摩耗(1)
広いスペースに、多くのデスクと多目的デバイス。オフィス内では複数の人間が働いており、あるものはデバイスに向き合い、あるものはデスクに突っ伏している(徹夜続きらしい)。
今となっては骨とう品的職場環境の中で、私もまた自らのデバイスに送信されてきた最新の事故調査報告書を読みこんでいた。
私とは別の調査官が纏めたそれには多くの検証、反証、様々な専門家からの知見が記載されており、事故防止という観点からも、事故調査という観点からも含蓄のあるものとなっている。
無言で読み進めていると、ふと自分の席に近づく人の気配を感じた。目を上げれば、部長がこちらに近づきつつ、目のあった私に対して廊下を挟んだ小会議室に向かうよう手ぶりをするのが見える。私は頷くと、同じように顔を上げていた隣の席の相棒と共に小会議室に移動した。
「すまないな。君たちに頼みたい仕事がある」
小会議室に移動すると部長は私たちに座るよう手振りをしつつ、さっそく口を開いた。手は自らのデバイスを操作しており、いくつかの操作をするとその画面を私たちへと向ける。
「ユナイテッド・インターナショナル社から事故調査の依頼があった。彼ら所有の貨物船がステーションで衝突事故を起こしたそうだ」
「依頼ですか。通報ではなく?」
「そうだ。事故機はカリビアン星系、ガンタモステーションで衝突事故を起こしたのだ」
コジャックの疑問に対する部長の返答が今回の事故の特殊性を端的に説明していた。
SAIB―航宙事故調査局―は銀河連合加盟国内で発生した航宙事故に対する調査権を有しており、事故の通報があれば事故調査を行う権限がある。そして事故を起こした当事者には事故現場の星系政府とSAIBに対する通報義務があるため、通常事故調査について当事者からの依頼の有無は問題となることはない。
そしてユナイテッド・インダストリー社は企業でありながら複数の星系を統治する星系政府であり、銀河連合加盟国でもある。彼らの所有・運航する宇宙船が事故を起こしたとすれば、調査の依頼などということは通常起こりえない。
ただし、事故現場が銀河連合未加盟国となれば話は全く別である。そしてカリビアン星系の星系政府であるバハム革命評議会は銀河連合未加盟国なのだ。当然のことであるが、銀河連合の一機関であるSAIBに未加盟国内での調査権はない。
事故機の所有・運航者は銀河連合加盟国だが、事故現場は未加盟国。これだけでもややこしいのだが、今回の問題は更に特殊である。
「知ってのとおり、カリビアン星系唯一の星系政府はバハム革命評議会だ。だがガンタモステーションは10年前の革命騒ぎの際にユナイテッド・インターナショナル社が武力占領し、現在も実効支配している。これを銀河連合としては容認していない」
つまり事故現場は国際法上認められていない実効支配域、占領地域とも言える場所なわけである。政治・外交上大きな問題となっていることは火を見るより明らかである。
「……事情が複雑なのは理解しました。それで、私たちに話が来るということは何か進展があったのですか」
「うむ。外交交渉により我々が単独で事故調査をすることが認められた。ただし、調査報告書はバハム革命評議会にも提出される。それから現地では武装艦の展開はほぼ許されない。調査船の派遣のみが許可されている」
「単独での調査ですか」
「現地部隊の協力は得られることになっている」
軍事拠点となっているステーションなのでエンジニアや兵士は多くいるだろうが、前線基地の部隊に我々へ助力するだけの余裕がどれ程あるだろうか。
通常の事故調査とは異なる環境にため息を吐きつつ、私は任務を受領したのであった。
ガンタモステーションはステーションと銘打ってこそいるものの、現在では軍事要塞となっている。
カリビアン星系の玄関口として、ゲートの監視と宇宙船のHSJの補助を目的としたステーションだったものが、星系内の革命騒ぎのどさくさで武力占領された後、革命評議会による奪還作戦に備えて要塞化され、多数の防御装甲と要塞砲、電波兵器が追加されている。周辺宙域には革命評議会の設置した機雷や監視衛星、無人砲台等があり、一応停戦状態にこそあるものの、許可なく周辺宙域に接近する艦艇があれば問答無用で撃沈される可能性もある非常に危険な宙域だ。
当然このようなステーションを目指す民間船などあるはずもなく、ユナイテッド・インダストリー社が確保しているゲートとステーションを結ぶ僅かな宙域は、同社の運航する貨物艦以外航宙することはない。
