母さんの病気
風呂場に案内された。ジャグジーがついて、モニターで細かなシャワーの温度調整までできる最新式のバスルームだった。
「さっき沸かしたばかりなんだが、食べている間に冷めてしまったかもしれないから、追い炊き機能で再度温めよう」
父さんはピッピッとモニターに入力した。
「三十秒で沸くから、服を脱いだらすぐに入りなさい」
幸樹を残して父さんは脱衣所の外に出て、扉を後ろ手に閉めた。
幸樹は薄っぺらな白い丸首Tシャツと白い綿の半ズボンを脱いだ。一応身に着けていたらしい下着―ランニングシャツと白のブリーフも脱いで、脱衣所のかごの横にきちんと畳んで重ねて置いた。
しゃがんでいた幸樹は身を起こすと鏡の中の自分と目があった。それが本当に自分の顔なのか確かめるように、笑ってみたり、口をへの字に曲げてみたり、両手で目の下から頬にかけての皮膚を引き下ろしたりしてみた。そして、へへへっと笑った。
僕は幸樹だ。幸樹なんだ。
シャワーで身体を流してから湯船に入った方がいいだろうか?それとも洗面器で湯船からお湯を掬って身体にかけた方がシャワーの水が節約できていいだろうか?
一分ほど逡巡した後、バスルームの鏡の前にある石鹸を手で一生懸命泡立てて、埃の巻き上がる道を歩いて汚れた体をきれいに洗ってから湯船につかることにした。バスルームの外から声がした。
「パジャマと新しい下着を置いておいたぞ。何、母さんはちょっと病気でな、自分に子供ができたことを仮定して、それぞれ成長に合わせた下着や服を買ってくるんだ。だからわざわざ買ったわけではないから安心してくれ。そうさ、何もかも安心してくれ。君が来てくれて母さんは本当に喜んでいるんだ。何か不都合はないか?自分で髪を洗えるか?」
幸樹は慌てて言った。
「洗えます、洗えます。大丈夫です。石鹸をお借りしました」
「そこのゴシゴシタオルは使ったかね?」
「いえ、手で十分洗えたので」
「それじゃだめだ」
父さんは急に厳格な口調になった。
「タオルでゴシゴシ洗いなさい。汚れやごみには身体にひどい結果をもたらすものが潜んでいる。手で撫でるだけじゃ絶対だめだ。この家のものは何でも君のものだと思って使ってもらってもいい。もちろん、私たちとの共用だ。遠慮は不要だ。そして親子になったのだから敬語はやめなさい」
「……はい」
何だか目まぐるしくて展開が早すぎるような気がして戸惑った。でも確かに父さんの言うとおりかも知れない。
「『はい』じゃなくて『うん』で十分だ。じゃあ、十分暖まったら二階の、上がってすぐ手前の部屋で寝なさい。お、そうだ歯ブラシ歯ブラシ……」
少ししてまた父さんがバスルーム前の脱衣所に入ってきて、洗面台に何かコトリと置く音が聞こえた。風呂から上がるとコバルトブルーの手持ち部分にマジックで「幸樹」と書かれた歯ブラシがあって、その横に「幸樹用」とある歯磨き粉が添えられていた。さっきまで着ていた服の替わりに、清潔なパジャマと下着がラックのかごの上に置いてあった。
二階の部屋に入って、扉横の電気を点けると、そこは丁度幸樹くらいの年頃の少年が好みそうな内装と家具、本やテレビゲームが揃っていた。CGアニメのキャラらしいカウボーイと宇宙飛行士の絵柄の壁紙、飾り棚にはスケルトンの人形に光の剣を持った戦士の人形、学習机、歴史のマンガ、ピンクの丸いボールのような生物が主人公らしいテレビゲームのソフト……。
これも母さんの病気のせいなのか?だとしたら相当な重症だ。
ベッドの布団の柄は青い宇宙の絵が大きくダイナミックに印刷されたものだった。腰掛けて手で押すとふんわりと再び膨らみを取り戻した。電気を消して、ベッドの中に入った。
暖かいと思った。