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カオルノキミ  作者: 黒炭
8/12

8 横田の家へ

薫はあっけに取られてた。なんと横田の家は一軒家だった。随分古くて小さいものではあるが。

「な。お前を泊めても何ら俺に迷惑はないだろ?」

薫は口を開いたまま頷いた。木造一階建て、レトロ風な改装が施してある。かつての同潤会青山アパートのテナント風の趣だ。

「これ、アンタが全部やったのか、改装?」

「いや、友達とかと」

「そりゃ、そうだけど……すげぇ……素人作業かよ……、」

小さな庭をパタパタと歩き回る薫を、横田は目を細めて見つめていた。こんなに誰かに感心されたのは初めてだった。

「薫。お前、建築が好きなのか? 建築学科とか考えてないの?」

「別に! 俺はただのミーハーだよ」

「……ははーん。数学がてんで駄目なんだな」

「………」

「図星か」

薫の肩にずしりと乗りかかると、案内しますよ、と言って玄関を通した。

「……こんな家だし、声、好きなだけ出していいからな」

性懲りも無く甘ったるい声で囁いては耳を舐め上げる。小さく肩が揺れるのが心地いい。

「優しくしろよ」

え、と横田は切り返しに戸惑う。

彼は確かめるように、回した手で顎を掴むと薫の顔をくいと自分の正面に向かせる。薫は真っ赤な顔をして目線を合わせようとしないので流れるようにキスに持ち込もうとしたが。

頤を持ち上げた横田の手を邪険に払いのけて薫は舌を出した。先の瑞々しい表情はどこへやら、ふてぶてしい顔をして言った。呆れきった目は半開きだ。

「『う・そ』だよ、バカ」

するすると彼の腕の中から抜け出してしまう。大きな鞄をよたよたさせながら、玄関先に横田を置き去りにしてのしのしと上がり込んだ。一泡食わせた気分で調子がいい。横田が不平を零すのが聞こえてきた。

「可愛くない……!」


横田の香水だと思った薫りは、そうではなかった。インド香だった。道理で欲情させるような薫りな訳だ、と一人で納得する。家屋内を漂う幽霊のように、そこかしこでその香りの濃淡に出会う。そしてそれは彼の衣類や身体に染み付いているのだろう。

この家は、親戚のもう使わなくなった家を借りているものらしい。庭があるため、芸術大学などに進学した友人達が作業場として使いに来ることもあるという。室内も芸術大生の作品がごまんと散らばり、薫にとってはちょっとした美術館だ。クラゲみたいな妙なランプ、どこが正面かも分からない混沌としたオブジェ。

薫には客室用の寝室が宛がわれた。その部屋だけは随分こざっぱりとしていた。彼は言った。

「その部屋が綺麗なのは、サヤカの部屋がいつも綺麗なのと理由は一緒。ただし、俺は間貸ししてるんだけどね。臨時収入ってやつ?」

「……酔狂な奴」

その部屋は逢引に使用されているようだ。そんな幾人もの男女が逢瀬をした部屋で寝るのは気分が悪いが、文句は言ってられない。横田と同じ部屋なんぞに寝ようものなら間違いなく犯されるのだ。

「言っとくけど。その部屋は肩身の狭い同志のためだけに貸してる。意味分かるよな?」

にやにやと笑う横田は楽しそうだ。更に薫にとってたちが悪そうな部屋だった。

しかし、部屋は少しも悪くなかった。荷物を床に置き、歩きつかれた足を落ち着いて畳に身を投げ出す。その直後に横田が居間から呼びかけている。近所の商店街に夕飯の材料を買いに行こうぜ、と。サヤカの元では毎回外食だったため、面食らった。

「鍋しよ、鍋」

散々歩いたので、もう眠り込みたい気分だった。昨日も満足に寝ていない。

「好きなの買ってきなよ。待ってるし。でも、俺、鍋は葛きり派」

「俺は絶対マロニーちゃんですけど! どんだけ横着なんだよお前。プチ居候だぞ。俺が来いって言ったら『ハイ、家主様』とか言って素直に従うんだよ!」

何も言い返せず、素直に折れる。

「解ったよ……。体力あるな、あんた」



 野菜や肉を準備して両手一杯の食材を買い込むと、よろよろと横田家に辿り着いた。

 居間の炬燵がある部屋に電熱コンロを用意すると、台所で切り刻んだ食材を運び込む。

「アンタ、何でもできるんだな。見た目どおり」

 横田は慣れた手つきで包丁を扱った。足手纏いになった薫はひたすら野菜洗いや切った材料を仕分けしていた。

「まぁね。一人暮らし長いから」

「今幾つ?」

「知りたい?」

「……どうでもいい」

 薫の肩にゴリゴリと摺り寄せてくる仕草が不愉快だった。

「なぁ、薫。いい加減、名前で呼べよ」

「たまに呼んでるじゃん、『横田』って」

「それを言うなら。俺の親父もオカンも兄弟もじいちゃんもばあちゃんも『横田』ですけど!」

「……屁理屈。今ここに居るのはお前だけだろ」

「いいから『いっせー』って呼べ」

「アホらし。俺、コレ持ってコンロ見てくるわ」

 横田が石づきをそぎ落としたしいたけを、薫は居間に運ぶのだ。

 居間は、壁を一周囲むほどの大量の本が並んでいた。彼が読書家だとすぐにわかる。

 食事を終えると、風呂を焚きだした。今時アナログな蛇口式だ。お湯の温度の調節が難しい。

 風呂場から戻ってきた横田は炬燵に身が縮むほど冷たい足を滑り込ませ、それを薫に擦り付けてくる。薫も容赦なく蹴りを入れて応戦する。

「客人が先に入れよ」

「知ってるか。一番風呂は縁起が悪いんだぞ」

「縁起担いでどうすんだ。……嫌なら俺と一緒に入れ」

「絶対ヤダ。じゃぁ先入る」

「……一番風呂は寒いしな。暖めといてくれよ、風呂場」

 薫は、立ち上がりついでに軽口を叩く横田の頭を小突いた。

 脱衣所には、ちょっとした洗面台と、昭和期かと思しき派手な黄緑の箪笥が置かれている。洗濯機も緑で今時二層式だ。自分の至極幼い時分を思い出して甘酸っぱい気持ちになる。藤製のバスケットに衣類をぽんぽんと放り込むと、寒さに身を震わせながら浴室に飛び込んだ。存外、風呂場は広く寒々しかった。

 ようやく湯船に浸かるようになると、一気に気が緩んで再び眠気が襲ってきた。

 ……極楽の心持のまま、薫は意識を手放した。


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