第七話
惑星ハルには文明が存在する。
文明を築いたのは人類。現存する種族は『一般人』と『森の民』と『ファームの民』の三種だ。一般人とファームの民は地下都市ハデスで暮らし、森の民だけが、地上の森アール・ダー村で暮らしている。
一般人は強大な科学技術力を発展させ文明の保持に力を注ぎ、ファームの民は自らの体に葉緑体を持ち光合成を行うことができる。そして、森の民は植物を操る能力を持ち、その力を行使することで文明を支えてきた。
森の民は、そのほとんどが森の民の親から生まれるが、ごく稀に一般人から生まれることがある。能力が発覚すれば、政府により捕獲され、管理され、利用される。
育児に関して、一般人の親の心配事は主に三つ、病気、学校の成績、そして、森の民の力を発症すること、と言われている所以だ。
* * *
目を覚ますと、ディモルフォセカは誰かの腕に抱きかかえられて毛布に包まっていた。バスローブの布を通して伝わってくるその人の体温が温かく心地よい。しかし、その人の顔を見てディモルフォセカは驚愕した。さっきのあの赤目男だ! ディモルフォセカはもがいて逃げようと試みる。
「……ん」
男が身じろぎをした。
ディモルフォセカは、はっとして動作をやめると、男の顔を覗き込む。男は疲れているように見えた。青白く、眉間に寄った皺が苦悩しているように見える。
「痛っ」
ディモルフォセカは目のあたりを押さえる。痛い。さっき逃げ込んだ下水道で男に殴られたのを思い出した。
この人が助けてくれたの?
ディモルフォセカは考え込む。少なくとも、この人は事情を聞こうとしてくれたのだ。それがどれ程感謝すべきことなのか、ディモルフォセカは、ようやく気づいた。
「僕はカナメ・P・グラブラという」
「グラブラさん……あの、随分ご迷惑を掛けてしまったみたいで……ごめんなさい。それに……」
ディモルフォセカはおずおずと男を見上げる。
「カナメと呼んでくれて構わない」
カナメの言葉にディモルフォセカは小さく頷いた。
「それに、あの……助けていただいたみたいで……ありがとうございました」
「礼には及ばない。君を保護していた僕には、君の安全を確保する責任があった」
「はぁ」
安全を確保する責任……かぁ。ずいぶん硬い職業の人なんだろうとディモルフォセカは検討をつける。
「それで、さっきの続きだが、君の事情を説明してもらいたいんだけどね」
ディモルフォセカは視線を落したまま、観念したように話し始めた。
「簡単に言うと……規則を破って逃亡中です。あの……私は……通報されるんでしょうね?」
ディモルフォセカは頼りなげにカナメに視線を合わせる。どうせ通報されるならば、ここで事情を話すことに意味はない。
「公安に通報するかどうかは君次第だ。僕には事情を聴くだけの権利があると思うよ。しかし君が本当のことを話してくれないのなら、今からすぐにでも公安に連絡する。僕には君を匿う理由はないし、メリットもないからね。ただ君が、僕の植物を助けてくれたみたいだから、少しばかりお礼をしてもいいとは思っている」
「植物? もしかして、アレオーレのこと?」
言ってから、ディモルフォセカははっと息を呑んだ。
もしかして、森の民だってこともばれている? 状況はどんどん悪くなっているようだ。
そういえば、この人は感染ることが気にならないのだろうか?
森の民の力は感染すると思われていて、地下都市では嫌われているらしいことを、ディモルフォセカは知ったばかりだ。しかしカナメは、ディモルフォセカが森の民であることには特に気にする様子もなく続けた。
「アレオーレ? こいつそういう種類の植物なの? それとも個体の名前?」
カナメは胡散臭そうに、アレオーレがパタパタと部屋の中を飛び回っているのを目で追う。
アレオーレは固体の名前だ。種類はカクタス。
カナメの部屋に忍び込んだ時、ディモルフォセカは枯れかけていたアレオーレを見つけた。助けるつもりで力を使ったら使い過ぎたのだ。疲労していて力のコントロールがきかなかった。否、コントロールすることが元々苦手なのだ。結果、アレオーレは植物でありながら自分で移動できるようになり、しかし逆に力を使い果たしたディモルフォセカは昏倒したのだった。そして、そのアレオーレは、ディモルフォセカが意識を失う直前に見た時とも形態が異なっていた。羽などなかったはずだ。もしかして、意識がないうちに力を使ってしまった? この人はそれを見たの?
