第十四話
濃厚でコクのあるカチャボスープに、新鮮なサラダ、少し焦げ目のついた人工肉のソーセージに焼きたての香ばしいパン。
いつもパンとコーヒーだけで済ましている朝食を、いつもよりバランスよく準備したのは、ひとえにディモルフォセカの為だった。しかし……サラダはやめておいた方が良かったらしい。
「ディム……やめなさい。ディモルフォセカ……」
カナメは困惑して声を掛ける。ディモルフォセカの前にあるサラダの皿がなんだか変だ。コブからもらっていたエリアEの野菜を適当に盛り合わせたサラダだったのだが、芽吹いたり花が咲いたりで、とてもサラダとは思えない代物になり果てていた。
寝ぼけ眼で食卓についたディモルフォセカがまずやった事は、サラダの上に手をかざすことだった。しかも、まるで操られているかのように、ぼんやりしたままでだ。
ディモルフォセカが手をかざすとすぐに、サラダの皿は白く光ってこんもりと盛り上がり、前述したように、まるで花籠のような状態になったのだった。
「あ……またやっちゃった……」
カナメの声に、ディモルフォセカはふと我に返る。また、と言うことは、今までもこのようなことが良くあったと言うことか。
「君はいつも生野菜を見るとそうなるのか?」
「う……私、力をコントロールすることができなくて……」
「生野菜は食べられないって訳だ」
「ううん、全然食べられないって訳じゃないよ?」
あきれ顔で問うカナメに、ディモルフォセカはモゴモゴ説明する。
植物の茎や根の先端にある生長点を除いてあれば大丈夫なのだ。生長点は、もっぱら細胞分裂が行われる部分であり、それがあれば、植物は成長しようとする。植物が成長しようとすれば、ディモルフォセカは自分の意志に関係なく、まるで植物に操られているかのように力を放出してしまうのだ。
オーランティアカの家では、ディモルフォセカの為にサラダに入った野菜の生長点を取り除くのは、もっぱら父親の役目だった。役目……というよりは、野菜嫌いな父親が自分の皿から生長点を取り除いた野菜をディモルフォセカの皿に置いていたと言った方が正確かもしれない。時々、親の目を盗んで、弟のホルトも置いていたようだが……。
家の中で力をコントロールできないのはディモルフォセカただ一人だったのだ。亡くなった姉のアリッサムもコントロールできていたようだから、ディモルフォセカだけが違っていたのだろう。
「だから、いつもはパパが生長点を除いた生野菜を……むぐっ」
突然口の中にラディックを入れられて口ごもる。少し辛味のあるラディックの清冽な香りが口中に広がった。慌てて口に手をやろうとしたところで、厳しい口調の命令が飛ぶ。
「手を出すな。野菜に触るな。黙って咀嚼する」
ディモルフォセカは、びくりと動作を止めて、コクコクと頷くと咀嚼する。
サラダに関しては、最後のフリルルタス一枚に至るまで、指一本触る事を許可されず、まるで鳥のひなにでもなったようだとディモルフォセカは小さくため息をついた。
来訪者がやって来たのは、食後のハーブティーを飲んでいた時だった。
「ディム、小部屋に隠れていてくれ。たぶん都市管理センターの職員だろう」
ディモルフォセカは頷くと、慌てて小部屋へと逃げ込んだ。
カナメはディモルフォセカが小部屋に隠れたのを確認するとドアを開ける。
カナメの予想に反して、ドアの外にはルドが立っていた。
「よぉ、カナメ。ちゃんと大人しくしているか?」
無駄に爽やかな笑い顔には、好奇心むき出しの双眸が輝いている。
「ルド? どうしたんです? 何か急用ですか?」
カナメは一瞬瞠目すると、通せんぼをするように立ちはだかった。
「監視カメラの回収だ。なんだ? 取り込み中か?」
ルドは、ドアを塞ぐように立ちはだかっているカナメの肩越しに中を物色する。
「いや、別に。今、監視カメラの回収と言いましたか? 僕の聞き間違いでしょうね?」
カナメは顔を引きつらせながら問いかけた。
地下都市ハデス市長自ら、監視カメラの回収とは恐れ入る。口実に使うにしても、あまりにも見え透いているだろうとカナメはあきれ果てる。
「聞き間違いなどではない。お前早く外してもらいたがってたじゃないか。俺くらいしか今日取りに来れる職員が居なかったのだ。市の対応が遅いとかケチをつけられるのは嫌だからな。邪魔するぜ?」
邪魔するなと口まで出かかった言葉をぐっと飲みこんで、カナメは目をつぶって溜息をつく。
「で?」
ため息交じりにドアをきっちり閉めると、勝手にリビングに入り込んでキョロキョロ見回しているルドに、カナメは問いかける。
「で? ってなんだよ。監視カメラの回収だと言っただろうが」
ルドは既に寝室のドアに手を掛けようとしている。
「地下都市ハデスの市長が? 国家公安委員会の委員長が? 監視カメラの回収ですか?」
カナメの皮肉を込めた口調にルドは爽やかな笑みを浮かべた。
「なんだ? 気に入らないのか?」
ルドは躊躇いもせずに寝室のドアを開けた。
「ん? もう外してあるのか?」
「外しましたよ。そこに置いてあります」
カナメはリビングの小テーブルを指差した。
「それじゃあ、それもらってくか。……そうだ、その前に手洗いを借りてってもいいか? 年をとるとナニが近くてな」
ルドはニヤリと笑う。
どんな情報を掴んでやってきたんだ? このオヤジ……。カナメは内心冷や冷やしながら、素知らぬ顔で返答する。
「構いませんよ。どうぞ。それが済んだら本題に入るか、とっとと帰るかして欲しいもんですね」
