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 黒で埋め尽くされた視界は、メリッサが全力で魔力を展開した瞬間白に塗り潰された。凶暴な白に包み込まれた漆黒は一瞬動きを止めた後、大きくひび割れながら崩れていく。


 それを確認しながらメリッサはグレイブの柄で床を突き、己の魔力を地面に叩き込む。店の床下に仕込まれていた魔法陣を巡ったメリッサの魔力は力の質を変え、光となって周囲を照らした。その光に照らされた瞬間、空間を満たしていた影はしおれながら消えていく。


「ルノちゃんっ!?」


 ひとしきり影を一掃したメリッサが店内の様子を確認していると、聞き覚えのある声がメリッサの呼び名を呼んだ。声の方を振り返れば、目を丸くしたエレノアが床に座り込んでいる。


「エレノアさん! ご無事でしたかっ!?」

「え、えぇ」


 エレノアに駆け寄ったメリッサは、そっとエレノアの背中を撫でる。意識して魔力を纏わせた手で背を撫で下ろすと、エレノアはほっと息を()いた。血の気を失っていた顔にわずかに赤みが戻っている。


「来てくれてありがと、ルノちゃん。手当もありがとね。呼吸が楽になったわ」

「間に合って良かったです」


 そんなエレノアに、メリッサもほっと息を吐いた。


 同時にレンシア通りの惨状を思い、キュッと眉間にシワを寄せる。


 ──なぜ、こんなことに……


 人の手が入っていない自然というものは、本来負の力も正の力も帯びていない。大地が持つ純粋な力は(フラ)(ット)だ。


 だがそこに人が住み着き、家を建て、街を造ると、土地の気はそこに生きる人々の影響を受けて正にも負にも傾くようになる。人々が活発に行き交う栄えた場所は正に、逆に(さび)れて人々の気が枯れた場所、ヒトや動物の『死』が折り重なった場所は負に傾く。


 土地の気が正に傾く分にはまだいい。だが負に傾くと厄介だ。


 負の力に傾いた土地は、人の心を闇に傾ける。病や気鬱を抱える者が増え、街の空気はどこか煤ける。その空気に魔物が引き寄せられ、さらに人々の不安が(つの)り、その心の闇がさらに大地に流れる力を歪め、という悪循環が止まらなくなるのだ。


 そして最後に、土地そのものが『堕ちる』。


 負の力を溜めこんだ大地が力を暴走させ、土地そのものが影や魔物を(みずか)ら生み出すようになってしまうのだ。生み出された魔物やあふれる負の力はさらなる栄養素……生命力や魔力といった『力』を求めて人々を襲う。


 ──しかしこのレンシア通りは繁華街。元々正の力の方が強い場所であるはず。


 そんな場所がいきなり『堕ちる』なんて話は聞いたことがない。


 ましてやここはサンジェルマン伯爵邸に近く、ノーヴィスと交流があるエレノアの店ある場所……いわばノーヴィスの支配領域だ。定期的にレンシア通りに通っているであろうノーヴィスが、こんな大災害の予兆を見落とすはずがない。


「でもルノちゃん、どうやってあいつらを浄化したの? この店の周囲だけって言っても、そんなに簡単にできることじゃないでしょう?」

「エレノアさんがノーヴィス様に宛てた通信の中で『結界がある』というようなことを(おっしゃ)っていたのを聞いていたので、その基盤をお借りしました」


 立ち上がるエレノアに手を貸したメリッサは、胸中の疑問を一度しまい込むとエレノアの疑問に答えた。


「魔法陣があれば、技量に劣り、魔力属性が違う私でも、力さえ通せれば、魔法陣が展開している魔法の効力を底上げすることくらいはできるかと思いまして」


 影の侵略に備えた結界ならば浄化陣だろうと踏んでいたのだが、案の定メリッサの予測は当たっていた。


 恐らくノーヴィスはこういう事態になった時、この店を足掛かりにして土地の浄化を開始するつもりだったのだろう。もしかしたら、既知であるエレノアだけはとにかく守れるように、と考えていたのかもしれない。だからここに結界があったのだ。


「レンシア通りはノーヴィス様の管轄とお見受けいたしました。ならば同様の魔法陣がいくつか街中に刻まれているはずです。ノーヴィス様はそれぞれの魔法陣の効力を上げ、パスを通すことで土地の浄化を(はか)るのでしょう」


 メリッサは己が掴んでいる感覚と知識、両方を動員させて考察を述べていく。


「ならば私の役割は、影に襲われている人々の救出と影の物理的破壊。万が一移動中に魔法陣を見つけた場合は、私の魔力を通して魔法陣を活性化させること」


 いつでもにぎわっているレンシア通りがいきなり堕ちれば、多くの人間が巻き添えになる。


 たった一人で巻き添えになった人々を助けながら土地の浄化までしようとすると、どうしても手数が足りない。だからあの時メリッサは同行を申し出た。


「先程魔法陣に魔力を通した時、私と魔法陣の間にパスを繋ぎました。私を介して浄化の魔法陣に力が送り続けられるので、この店を中心に安全なエリアが一定範囲に生まれるはずです。私は物理的に影を薙ぎ払いつつ、救出した人達をこの店の周りに退避させます」

