表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
光の砂漠 闇の迷宮  作者: 立花招夏
第一章 闇の迷宮
11/33

第八話


 最初に極冠の氷が解けた。解けた氷は、さして大きくはない惑星ハルの大陸をじわじわと飲み込んだ。僅かな高地を残して、ハルは一旦、青い水球となった。

 逃げ惑った人々は、わずかに残った高台の陸地を拠点として地下都市を形成し、細々と生き延びた。次いで大地は干上がり、惑星ハルは完全に生物を拒絶する不毛の大地となった。


 ジタン末期の大災害である。


 人類を含め生物が生きていけたのは地下都市と、高地でシールドを施すことのできた三つの地上、それがハルに残された最後の地上のオアシスだった。

 三つの地上のうち、一つは人を寄せ付けぬジャングルで、一つは五年前に流星群に直撃されて壊滅した。そして最後の一つ、ハルの地上の森『アール・ダー村』、ここに森の民は住んでいた。


 森の民の数は僅かに三千、植物を操る不思議な能力を持っていて、ハルの最後の地上を守りながら暮らしている。大半の者は体が弱く、寿命も短い。日増しに苛烈さを増すジタンに、その力を使いながら植物とともに生きている種族だ。その特殊な能力の故に政府からは手厚く保護されている。エリアEの植物は地下の寂光の下でも光合成ができ、大量の酸素を地下都市全域に提供できるように改良されていたが、それらはすべて森の民によって改良された植物群だった。


 不思議なことに、森の民の力の源は未だに解明されておらず、森の民を分解再生すると、その力が失われてしまうことが確認されている。地上と地下都市は隔絶している。一般市民が地上で暮らすことはなかったし、森の民が地下都市で暮らすことは、一部の例外を除いて、なかった。それがハル連邦政府の方針だった。



「イブキ、この子はアール・ダーに返そう。こいつは単なる家出娘だ。こんなことに巻き込むべきじゃない」

 ソファに横たえたディモルフォセカを心配そうに覗きこんでいたカナメは、立ち上がってイブキに向かい合う。

「こいつが帰りたいと言ったのか?」

「いや、そう言う訳じゃないけど……」

「だったら、この子に決めさせよう。おまえが決めることでもないだろ?」

「しかし……」

「お、目を覚ましたぞ」

 イブキがディモルフォセカを覗きこむ。カナメは不機嫌そうにマグカップの飲み物を啜った。



 ディモルフォセカはソファの上で目を覚ました。明るいキャメル色の髪と薄い褐色の瞳をした男が覗き込んでいる。精悍な顔立ちで、ディモルフォセカの結婚相手だったシーカスに少し雰囲気が似ていると、ディモルフォセカは震えながらそう思う。震えていたのは、その男が怖かったからでも、寒かったからでもない。手の感触が……ディモルフォセカの手を掴んだカメリアの手の感触が、あまりにも生々しく蘇えっていたからだ。

 救えなかった命……たった今そこにあった命、でももう取り返しのつかない命。涙が次から次へと零れ落ちる。


「おい、大丈夫か?」

「手が……」

 ディモルフォセカは小刻みに震えていた。

「手がどうかしたか?」

 抱え込むようにしている左手を拳にしたまま小刻みに震えている。拳はガチガチに強張っていて、ディモルフォセカ本人でさえ解くことができないようだった。イブキは左手の指を一本ずつ解いていきながら、掌を確認する。

「手だけが残ったの……」

「なんだって?」

「あとは全部溶けてしまった。……カメリア。私のせいだ。私の……」

 ディモルフォセカは焦点の定まらない瞳から涙をこぼす。

「おい、落ち着け。ここまで来る間にあったことか?」


 下水道では、時々清掃と称して溶解液を流すという噂を聞いたことがある。目的は沈殿した汚物の除去ということらしいが、その中に犯罪者やドロップアウトした人間が逃げ込んでいることを、政府が知らない訳がなかった。ハデス地下都市市長ルドのやりそうな荒っぽいやり方だ。


 イブキの大きな掌がディモルフォセカの頭をふわりと包んだ。ディモルフォセカの瞳がようやくイブキの顔に焦点を合わせる。

「忘れろ。どうにもならないことをいつまでも覚えていたって仕方がない。だから……忘れるんだ」

 ディモルフォセカはイブキを見上げて逡巡する。

 忘れたい、でも忘れてはいけない。二つの気持ちが天秤の上でどっちつかずで揺れている時、そんな不安定なつらい状態を、たとえ間違いであったとしても、収めてくれる他人の意見はありがたいことだ。気弱くなっていたなら尚更だ。ディモルフォセカはその意見に縋りつきそうになって、しかし、思いとどまった。

――本当に、それでいいの?