現地に向かう途中、私たちは乗船する調査船をスキャンするいくつもの監視衛星からであろう電波(高度なジャミングにより発信源の逆探知ができない)や、レーダー画面に表示される不自然な空間(恐らく機雷原かそれの欺瞞宙域)に遭遇し、ある大きな仮説が脳裏をよぎる。
(誤射や触雷もありうるか)
ただの貨物船が軍事衛星からの攻撃を受けたり機雷に触雷すれば、たとえ軽微なものであろうと航宙に重大な影響をきたすことは間違いない。
もちろん機雷や無人衛星は停戦合意により決められた宙域へ侵入しないことになっているが、事故や劣化で所定の宙域から外れることは十分あり、その線の検討も必要だろう。
事故以外の可能性を検討することをその場でデバイスにメモし、私たちはガンタモステーションを目指した。
ガンタモステーションに到着した私たちは司令官に挨拶をし、連れてきた調査員と現地の協力員を集めて早速事故調査のための打ち合わせを始めた。
「よし、まあともかくいつもどおり始めよう。スキャニングと部品の捜索、回収だ。ゲートからステーションまでの宙域に脱落している部品がないかの確認と、ステーション衝突時の散乱した部品の徹底的な回収をしてくれ。
コジャックはスキャニングを頼む。私は事故機の部品の確認をする」
「了解」
こまごまとした注意点などの確認をし、解散すると技術者や協力員はそれぞれの持ち場へと移動していく。
しばらくすると調査船から射出された無人スキャナー機が現場周辺のスキャンを終え、戻ってきた。集約したスキャンデータをもとに作成した事故状況図を小会議室のモニターに表示すると、ガンタモステーションの衝突地点を中心に放射状に部品が散乱していることが分かる。
「機首部分がここ、エンジンカーゴがここ、尾部がここ。……衝突した衝撃で散らばったものだな。衝突前の崩壊ではなさそうだ」
「ええ、今のところゲートからステーションまでの宙域で、事故機の破片や目立ったデブリなどは見つかっていません」
「つまり、ミサイル等による外部からの撃沈という可能性は低いということだな。……まだ確定とまではできないが、恐らく事故の種類は撃沈ではなく衝突だろうな」
事故状況図から衝突地点であるガンタモステーション周辺以外に事故機の破片がなく、また機雷やミサイル等の残骸も見つからなかったことから、誤射や触雷といった可能性はほぼ無くなった。そうなると純粋に衝突事故ということになるが、今度は衝突の原因を調べなければならない。
「衝突までの経緯を調べよう。衝突の直接的原因が分かるはずだ。ブラックボックスは?」
「FDR、CVR共に発見できましたが、衝突の衝撃でかなり歪んでいました。本庁のラボに送るところです」
「そうか。頼んだ」
ブラックボックスと称されるFDR、CVRは航宙記録とコックピット内の音声を記録したもので、事故調査の要となる部品である。整備や点検に使用されることもあるものの、もともとの搭載理由が事故調査であるため、強力な衝撃、放射線、高温などから中のデータが守られるようかなり頑丈な設計となっている。
今回の場合も、復元に時間はかかるかもしれないが中のデータは守られているだろう。
「では他の調査からしていこう。まずは聞き込みだな」
ガンタモステーションの管制は軍が行っているため、管制官もユナイテッド・インダストリー社所属の軍人であった。司令官から協力するよう通達があったのか、業務時間中に時間を作ってもらえ、話を聞くことができた。
「事故機との交信について教えてください」
「はい。事故機であるユナイテッド・インダストリー080便からはHSJ完了後、こちらのレーダーでも機影が確認できて直ぐに交信がありました。入港申請の交信です。こちらからは入港の許可とゲート周辺の侵入不可宙域に関する注意を伝えました」
「そのとき事故機におかしな様子はありませんでしたか」
「特にありませんでした。ただ……」
管制官はそこまで言うと口ごもり、記憶を思い起こすように数秒目を閉じた。その後何かを思い出したのか、再び口を開く。
「……そういえば、事故機はシャスール・コースを入港コースとして希望していました。珍しいコースなので再確認しましたので、覚えています」
「シャスール・コースですか」
宇宙港はその種類や周辺宙域の状態により様々な入港コースが存在する。機長はどの入港コースを使用するか選択する権限を持ち、管制官は状況説明とアドバイスはできてもコースの選択を拒否することはできない。
通常の貨客船であれば、機長は最も安全性が重視されたコースが選択することが多いが、宙域の気象状況や宇宙船の状態などにより他のコースを選択することもある。
