4.
「ただいまー」
いつもより声を張って言ったつもりだったけど、返事はなかった。
玄関まで漂う油のにおいと、じゅわじゅわと何かが油で揚がる音が廊下に響いている。それだけで、おばあちゃんが何をしているのか、よくわかる。
「おばあちゃん、ただいま」
「おや、帰って来てたのかい。いやだね、耳が遠くなっちまって」
台所に顔を出せば、おばあちゃんがいつもの真っ白い割烹着姿でおやつを作っていた。
「やっぱり! あんバターサンド!」
おばあちゃんの目の前には黒くて大きな中華鍋。たっぷりの油の中には、三角に切られた食パンがぷかぷかと浮いていた。
「あんた、好きだったろう? 帰って来るって聞いたからね、久しぶりに作ろうか思ってね」
「うわー、嬉しいな! ありがとう、おばあちゃん」
「もうちょっとで揚がるからね」
「うん。あ、お茶用意するね」
菜箸でくるりと引っくり返せば、こんがりと美味しそうなきつね色に染まった食パンが現れる。ザクザクとした食感や、じゅわっとした熱さ、ねっとりと甘い味を思い出して、よだれが垂れそう。
「できたよ。ほぉら、お食べ」
両手でお皿をことりと机に置いたおばあちゃんは、随分小さくなっていた。
いくらか腰も曲がっているみたいだし、耳も遠いし、お母さんの話ではちょっと物忘れも多いらしい。大学に仕事にと忙しくしてる間に、確かに過ぎていった時間に思いを馳せた。
「ありがとう、おばあちゃん。いただきます」
熱々の一個をキッチンペーパーで包むと、瞬く間に油が染みた。ふうふうと冷まして一口齧れば、思った通りの、小さい頃から変わらない味が口の中いっぱいに広がった。熱くて甘くてしょっぱくて、ザクザクとねっとりのハーモニー。おばあちゃん、よく作ってくれてたっけ。
「美味しいよ」
「そうかそうか。たんとお食べ」
おばあちゃんはそう言ってにこにこと私を見ていた。その姿があんまり小さくて、私の知っているおばあちゃんから遠くなってしまった気がして、なぜだか涙が出そうだった。
「そういえばさ」
うるんだ涙を隠すようにお茶を飲み、おばあちゃんに話しかけた。
「高校生の時、反抗期真っ只中でさ、おばあちゃんがせっかく作ってくれたあんバターサンド、いらないって怒ったの、覚えてる? あの時は、本当にごめんね」
「そんなこと、あったかね?」
「あったよ」
「まあね、そういう年頃だったんだろう? だから気にしてないよ」
そう言ってお茶をすするおばあちゃんは、のんびりとしてお日さまみたいにぽかぽかと温かい笑顔だった。
「私の好きなもの、覚えてくれててありがとう」
「ちっちゃい頃のあんたの美味しそうな顔が忘れられなくてね」
「うれしいよ、とっても」
ザクザクと音を立てて食べ進めるごとに、おばあちゃんのあったかさが身体の中に入って来るみたいだった。
「ねえ、今度あんバターサンドの作り方教えてよ」
「カンタンさ。食パンと、あんこと、バターと、たっぷりの油があればね」
「うん、私が用意するからさ。そしたら一緒に食べようね」
「ああ、楽しみだね」
「うん」
にこにこと笑うおばあちゃんの顔は、なぜだかポロポロと泣いているように見えた。
もっと帰省して、おばあちゃんと話そう。あんバターサンドの作り方も、煮物の作り方も、おから煎りの作り方も、ひじきの煮たやつの作り方も、全部美味しいと思ったこと、教えてもらおう。
「おいしいよ、おばあちゃん」
笑い合う私達は、ちょっぴり油くさくて、でもとびっきり優しい時間が包んで、ぽかぽかと穏やかに話し続けた。