葛藤と守るべきもの
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若干短めです
「はあ」
暗い部屋。溜息が洩れる。震える手。
「くそっ!」
カーンを刺した時の感覚。自分の肉が裂け、焼ける感覚。自分が体験した人を屠るという感覚がリアルに蘇る。
翔流は、空手をやっている時はいつも死と言うものを意識していた。運悪く、事故が起きれば相手、もしくは自分が死ぬ事だってあり得るからだ。
だが今回は違う。今回は明確な殺意だ。
人を殺す事の恐怖。自分が殺してしまえばその人物の背負っているものがすべて消えるのだ。果たして自分はその重さにそれが出来るのだろうか。
そして、その重さを何とも思わなくなった時。自分の死への概念と言うのは大きく変わってしまう気がした。
「くそっ。この世界に来た時にある程度覚悟はしてたはずだろ」
もう何度毒づいただろう。そして、何度同じ事を考えただろう。いくら考えても想像することができなく、同道巡りだ。
翔流がこの世界に来た時、その事を意識しなかったわけではない。だが現実を突きつけられた今、人を手にかけるという事の重さを目の当たりにしたのだった。
「あー、もう」
ベッドに倒れ込み天井を見上げる。この世界に来る時、少なくとも戦闘と言うものを考えなかった訳ではない。だが実際にそれを目の当たりにしてみると自分の考えていたものは本当に小さかったのだと気がつく。
「くそ」
そして、小さく毒づく。その時だった。
≪ピンポーン≫
鳴り響くインターホン。
(誰だよ)
正直けだるい。誰とも会う気になれない。そんな意識が働き翔流はベッドから動く事は無かった。
「入るぞ、翔流」
ドア越しに聞こえる声。そこで、ドアに鍵をかけ忘れていた事に気がつく。
開くドアの音。そして、次第に大きくなる足音。そして、寝室のドアが開かれる。
「大丈夫か、翔流」
「ああ」
「そうか」
ハルはそう言って備え付けられていた椅子に腰を下ろした。
「……」
「……」
互いに何か喋るわけでもない。無音の空間。ただただ、時間だけが流れていく。
「……なあ、聞いていいか?」
そんな静寂を最初に打ち破ったのは翔流だった。
「ああ、なんだ?」
「ハルは、人を殺した事はあるのか?」
詰問にも似た質問。少しの静寂を挟みハルが答える。
「ああ、あるよ」
真っ直ぐな眼差しだった。その視線が翔流の視線とぶつかる。
「そっか」
再び静寂が部屋を支配する。
「俺さ、……千芹を助けるっていう目的だけでこの世界に足を踏み入れた。戦争と言うのもなんとなく曖昧に考えてた。どこかで線引きしてたんだ。考えが甘すぎたんだよ、俺は」
「……」
「怖いんだ。人を殺す事が。俺が人を殺せば、その人の人生を奪う事になる」
「……」
「……俺には、そんな権利ねぇよ」
項垂れる翔流。その声は消え入りそうだった。
「そんなもん、俺にだってねぇよ。誰だって人を殺せば罪悪感が付きまとう。だけどな、俺達は伊達や酔狂で人を殺めてるわけじゃない。それ以上に守りたいものがあるんだ! 誰が何と言おうと、例え誰かをこの手で殺めても、その一線を守るために俺は、……俺達は戦ってるんだ」
「……ハル」
「お前が守りたいものって言うのは何だ? そんなに薄っぺらい物なのか?」
「っ! そんな事ねぇよ!」
「だったらそれを信じろよ。どんな罪でも背負え。守りたいものがあるんだろ?」
「……」
幼馴染の強い眼差し。目の前の幼馴染はずっとそうやって戦ってきたのだ。
「人殺しに慣れろとはいわねぇよ。俺だって戦場に出れば咎に対する罪悪感は今でもあるんだ。重要なのは、自分の戦う意味なんだよ。翔流」
「……戦う意味」
「気持ちの整理はそんなに簡単にはつけられないかもしれない。けど、忘れるな! お前には俺がついてる。アレスや、エルノアだっている。お前が罪悪感で心が折れそうになったら支えてくれる仲間はこの国には居るんだ」
「……」
