二話 獣人の少女ミケ
事実は小説よりも奇妙なものだと、どこかで聞いたような気がする。
奇妙の定義がよく分からんが、振り返ってみるとフィクションより、ノンフィクションの方が驚くことは多かったかもな。
まあ、どうでもいいことだ。俺はここで死ぬ。その事実はどんな優しいウソでも覆らない。
凄惨な拷問を受け続けた結果、俺の腹からは内臓が見え隠れしていたし、獣人を示す耳も尻尾も、ズタズタに切り裂かれて赤く染まっていた。
初めは痛みに絶叫することもあったが、次第にその体力も気力もなくなった。
全部終わってしまえばいいと思って目を閉じる。次に目を開くことはもうないだろう。
眠るように意識を手放そうとしたところで、それは起きた。
目を瞑っていても痛みを感じるほどの眩い閃光と、次々と聞こえてくる破裂するような水音、そして驚嘆した声。
しばらくして目を開くと、周囲は血の海となっていた。
さっきまで俺を殺そうとしていたローブの男は、よく分からないピンクの塊へと変貌している。
地面はドロドロのぬかるみのようになり、先ほどの強い光は、何かしらの莫大な熱を帯びていたのだろうと察することができた。
おかげで俺の拘束も解けている。しかし困ったことに俺の体も半分溶けてしまっていた。
片目が見えない。首が千切れ落ちそうだ。こんな状態でもまだ生きているのだから、皮肉にも自分の体に宿る魔物の血が、いかに頑丈な体を形作っているのかを思い知る。
「よわっちぃゴロツキ殺すだけで報酬もらえるんだから楽な仕事だぜ」
その場にへたり込む俺の前に、見知らぬ人物が立ちはだかった。
腰に差した銀の剣、全身を隙間なく埋める鋼鉄の鎧、それらを身にまとってなお軽い足取りを見る限り、中々の実力を持った戦士だと判断する。
ギルドから依頼を受けてきた腕利きの冒険者なのだろうか。なんにせよ助かったらしい。
まさか十歳の子供が違法組織の一員とは思わないだろうし、適当に捕虜のフリをしておけば救助してもらえるだろう。
そう思って安堵のため息を吐いたのも束の間、予想と反して鎧の戦士は俺をじっと見つめたまま硬直していた。
「お前……人間に見える、が、魔物なのか?」
鎧と甲冑に身を包み、肌の色すら分からない相手は、今どんな表情をしているのかも謎だった。
ただ一つ言えるのは、間違いなく友好的な態度じゃない。俺のことを魔物とみなしたのなら、人間の冒険者にとっては疑うまでもなく駆除するべき敵になる。
千切れかかった首をそのままに、全身半端に溶けた状態でまだ息があるような生物を、"人間"として見れるわけがないよな。俺は相手が明確な敵意を宿すより先に、素早く立ち上がって後方へ駆け抜けた。
面倒なことに、生き延びてしまったらしい。別に死にたかった訳でもないが、生に執着していたわけでもないので困惑する気持ちもある。
それでも体は生存本能に従って、考えるより先に動いていた。
とりあえず見晴らしの良い平地であの鎧戦士と相対するのはまずい。
近場の森に入って、姿を眩ませられるのならそれに越したことはないだろう。
可能な限りジグザグに、複雑なルートで森の奥深くへと突き進んでいくが、それでも甘かったらしい。
収束した光が鋭い矢となって、俺のふくらはぎを貫いた。
たまらずその場で転げまわるが、背後に相手の姿はない。
追いつかれてる訳でも、目視されてる訳でもないのに俺の居場所がバレてるのか。
こりゃもう逃げるだけ無駄かもな。結局はここが俺の墓場、ってやつなのかもしれない。
「こっちよ」
耳元で聞こえた声に驚いて振り返る。近くに気配なんて感じなかったので面食らった。
そこには猫の様な耳と尻尾を生やした少女が、唇に人差し指を当てて息を潜めていた。
いつからそこにいたのか、一体何者なのか、気になることは多い。だが腰まで届く髪と同色の、丸みを帯びた耳に尻尾。
それらを見る限り、何となくだが彼女も俺と同じ、獣人なのではないかと漠然と思った。
多分歳は俺とそう変わらない。だが人間の子供とは何か違う、少し異質な感じがある。言葉で説明するのは難しいが、魔物特有の違和感、とでも言うべきか。
こちらに手招きしてその場を走り去っていく少女は、やはり魔術もなしに人外的な身体能力を発揮している。
信用できるかは分からないが、どのみちアテはない。
傷付いた足に喝を入れて、無理やり走って彼女を追いかけた。
「マジかよ」
思わず絶句する。行きついた先はあまりに高く、急な崖だったからだ。
しかも下が海だということもない。誰がどう見ても飛び降りれば死ぬことはわかる。だというのに少女は何の警戒心もなく、あまりにも気軽な所作で崖から飛び降りた。
精神的な抵抗はある。だが普通に考えて、この状況で心中を図るためだけに崖に向かうわけがない。
この先に何かがあるのだ。少女は知っていて、俺は知らない、何かが。
待っていても殺されるだけなので、俺もまた、躊躇せずに崖から飛び降りた。
あと少しで地面に激突するというその直前で、何かしらの魔法陣が起動し、俺はどこかへと転送される。
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辿り着いた先は、集落のようなものだった。
だが王都の様な煌びやかなものではない。空が見えず、どこか寒く、そして湿気と土の匂いが少し気になるこの場所は、恐らく地中深くにあるものなのだろう。
「ようこそ」
隣には俺をここまで導いてくれた、猫耳の少女がいた。
分からないこと、気になることは多い。だがそれより気になるのは……。
「あんた、誰なんだ?」
「名前を聞くときはまず自分からじゃないの?」
「クレイだよ、俺は」
「ミケ」
「それがお前の名前か?」
返事は返ってこない。なんだこいつ。お前に連れられて俺はここまで来たってのに。