第十一話
イブキが小型大脳コンタクトに、ディモルフォセカの記憶を採取しようと言い出した。その器械は、カナメとイブキが互いに小型化を競って作っていた試作品だった。
これなら独立していてどのシステムにも繋がっていないので、情報が漏れだす心配がない。その作業が終わってからガイアエクスプレスに乗せられるよう手配すると、イブキは言い張った。地下都市某研究所からの要請で、彼女を研究対象として招いたという形をとれないか既に検討を始めているのだと言う。
実際に人を再生する為には、からだ本体の情報だけでなく記憶も採取しておく必要がある。しかし、今までの森の民の分解再生は生体を扱っていなかった為、記憶採取をしていなかった。記憶のあるなしが力の有無につながるとはとても思えないというのが政府の言い分だったが、大脳コンタクトによるストレスが森の民の力を削ぐ、あるいは消滅させることの方を、政府が恐れているのは明らかだった。森の民と言っても、すべての者が強い力を持っている訳ではない。そんな者はむしろまれで、数人がかりで一つの植物の改良を行う場合がほとんどなのだ。だから森の民は多ければ多いほど良く、一人として損ないたくないというのが政府の本音だった。
もしディモルフォセカが、目の前でアレオーレの形態を変化させていなければ、イブキはこれほどまでに彼女を分解再生することに拘らなかっただろう。昏倒するほど体力を失っていて、かつ意識もないまま、植物の形態を変えてしまうほどの力を放出した彼女だからこそ、イブキはディモルフォセカに興味を持ったに違いなかった。
しかも、当の本人であるディモルフォセカは、アール・ダーには帰れないのだと頑なだ。
カナメは半ば投げやりな気分になって、イブキから渡されたメモリースティックを小型大脳コンタクトに突っ込んだ。
白い小部屋の椅子に座って、ディモルフォセカは不安そうにカナメの背中を見上げる。大脳コンタクトという器械を取りつけて、記憶を採取するのだと言う。
記憶の採取? 何、それ……。
部屋は、床も壁も天井も真っ白なので何だかひどく落ち着かない。先ほどまでじゃれついていたアレオーレは、この部屋には決して入ろうとしなかった。
きょときょとと辺りを見回すディモルフォセカに、機材を手にしたカナメが近づく。
「どうする?」
カナメはディモルフォセカの表情をちらりと見てから、唐突に問いかけた。
「どうするって……何を?」
「もし君が家出したことを後悔しているのならば、記憶採取はしない。明日のガイアエクスプレスに乗れるように、今ならば、何とかすれば手配してやれる。家に帰りたくなったんじゃないのか?」
カナメは仏頂面でそう言った。
今朝目覚めて、ディモルフォセカは驚いた。暖かいジタンの日射しだと思ってホッとしたのは勘違いで、カナメの体温で温かかったのだ。低体温症……森の民が時々起こす症状だ。地下都市に来てから、ディモルフォセカは頻繁にこの症状に悩まされるようになっていた。ここにいてさえ、自分は誰かに迷惑を掛けてしまうのかと唇をかむ。
帰りたくないと言えば嘘になる。だけど、帰れる場所は既になかった。
オーランティアカの家は、ディモルフォセカの結婚話を機に、色々なことがうまく行かなくなっていた。まるで肝心な歯が折れてしまった歯車のように、妙なふうに空回りして、両親とも弟ともぎくしゃくした状態になっていた。それがどうしてなのか、ディモルフォセカにはさっぱり分からない。更に、結婚相手だと政府から指定された相手にも問題があった。彼には将来を約束した恋人がいたのだ。自分の存在が、周囲の人すべてを困惑させ混乱させ、悲しませていた。ディモルフォセカが帰りたい場所は、昔の、姉のアリッサムが亡くなる前の穏やかで幸せだった日々だ。だけど、それはもうどこにもなかった。
「……私が帰ったら、あなたたちは困るんじゃないの?」
こんなことを訊いてしまうのは、自分の存在を認めてもらいたいからだ。自分は居場所が欲しいだけなのだ。これは甘えだ。訊いた途端、そう気づいて後悔する。
「困るのは僕たちではない。分解再生ができなければ、そう遠くない未来で困るのは森の民だ。しかし、それは君が義務や責任を負わなければならないことではない」
「分解再生ができないと、なぜ森の民が困るの?」
「それは言えない。そう言っただろ?」
「私が協力すれば、森の民の役に立つ?」
「役に立つかどうかは分からない。少なくともマイナスにはならない」
「やりがいの無い言い方ね」
ディモルフォセカは拗ねた瞳でカナメを見上げる。カナメは軽く肩を竦めた。
だけど……ディモルフォセカは思う、少しでも森の民の為になる可能性があるのならば……。少なくとも無駄にはならないはずだ。
「ねぇ、それって痛いんじゃないよね?」
「……大人でも泣くほど辛いやつだ。痛くは無いけどね」
「え……」
「正確に言えば人による。辛い記憶が多ければそれだけ辛い。楽しい記憶ばかりならば少しも苦痛ではないだろう」
自分の記憶はどうだっただろう。確かにここ数カ月は、辛い記憶ばかりだ。だけど、それまではずっとアール・ダー村で幸せだったのだ。両親がいて、姉弟がいて……。
「それから、これは言っておかなければならないと思う。大脳コンタクトを使うことによって、森の民の力を失う可能性がある」
「森の民の力を失う?」
「可能性を否定できない」
森の民の力を忌み嫌っていたヒースの顔が浮かぶ。彼はそれを試してみたのだろうか……。
「森の民の力が無くなれば、私はアール・ダーに戻る理由が無くなるの?」
「だから、問題なく帰りたければ今すぐ帰る方がいい」
「……でも、もう帰る場所が無いし……。いいよ。協力する」
カナメの真剣な瞳に少しだけ怯みつつ、ディモルフォセカは答えた。
一瞬顔を顰めた後、そうとだけ返事をすると、カナメはディモルフォセカの頭に機材を取りつけた。
カナメは気まずい思いで、自室のベッドに横たわる。
利用するだけなら、犯罪者だった方がまだ良かった。
少なくとも、居場所がないと家出した少女にやらせることじゃないよな。
あの子は僕とは違う。政府の言うがままに、それも三百年もの長い間、唯々諾々と敷かれた道の上を、ただがむしゃらに走ってきただけの僕とは違う。用意された道を否とすることが三百年前の自分にできただろうか、そして今の自分にはできるだろうか。
ディモルフォセカは小部屋で記憶採取装置を取り付けられている。完璧な分解再生をするには、まず記憶を採取しておくことが必要なのではないかと、イブキとカナメは以前から考えていた。森の民の記憶を採取したことは数えるほどしかない。森の民は体力的にばかりでなく、精神的にも繊細だった。略式の簡単な記憶採取であったにもかかわらず、ショックのあまり力を失った例もある。それ以来、森の民の記憶採取はストップしたままだ。ハル政府は、一人でも多くの森の民を『使える』状態にしておきたいのだ。
記憶採取を始めて間もなく、彼女は涙を流し始めた。記憶採取は近い過去から採取が開始される。ここにたどり着くまでに辛いことがたくさんあったのだろう。予想していたことではあった。
記憶採取装置は、昔のつら過ぎて忘れざるをえなかった悲しい記憶までをも残酷なまでに掘り起こす。この装置が残酷なことは、自分が一番よく知っていた。何度この装置に自分の記憶を明け渡したことだろう。
彼女は力を失うんだろうか……。
カナメはふと何かを思いついたように起きあがると部屋を後にした。