「……ルノちゃんって」


 ここまでで把握できた事実から推測したことと、それを踏まえた己の考えを道筋立てて述べる。


 そんなメリッサに、エレノアは(ぼう)(ぜん)と呟いた。


「実はすっごい子だったのねぇ」


 思わず、といった風情でこぼされた言葉に、メリッサはパチパチと目を瞬かせた。そんなメリッサの様子をどう解釈したのか、エレノアは慌てて両手を胸の前で振る。


「いや、あのお屋敷で平然と暮らしていられるって時点で、ルノちゃんのすごさは分かっていたつもりだったのよ? でも予想以上だったっていうか」


 エレノアが付け足した言葉に、メリッサはさらに目をパチクリさせた。エレノアの発言が、普段メリッサを褒めちぎるノーヴィスの言葉と、あまりにも似ていたから。


 今までのメリッサであったら、すかさず『そのようなことは』とか『恐縮です』と答えて、内心でその言葉を否定したことだろう。


 だけど、今は。


「ええ」


 メリッサは思い切って言い切ると、口元に淡く笑みを刷いた。


「何せ私、サンジェルマン伯爵家のメイドですから」


 一瞬だけ浮いた表情に、エレノアが大きく目を(みは)る。


「それでは、行って参ります」


 そんなエレノアを店に残して、メリッサは表へ飛び出した。メリッサが通した魔法陣とのパスはきちんと機能しているようで、そこら中に漆黒の触手がうごめいている中『カメリア』の周囲だけ空気が澄んでいる。


 ──ひとまず表通りから。


 メリッサは進路を表通りに向かって取ると、タンッと軽やかに走り出した。魔法陣の効力外へ飛び出した瞬間から触手が飛んでくるが、メリッサはその全てをグレイブで薙ぎ払う。


 ──向こうが物理的にこちらを攻撃できるということは、こちらの物理攻撃も相手に通るということ。


 グレイブでの斬撃も氷属性魔法での攻撃も影に対して有効であることは、屋敷で受けた襲撃の際に確認が取れている。それさえ分かっていれば、メリッサにとって影は脅威にならない。


「皆さん、仕立屋『カメリア』へ避難してください!」


 触手を薙ぎ払い、踏み込みと同時に魔法を打ち込めば、周囲の影はあっという間に凍て付いて砕けた。影から逃げ惑っていた人々は、突如登場して助けの手を差し伸べたメリッサに戸惑いの目を向けている。


 そんな人々に向けて、メリッサは凛と声を張った。


「『カメリア』の周囲は浄化結界で守られているので安全です。急いで!」


 視線をものともせず、よく通る落ち着いた声で避難先を示せば、何人かがおずおずと動き始める。


 最初の数人が動き始めれば、それを見た人間もその後ろに従う。パラパラと何人かが動き出すまでには時間がかかったが、動き出してから人の流れができあがるまでには大して時間はかからなかった。


「『カメリア』へ避難を!」


 数度声を張り、人の流れが確かなものになったことを確認してから、メリッサは再び前へ駆けだした。


 斬っても凍らせても、影はいくらでも湧いてくる。メリッサが一人でチマチマとこんなことを続けていても、レンシア通り全体から見れば状況は何ひとつとして変わっていないのだろう。


 それでも。


 ──それでも、守れる命があるはず……!


 メリッサは道々で人々に避難の指示を出しながらレンシア通りの中心へ進む。


 その時、馴染みのある魔力が爆発するのが分かった。


 ──近い!


 はっと顔を上げる。


 メリッサが今立っているのは、レンシア通りの中心にある広場だった。いくつか大きな道が交差する四角い広場の中心に、見慣れた黄金の燐光が舞っている。


 その中心から朗々と呪歌を詠唱する声が聞こえてきた。


「『(なんじ)は全ての母 汝は全てを飲み込む者 汝は変転させる者 死を豊穣に変える者』」


 声が響くたびに、反発するかのように漆黒の触手がうごめく。


 その様を見たメリッサは、グレイブを構えると触手の海に飛び込んだ。


「『巡れ 巡れ 巡れ 白を黒に 黒を白に 空を大地に 大地を空に』」


 斬り飛ばし、凍て付かせ、砕き、踏み締める。


 そうやってひたすら前へ進み続けると、見慣れた夜色の背中が見えた。だがその上には見慣れない色彩が躍っている。


 吹き荒れる風にさらわれたフードの下にあったのは、癖ひとつなく流れる雪のような白髪。メガネが外された下にあった瞳は、狂ったように舞う燐光と揃いの()()。どちらも普段のノーヴィスが纏う色とは真逆の色彩をしている。


