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「いやぁ、ルノ、すごいっ!!」


 少し遅くなった3時のお茶会では、ノーヴィスの笑い声がずっと響いていた。


「格好良かったよ! 割って入るのを我慢したかいがあった!」

「……恐縮ですが、お恥ずかしい限りです」


 屋敷の構造が変わっても、ノーヴィスの根城である温室のような居間に変化はなかった。


 定位置である三人掛けソファーに座ったノーヴィスと対面に置かれた一人掛けソファーに腰かけたメリッサは、間にティーセットが置かれたテーブルを挟んで3時のお茶会を楽しんでいる。


 結局(きょう)される飲み物は輪切りのレモンを浮かべた温かい紅茶になった。アイスティーを仕込む時間もレモンスカッシュを用意する時間も、エドワードを相手にしていたせいでなくなってしまったからだ。


 それでもノーヴィスは美味しそうにレモンティーを傾け、ありあわせのクッキーをモリモリと()まんでいる。


「あんなこともできたんだね。ルノはほんとにすごい子だねぇ」

「自分でも、あそこまでのことができたとは、驚きです……」


 メリッサは手のひらを温めるように両手でカップを持つとカップの中に落とし込むようにして呟く。無作法な仕草だとは分かっているのだがノーヴィスは決して怒らないと知っているし、とてもじゃないが今は真っ直ぐに顔を上げていられない。


 ──あんなことを、やってしまうとは……


 カサブランカの家にいた頃は、誰に何を言われても心が動くことはなかった。どれだけ(けな)されても、どれだけ理不尽なことを言われても、自分をどう利用されても、何も思うことはなかった。


 だがあの瞬間は、我慢ができなかった。


 恐らくそれは、エドワードがメリッサをダシにしてノーヴィスに理不尽を押し付けようとしていたからだろう。メリッサのせいでノーヴィスまでもがカサブランカの理不尽にさらされることが、メリッサには我慢できなかった。


 ──不思議です。私は、こんな風に怒ることができたのですね。


 怒りなんて感情は、もう自分の中にはないのだと思っていた。


 それに実質カサブランカの家に……母に反旗を翻したことに後悔をしていないというのも、なんだか不思議な心地がした。


「まぁ、あれだけルノが格好良く叩き出してくれたわけだし、あの子は多分二度とここへは来ないだろうからそこはいいとして」


 ひとしきり笑い終わったノーヴィスは、手に付いたクッキーの屑をパンパンッと払うとテーブルの端へ視線を投げた。


「問題は、置き逃げされた『これ』をどうするかだねぇ」


 そこにはエドワードが依頼品として持ってきた手帳が置かれていた。ちなみに金貨の袋はない。メリッサにグレイブを突き付けられたエドワードは、金貨の袋だけを引っ掴んで脱兎のごとく逃げていったので。


「……私の身内がご迷惑をお掛けして、大変申し訳ありません」


 これでは依頼の押し付けだ。しかもタダ働き。とてもじゃないがプラチナランクの魔法(マギカ)封印士(・テイカー)に仕事を頼む態度ではない。


「ルノが謝ることじゃないよ。あの子にも言ったけど、ルノとルノの身内は別の存在だから」


 ティーカップを机に戻して深々と頭を下げたメリッサに対して、ノーヴィスは軽やかに答えた。


「あいつらがルノを引き合いに出して僕に仕事を強要できる筋合いもなければ、逆にルノが責任を感じる必要性もないんだよ」


 どうやらノーヴィスは本当に何とも思っていないらしい。チラリと視線を上げて表情をうかがってみても、ノーヴィスはいつものように穏やかな笑みを広げている。


 それが分かったメリッサは、姿勢を正して気持ちを切り替えるとノーヴィスと一緒に手帳に視線を落とす。


「それは一体、どういった魔法道具なのでしょうか?」

「うーん……。一切説明していかなかったから、自分で解析して調べるよりないよねぇ……」


 ノーヴィスは手を伸ばすと手帳を手に取る。


 ノーヴィスの手より一回りくらい小さい、黒い革で装丁された手帳だった。大きさと薄さでメリッサは『手帳』と判断したのだが、装丁だけを見ると『本』と呼びたくなるようなしっかりした作りをしている。


