表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

遺伝子研究によって生まれた永遠の子

父さんたちが帰ってきた。「ただいま」と二階に向かって叫ぶ父さんの声が聞こえてきた。

幸樹は心の中の不気味に黒くなった色彩を身体の奥の方に押し込めて、何も知らない顔をして階下に降りていった。

「明日、母さんと出かけるから家で留守番してくれ」

 一月後に、父さんは、居間のソファに、背もたれに腕を回して座る幸樹に再び留守を頼んだ。

「知ってるよ。明日は一日だものね」

幸樹はテレビの方を向いたまま答えた。

「ああ、ああ。そうなんだ」

幸樹は唇の端を歪めながら聞いた。

「お墓参り?」

「……なぜ、そう思うんだ?」

「だって、先月も変な建物のある場所に行ったじゃない。横にあるのはお墓でしょ?僕と同じ名前の」

 幸樹は父さんの顔を見た。幸樹は自分で、小憎らしい顔をしているだろうなと思った。テレビドラマによくあるような、聞き分けのいい子が、頭の中の迷路をあっちでもないこっちでもないと探り続けた末にようやく感情の突破口を見つけた時の顔みたいに。その生意気な顔は、自分の要求や質問が、自分の権利だと信じきれないからこそ余計ふてぶてしくなるのだと幸樹は初めて知った。それが自分の当然の権利だと考えられるくらい図々しければ、かえってそうはならない。

 父さんは、黙りこくった。口がへの字になっていた。

―その顔の方がふてぶてしい。どんな秘密を腹に飲み込んでいるんだ。

 幸樹は意地悪く考えた。

「なぜ、知っている……」

「後をつけたから」

 父さんの脇に、キッチンに立つ母さんが、背中を丸くしているのが見えた。

「どうして詮索した!?」

「どうして秘密にするの?僕に何か負い目があるから?それを知られると居心地が悪くなるから?」

「詮索しない約束だったろう!」

「勝手に約束を取り付けた気になったんでしょう。僕はそんなの知らない。知らないことだらけだ。山の下の他の子どもの生活も知らない。友達も知らない。なぜ僕と同じ顔の写真があるのか?しかも僕と同じ名前が彫られた墓って何だよ!」

「たまたま同じ名前の墓だったんだ。頭にあったその名前を意図しないでお前に付けたのかも知れん」

父さんは、幸樹をなだめるように説いた。

「信じられるわけないじゃん!教えてくれないなら、僕は出て行くよ」

「馬鹿言うな。どこに行く場所がある?」

幸樹は父さんを上目づかいに睨んだ。

「あの白い建物に行くよ。そこで何もかも教えてもらう」

父さんは何か言おうとしたが、すぐにやめた。母さんがソファの傍にやって来た。お守りみたいに父さんの手を繋いで、

「話しましょう。全部」

父さんに向かってそう呟いた。

父さんは絨毯の上に座って、母さんはその隣に正座した。

「父さんは、かつてあの峡谷にある研究所で研究員として働いていたんだ」

「何の研究をしていたの?」

「クローンだ」

 父さんは、胡坐をかいた自分の足の又の間に視線を集めて、少しでも幸樹の非難を避けるようにしながら続けた。

「私たちには息子がいて、その子は山の下の町の学校に通っていた。聡明で本を読むことが好きな、とてもいい子だった。お前は歴史が特に好きなようだが、その子は古典の物語と推理小説が好きだった。でも、お前にそっくりだった」

 母さんが遠くを見るような目になった。

「その子が、ある朝、起きてこなかった。母さんが見に行くと、真っ赤な顔をして、ベッドに上で喘いでいた。すぐに救急車を呼んで、病院に運んでもらった。その時点では死ぬかもしれないとは母さんも全く思っていなかったと思う。はきはきした敏捷な子だったから。死の影なんて全く見えなかった。たった一日のうちに小さな病院から、さらに大きな病院、都市にある高度医療センターまで移されて、母さんは何が起こっているのか分からなかっただろう。私はその時、研究所で仕事をしていた。はらはらしながら幸樹に付き添う―すまんな、その子も幸樹なんだ―母さんの目の前で、幸樹はみるみる弱っていったらしい。幸樹は喉に管を通され、三つも四つもある医療機器や点滴を付けられたまま、一週間ほど何とか生き続けた。最後の日の夜中の三時、幸樹は私と母さんが傍らで眠っていると、突然目を覚まして声を出した。何て言ったと思う?『母さん、カレー食べたい』だった。母さんは狂喜して、食べよう、食べよう、帰ったらすぐに作ってあげると何度も言った。でも幸樹は母さんのその様子を見ると、安心したように目を閉じて、次の瞬間心臓の動きと呼吸を止めた」

 父さんは、そこで自分の呼吸を少し止めて、すぐにまた話を続けた。

「原因は、町の人口の用水路に片足を突っ込んでしまったことで、有害な菌が身体に入ってしまったことらしい。その菌が水のろ過の過程に使われる人工の物質であることからわかった。私たちの気持ちがわかるか?我が子を失った気持ちが。慈しんで愛情をかけた大切なものが砂のように指の間から滑り落ちていったときの悲しみが。この悲しみをせき止める必要があった」