「ずいぶん昔に友人からもらった植物なんだけど、何年も経つうちに元気がなくなっていてね。何をしてもダメだった。枯れそうになっていたんだ。そこで特別樹脂を作ってもらって、できるだけ枯れないように封印をした」
カナメは一呼吸おき、ディモルフォセカの反応を見る。俯いて、つま先を見ていたディモルフォセカの視線が揺れている。
「……アレオーレはアール・ダー村でもらったんだ」
カナメは試すように、様子を窺うように言葉を紡いだ。カナメの言葉にディモルフォセカははっと顔を上げる。
「アール・ダー村に行ったことがあるの?」
ディモルフォセカの中で警戒と信頼がせめぎ合う。
「ずっと昔にね。僕の友達はアール・ダー村に住んでいた森の民だった」
カナメは探るようにディモルフォセカを見つめた。
「私は……私も森の民なの。アール・ダー村から……逃げて来たの」
ディモルフォセカはためらいながら小さく呟いた。カナメは小さく溜息をつく。
やっぱりそうかという落胆と、イブキの案に乗るためには、かなり規則違反をしなければならないという途方に暮れた思いと、しばらくこの子をここに置かなければならないことへの暗澹とした思いが、ないまぜになった為だった。
できるだけ穏便に、しかも素早く行う方がいいだろう。かわいそうだが、少し従順になってもらう必要がありそうだ。
カナメは目を細めると、威圧的に響くように声を低めた。
「君はさっき規則を破って逃げていると言ったよね」
カナメの問いにディモルフォセカは小さく頷く。
「なんという規則違反だか、君はわかってる?」
ディモルフォセカが戸惑ったように首を振る。
「では、教えてあげよう。ハル連邦憲法第三章第四十一条、国民としての任務を遂行する義務の放棄。もしくは、刑法第二百四十七条弐項、任務違背行為にあたる。しかも、森の民の居住地は厳しく政府によって決められている。正当な手続きなしに地下都市に侵入することは国家反逆罪だと言われても反論できない。最悪の場合、分解処理になる可能性も否定できない」
ディモルフォセカは息をのむ。国家反逆罪……分解処理……。なんて重く、恐ろしいその言葉の響き。この人は裁判官か、もしかしたら公安の人なのかもしれない。ディモルフォセカは既に捕獲された気分で項垂れたが、カナメの容赦ない言葉は続いた。
「君、ご両親はいるの? 未成年だよね。監督不行き届きということで、さて、どこまで責任をとらされるだろうね。いくら森の民だろうと容赦されないと思うが……」
カナメの威圧的な口調に、ディモルフォセカは驚愕して顔を上げた。
「!」
パパとママにまで罰が及ぶ?
たぶんこうだろうと自分で考えていることと、他人からそうだと言われることには雲泥の差がある。ディモルフォセカは自分の置かれている状況が思っていた以上に悪いことに愕然とする。
分解処理……。地下都市では罪人を罰する為に行われると噂で聞いていたことはあったけど……。
自分だけならまだいい、でも、両親を巻き込むかもしれないことをディモルフォセカは失念していた。周りを顧みなかった自分の軽率さに呆然とする。どうしたらいい? 体ががくがくと震えて来る。
「で、何をやった?」
カナメの質問の意味が分からずに、怯えたディモルフォセカの瞳がカナメを注視する。
「殺し? 盗み? 何かやったから地下都市に逃げてきたんだろう?」
「……何もしてないっ」
声が震える。
「じゃあ、何のためにこんなところまで来た? 森の民の住居法を知らなかった訳じゃないだろ? 犯罪になることがわかっていてそれを犯すということは、それ以上の罪を犯したとしか考えられないんだけどな」
「本当に何もしてない。ただ……逃げただけだもん……」
滲んでくる涙を手の甲で何度も拭う。
「何があった?」
何か事件にでも巻き込まれたかとカナメは思いつく。
「……嫌だったの……私は、誰にも悲しんで欲しくなくて……」
カナメは無言のまま、話の続きを待つ。
「……ねぇ、どうして森の民はアール・ダー村から出てはいけないの? なのに、どうして死んだら地下都市に送られるの? どうして……私たちには選択の余地がないの? わからない、わからないよ。私達は政府の操り人形じゃないよ?」
疑問だらけなのだ。納得ができなかったから、前に進めない。前に進む為にアール・ダーを逃げ出した。