翔流の一筋の涙がこぼれる。
「はは、恰好悪い」
「別に恰好悪くはねぇよ」
「そっか。ありがとうな、ハル」
涙を拭う翔流。自然と笑みがこぼれる。
「かまわねぇよ。もともと、巻き込んだのは俺なんだ。こんな事ぐらいはさせてくれよな。それによ、守ってくれるんだろ? ガキの頃の約束だもんな」
そう言ってハルはひらひらと手を振って翔流の部屋を後にする。
「はは。情けねぇな、俺。一人で考え込んで馬鹿みたいだ」
莫逆の友の存在。それが、翔流には嬉しかった。そして翔流は眼を閉じ心に誓う。
「なら、守ってやるさ。お前だけじゃない。俺の手が届くすべての人を守り抜いてやる。その為だったら、どんな咎だって背負ってやるよ」
見開かれる眼。これから迎える修羅への決意がそこにあった。
◆ ◇ ◆
「出兵って、……本当なんだね」
アズマリアは小さく呟いて視線を落とす。その瞳に映るのは出兵命令の書かれた携帯のディスプレイだ。
「ごめんなさい、アズマリア」
「姉さんが謝る必要なんてないよ。上からの命令なんだから」
「だけど……」
「大丈夫。私の力は誰かを守る為にあるんだから」
はにかんだアズマリアの顔は今にも泣き崩れそうだった。
「私はあの日、お母さんを守れなかった。お父さんを守れなかった。弟も、妹も、守れなかった。私は、……家族を守れなかった。力があるのに守れなかった。私の覚悟が足りなかったから」
強く握られた手に一粒の涙が零れる。
「……アズマリア」
「奪っていい命なんてあるわけない。でも……私は同じ過ちは犯したくない。もう大切な人を失いたくないから」
うつむいたアズマリアの頭をエルノアの手が優しく撫でる。優しく、ただひたすら優しく……。どのくらいの時間が流れたのだろう。
「アズマリア、今回のパートナーの翔流君はね、貴方と同じ何かを守る為に動いている。そんな人間なのよ」
「え?」
「彼ね、軍では上層部しか知らない機密事項なんだけどね、不死なのよ」
「不……死?」
最初はエルノアの言ったことが信じられずにいたアズマリアだが、事のあらましを聞くにつれて翔流に対する印象を大きく変えていった。大切な仲間を守るために自分の命を犠牲にした事。恋人を救う為にこの世界に来た事。エルノアから聞かされる翔流の姿は常に必死で芯がぶれない。そんな人間だった。
「強い人なんだね。翔流三尉って」
「そんな事ないわよ。さっきも出兵だって聞いて泣きそうになって部屋を出ていったわよ。それも貴方と同じ倫理観に駆られてね」
もし翔流がこの場にいたら発狂するであろう台詞をさらりと口にするエルノア。
「ねえ、アズマリア。私がなんでこんな話をしたかわかる?」
「……」
「貴方は自分の力で何とかしようとしているでしょ。あの日、家族を守れなかったことも全部自分の所為にして、それを強さに変えようとしている。でも、それは違うわ。貴方は一人じゃない。私もいる。翔流君も、ハルも。職場の皆もそうよ。貴方には支えてくれる仲間がいるのよ。つらくなったら、もっと人を頼りなさい」
「……姉さん」
「ほら、泣かないの。かわいい顔が台無しじゃない。まあ、それが分からないようじゃまだまだお子ちゃまね」
そう言うや否や、悪戯っぽい笑みを浮かべ、優しく撫でていた手の動きを急に早くしてわしゃわしゃと力強く撫で始めた。
「ああ! 姉さん、酷い」
「やめてほしかったら、視野を広く持ちなさい。貴方には仲間がいる」
「わかった、わかったからやめて!」
漸く解放され、ぼさぼさになった髪を手串で直す。
「もう、酷いよ」
「さて、と。もう大丈夫?」
エルノアの問いにいつもの人懐こい笑みを浮かべたアズマリア。
「うん。……その、心配してくれたんだね。ありがとう」
送られた感謝の言葉。その言葉はすべてを吹っ切ったような、そんな言葉だった。
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次回は四月二十日午後六時にアップします