月へ兎を食べに行く
「そんなの……兎ちゃんが可哀想ー!!」
俺が月へ兎を食べに行こうって誘ったら、スージーは目を潤ませてそう言った。ちくしょう、可愛い奴め。俺は心の中で悪態をつく。それでも月のうさぎはとんでもなく美味いんだと俺が必死に説明すると、最初は乗り気ではなかったスージーも、兎のお肉はヘルシーで健康にも良さそうだわとどこからかわからない情報で自分を納得させた。
善は急げ。生粋のスターウォーズファンである従兄弟の力を借りて、俺とスージーはNASAとかいう施設に潜入し、ちょうど出発直前だったスペースシャトルへ忍び込んだ。外から聞こえてくるカウントダウンとともに機内が揺れ始め、そのまま強烈な重力を発生させながら月へと飛び立っていく。俺とスージーは窓へと顔をくっつけ、小さくなっていく地上を見下ろしながら会話をする。
「そういえば月へ兎を食べに行くのに何の準備もしてないわ」
「大丈夫だ、スージー。こんなこともあろうかと、俺はいつもナイフとフォークは持ち歩いてるんだ」
地球を飛び出して数時間。俺たちを乗せたスペースシャトルが月に到着する。地球で拝借していた予備の宇宙服に身を包み、俺とスージーは生まれて初めて月へ降り立った。足で勢いよく地面を踏みつけると、砂が勢いよく舞い上がり、そのままふわふわと漂い続ける。スージーは宇宙服は太って見えるから嫌だわとぼやきながら、機内で見つけた女性雑誌をパラパラとめくっていた。
「ねえ聞いてよ、トム。この雑誌によるとね、宇宙にいるだけで身体中の細胞が活性化されてすごくダイエットになるんですって!」
俺は地球から持ってきていたナイフとフォークを握りしめ、早速兎を探し始めた。数十分ほどあたりを散策すると、お目当ての兎が見つかった。兎はライダーズジャケットを羽織っていて、人参くらいの太さをした葉巻を口に咥えている。目には分厚いサングラスをかけていて、右頬から耳の付け根にかけて切り傷のような跡があった。その兎はじっと見つめている俺に気がつくと、「何ガンつけてんのじゃ、ボケ」とサングラスを少しだけずらしながら俺たちに喧嘩を振ってくる。
「俺たちはな、お前ら兎を食べにここまで来たんだよ」
宇宙服のヘルメットを外し、俺は兎にそう教えてやる。兎はキョトンとした表情を浮かべた後で、腹を抱えて笑い出す。それから勢いよく痰を地面に吐き、俺に向かって中指を突き立ててくる。
「地球じゃそんなくだらないジョークが流行ってんのか? ああん? 地球に帰って、ママのおっぱいでもチューチューさせてもらえよ、この腐れ霊長類」
その挑発的な言動に俺の怒りが爆発した。俺は左手で握りしめていたフォークを勢いよく振り下ろし、兎の右肩にぶっ刺した。刺された兎が「ギャー!!」と叫び声をあげる。俺の後ろにいたスージーも悲鳴をあげる。フォークを刺した張本人である俺は兎に対して怒声を浴びせる。兎は右肩から引っこ抜いたフォークを地面へ放り投げ、そのままよろよろと後ずさりを始める。
「ぶっ殺してやる……。ぶっ殺してやる……」
兎は出血している右肩を押さえながら、俺たちに背を向けて逃走を始める。やつを食べるため、追いかけなければならない。直感的にはそう理解していたものの、フォークを握りしめていた左手がブルブルと震えて言うことを聞いてくれない。その上、パニック状態のスージーが俺に抱きついてきて、動きが取れなくなる。スージーを落ち着かせ、左手の震えも止まり、改めて怪我を負った兎を追跡しようとしたその時。俺たちは後ろから大きな声で呼び止められる。
「君たちっ! 一体何をしてるんだ!!」
振り返るとそこには俺たちと同じ宇宙服を来た人間がいた。どうして月に人間がいるんだと不思議に思った後で、俺たちが乗ってきたスペースシャトルには俺たち以外にも人が乗っていたという事実を思い出す。俺とスージーはそいつに対し、兎を食べるために月へ来たのだと胸を張って説明する。
「それは驚いたな……」
そいつは宇宙服を来たまま腕を組み、感慨深げに言葉を呟く。
「実はね、私も兎を食べるために月へ来たんだよ」
俺とスージーと、ヤンと名乗った宇宙飛行士の三人は兎の捜索を始める。それぞれの人生や価値観は違っても、少なくとも今この瞬間は、同じ目的を持った仲間だった。その目的というのはもちろん、月の兎を食べること。ただそれだけ。
