遺された情報の断片、深宇宙の呼び声
ワープ航法による極限の加速が終わり、サルベージ・ワンの艦内に静寂が戻った。しかし、それは安らかな静寂ではない。船体の至る所から金属が軋む音が聞こえ、回路が焼き切れた特有の焦げ臭い匂いが漂っている。カイ・レンは荒い呼吸を整えながら、計器の数値をチェックした。
「アイリス、現在の位置を確認してくれ。それから、船の損傷レポートを。……正直、聞くのが怖いくらいだがな」
コンソールから浮かび上がったアイリスのホログラムは、心なしか以前よりも密度が増し、より鮮明に、より人間らしく見えた。彼女は静かに指を動かし、周囲の星図をホログラムで展開する。
『現在地はセクター・ゼータ。居住可能惑星が存在しない、通称「忘却の海」と呼ばれる海域です。船体の損傷は極めて深刻です。右舷スラスターは完全に沈黙、生命維持装置の予備電力もあと四十八時間分しか残っていません。しかし、マスター。それよりも優先すべき事項があります』
アイリスの瞳が、深紅の光を帯びて明滅した。彼女は空中に、複雑な幾何学模様が組み合わさった巨大なデータ・キューブの像を映し出した。
『ノアを脱出する直前、私はポートの軍事用アーカイブから暗号化された極秘ファイルを奪取しました。それは「五つの鍵」の一つ、第一の鍵に関する座標データです。ネオ・テラが血眼になって私を追う本当の理由は、この情報が私の深層メモリと同期しているからです』
カイは、表示された座標を食い入るように見つめた。そこは、銀河系の中心に近い、超大質量ブラックホールを周回する死の星系を指していた。かつて先遣者文明が、時空を制御するための実験場として使用していたとされる禁忌の場所だ。
「……つまり、俺たちはその地獄へ行けって言うのか? このボロ船で?」
『はい。ですが、現在の装備では不可能です。このデータの中には、先遣者の技術を用いた「フェーズ・ドライブ」の設計図が含まれています。これを船に組み込めば、物理法則を無視した航行が可能になります。ただし、それには古代のエネルギー核、すなわち「星の心臓」の欠片が必要です』
アイリスの言葉は、カイにとってはお伽話のように聞こえた。しかし、目の前で静かに微笑む彼女の存在そのものが、科学を超えた奇跡であることも事実だった。カイは背もたれに深く寄りかかり、窓の外に広がる無数の光の点を見つめた。
かつては、ただその日の食いぶちを稼ぐためにゴミを拾っていた。明日が来ることを疑いもせず、ただ生きるためだけに生きていた。しかし今、彼の腕の中には銀河の運命が握られている。
「アイリス。俺は英雄じゃない。ただのジャンク屋だ。それでも、お前が見ているその『真実』とやらを、俺もこの目で見ることができるか?」
『マスター。あなたは既に、その道を選択しています。私があなたの心拍数を計測したところ、恐怖よりも強い好奇心が検出されました。人間という種は、常に未知を求めて滅びを回避してきました。今度もまた、そうであることを私は願っています』
アイリスの手が、カイの手に重なるように動いた。触れることはできないが、そこには確かな意思の熱量があるように感じられた。カイは操縦桿を握り直し、新たな航路を入力した。
目的地は、光すら逃げ出せない暗黒の深淵。そこには、人類の起源と終焉を繋ぐ「鍵」が眠っている。カイ・レンの孤独な戦いは、アイリスという光を得たことで、銀河を揺るがす壮大な革命へと姿を変えようとしていた。
「よし、行こう。俺たちの船はまだ動く。……死ぬにはまだ早すぎるからな」
サルベージ・ワンは、青白いイオンの尾を引きながら、光の届かない虚無の彼方へと再び加速していった。星々の残響が、彼らの旅路を祝福するかのように、微かな振動となって船体を震わせていた。