 だが。


 ──綺麗。


 メリッサには、そんなことは関係なかった。


 色に関係なく凛と世界を見つめる瞳が。厳しい口調なのに世界に語りかけるように紡がれる言葉が。


 メリッサの知っているノーヴィスと、何ひとつ変わることがなかったから。


 だからメリッサはノーヴィスの背後へ躍り出ると、今まさに襲いかかろうとしていた触手を全身の力を使って斬り飛ばす。


「ノーヴィス様のっ!!」


 鮮やかに円弧を描いたグレイブに魔力を乗せ、メリッサは全力で叫んだ。


「邪魔をするなぁぁぁぁああああっ!!」


 メリッサの裂帛(れっぱく)の気合に、広場を埋め尽くしていた触手が一瞬動きを止める。


 その空白を埋めるかのように、ノーヴィスの声が響いた。


「『黒も白も光へ(かえ)れ 転変の(じょう)(ばつ) (こう)(こう)(せい)(たん)』」


 ノーヴィスの声が響いた瞬間、触手はパッと燐光に変じていた。一気に明るくなった視界に思わず腕で目を庇えば、フワリと吹き上がる風が柔らかく燐光を押し流していく。


 次にメリッサが顔の前から腕をどけた時、周囲には普段と変わらないレンシア通りが広がっていた。


 人々はみんな石畳の上にへたり込んでいて、心なしか空気が澄んでいるが、それさえ除けばごくごく普通の景色だ。


 うごめく触手も、黒い影もない。どこか遠くで時を知らせる鐘が鳴っているのが聞こえてくる。


 ──なんて、綺麗。


「……うん。何とか、成功したみたいだね」


 グレイブを握りしめたまま、何てことないはずなのに美しく思える光景に目を奪われていたメリッサは、頭上から降ってきた声に慌てて背後を振り返った。


 声の方を見上げれば、白髪に黄金の瞳のノーヴィスがいつものように柔らかな笑みを浮かべてメリッサのことを見つめている。


「ルノ、一緒に来てくれてありがとう」


 そんなノーヴィスにぽやっと見入っていたメリッサは、その一言で我に返った。


「あっ! いえっ、私は……っ!!」

「ルノが一緒に来てくれて、とても心強かったよ」


 ──ただ我武者羅に着いていっただけで、浄化自体はノーヴィス様が(おこな)ったわけで、つまり私はあまりお役に立てたわけではなくて……


 そんな自己否定が胸中を流れていく。


 だがそれをメリッサは意識的に頭から締め出した。


「ルノが一緒に行くって言ってくれて、すごく嬉しかった」


 だって、今の自分は。


 感謝してくれるノーヴィスを、嬉しかったと言ってくれるノーヴィスを、否定したくないから。


 こういう時に何と言えばいいのか、もう今のメリッサは知っている。


「あ……」

「……おや?」


 だがメリッサが新たに得た言葉を口にするよりも、ノーヴィスがメリッサの背後にある何かに気を取られる方が早かった。スッと瞳をすがめてローブのフードを深く被り直したノーヴィスを見たメリッサは、とっさに背後を振り返る。


 メリッサの後ろに特筆すべきものは何もなかった。明るくなった空の下で人々は己の無事を喜び、倒れている人がいれば助けの手を差し伸べている


 ただその中に、周囲に構わず、真っ直ぐにこちらを目指してやってくる一団がいた。


 周囲の光景から明らかに浮いている軍服姿の(いか)めしい一団がノーヴィスに視線を置いていることに気付いたメリッサは、さらにそんな中にもう二度と見ることはないと思っていた人物がいるのを見つけて目を(みは)る。


「エドワード?」


 王宮の近衛兵であることを示す軍服に身を包んだ厳めしい集団の後ろには、なぜか魔法学院の制服に身を包んだエドワードがいた。真っ直ぐにノーヴィスに向かって突き進む一団の中、おどおどと(うつむ)きがちに従うエドワードの姿だけが浮いて見える。


「……チッ」


 何が、と明確に言えない不安がメリッサの胸に広がっていく。


 そんなメリッサの隣から低い舌打ちが聞こえた。


「最初からこれが狙いだった、……というわけか」

「え?」


 ノーヴィスの独白に、メリッサは思わずノーヴィスを振り(あお)ぐ。


 だがメリッサがノーヴィスに視線を合わせるよりも、ノーヴィスがメリッサを背に庇うように一歩前へ出る方が早かった。


 その瞬間、近衛兵の一団はピタリと足を止め、先頭にいた兵が威圧的に声を張る。


「ノーヴィス・サンジェルマン伯爵だなっ!?」

「そうだけど?」


 答えるノーヴィスの声は、いつもと変わらず(ひょう)(ひょう)としていた。それなのになぜか、メリッサは不安から己の血の気が下がっていくのを感じている。


 その理由を、メリッサは次の言葉で理解した。


「貴様を国家反逆罪、および窃盗罪、不敬罪等で連行するっ!!」


『最初からこれが狙いだった、……というわけか』


 ──ノーヴィス様は、カサブランカ家によって罠にかけられた。


 胸中だけでこぼれた声は、氷のような冷たさを纏ってメリッサの中を落ちていった。


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