「NASAじゃ、最近昆虫食の研究が盛んになってるけど、私からしたらナンセンスの極みだね。誰だって美味しいものを食べたいし、ベジタリアンじゃない限りは、宇宙でも肉を食いたい。それに……月の兎はとんでもなく美味いって言われてるし」
「俺もその話を聞いたんだ。でもそれって、月の兎を食べた宇宙飛行士が言ってるんじゃないのか?」
「そういえば、私が知る限りでは兎の肉を食べたことのある仲間はいないな。どこでその話を聞いたんだっけな?」
「あら、それだったらこの雑誌にも書いてあるわ。月のうさぎはとんでもなく美味しいって」
スージーがスペースシャトルから持ってきていた女性雑誌を掲げて言う。俺がその女性雑誌を受け取り、出版社名を確認すると、そこには『ムーンラピッド』という会社名が記載されていた。
俺たちは三人で探索を続け、大規模な月の兎の巣へとたどり着く。兎の巣は巨大な洞穴の中にあって、至る所にフンが転がり、奴らの食べ残しが平たい石の上で、見たことのないような腐り方をしていた。俺たちは宇宙服越しに伝わってくる腐臭に耐えながら進み続ける。一本道の巣を抜けるとそこは広い空間が広がっていた。壁際に空いた無数の穴から兎が俺たちを見下ろし、そして目の前には、俺たちが乗ってきたスペースシャトルと同じくらいの大きさの巨大兎が窮屈そうに座っていた。
「何の目的でこんなところまで来たんだ、腐れ霊長類共」
巨大兎が巨漢にふさわしくないつぶらな瞳で俺たちを見つめ、尋ねてくる。
「俺たちはな、お前ら兎を食べにここまで来たんだよ」
俺が決まり文句を言うと、巨大兎は小さくゲップをし、不愉快そうに眉を顰める。それから「地球にも兎はいるのに、どうしてわざわざ月まで兎を食べに来たんだ」と続け様に聞いてきやがったので、俺は月の兎がとんでもなく美味いからだと答え、ナイフとフォークを握りしめる力を強めた。
「ふむぅ、月の兎はとんでもなく美味いか……。もしかして、お前たちがそう言っているのは、この雑誌を読んだからか?」
巨大兎がゆっくりと懐から何かを取り出した。俺は兎が取り出したものを確認する。そいつが取り出したのは見覚えのある雑誌。それからハッと気がつき、スージーが持つ、『ムーンラピッド』社出版の女性雑誌へと視線を向ける。
「この雑誌はな、私たち月の兎が地球に向けて出版している雑誌なんだ。月の兎はとんでもなく美味いと書いたのも、月にくればダイエットになると書いたのも、すべて我々なんだよ。まあ、こんな出鱈目の情報を信じるマヌケがいるとは正直思えなかったがね」
何のために? そんな俺の問いに答えるように、無数の穴から沢山の兎たちが俺たちのいる空間へと降りてくる。巨大兎が身じろぎをし、壁から岩の欠片が剥がれ落ちる。後ろの通路からは無数の足音が聞こえてくる。宇宙服を着た俺の身体が、異常を察して熱くなる。
「それはな……お前たちのような馬鹿を誘き寄せて、食べるためだ!!」
巨大兎の咆哮とともに、腹を空かせた兎たちが俺たちめがけて襲いかかってくる。俺とスージーとムンは、一斉に出口へと走り出す。通路にも兎は何羽かいたが、それでも所詮はうさぎで俺やムンが思いっきり突き飛ばすと、情けない声をあげて気絶してしまう。
「よう腐れ霊長類。さっきの借りを返してやる!」
そう言って襲いかかってきたのは、ついさっき俺たちを挑発してきたグラサンの兎。しかし、俺は本能的にフォークを振りかざし、今度はやつの右肩にフォークを突き刺してやった。
「ぎゃーーーー!!」
俺たちは三人で力を合わせ、兎の巣から命からがら脱出する。そして、決して止まることなく走り続け、俺たちが乗ってきたスペースシャトルへと乗り込んだ。
「兎を食いに月へやってきたつもりでいたが、俺たちのとんだ勘違いだったってわけだ」
宇宙飛行士であるムンがスペースシャトルの操縦席で複雑な操作を行いながら言ってくる。窓の外を見ていたスージーが悲鳴をあげ、兎たちが追いかけてきてるわと叫び声をあげる。とんだ勘違いってどういうことだ? ムンがこちらを振り向き、それから肩をすくめてため息をつく。
「俺たちが兎を食うんじゃなくて、兎にいっぱい食わされたってことさ。HAHAHA!」
ムンがボタンを押す。そして、轟音とともに機内が揺れ始め、俺たちを乗せたスペースシャトルは美味しいどころか、食えない野郎だった兎たちのいる月を飛び立つのだった。




