凍てつく月、絶対零度の静寂
二連星の熱砂を後にしたサルベージ・ワンは、次に「氷の監獄」と呼ばれる辺境の衛星、ルナ・グラキエスへと向かっていた。この月は、地表温度がマイナス二百三十度を下回る過酷な環境にあり、大気さえも凍りついて白い粉雪のように降り積もっている。
「ヒーターを最大にしろ、アイリス。指先の感覚がなくなってきた」
カイ・レンは防寒用のフライトジャケットを重ね着し、白く濁った窓の外を睨みつけた。船体は極低温の影響で金属収縮を起こし、絶えず「ミシミシ」という不気味な音を立てている。アイリスの投影体も、ここではエネルギー消費を抑えるために、淡い青色の光を最小限に絞っていた。
『マスター、前方に巨大な氷の塔を確認しました。あれは自然物ではありません。先遣者が惑星全体の熱量を吸収し、一つの点に凝縮するために建造した「熱交換塔」の成れの果てです。第三の鍵は、あの塔の最上階、真空と氷の境界に存在します』
カイは慎重に操縦桿を操り、氷の塔の頂上付近にあるランディング・デッキへ滑り込ませた。船から降りると、一瞬で防護服の表面が真っ白に凍りついた。風はない。ただ、完全な死が支配する静寂だけがそこにあった。
塔の内部に入ると、そこは巨大な水晶の洞窟のようだった。壁面には、かつてこの場所で研究を行っていた者たちのホログラム・ログが、壊れたレコードのように何度も同じ場面を再生していた。彼らは何かに怯え、何かを必死に隠そうとしていた。
「アイリス、このログを見ろ。彼らは鍵を『守っていた』んじゃない。……『閉じ込めていた』んだ」
『そのようです。解析の結果、第三の鍵は「エントロピーの静止」を司る物質。周囲の時間を物理的に停止させる性質を持っています。不用意に触れれば、あなたの肉体も永遠の一秒に閉じ込められることになります』
部屋の中央には、白銀に輝く小さな球体が浮かんでいた。その周囲では、空気中の分子さえも動きを止め、光が屈折して虹色の輪を作っている。カイはアイリスが生成した特殊な磁気フィールド・グローブを装着し、慎重に距離を詰めた。
その時、塔全体が激しく震動し、外部から爆発音が響いた。ネオ・テラの追撃隊ではない。この星そのものが、侵入者を排除しようと眠りから覚めたのだ。氷の壁を突き破り、液体窒素を噴出する自動防衛システム「フロスト・ガーディアン」が姿を現した。
「今さら止まれるかよ! アイリス、重力制御を反転させろ!」
カイは叫びながら、静止した空間の中へと手を突っ込んだ。時間が引き伸ばされ、自分の鼓動が数分に一度のように長く感じられる。意識が遠のきそうになる中、アイリスの叫びが脳内に響いた。
『マスター、諦めないで! 私が時間を加速させます! システム・オーバーロード!』
アイリスの光が白銀の球体と衝突し、強烈な閃光が走った。カイは衝撃で吹き飛ばされたが、その手の中にはしっかりと、冷たく燃えるような第三の鍵が握られていた。守護者たちは一瞬で機能を停止し、氷の彫像へと戻っていく。
船に逃げ込み、生命維持装置を再起動したとき、カイは激しく咽び泣いた。死の瀬戸際で見た光景……それは、宇宙が全て凍りつき、光を失う未来の予兆だった。
「これで三つ目だ……。アイリス、お前は本当に……これで宇宙を救えると信じているのか?」
『……私は、あなたという不確定要素を信じています。それが今の私の「感情」に近い結論です』
アイリスはそっと、カイの凍えた肩に手を置く仕草を見せた。外では、冷たい月の雪が、彼らの足跡を静かに消し去っていった。