今回管制官が言ったシャスール・コースは、ゲートからガンタモステーションに向かう最短コースとなっている。ただし、コースのすぐ近くに機雷原やデブリベルトなどの進入不可宙域があり、航宙には細心の注意が必要とされるコースでもある。
「その後事故機との交信は」
「コース進入後、何回か交信しています。どれも所在宙域についての報告とステーションの状況確認についてでした。ステーションは直近の発着機がなかったため、いつでも問題ないと伝えました」
「事故機は機体や宙域について問題を訴えていましたか」
「いいえ、そういった問題は何も訴えていませんでした」
管制官は衝突直前まで事故機との交信で問題は確認できなかったと言い、これか交信を記録したデータチップも渡してくれた。私たちは彼女に礼を言い、調査本部へと戻った。
一度調査本部に戻った私は、管制塔と事故機の交信データと管制官の証言の整理をコジャックに任せると、今度は事故機の衝突時の目撃者を求めてガンタモステーション内の人への聞き込みを開始した。
このステーションには周辺宙域を含め多数の監視設備があり、基地司令にそれらの閲覧を申請しているものの、それらは軍事機密であるため事故調査に供される可能性は低いだろう。そのため結局事故機の衝突前の状態は肉眼とその記憶に頼ることとなる。
聞き込みを進めていくと、事故機の入港直前にステーションの訓練設備において整備兵部隊の船外作業訓練が行われており、彼らが事故機の衝突の瞬間を目撃していたことが判明した。
「衝突前の事故機で、何かおかしな点はありませんでしたか」
私の問いかけに整備兵の隊員たちはお互い顔を見合わせると、その中の下士官が話を始めた。
「私たちは事故機がくるまで訓練をしていましたが、事故機がやってくるのを見て手を止めました。こちらのコースを飛ぶのはほとんどパトロール部隊なのですが、その時間にパトロール部隊が飛ぶとは聞いていなかったからです」
「民間機や輸送艦はあまり飛ばない宙域なのですか」
「私はほとんど見たことがありません。中型艦以上の宇宙船が航宙するには向かないコースだと聞いたことがあります。ただ、よくよく観察すれば定期便の輸送艦だと分かりましたので、すぐに訓練を再開しました。ところが暫くしてこいつが騒ぎはじめましてね」
下士官が隣にいた部下の肩を小突くと、彼は苦笑を浮かべながら話を引き継いだ。
「最初は俺も曹長と同じように、なんでこんなところに、と思いながら見ていたんですがね、どうにも普段パトロール隊が飛んでいるときとは様子がおかしい気がして見続けていたんですよ。もちろんパトロール部隊の戦闘艇と同じ機動をするわけではないですけど、それにしても入港するにしてもなんかおかしな気がしたんですよ」
彼の話によると、通常とられているステーションの侵入口に合わせるための進路の変更がされておらず、速度も速く見えたという。
「目視で分かるものなんですか」
「入港コースかどうかだけですがね。この訓練施設は入港コースの結構近くにあるんですよ。だから入港コースをとっている宇宙船をかなり接近した状態で見る事ができるんです」
「つまり、事故機はここから、即ち入港コースから離れた位置にいたということですか」
大気が無く、遠近感を測る基準となるものの乏しい(星々は大きさも距離も桁外れなため、目視測距の基準にできない)宇宙空間では目視で距離を測ることは難しいが、それでも対象物が一定の距離の範囲内にいるかどうか程度であれば目視でも確認することができる。
整備士たちは事故機の位置は分からなかったが、それが入港コースより遠くにいるということは分かったということだ。私は彼らの話に頷いてメモを取り、話の続きを促した。
「その後あのあたり、そう、宙図で言えばたぶんこのあたりですね。旋回を始めてました。速度のせいか弧が大き目だったんで、結構ハラハラして見ていたんです。で、最後にステーションで結構大きな爆発光が起きたので曹長に報告しました」
現代の宇宙船は重力波エンジンの指向性を変更することでその進路を変更している。指向性を右側にすれば機首は左側に傾き、指向性を左側にすれば機首は右側を向くといった具合だ。ただし慣性が働くため、宇宙船の速度がゼロでない限り進路を急に変更する事はできない。そのため、進路の変更を素早く行うためには予め減速するか、あるいは進路変更に当たり重力波エンジンの推力をより強力にする他はない。
前者の場合は事前の減速が必要であり、後者の場合は推力が増すために速度は増加するというデメリットがある。