 すでに一通りの封じは掛けられているのか、手帳は開かないように細い銀鎖(ぎんさ)(いまし)められていた。その隙間からわずかに魔力が漏れているのを感じるから、確かに何かの魔法道具ではあるのだろう。


「あの部屋ごと、屋敷から切り離すわけにはいかなかったのですか?」


 ふと思い立ったメリッサは、素朴な疑問を口に出した。


 エドワードを叩き出した後、ノーヴィスはエドワードを通した応接間を屋敷から消してしまった。恐らく最初からそうするつもりであの応接間に通したのだろう。部屋の中から持ち出してきたのはエドワードが置いていったこの手帳だけである。


「そうしちゃいたかったのは山々なんだけども。ほら、さっきの襲撃の件もあるじゃない? 切り離すためには一時的に不確定要素を屋敷に飲み込ませる必要があるから、それが嫌だなぁって思って。それに」


 ノーヴィスは一度言葉を切ると手の中にあった手帳をテーブルに戻した。そのままポンポンッとノーヴィスの手は(いた)わるように手帳を撫でる。


「できれば無闇に存在ごと消したりしないで、平穏に眠ってもらいたいから」


 ノーヴィスはメリッサが思わず息を詰めるくらい、穏やかな表情を浮かべていた。まるで時を経て再会した同士を見るような顔だと、メリッサは思う。


 そんなノーヴィスの表情が、メリッサは嫌いじゃない。


「それでは、しばらくはその子に向き合うことになるのですか?」

「そうだね。じっくり対話してみるよ。ここに置いておくけど、どんな子か分かるまで、ルノは触らないようにしてね」

「承知いたしました」


 この手帳も、やがては屋敷のどこかで優しい眠りにつくのだろう。そんな未来を想像すると、メリッサの胸はほのかに温かくなる。


 だがその温かさを噛み締めている暇はメリッサに与えられなかった。


 テーブルの端に置かれていた水晶玉が唐突にピィピィと甲高い音を立て始める。鳥の鳴き声というには無機質な音にメリッサが思わず身構えるのと、ノーヴィスが眉をひそめるはほぼ同時だった。


「緊急通信? 一体どこから……」

『ノーヴィスッ!! ちょっとノーヴィス聞こえてるっ!?』

「え? エレノアさん?」


 水晶玉の中に光が走ると同時に声が響く。膜を通したかのようにくぐもっているが、この声は間違いなくエレノアのものだ。


 ──魔力を原動力とする通信装置。これは封印された魔法道具ではなくて、通信用の物だったのですね。


 理解が(およ)んだメリッサは水晶をもっとよく見ようと体を寄せる。


 だがそれよりもサッと立ち上がったノーヴィスが距離を詰めて水晶玉に顔を寄せるようにしゃがみ込む方が早かった。


「エレ、どうしたの? 何があった?」


 話しかけながらノーヴィスは水晶玉に手を添える。その瞬間、水晶玉の中にノイズが走り、ぼんやりと景色のような物が映し出された。


 そこに映っている光景を見たメリッサは思わず息を詰める。


『レンシア通り一体が堕ちたわっ!! アタシの店はあんたの結界で何とか持ってるけど、それも時間の問題よっ!!』


 エレノアの背後には衣装を纏ったトルソーが見える。恐らくエレノアは『カメリア』の店内にいるはずだ。


 だというのにその後ろには無茶苦茶に黒い影が躍っている。まるで漆黒の触手が暴れ回っているかのように。


 ──『堕ちた』って、まさか……っ!!