「……結婚しなさいって政府から命令が来たの。でも相手の人には恋人が居たんだよ? 私たち『森の民』には愛し合う人を決める権利さえないの?」
流れる涙さえぬぐおうともせずにディモルフォセカは続けた。
「ハル政府にとって森の民って何? 有益な植物を作り出す為だけの道具?」
自分だけの都合で逃げたつもりはなかった。だけど、自分以外の誰かに迷惑がかかるかもしれないことを慮れなかった。
カナメは眉間にしわを寄せる。
ハル政府のやり方が強引なのは百も承知だ。それは、一般人に対してもファームの民に対しても同様の事。ハル政府が強権を発動するのには、きちんとした訳がある。しかし……森の民はその理由を知らない。森の民たちは、母なる惑星ハルが危機的状況にあることを知らされていなかった。
『カナメ、私の子どもたち、森の民のことをお願いね。きっと、たくさん辛い思いをするわ。力を持っている為に、私みたいに辛い思いをする。だから力を貸してあげて……お願いよ』
かつてアール・ダー村で、アイリスはそう言った。
アイリス、君の心配が、こんなに時間を隔てた今現実になっているよ。
そして胸の内で静かに決心する。
何かやらかしているのならば、イブキの案に乗ってもいいかと思っていたが……この子はダメだ。イブキには悪いが、なるべく速やかにアール・ダーへ帰した方がいい。
カナメは小さく息を吸うと、俯いてぽたぽた涙を落としている森の民に対峙する。
「そうやって規則を破って地下都市にきたところで、そんな疑問に答えがもらえると、君は本気で考えているのか? そんな子供じみた考えで、こんな所まで来るなど分別がなさすぎだと思わないか? 君はご両親がどれほど心配するか考えられなかったのか?」
カナメは眉間に皺を寄せてディモルフォセカを睨みつける。
「……君は法を破ったんだ。公安に掴まれば、当然無事では済まされない。無事に家に戻りたいのならば、大人しく言うことを聞くことだ。さもなければ、即刻公安に引き渡す。その場合は両親ともども刑罰は免れないだろう」
シンと底冷えのする眼でカナメは突き放すように言った。
ディモルフォセカはゴクリと唾を呑みこむ。
やっぱりもう一度、逃げなきゃ……。だって、私はもう家には帰れない。だけど、パパやママを巻き込む訳にもいかない。そんなことになるくらいなら、どこか人知れず、下水道ででも死んでしまった方がまだましだ。
ディモルフォセカはめまぐるしく考えを巡らせた。
答えを求めて泳いでいた視線が定まってくる。どうするか答えが出たらしい。カナメはディモルフォセカの瞳を見つめながら確信する。心の中の決断が瞳に反映されてくる。
その強い双眸にカナメは見覚えがあった。ディモルフォセカの瞳は深い翠色で、その人とは違うけれど、決断をした時の、あの潔い瞳。目を離せなくなる。
アイリス、君にそっくりな森の民だ。大丈夫、きっと無事に返すから。可哀そうだけど、下手な考えの芽は摘み取らせてもらうよ。君のようにはしない。
つい緩んでしまいそうになる顔を引き締めて、その瞳の光が失われることを知りながら、カナメは、その決意を挫く言葉を突きつけるべく口を開いた。
「君、自分だけが、どこかでひっそり死のうなんて考えていないか?」
カナメは冷たく一瞥する。自分の言葉に動揺した様子を見て、カナメは自分の危惧している考えが彼女の中で進行していたことを確認する。
彼女の考えていることをさせるつもりも、公安に知らせるつもりもカナメにはない。
「君は、僕が君の名前を知っていることを覚えている?」
どこか不穏な言い方に、ディモルフォセカは戦慄して紅い瞳を見つめた。
「それがどういうことだか分かるか?」
公安に捕まるよりも更に悪い事態に自分は陥っているのではないか、小さく震えながらディモルフォセカはその瞳を凝視する。カナメは効果的に響くように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「君が死のうが生きようが、君のご両親の処分は僕次第だということだ」
ディモルフォセカは一瞬目を見開いて呼吸を止めてから、目を閉じた。
なんてこと……私はこの人に本当の名前を言ってしまったのだった。
「分解処理のやり方が二つあるのは知ってるか? 一つは普通に分解する方法、もう一つは刑罰として分解する方法だ」
カナメの静かな、しかし心を竦ませる底冷えのする声と紅い瞳に絡めとられたように動けない。
