3 ヨコタ
結局、レコードショップに寄ったのも、横田の注文していた商品を取りに寄っただけだった。もと来た道を辿り、渋谷発の私鉄に乗るとサヤカの下宿先へ向かった。
この全く信用できない男に付いて行っていいものか迷った挙句、先程の行為は田舎者の自分をからかったものだと判断して、従うことにした。
「な、メシ食ってないんだろ? コンビニでなんか買う?」
「……もういい。遅いし、胃ィもたれる」
「空っぽでもマズイだろ」
横田は、近所のコンビニの前で薫を待たせて、自分は買い物をしている。その時、やっとサヤカからメールが返ってきた。
『遅くなってゴメン!いっせーと合流できた?』
それにはこう返信した。
『できたけど。なんなのあの人。最低なんだけど。今、サヤカのアパートの近くに着いたところ。』
すぐにサヤカからも返ってくる。
『まぁ頑張って。私はもう少し掛かるから。部屋の鍵はいっせーが持ってる。』
これでは電話して直接文句を言ったほうが早い。即座にサヤカの電話番号を呼び出すと、発信ボタンを押した。薫の知らない洋楽が鳴り響き、数秒後に、サヤカの澄んだ声が飛び込んできた。
《かおちゃん! 久しぶり! ごめんねえ、迎え行けなくて!》
「その呼び方はやめろよ。それより、あの男を遣わした事を謝ってくれない? 俺の大事な唇が奪われたんですけど」
電話の向こうのサヤカは、ぶッと噴出すと、軽快に笑い出した。
《マジ!? いっせーって慎重派なのに!》
「あのさ、笑い事じゃねえって。からかわれるだなんて、すっごい、不愉快」
《からかわれてるだけならいいけど。……じゃ、12時くらいには着くから、それまでにお風呂は済ませて待ってて》
怒っていたはずが、行為を予感させるサヤカの色めいた言葉を聞いたたけで下半身にズキンと、甘い重たさを感じた。へなり、と携帯電話を耳元から降ろす。
頬を染めた薫の頭の上に、買い物を済ませた横田がビニール袋を乗せた。
「なにニヤついてるの? 発情期の犬ッコロみたい」
「……発情期はアンタだろ」
不機嫌な顔を取り繕って見上げても、横田はどこか見透かすように眺める。
「え、さっきの? たかがキスでさ、プンプンするなって。どこぞのお嬢さんですか?」
「馬鹿にすんな! 何とも思ってねえよ」
薫は、ビニール袋を振り払って立ち上がり、横田を置いてずんずんと歩き始めた。しかし、横田は反対方向に身体を向けると、叫んだ。
「おい、薫。サヤカのアパートはこっちだろ!」
◇
「……あれ、おっかし~な。ポケットに入れてたはずなんだけど」
サヤカのアパートの部屋の前で、横田はパンツのポケットをまさぐって呟いた。上半身は、ちょっとしたジャケットだったが、そこのポケットにも無かったようだ。
薫はその男をまじまじと観察した。さらりとした黒髪は彼を上品に見せたし、横から見る頭の形、首筋、顎から喉元に掛けてのラインが、嫌味なほど綺麗だ。骨ばった男らしい体格も羨ましい。自分と同じく痩せているのにこうも違うのは筋肉のせいだろうか。
そんな視線を送っていた薫に、彼は不意に顔を向けた。凝視を気取られた、とばつが悪い思いで少したじろぐ。が、彼は、頭をぽりぽりと掻いて「てへッ」と言った。
「悪い! 鍵失くしちゃったみたい!」
「……はぁ? どうすんだよ」
「俺んち泊まればいいよ」
信用できない。
「……ここで待ってればサヤカ帰ってくるし」
すると彼は、満面の笑みを浮かべて「冗談」と言い、首元からネックレス状に繋がれた鍵を取り出した。この意味の無いやり取りに、薫は思わず横田の肩を軽く殴りつけた。
サヤカの部屋はいつ来ても綺麗だった。それはつまり、客人が絶えないことを意味しているのだが。少し、嫉妬で心がちりつく。
狭いワンルームマンションにはソファや観葉植物、ガラスのローテーブル、フロアライトなどが並び、現代風のスタイリッシュな統一感がある。一人暮らしの学生にしてはインテリアに頑張っているほうだ。彼女の家庭は、特筆して裕福なわけではないが、サヤカは自分自身にしろ、インテリアにしろ己の美意識を徹底的に追求するたちなのだ。
横田は、自分の家だと言わんばかりにソファにその身を投じた。コンビニの袋の中から飲むゼリーを取り出すと、鞄を置いたばかりの薫に向かって放り投げた。
「それでもドーゾ。負担にならないから」
(コンビにでは俺の為にコレを買い込んでいたのか……)
「……ありがと、いくら」
「いいって、そのくらい」
言いながら、彼は自分のためのビールのタブを空けるところだった。途端に、感謝の気持ちも霧散してしまった。
「……あんた、居座るつもり?」
「ん? 悪い?」
「悪い。気ぃ使ってくれない?」
彼は、ぷしり、と音を立てて開けると、飲まずにローテーブルに置いた。
「『気ィ使え』ってお前、サヤカとそういう関係なの」
「……だったら何?」
「ふうん。じゃあ、純情な少年って訳じゃないな」
「純情とか、純朴とかやめろって」
呆れた薫は彼に背を向けて黒い薄手のカーディガンを脱ぎ捨てると、鞄から洗面道具を取り出しに掛かった。
その背後に横田が迫っていることには気付かなかった。薫の身体は絡め取られる。
Vネックの白いTシャツの上を、彼の指が這った。耳元で彼が囁く。
「……お前、よく男に誘われるだろ。だって可愛いモンな。むちゃくちゃに犯したくなる。……この澄ましたキレーな顔、ヤラしく歪ませてやりたい」
柔らかく茶色みがかった薫の細い髪を横田の手が梳く。
「おい、横……やめ…」
「何ともないだろ。恥ずかしいのか、」
からかいに一々抵抗するのも馬鹿馬鹿しくなって、「好きにすれば、」と打ちやる。
張り合い無くて離すだろう、と見込んで気を抜いた薫を裏切るように、耳の裏を暖かい舌が走った。瞬間、ギクリと体が揺れる。……ただし、意図に反する甘い、身の震えによって。
この行為も流して無視すれば良かったものを、不覚にも快感を覚えてしまった為、抵抗しないわけにはいかなかった。