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黎明の黒は終わりを告げる〜虐げられてきた無自覚ハイスペ令嬢は賢者の溺愛に気付かない〜  作者: 安崎依代@「比翼」漫画①1/29発売決定!
結婚ですか? 承知致しました

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「……うん?」


 改めて切り出せば、案の定ノーヴィスは首を(かし)げた。何に対してそう言われているのか分からない、といった風情だ。


 だからメリッサは居住まいを正すと、もう一度真正面から結婚に関する話題を切り出す。


「私との結婚をご存知なかったということは、結婚を承知されたわけではないのですよね? 花嫁として私がここに居座っても、ご迷惑でしょう。ですから『出ていきますが』と申し上げたのです」


 彼はメリッサの結婚相手だと言われたノーヴィス・サンジェルマンで間違いないという。


 調べた限り、同姓同名の貴族はいない。しかし彼はこの結婚話を寝耳に水だと言った。


 結婚を嫌がって嘘をついているようには見えないし、嫌ならばもっと露骨に、あるいはやんわりとお断りを告げればいいだけだ。家同士の格式ばったやり取りがあったわけでもなく、まるで猫の子を他家の譲り渡すような……というよりも押し付けるかのような形でメリッサが一方的にやって来ただけなのだ。門前払いでも何でも、やろうと思えば簡単にできたことだろう。


『結婚が決まった』と言い渡されたし、『相手はお父様が見つけてきた』とも言われたが、どうやら全てはメリッサをさっさと叩き出すための嘘であったようだ。


 何せ妹のマリアンヌの婚約者は、メリッサの元婚約者でもある。家族と本人総ぐるみでマリアンヌへの乗り換えを押し進めたのだから、婿に迎えるにあたってメリッサがカサブランカ家に留まっていると都合が悪かったのだろう。


 ──私自身は、あまり気にしていないのですが……


 何せマリアンヌは少々天然で鈍い所はあるが『カサブランカの金』を体現した抜群の美少女で、家庭教師達が揃って『天才』と絶賛する魔法使いだ。


 出来の悪い姉に似ず、よくぞここまで立派に育ってくれたとメリッサは日々感心していたものである。母にとっても自慢の娘であるはずだ。家督をマリアンヌが継ぐことに異存などないし、メリッサからマリアンヌに乗り換えたエドワードの判断は英断であったとメリッサ自身は(たた)えたい。


 ──ああ、でも部屋の数が足りないんでしたっけ?


 ならばやはり自分が出ていくのが妥当なのだろう。侯爵家であっても無駄な出費は控えるに越したことはない。婿を迎えるにあたって屋敷を増築しなければならないくらいならば、やはりメリッサが家を出て部屋を明け渡した方がスムーズである。


「んー、ちょっと待ってくれる?」


 ということは、実家に出戻るのも迷惑なのか、と考えるメリッサの前で、何事かを思案したノーヴィスが立ち上がった。またバサバサと膝の上から書籍が雪崩(なだ)れ、ノーヴィスが座っていた空間も雪崩れてきた品に埋もれて消えてしまうが、ノーヴィス自身はやはりそんなことには全く頓着していない。


「その結婚話、お父さんが決めてきたって言ったよね?」


 自分の足で立ち上がったノーヴィスは、思っていたよりも背が高かった。今はメリッサが座っているし、ノーヴィスが猫背というのもあって分かり辛いが、しゃんと立てばメリッサよりも頭ひとつ分以上は高いかもしれない。