 心のどこか深いところで声がする。

「そんなことを簡単に忘れられるなら、もっと楽に生きてるだろ。こんなに面倒くさい生き方をしているこいつが、そうそう簡単に忘れられるもんか」

 まるで、ディモルフォセカの心の声に応えるかのように、紅い瞳のその人は、間髪いれずにそう言った。


 その言葉は、不思議なくらいストンとディモルフォセカの心に収まる。


 忌まわしい記憶を、今封印して忘れて楽になったとしても、体に入り込んだ異物のように、それはいつしかじわじわと拒絶反応を起こし、心を蝕むに違いなかった。心の中できちんと消化し、吸収し、血肉にして初めて自分のものにすることができる。カメリアに起こった出来事も、彼女の思いも、その存在も、無かったことになんて、できる訳がないんだから……。

 

 この人はそれを知っているんだ。

 敵なのか、味方なのか、親切なのか、辛辣なのか。

 ダイニングで何か作り始めたカナメの背中を、ディモルフォセカは複雑な思いで見つめる。



 考え込んでいるディモルフォセカの目の前に、突然大振りのマグカップが差し出された。見上げると、カナメが温かな湯気のあがった飲み物のカップを手渡した。

「この暑いのに熱い茶かよ」

 イブキの呆れた声が降ってくる。

「ハーブティーだよ。気分を落ち着けたい時にってメニューに書いてあった」

「俺には冷たいのくれ。ハッピーな気分になるやつな」

「了解」と言いながらカナメは再びダイニングへ消えていった。

 そっか、私以外の人は暑いんだ。ディモルフォセカは渡されたマグカップを冷えた指先で包みこむ。カップの温かさが手に心地よかった。



「お前なんていう名前だ?」

 イブキが話しかけてくる。

「……ディモルフォセカ」

 カナメには本名を言ってしまったのだ。今更偽名を使うことには何の意味もない。ディモルフォセカは沈んだ声で答える。


「ディモルフォセカ、これだけは説明しておかなければならない。俺達は君とは他人同士だ。親兄弟ではない、もちろん配偶者でもない。血のつながりもなければ、法で定められた関係もない。冷たいようだが、俺たちには君を匿う理由も義理もない。匿ったのがバレれば俺達だってヤバイことになる。しかし俺達は君を公安には突き出さなかった。それは、俺達に計画があるからだ」

「イブキ、その話はまた今度にしないか?」

 カナメが割って入る。

「カナメ、地下都市で過ごす時間が長くなればなるだけ、この子は危険な状態になる。俺は一刻も早く計画を進めて、この子の安全を確保したいと思う。それがこの子の為だとも思っている」

「……」


 イブキの言葉にカナメは黙りこむ。そんなカナメを一瞥して、イブキは続けた。

「その計画には君の協力が必要だ。俺達の計画に協力してくれるなら、公安には突き出さない。身の安全を保障しよう。必要ならば助力も惜しまない。我々はある程度ならば、君に便宜を図ってやれる立場にある。そこで、だ。俺達が一緒に事に当たる際に必要なことはなんだと思う?」

 イブキは器用に片眉をあげて見せる。ディモルフォセカは力なく肩を竦めて首を左右に振る。

「信頼だ。俺達は君に嘘はつかない。君も嘘をつくな」

「僕は嘘をつかないなんて言ってないよ」

 カナメがイブキに飲み物を渡しながら文句を言う。

「そっか?……よし、じゃあ、この人は嘘をつくかもしれない。俺はつかない。そういうことだ」

 イブキは肩を竦める。

「何を……すればいいの?」

 ディモルフォセカは不安そうに顔を上げた。


 人は嘘をつかないで生きていくことができるだろうか。

 ディモルフォセカの不安そうな顔を見ながらカナメは考える。人間社会において、嘘は必要悪だ。ならば、嘘をつかないと言った時点で人は嘘を言ったことになる。この子はそんなことさえ考えつかないのだろう。それほど彼女は若く、経験が乏しいのだ。カナメは小さく溜息をつく。


「君を分解再生させてほしいんだ」

 イブキはどこまでも単刀直入だった。ディモルフォセカの目が見開かれる。

「イブキ、それは……」

 そんなことを知らせれば、彼女はアール・ダーに帰れなくなってしまう。地下都市の無修正情報を知った森の民は、もうアール・ダーでは暮らせない。再び口を挟みかけるカナメを、イブキは片手で制した。

「確かにショックな話だと思う。でも内容を知らないまま何でも協力しろなんて、俺は言うつもりはない。しかし、これは、森の民の為でもあるんだ」

 イブキは続けた。

「森の民の力は謎だらけだ。その力が何に由来しているのかさえ解明されていない。これはかなりレベルの高い機密なんだが、現在、政府は森の民の分解再生に成功していない」

「やめろ! イブキっ。そんな事を森の民に容易く話すなっ……」

 イブキはこの子をアール・ダーに返さないつもりなのか?