 その影を、メリッサはついさっき、実際に己の目で見た。


「チッ!」


 自分が直接相対した時には感じなかった恐怖がメリッサの背筋を駆け抜ける。


「どうなってるって言うんだ……っ!」


 その恐怖を蹴散らしてくれたのは、すぐ傍から聞こえてきた舌打ちだった。


 メリッサは状況も忘れて目を丸くする。そんなメリッサの視線の先にいるのは、苦々しい顔で水晶玉に見入るノーヴィスだ。


 今この部屋にはノーヴィスとメリッサしかいない。ノーヴィスとメリッサがきちんと『お喋り』ができるようにと、ファミリア達は気を使ってこのお茶会には顔を出さない。そして今、メリッサは舌打ちをしていない。


 よって舌打ちを放ったのはノーヴィスで間違いないのだが。


 ──ノーヴィス様、そんな荒っぽいことも、できたのですね?


 一瞬状況を忘れたメリッサは、心の内だけで呟いた。


 不謹慎ではあるが、新たに知ったノーヴィスの意外な一面のおかげで、冷静になれたような気がする。


「ノーヴィス様、出向かれるのですね?」


 メリッサは常と変わらない声音でノーヴィスに声を掛けた。そんなメリッサの声を聞いたノーヴィスは、はっと我に返ったかのように水晶の向こうへ言葉を向ける。


「エレ、今から行くから、少しだけ持ちこたえて。この通信の繋がりを使ってそっちに飛ぶから」


 ノーヴィスの声にエレノアが何と答えたのかは分からなかった。ノイズがさらにひどくなり、エレノアの声は砂嵐の向こうに消える。


 だがもうノーヴィスが取り乱すことはなかった。スクッと立ち上がったノーヴィスはバサリとローブを翻しながらフードを被ると、右手を振り抜いて杖を召喚する。


 そんなノーヴィスに追従するようにメリッサも立ち上がった。構えた両手の中にはすでにグレイブが召喚されている。


「私も行きます」


 ノーヴィスの視線がローブの奥から飛ぶ。


 真っ直ぐにノーヴィスを見上げたメリッサは、ノーヴィスが口を開くよりも先に己の意志を口に出した。


「ノーヴィス様は、言ってくださいました。私は優秀で、強いと」


 ここで言い争っている暇はない。事は一刻を争う。


 だからメリッサは、端的に己の意志を示した。


「人手がいるはずです。私も、大切な人を守るために、戦わせてください」


 その言葉にノーヴィスは一度瞳を閉じた。


 次に開かれた時にはもう、その目に迷いはない。


「ロットさん、パーラさん、キートさん、オウルさん。屋敷をお願い」


 ノーヴィスは一度左手を机の上の手帳に置いた。フワリと一瞬舞った黄金の燐光は、手帳を(いまし)める銀鎖に絡むと黄金の鎖に姿を変える。


 それを見届けたノーヴィスは、次いでメリッサへその手を差し伸べた。


「堕ちたのはレンシア通り一帯。僕達の任務は巻き込まれた人々を救い出すことと、土地の力を元に戻すこと」


 その手に、メリッサは迷うことなく己の手を重ねる。


「土地は僕が、人々は君が」


 ノーヴィスの説明はメリッサの言葉以上に端的だった。何をどうせよとも、何がどうなっているとも、詳しい説明の言葉は出てこない。


 時間がない、ということも確かにある。


 だがそれ以上にこれは、信頼だ。メリッサならばこれだけで対処ができるという、ノーヴィスからの信頼の表れだ。


 ノーヴィスの言葉とともに繋いだ手から燐光があふれ出る。燐光が目の前の景色を掻き消し、別の場所へ通路が繋がるのが分かる。


 だからメリッサは、ノーヴィスと繋がった手にグッと力を入れると端的に答えた。


(うけたまわ)りました」


 答えた瞬間、パッと燐光は掻き消える。


 それと同時に、メリッサは手にしたグレイブを全力で振り抜いた。


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