「君のお父さんの名前は?」

「リヒャルト・カサブランカと申します」

「リヒャルト・カサブランカ……」


 聞き覚えがないのか、ノーヴィスはまた首を傾げた。


 だが今度はすぐに首を戻すとパンパンッと軽く両手を打ち鳴らす。


「ロットさん、パーラさん、キートさん、オウルさん、教えてほしいことがあるんだけども」


 使用人を呼び付けるかのように手を打ち鳴らしたノーヴィスは、次いで人の名前のようなものを口にした。


 ──先程、独り暮らしだと口にしていたと思うのですが……


 メリッサはノーヴィスを見上げたまま内心だけで首を傾げる。


 そんなメリッサの耳を、柔らかな風切り音がくすぐった。先程まで動きがなかった空気が何かの羽ばたきによって震えている。


「最近、『リヒャルト・カサブランカ』を差出人とする手紙とか書類とか、何か見かけなかった?」

『アー? 見テナイヨー?』


 その微かな鳴動を切り裂くかのように、()頓狂(とんきょう)な声は響いた。


『モシカシテ アレカナ?』

『オジイチャン 運ンデタ』


 反射的にメリッサは己の頭上を見遣る。その時には素っ頓狂な声に追従するかのように細く幼い少女と少年の声が響いていた。


 だが見上げた先に、人影はない。


『はて? 運んだかのぉ?』


 風を震わせ、声を響かせながらメリッサの頭上を旋回していたのは、極彩色の羽を広げた鳥だった。唯一、最後にしわがれた声を上げた鳥だけが木目を思わせる落ち着いた色彩の羽を広げている。


「オウム……と、インコと、フクロウ?」


 一体今まで屋敷のどこに(ひそ)んでいたのか、四羽の鳥達は見た目も存在も騒々しい。宙を旋回し、ソファーの背や机の上に舞い降りてからも互いにやいのやいのと言い合っている。


『オジイチャン 物忘レ?』

『アンナニ 大変ソウニ シテタノニ』

『はて、それは一体いつのことだい?』

『アー! ソモソモォ! 部屋ヲ片付ケナイィ ノーヴィスガァ 悪ゥイ!!』

『確カニ』

『確カニ』

『キット ドッカニ 埋マッテルゥ!』

『イツモノコト』

『イツモノコト』

「はいはい、僕の悪口はいいから」


 もう一度ノーヴィスが手を打ち鳴らすと、(かしま)しい鳥達はピタリとお喋りをやめた。ついでにピッと居住まいを正してメリッサに顔を向ける。


 そんなやり取りを観察していたメリッサは、己が導き出した答えを口にした。


使い魔(ファミリア)、ですか?」


 魔法使いは時折、ヒトではない相棒や従者を持つ。精霊や動物、あるいは己の魔法で創り出した『何か』であったりとその種類は様々だが、そういった物を大雑把に纏めて『使い魔(ファミリア)』と呼んでいた。


「うん。普段のちょっとした雑用を手伝ってくれてたり、他にも色々ね」


 メリッサの問いに頷いたノーヴィスは、片腕を上げるとソファーの背に舞い降りたオウムを示した。


「オウムがロットさん」

『ヨロシクゥッ!!』


 ノーヴィスから紹介を受けたオウムはけたたましい声で叫ぶ。


 次いでノーヴィスは机の上の本の山にちょこんと留まった二羽のインコを示した。


「インコの女の子がパーラさんで」

『ヨロシクネ』

「男の子の方がキールさん」

『ヨロシクネ』

「それで、最後が……」


 微かな羽ばたきの音を聞きながらノーヴィスは右腕を宙に向かって差し出す。その腕に最後まで宙を旋回していたフクロウが静かに舞い降りた。


「フクロウのオウルさん」

『名付けが安直すぎて、いささか恥ずかしいのぉ』

「はいはい、ごめんね。あと、彼女にちゃんとご挨拶」

『ふむ。よろしく頼むよ、お嬢さん』


 クルリクルリと首を回したフクロウは、メリッサと視線を合わせると目を細めた。鳥の顔に表情などないはずなのに、そうしているとなぜか笑っているように見える。


「メリッサ・カサブランカと申します。皆様、どうぞよろしくお願い致します」


 紹介を受けたのだから、きちんと名乗り返すのが礼儀。


 そう判断したメリッサは居住まいを正して頭を下げる。そんなメリッサにノーヴィスは柔らかく瞳を細めた。


「君は礼儀正しい子なんだね。偉い」

『エラァイッ!!』

『偉イネ』

『イイ子』

『大変よろしい』


 たったそれだけだったのに、メリッサに返ってきたのは賛辞の嵐だった。思わぬ事態にメリッサは無表情のまま目を瞬かせる。


 ──この程度のこと、当たり前であって、こんなに褒められることでは……


「さて。そんな偉くて賢くて優秀な彼女のために、みんなひとつよろしく頼むよ」


 だがメリッサがそんな戸惑いを口にするよりも、ノーヴィスが一同に号令をかける方が早かった。


 オウルを宙に放ったノーヴィスはそのまま大きく腕を横へ振り抜く。その動きを合図に羽を休めていた他のファミリア達も一斉に宙へ羽ばたいた。そんな彼らの翼に打たれて、停滞していた居間の空気がフワリと風をはらむ。