「大の大人が泣き叫ぶくらい苦痛らしいよ。意識があるままで、じわじわと肉や骨が分解されていくんだ。ご両親をそんな恐ろしい目に、遭わせたくないよね?」
「パパもママも関係ないの。私が……私が勝手に……」
ディモルフォセカは無意識のうちに右手で神経質に左の掌をゴシゴシと擦っていた。過去の記憶がフラッシュバックする。
「カメリア! 手を、手を伸ばしてっ、早く!」
地上へ続く緊急脱出用の梯に掴まって、ディモルフォセカは、切羽詰まった声で手を伸ばした。
何か来る。それが分かったのは光苔から伝わってきた動揺だった。
「嫌よ、触らないでっ! 森の民なんかに触られたくないわ」
当然、カメリアは光苔の動揺に気づかない。森の民であるディモルフォセカを嫌って、手を取らなかった瞬間、彼女の命が尽きた。
ヒースの住処を出た後、しばらくしてカメリアと合流した。カメリアには、自分が森の民であることをすぐに話した。元々嫌われていることが分かっていたし、距離を置きたいのならば、それで構わなかった。ただ、嫌われている理由を知りたいと思ったのだ。でも、カメリアは感染るから嫌なのだとしか言わなかった。
もしかしたら、彼女はその本当の理由を知らないのかもしれなかった。子供が貧しい家の子を苛めるように、容貌の変わった子を仲間外れにするように、ただ意味もなく嫌うさまに、彼女の態度は似ていた。森の民の力が感染ったからと言って、何に困るのか、ディモルフォセカにはまだ理解することができていなかった。
轟音をたてて流れて来たどす黒い濁流に呑まれて、カメリアの体は一瞬にして消失した。最終的には、危険を察知して伸ばしたカメリアの手をディモルフォセカの左手が掴んだはずなのだ。しかし気づいた時には、本体をなくした肘から先だけの手をディモルフォセカは握りしめていた。
ディモルフォセカは悲鳴をあげて、反射的にその残った手を振り落とし、結果、その手も溶解した。
自分が森の民だと言わなければ良かった……。
そうすればカメリアはディモルフォセカの手をとったはずだった。
もっと早く光苔の様子に気づいていれば良かった……。
下水道の壁面の上部にしか光苔が生えていなかった、その理由に、もっと早く気づくべきだったのだ。
聞かれるままに、自分の名前を答えなければ良かった。
自分の迂闊さを責める声だけが頭の中で木霊する。鼓動が速くなって呼吸が荒くなる。
しかし、カナメは容赦なく続けた。
「僕はいつでも、君と君のご両親を通報することができる。だから君は僕の言うことを聞かなければならない。分かるよね」
親を人質に取るような姑息なことはしたくはなかったが、彼女に下手なことをされれば、取り返しがつかなくなる。たとえアイリスとの約束がなかったとしても、ハルにとって貴重な人材である森の民を死なせる訳にはいかない。カナメの狙いは、ディモルフォセカに、抵抗することなくアール・ダーへ帰る気になってもらうことだ。事を無事に運ぶ為には、カナメの指示に従順になってもらわなければ困る。カナメにだってリスクが発生するからだ。
カナメの言い含めるような淡々とした声には有無を言わさぬ圧力があった。ディモルフォセカはゴクリと唾を飲み込む。ディモルフォセカの脳内に警告ランプが点滅する。
「おいおい、こんな子供相手になに脅しかけてるんだよ」
急にドアが開いて、イブキが呆れたような顔で入ってきた。
「イブキ? また来たのか。なんで、イブキが僕の部屋に勝手に入ってくるんだよ。それにノックくらいしろよな」
カナメの瞳から急速に力が抜ける。
「コブから鍵を借りたんだ。あいつには合鍵渡しといて、俺にはくれないのか?」
「コブは勝手に合鍵を持って行ったんだ。心配だからって」
カナメは渋面で返す。
「俺も合鍵作っとこう。心配だから」
イブキが片眉をあげてニヤリと笑って見せた時、背後でドサリと倒れる音がした。驚いて振り返ったカナメが見たのは、ディモルフォセカが左腕を抱え込んだまま床に倒れたところだった。
「おい、やり過ぎだろ。孫くらいも歳が離れてるんだぜ? 手加減てものを知らないのかお前は」
イブキが顔を顰める。
「孫どころじゃないだろ、それ以上の歳の差だ」
カナメはディモルフォセカを抱き上げてソファに横たわらせると、蒼白になって目を閉じている顔を覗きこむ。
確かにちょっとやり過ぎたらしい。一度逃げ出されて、警戒し過ぎてしまったようだ。カナメは大きな溜息をついた。