「分かっているさ、カナメ。それ以上言うつもりは無い。おまえが森の民を庇う気持ちも分かってるつもりだ。だけど、森の民に関しては、お手上げ状態なのも事実だ。分かっているだろう?」

 にらみ合う二人を呆然と見上げて、ディモルフォセカは口を開いた。

「あの……人を分解再生することができるの?」

「ああ、できる」

 イブキの言葉にディモルフォセカはゴクリと唾を飲み込んだ。



 ディモルフォセカの姉、アリッサムが亡くなったのは初等部の事だ。姉の亡骸は、泣いてすがる両親の手からもぎ取られるように地下都市へと送られた。

森の民の亡骸が地下都市に送られるその理由。死者さえも蘇らせられるという地下都市の科学技術の話。

 本当だったんだ。でも、森の民は分解再生されないって……それって……。

 ディモルフォセカは項垂れる。



 カナメとイブキは、これまでに数え切れないほどの森の民の遺体を分解再生した。結果は大きく二つに分かれた。普通の何の能力も持たない一般人として再生するものと、能力を持って再生するもの。しかし、能力を持って再生したものは、まるで壊れたぜんまい仕掛けのおもちゃのように、僅かの時間で能力を放出し尽くし、息絶えた。


 分解ミスか、再生ミスか、あるいはこれは遺伝子に刻まれた能力ではないのではないか。カナメとイブキは原因究明に明け暮れた。生きている森の民を研究するべきだ。二人は政府に何度も掛け合ったが果たされなかった。森の民は厳重に保護されている。特別保護種なのだ。生体だろうが死体だろうが、遺伝子に変わりはない。遺伝子でなければなんなのだと突っぱねられた。

「人類のうち、森の民だけが再生されないと……そう言うことなの?」

「残念ながら……」

 イブキは森の民の一部が再生されないのだとは訂正しない。能力を持たない森の民など、政府にとって何の価値もないからだ。



 地下都市にくれば、もしかしたら姉に逢えるかもしれないという幽かな希望。

 なんと甘く、浅はかな期待だったのだろう……。

 ディモルフォセカは大きく息を吐き出すと、顔を両手で覆った。


「……僕らは森の民の研究をしていてね、情報を集めたいんだ。森の民はアール・ダー村で保護されていて、滅多にお目にかかれないから、君からの様々な情報は貴重なデータになると思う。それに、情報収集時に分解再生の問題点が発見されれば良い訳で、特に、どうしても君を分解再生しなければならないという訳ではないんだ」

 見かねたようにカナメが静かに補足する。

 頭を抱えたまま考え込んでいたディモルフォセカの耳に、カナメの声が染み込むように入り込んでくる。さっきとは全然違う労わった様子の声。


 この人は、私を安心させようとしているの? ううん、そんなはずない。この人は人の心を操る為に色々なしゃべり方ができる人なんだ。

 ディモルフォセカは警戒心のこもった視線でカナメを見上げる。

「あなたは嘘をつくって言ったわ」

「必要がない時に嘘はつかないよ」

 カナメの言葉は穏やかだ。

「……」

 しかし今はもう、何も判断できる気がしなかった。

 ディモルフォセカは押し黙ったまま項垂れた。


「とりあえず、今日は無事、意思の疎通も図れたことだし、飯でも食って寝た方が良くないか? もうこんな時間だ」

 意志の疎通が図れたか? と呆れた声で返すカナメには答えず、イブキはコブからもらった食糧袋をガサゴソと漁り始めた。



* * *


 奥の白い小部屋にソファを運び込んでいるカナメを手伝いながら、ディモルフォセカは静かに問いかける。

「ねぇ、森の民でなければ、死んでも再生できるんだよね?」

「できるね」

 小部屋をディモルフォセカの寝室にする為にソファを運び込みながら、カナメは返答する。

「再生したい人は、誰でも再生できるの?」

「誰でもは無理だな。再生の為の厳しい条件があるからね。ねぇ、君、地下都市のことをあまり知ろうとしない方がいい。次にイブキが来た時には、計画には協力できないと言いなさい。君はアール・ダーに帰るべきなんだ。もし君にその気があるのなら、今からでも明日朝一のガイアエクスプレスを手配するよ」

「……帰れないの。私、帰る場所が……もうないから……」

 ディモルフォセカの言葉に、カナメは小さくため息をついた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