「『光の下 机の影 本の隙間 何でもない場所 出ておいで 探し物 失くし物』」


 ファミリア達が羽ばたいた後の空気には蝶が鱗粉を落とすかのように光の粒が舞っていた。そんな空気を巻き込んでノーヴィスの歌声が響く。


 光と風を巻き込んだ歌声は物理的に力を持った波となり、ゴチャゴチャと置かれた品物達は水面に浮かぶ花びらのようにユラリユラリと揺れ始める。


 ──理論も何もない。ただの失せ物探しのまじない歌なのに……


 メリッサとメリッサが座るクッションの周りを避けた波は、水面を波紋が揺らすかのように部屋の端へと広がっていった。その波がノーヴィスによって即興で組み上げられた魔法なのだと理解したメリッサは、思わずまじまじと波が進む先を見つめる。


 ──本来この規模で魔法を使おうとしたら、魔法陣ときちんとした呪文の詠唱が必要であるはず。


 ファミリアの力を借りているのだとしても、この展開は規格外すぎる。


 はからずもノーヴィスが本当に優秀な魔法使いである証拠を目にしたメリッサは、息を詰めて波が進む先を追った。


「あ……」


 そんなメリッサの視界の端で何かがフワリと舞い上がる。その『何か』はメリッサが視線を向けるよりも早くノーヴィスの手元に舞い降りた。


「どうやら、これがリヒャルト・カサブランカ侯爵から送られてきた手紙みたいだね」


 ノーヴィスの手の中に納まったのは、真っ黒な封筒だった。ノーヴィスは手の中で封筒を()めつ(すが)めつ観察しているが、どうやら封筒には宛名もなければ差出人の名前も書き込まれていないらしい。


 封蝋で閉じられているから中に手紙が入っているのだということは分かるが、それがなければ未使用の封筒なのかと勘違いしてしまいそうなくらい、封筒には誰かが使った痕跡が見当たらない。


 そんな封筒を耳元で軽く振って中の音を確かめたノーヴィスは、封筒の隙間に指先を差し込んで封蝋を破った。そのままひっくり返すわけでもなく、中に指を入れるわけでもなく、なぜか封筒を顔に近付けて中を(のぞ)き込んだノーヴィスは、小さく息を()くと独白をこぼすかのように呟く。


「うーん……なるほど?」


 そんなノーヴィスの様子に、メリッサは内心だけで首を(かし)げた。


 ──中の手紙を確かめないのでしょうか?


 先程の魔法で探し当てられたこの手紙は、ノーヴィスの言葉を信じるならば父から差し出された物であるらしい。ならばその中に入っているのは、メリッサとの結婚に関する書状なり手紙なりであるはずだ。


 手紙は中を改めてみてこそ意味がある物だし、ひとまず読めば何も知らないメリッサが説明したこと以上の事情を知ることができるはずなのだが。


「ねぇ。質問、いいかな?」

「何でしょうか?」


 だというのに、結局ノーヴィスが封筒の中から手紙を取り出すことはなかった。


 封筒の中を覗き込むだけ覗き込んで再び蓋をしたノーヴィスは、両手で封筒を持ったままメリッサに向き直る。


「お父さんって、お母さんのお(うち)に婿入りしてたりする?」

「はい。父は先のカサブランカ侯爵の一人娘であった母と結婚して、カサブランカ家に婿入りしています」

「お父さんの旧姓って分かる?」

「旧姓、ですか?」

「うん」


 唐突な質問にメリッサはしばらく瞳を伏せて記憶を(あさ)る。


 だが残念なことに父方の実家のことは家名を含めてとんと聞いた覚えがなかった。父に身寄りがないことは何となく察していたから、どことなく話題にするのを避けていたのかもしれない。


 仕方なく、メリッサは視線を上げると素直にそのことを口にした。


「申し訳ありません。父の実家のことは、家名を含めて聞き覚えがありません」

「そっか」

「はい」


 (よど)みなく答えると、ノーヴィスは再び封筒に視線を落とした。手の中で封筒を(もてあそ)びながら考えに(ふけ)るノーヴィスは、何かを思案しているようにも、何かに迷っているようにも見える。


