分よりも年老いた孫を、想像したくなかったというのが本音かもしれない。
「ところで、宇宙人って何の事?」
不思議そうに問うフェリシアにディモルフォセカはびくりと顔を上げた。
え? なに? 私そんな大層なことを訊いたかしら?
「……それって、トップシークレットなんですよね? 私……絶対しゃべらないって約束したのに……」
唇を噛んで俯くディモルフォセカに、フェリシアは首を傾げる。
「誰と約束したの?」
「……カナメと……あの、私が口にしたことを誰にも言わないでもらえますか? 私が知ってちゃいけないことなんでしょ? 宇宙人がもうすぐ責めて来るって……」
ディモルフォセカの言葉にフェリシアは一瞬瞠目してから、急に俯いて肩を震わせながら慌てたようにパンを口に押し込んだ。
笑っちゃいけないんだわ。ここで笑ってはカナメ・グラブラがついた嘘が無意味になってしまう。そして一方で思う。ハルが、宇宙人が攻めてくるような豊かな惑星だったなら、どんなに良かっただろうか……。
「フェリシア? どうしたの? 私、何かいけないことを言った? そんなに口にしては不味いことだったの?」
不安そうに問うディモルフォセカに、頬張ったパンをゴクリと呑み込んで、小さく笑んで首をふる。
「大丈夫よ。私は誰にも言わないわ。あなたも気をつけて、二度と他の人に言ってはダメよ」
フェリシアの言葉に神妙に頷くディモルフォセカにフェリシアは目を細めた。
カナメ・グラブラはこの子をアール・ダーに帰すつもりなんだわ。宇宙人来襲は、その為の優しい嘘。
子どもの頃に森の民の力を発症した子どもは、記憶操作を施してアール・ダー村に移送される。記憶操作ができないくらいの年齢になっていれば、フォボスに送られて、そこで労働に従事しなければならない。フォボスにあるバイオラングであるエリアEは小規模ながら六つもある。できてからの年数が浅いからか、ハル上にあるエリアEよりも、植物の状態が不安定で、維持管理に手が掛っていた。手が掛る……つまりそれだけ、そこで働く森の民にとっては重労働になる訳で、それはアール・ダーで暮らすよりも、格段に早く力を使い果たし、長く生きられないことを意味していた。
地下都市のことを何も知らせないということは、アール・ダーに帰す為の必要条件なのだ。カナメ・グラブラは、そんな突拍子もない嘘を、疑わせないほどに平然とついたらしい。彼の意志の固さを見た気がした。
隣のディモルフォセカが寝息をたてはじめたのを確認して、体温を計る。なるほど、カナメ・グラブラが言ったとおり、急速に手足の先端から冷えていっているようだ。抱きかかえるように体を密着させて、手足を温める。
こんなこと、自分の娘にさえしたことがないと、フェリシアは苦笑する。彼はどんな思いで、この森の民の少女と毎晩こんな風にして眠っているのだろう。
申し訳なさそうに世話を頼んでいた顔を思い出す。彼は、今日の日の為に、寝具一切を新しく替えてくれていたらしい。ディモルフォセカがそう言っていた。
それに……。
『行って実際に見てみるといい。君は通報する気にはならないはずだ』
フェリシアはイブキの言葉も思い出す。彼は、恐らくフェリシアの娘のことを知っていて、そう言ったに違いなかった。フェリシアは小さくため息をつく。
フェリシアは大脳生理学を専門にしていた。今は森の民の力の発生のメカニズムを解明する為に、ほとんどの時間を費やしている。
森の民を救いたい。無事な形でプランEに組み込みたい。その思いだけで、もう随分長い時間を費やしてきた。イブキは、それを知っていたんだろうか。
久しぶりにみた夢の中で、フェリシアは生まれたばかりの娘を抱いていた。初めて抱いた赤ん坊の指先は、恐いくらい細くて小さくて……どんなことをしても私が守る、フェリシアにそう決意させたものだった。
遠い昔の甘やかな記憶。果たせなかった約束……。