逃亡の果て、銀河の断層
「警告。未確認の戦闘艦三隻が急速に接近中。到達まであと百二十秒。」
アイリスと名乗った少女のホログラムは、淡々とした口調で絶望的な状況を告げた。カイ・レンは我に返り、操縦席へと飛び込んだ。古い回収船のモニターには、ネオ・テラ・コーポレーションの紋章を冠した高速追撃艦の赤い点が、獲物を狙う猛禽類のように表示されている。
「くそっ、仕事が早すぎるぞ! アイリス、この船のエンジンを最大出力まで上げられるか?」
『現在の主機関の整合率は四十二パーセント。限界を超えた加速は、船体の構造崩壊を招く恐れがあります。しかし、私のサブプロセッサを船の制御系に直結すれば、バイパス経路を構築し、出力を一時的に三倍まで引き上げることが可能です。』
「やってくれ! 壊れる前に逃げ切れば俺の勝ちだ!」
カイが叫ぶと同時に、コンソールの計器類が一斉に青白い光に染まった。アイリスのデータが船の神経系に浸透し、錆びついた「サルベージ・ワン」がまるで生き物のように震え、咆哮を上げた。背後で強襲艦のプラズマ砲が炸裂し、宇宙空間に光の槍が走る。船体は激しく揺れ、警告灯が血のような赤色で室内を照らした。
デブリの密集地帯を全速力で駆け抜ける。カイの指先は、手動操縦のスティックに食い込んでいた。アイリスの計算による最適ルートが視界の隅に浮かび上がる。それは、ベテランのパイロットでも躊躇するような、巨大なステーションの残骸の間を縫う死のコースだった。
『左舷、十五度。三秒後にスラスターを全開。』
アイリスの冷徹な声に従い、カイは機体を反転させた。追っ手のプラズマ弾が、かつての豪華客船の残骸を粉砕し、火花が宇宙を舞う。その爆風を推進力に変え、サルベージ・ワンは光速の壁へと近づいていく。
「このままワープに入る! 座標は任せるぞ、アイリス!」
『了解。座標を銀河の空白地帯、セクター9へ固定。時空跳躍を開始します。衝撃に備えてください。』
視界が引き伸ばされ、星々が光の筋となって背後へ流れる。空間が歪み、胃を掴まれるような不快な重力がカイを襲った。次の瞬間、爆発的な閃光とともに、彼らの船は戦場から消失した。
静寂が戻った。ワープを抜けた先には、冷たい暗黒だけが広がっていた。カイは荒い息を吐きながら、計器を確認した。追手はいない。しかし、燃料計はほぼ空を示し、生命維持装置も危機的な状況だった。
「助かったのか……?」
『一時的な安全は確保されました。しかし、マスター。あなたが手にしたものは、人類という種が扱うにはあまりにも重い情報の塊です。彼らは決して諦めないでしょう。』
アイリスの瞳は、星の光を反射して冷たく輝いていた。カイは自分の手が震えていることに気づいた。偶然拾った「鉄屑」が、彼を銀河規模の陰謀の渦中へと突き落としたのだ。もう、元の生活に戻ることはできない。
「アイリス、お前は何を知っているんだ? ヴォイド・コア……あの伝説は本当なのか?」
『それは、私たちがこれから向かう場所で明らかになります。真実は、肉眼で見えるものよりもずっと残酷です。』
カイは窓の外に広がる果てしない暗闇を見つめた。そこには、まだ誰も知らない銀河の断層が潜んでいた。二人の、そして宇宙の運命を左右する長い旅が、今本格的に始まった。