「……あの」

「もうひとつ質問いい?」


『やはりご迷惑なようなので出ていきます』という言葉を口にするよりも、ノーヴィスが再び口を開く方が早かった。


 もう一度真っ直ぐ向けられた視線を受けたメリッサは、口にしかけていた言葉を飲み込むと居住まいを正す。


「何なりと」


 ──この方は、言葉を向ける時、きちんと視線まで私に向けてくれるのですね。


 それが、新鮮だった。こんな風にしっかりと話し相手として向きあってもらう経験が、最近あまりなかったものだから。


「君が優秀で、面白くて、賢くて、礼儀正しくて、魔法も使えるってことは、もう知ってるんだけども」

「過分なお褒めの言葉、重ねて恐れ入ります」

「他に何か、できることってある? 家事とか、得意なこととか。掃除とか炊事とかできるならありがたいんだけども」


「家事、ですか?」


 またもや唐突な発言にメリッサは思わずしっかりと首を(かし)げた。


 家事、掃除、炊事。それは本来、貴族令嬢に求めていいスキルではないと思う。せいぜい求めていいのはお片付けとお菓子作りまでだろう。


 だが幸いなことにと言うべきか否か、『カサブランカの不出来な黒』と呼ばれてきたメリッサは、生きる道を模索すべく色んなことに手を出してきた過去がある。


 ──まぁ実際の所、それを免罪符として己の知的好奇心を満たしていた部分が大半だったのですが。


「炊事、掃除、洗濯等、『家事』と呼ばれるものは一通りこなすことができると思います。買い出し等はあまり経験がありませんが、ご指示、ご指導いただければ遂行も可能かと」


 ひと通りノーヴィスからの質問の重点に答えてから、メリッサは付随情報として自分の『特異点』についても述べる。


「他にできることと言いますと、実家では妹の護衛の真似事のようなことをしておりましたので、護衛、諜報活動等も、(さわ)り程度ならば」

「妹の護衛?」

「姉は妹を守ってしかるべき、と育てられましたので」


 ノーヴィスの疑問の声に、メリッサはごく当然のこととして答えた。


 幼少の頃より母からは『不出来なお前はせめてマリアンヌを守る壁くらいにはなりなさい』と言われてきた。姉は妹を守るものであるとも聞いている。美しく才もあるマリアンヌを実家から出された今日まで無傷で守り抜くことができたのは、メリッサの数少ない誇りだ。


 ──今後、マリアンヌとうまくやれる護衛が現れると良いのですが……


「うん。僕が思っていた以上に、君はうんとすごい子だったんだね。それに、家族思いで優しい子だ」


 そんなことを思っていたメリッサはノーヴィスの声で我に返った。改めて視線を向け直せばノーヴィスはフワリと優しい笑みを浮かべている。


 そんなノーヴィスが、不意にメリッサに向かって腕を伸ばした。


 ──? 何でしょう?


 無防備に視線を向けていたら、ノーヴィスの手がポンッとメリッサの頭に載った。思わぬことに固まっていると、ノーヴィスの手はそのままよしよしとメリッサの頭を撫でていく。ポニーテールに根っこを避けるようにメリッサの頭を撫でる手は、ひょろりとした外見に似合わず、固くて、かさついていた。


 ──……手、大きい。


「さて。そんな君に、提案がある」


 メリッサの頭を撫でたいだけ撫でた手は、何事もなかったかのようにローブの袖の中に収納されてしまった。思わず撫でられた頭を両手で押さえてノーヴィスの手を視線で追うが、指先だけがわずかに(のぞ)く袖口だけではメリッサの頭を撫でた手の全容は分からない。


 ──頭を撫でられたのなんて、一体いつぶりなんだろう……


 昔は父にああやって撫でてもらっていたような気がするが、それも一体何年前のことなのだろうか。


「君、とりあえずここで働かない?」

「……え?」


 そんなことを思っていたものだから、うっかりノーヴィスの言葉を聞き逃した。さらには間抜けな声まで漏れる。


「僕は君との結婚話を知らなかったし、君だってこの話を今朝言い渡されたわけでしょう? お互い相手のことを知らないどころか、存在だってついさっき知ったばかりじゃない? そもそも、いきなり結婚とか言われても気構えとかさ、心の準備とかさ、色々あると思うんだよね。女性の方は特にさ」