「僕は何なの?その子の双子なの?寂しくなったから、一度捨てたのに、また手元に引き戻したの?」

「お前が幸樹の双子の片割れだったら、既に十二歳だ」

父さんは、再び話に戻った。

「私は幸樹の遺体が腐敗する前に、幸樹の身体からDNAを取り出した。そして直ぐに厚生局にクローン申請をした。許可が下りる順番待ちが長くて、六年ほどかかってしまった。しかし、希望のない六年よりはましだったと思う。そして、去年の十二月、私が働いている研究所で作り上げたのが、お前だ。幸樹」

「何が、幸樹だよ……」

幸樹は思わず呟いた。

「どうして、僕には記憶がないの?」

「かつてクローンは赤ん坊のようなまっさらな状態で生まれてきた。身体の年齢も、記憶も、学習も。しかし、現在はさらに研究が進んで、様々な操作を加えることが出来るようになっている。お前は、全生活史健忘という自分自身に関する記憶を全て失った状態で生まれた。生活の上で必要なことや、言語はそのまま引き継いでいる。そして、人工子宮の中で二百二十倍のスピードで成長させ、そこで成長を止めた」

「どうして記憶を全部引き継がせなかったの?」

「一度死んだ子をそのまま蘇らせることは許されていないんだ。過去に誰かがそれをした時、出来上がったクローンが一度知ってしまった死に対する恐怖で、正気を失ってしまったらしい。記憶が恐怖を作ってしまったんだ。それに全ての記憶を引き継いだクローンはなぜかひ弱で病弱に生まれてくることが実験で確認されている。だが、お前は大丈夫だ。DNAに刻まれていた死因になった疾患の跡もすっかり私が消した。死ぬことはない」

「死ぬことがないわけないじゃん」

「いや、死なないんだ」

「え?」

幸樹は父さんの顔を怪訝に見つめ返す。

「老化を止める特殊な塩基を、お前を作る時に遺伝子に注入した。お前の遺伝子は劣化しない」

「じゃあ、僕は一生子供のままなの?」

「一生じゃなく、永遠だ。だから、二十歳を過ぎたら、週に一回、あの研究所にメンテナンスに行かなければいけない。父さんたちは月に一回、死んだ幸樹の墓参りとお前の経過報告にあの研究所に通っていたんだ」

―僕は死んだその子じゃない。オリジナルの人間だ。勝手な操作を加えられていい存在じゃない。これは僕の人生だ。僕の人格だ。僕の身体だ。

 幸樹のその気持ちは言葉にはされなかった。目の前にいる人間は、すでに親の皮を被ったエゴの化け物にしか見えない。

「私たちは、お前を可愛い盛りに失った」

母さんが黙っていられず口を挟んだ。

「お願い。私たちの為にいつまでも可愛い幸樹でいて頂戴」

 母さんは、しゃがんで幸樹の手を両手で包み込んだ。べたべたといやらしくしか感じられなかった。そのくせ、幸樹にはざらざらとよそよそしい感触にも思えた。

「あんたたちがそんなだから、息子さんは亡くなったんだ」

母さんは目が正円になって、目玉が飛び出そうなくらい見開いて、信じられないものを見聞きしたようなショックを受けた様子を見せた。身体の関節が上手く滑らなくなったみたいにかくかく動いて膝で後ずさりした。父さんは腹が座ったように落ち着いていた。

「ああ、そうだ。だからこそ死なない、歳も取らない子を作った。どうか寂しさに囚われた私たちの人生を慰めて、日の光を当ててくれ。その為に生きてくれ。私たちが生きている間だけでも。お前の時間は永遠だ。惜しむことはないだろう?」

「あんたたちが死んだら、僕は何をすればいいんだよ。ずっと子供なんだよ。でも、心は歳を取っていくんだよ。確実に。どこにいけばいいの?誰と関わればいいの?」

「財産はたっぷり残していくつもりだが、それがなくなってもこのご時世は全国民に金銭の支給はある」

「そんな問題じゃないよ。膨大な時間をどうやって虚しくないようにすればいいのさ?釣りやマンガで埋めりゃいい何て問題じゃないんだよ。こんなにも甲斐のなさを浮き彫りにされた人生なんてあるかよ」

「お前は頭がいい」

 父さんは幸樹に説くような姿勢になった。

「家の中でする仕事に限ったって、選べる仕事はそうそう悪いものばかりじゃないぞ。通信教育の教師なんてどうだ?」

 母さんは、それを聞いて、ひきつった顔で喜んだ。

「それは、ぴったりね。小中学生の社会の教師がいいわ」

「おおそうだ。それはいい」

 父さんと母さんは、二人だけで盛り上がるように、大人にならない幸樹の将来についてはしゃぎながら話し始めた。


ブクマ、感想よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