ハデス市長が直々にやって来たというのに、茶の一杯も出さないで追い返そうとするのは、おまえくらいだなどとブツブツ文句を言いながら、しかし、ルドは手洗いとは別の小部屋のドアに手をかけた。
「ルド! そこは手洗いじゃないだろ!」
カナメの動揺した鋭い制止には構わず、ルドは勢いよく小部屋のドアを開けた。
「おや?」
ルドの声にカナメは覚悟を決めて目をつぶる。万事休す……か。
「おい、カナメ、あれはとうとう捨てちまったのか? 枯れてたもんなぁ。お前もそろそろアイリスを卒業って訳か?」
え? 枯れてた? カナメは目を開き、一体何の事かと一瞬考え込んでから、ようやくアレオーレのことだと気づく。当のアレオーレはどこかの物陰に身を潜めているようだ。なかなか空気を読む奴だと感心しながら、用心深く答える。
「割れたんだよ。アイリスは関係ない」
用心はしていたが、動揺していた。動揺のあまり昔の癖でため口に戻っている。カナメはごくりと唾を呑みこんで小部屋の入口から中を覗き込む。そこにいるはずのディモルフォセカの姿は見当たらなかった。
「なーんだ」
「なんだって何?」
「お前のアヤシイ趣味が、ここに隠されているんだと思ったのに」
ルドはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「だから、アヤシイ趣味なんてないって言ってんだろ?」
「なーんだ、つまらん」
「そんなことを確認する為にわざわざ来たのかよ?」
仏頂面のカナメに、おまえのその悪ガキ面と言葉、懐かしくていいな、すかして俺に敬語なんて使ってるお前よりずっと良い、と言いながらルドは鮮やかに笑んだ。
ディモルフォセカはドアに耳を寄せて外の音を窺っていた。誰かが部屋の中でカナメと話している声が聞こえる。カナメは都市管理センターの職員だろうと言った。でも、もしかしたら公安ということはないだろうか。ディモルフォセカはじりじりと最奥の机まで下がっていった。カナメが鋭く制止する声が聞こえた瞬間、ディモルフォセカは慌てて事務机の下の奥の方に身を潜めたのだった。
ルドは笑みを浮かべたまま、リビングのソファに腰をおろした。
「フォボスがプランEの始動を主張しているのは知ってるな?」
ようやく本題に入ったかと、カナメは神妙な顔で頷く。
数年前、ハルの衛星フォボスにあるフォボス市が、地下都市ハデスから独立した。革新的な市長が立ち、フォボスはあっという間にハル連邦政府から自治権を獲得すると、様々な計画を信じられないスピードで進め始めた。
「プランEの一部始動が決まった」
「一部始動……か」
プランEはエクソダス。つまり、惑星脱出だ。
もう何世代にも渡る長い間、ハル連邦の一般人とファームの民は、この計画を始動させる為に様々な計画を進めてきた。フォボスは、そのプランEの最前線基地だ。だからそのフォボスで計画を進めてきた者たちが、一刻も早くプランEを開始したいと考えるのは無理からぬことではあった。
「人数限定で脱出希望者を募ったんだが、希望者が殺到して百倍にも膨れ上がっているそうだ」
ルドは疲れたように笑んだ。ハデス市長であるルドは、その革新的な流れの重しとなるべく、急速な計画進行の危険性を指摘し続けてきたが、それも限界なのだろう。ジタンはもう間もなく爆発するという根拠のない噂があちらこちらで広まって、民衆はパニック寸前の状態にあった。
「へぇ」
カナメは肩を竦める。
「お前、どうするよ?」
「どうするも何も、プランDが終了しない限り、僕はここを動く気はないよ。訊くまでもないだろ?」
「そう言うと思った。今日来たのはその件で、提案しに来たんだ。どうだ? 生きた森の民を分解再生してみるか?」
「……確証のないまま闇雲に分解再生するつもりはないよ」
カナメはルドを睨みつける。
プランDは、言わばエクソダスの為の旅支度だ。脱出する為の宇宙船はほぼ出来上がっている。六隻の船に、ハルに棲息するすべての生物をデータ化して搭乗させる。それがプランDの概要だった。
「今度の流星群はかなり厳しいらしい。今、大気局は大わらわだ」
地表から水分を失い、大気の大部分を失った惑星ハルは、宇宙からの飛来物に対する守りが弱い。防護壁を失ったも同然なむき出しの大地になっている。隕石が流星として燃え尽きることなく地表に到達してしまえば、地表面だけでなく、その衝撃は地下都市にまで及ぶ。そうならないように、大気局は常にレーダーで監視し、問題のある大きさのデブリであれば、軌道を変えるか砕くかして衝撃を弱くするという作業を昼夜問わず行っているのだ。
「流星群の衝撃でパニックになった群衆が暴徒化することも考えられる。ハデス市長としてもそれは避けたい。だからプランEの一部始動をハデスも受け入れることにしたんだが、そうなってくると、やはり森の民の事が問題になってくる。フォボスの一部の急進派が、森の民を諦めて、その力のみを取り出すことはできないかと言い始めているのを知っているか?」
知っていた。だからこそ、カナメもイブキも森の民の再生に全力を注いでいる訳なのだが……。
「やつらが何をおっぱじめたか聞いて驚くな? 森の民の力を取り出す為の植物を森の民に創らせようとしてるんだ」
「なんてことを……」
それは、まるで自分の生命力を絞り出す為の機械を自らの手で作らせているようなものだ。考えただけで気分が悪くなる。
「もう、国宝だ、特別保護種だなどと悠長なことは言ってられなくなったってことだ」
ルドはそう言うと苦く笑った。