『言われたことは一度で聞き取ること』


 叱責を受けないためには基本中の基本とも言うべきことを()せなかったことに、一瞬メリッサは血の気が引くのを感じる。


 だがノーヴィスはそんなメリッサを叱責するどころか、のほほんと説明の言葉を追加してくれた。


「だからさ。とりあえず『お嫁さん』じゃなくて『メイドさん』として、この屋敷にいてくれないかなって思って」

「メイド、さん?」


 思わぬ言葉に、メリッサは思わずシパシパと目を瞬かせた。


 そんなメリッサにノーヴィスは楽しそうに頷く。


「そう。一緒に生活をしながら、お互いのことを、時間をかけて知れたらいいなって。『お客さん』でもいいけど、君の能力を生かさずに放置しておくのはとてももったいないことだと思うから。だから『メイドさん』で」


 ──メイド。


 一度は驚きで受け止めきれなかった言葉を、メリッサはもう一度しっかり頭の中で噛み締めた。


 どのみち『迷惑になるなら』とここを出ても実家には帰れない。現実的に考えれば、メリッサはどこかに住み込みの働き口を探すことになる。


 一応、魔法学院の伝手(つて)を頼れば、どういった場所でどのような手続きを踏めば働き口が見つかるかは知ることができるはずだし、運が良ければ働き口そのものを紹介してもらえるかもしれないとは思っていた。自分にできることは家事と魔法を使うことくらいしかないから、どのみち就ける仕事はどこかのお屋敷の使用人か、あるいは魔法を生かせる職種になるとも思っていた。


 ──ならば、特に今提示されている仕事と、大差はありませんね。


 勤務地と仕える主の人柄が多少なりとも分かっている分、ゼロから探すよりもかなりプラスと言えるだろう。ノーヴィスが善意から提案してくれていることも分かっている。この話を断る理由がメリッサにはない。


(うけたまわ)りました」


 何より、ノーヴィスは、メリッサのことを褒めてくれた。


 慣れない言葉を不思議には思うが、何だか心地良くもあった。この部屋の空気を温かく感じるのは、部屋の造りが温室に似ているから、という理由だけではないはずだ。


「本日より、よろしくお願い申し上げます」


 メリッサはフワリと立ち上がると白いプリーツスカートの端をつまんで優雅に頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくね。……時に、君」


 そんなメリッサに緩く頭を下げ返したノーヴィスが不意に表情を改めた。その変化にメリッサも頭を上げて気を引き締める。


 だがノーヴィスの口から飛び出てきたのは、気が抜けるような質問だった。


「目玉焼きって、どれくらいの固さが好み?」

「目玉焼き、ですか?」


 ノーヴィスが真剣なのは分かる。だが問いの内容はこれまた突拍子もないことだった。なぜ今この問いが出てきたのか、意図を(はか)ることができない。


 ──ここは空気を察して相手の好みを答えるべきなのでしょうが……


『目玉焼きの固さの好み』が分かる情報など、今までの会話には出てこなかったと思うのだが。あるいはこれはメリッサの諜報能力を試す試験的なものなのだろうか。


 ──情報が足りません。お手上げです。


「スプーンでつついた時、黄身がポロッと取れるくらいに固焼きにするのが好みです」


 一般的に好まれると聞く『半熟卵』と答えるべきかと迷ったが、結局メリッサは自分の好みを素直に口に出した。今までの会話の流れから、最悪の場合でもノーヴィスが突然怒り出したり、答えが気に入らないと屋敷から叩き出すようなことはしないだろうと判断したから、というのもある。


「そっか」


 案の定、メリッサの答えを聞いたノーヴィスが怒ることはなかった。


 それどころかノーヴィスは嬉しそうに笑みを深める。


「実は僕もそうなんだ。食べ物の趣味が合うみたいで嬉しいよ。この話を振るとみんな『なんて悪趣味な』って半熟卵を勧めてくるものだから」


 そう言うノーヴィスがあまりにも嬉しそうだったから、メリッサは思わずポロリと自分の思いを口にした。


「あのドロッとした感じが、私は嫌いです」

「そうだよね、僕もなんだ」

「ポロッと、ホロッとした黄身の方が、美味しいです」

「だよね。僕もほんとにそう思う」


 そう言ってノーヴィスはホケホケと笑った。


 そんなノーヴィスを見上げて、メリッサは深く同意を瞳に浮かべていたと思う。




 これがメリッサ・カサブランカとノーヴィス・サンジェルマンの、少々変わった出会いであった。


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