今回の整備員の話が正しいのであれば、事故機は後者の方法で急激な進路変更を行ったということになるだろう。
「役に立てましたか」
「ええ、大変参考になりました。お忙しい中どうもありがとう」
整備員たちに礼を言い、私は調査本部に向かう途中で彼らの話について思索を巡らした。不可解な疑問が浮かんだからだ。
「入港直前に推進力を増した……。そんなことがあるのか?」
調査本部に戻りコジャックお互いの情報を共有しつつ気になる点を纏めていたところ、本庁のラボから修復とデータの復元が完了したFDRとCVRが送られてきたので早速データの解析を始めることになった。これまで集められた証言などから得られた疑問点の回答を含め、これらのデータには事故原因の調査に当たって最も重要な情報が残っているはずである。
「まずはFDRを見てみよう」
事故機のFDRには事故直前の航宙データのみならず、過去数か月分のデータが記録されているためとりあえず最後の航宙データについて分析することにする。
調査室のモニターに時系列でグラフ化された事故機の各種データが映し出され、それを今回の航宙ルートの出発港から衝突の瞬間まで順に確認するのだ。
「出航から最後のHSJまでは特に問題ありませんでしたね」
「ああ、船体にも、パイロットたちの操船にも問題は見られないな」
カリビアン星系へのHSJ終了後まで以上がないことを確認し、分析を続ける。
最後の衝突の瞬間までFDRには機体の故障や異常といったような数値の変化は記録されていなかった。宇宙船は正常に航宙していたのだ。
ただし、航宙自体は正常とはいえるものではなかった。入港コースの最終段階において速度超過を知らせる警報が鳴っているものの、パイロット側はこれに対して適切な対処をとっていなかった。警報が続く中加速を続け、最後の最後、衝突の直前になって初めて気づいたとでもいうように減速を始めたものの、当然間に合わずステーションに衝突していた。
衝突の原因は明らかであった。
「警報、操縦装置、電気系統、エネルギー炉、重力波エンジン全てに異常はありません。外部的破壊も、故障も起こっていません」
「ただの入港時の速度超過が原因だと。そんな初歩的ミスを犯したのか、彼らが」
驚愕の事実に慌てて事故機のクルーの履歴資料を表示する。
機長は2万時間、副機長と機関士も1万時間以上の経験を持つベテランで、事故経験や懲戒歴も特にない模範的で経験豊富なクルー達だ。直近の技術検査も問題なくパスしており、とてもそんあ初歩的ミスを犯すようには思えない。万が一機長がミスをしたとしても、副機長がリカバリーするだろう。
「どういうことだ。とても信じられん」
「とりあえず、速度超過の原因を調べましょう。減速しなかった理由があるはずです」
「そうだな……そうしよう」
コジャックに促され、FDRの速度記録と航宙位置記録を見ながら入港コースにける減速地点を航宙時のデータまで巻き戻して確認する。
入港時の速度ミスを起こす宇宙船(新人クルーでよく見受けられる)の大半と同様に、事故機は速度を落とす宙域に差し掛かってもエンジンの出力を絞らず、減速もしていない。
「チャートを見せてくれ。……ここが減速地点。そしてここが進路変更地点か」
「減速していませんし、……進路変更も遅いですね。エンジンの指向性変更時間はチャートに記載された時間より2分ほど遅いです」
チャートとは宇宙港の周辺宙域の留意点と入港コースについて纏められたデータで、クルーは出入港する宇宙港についてのチャートを事前に読み込むこととなっている。宇宙船にも主要宇宙港と自身の航路沿いの宇宙港についてはチャートデータが搭載されているため、いつでも確認は可能である。
「減速せず、進路変更も遅れた結果、指向性変更時のエンジン出力を上げることで対処しようとしたようだな。……ギリギリだが、入港コースに復帰できる航路にはなっている」
「ですが速度が速すぎます。ガス噴射を最大にしたとしてもどうにかできる速度ではありません。入港は不可能です」
「そうだな。速度超過の警報も進路変更中に鳴り出している。だが、ゴー・アラウンドはできたはずだ」
ゴー・アラウンドとは入港を目指して航宙中の宇宙船が何らかの事情により入港できなくなった場合に、入港コースから外れて宇宙港を通り過ぎ、もう一度入港をやり直す航宙を言う。入港許可と異なり管制塔の許可は不要で、機長の判断で自由に行えることになっている。
事故機の状況を考えれば安全な入港は絶望的であり、経験豊富なパイロットであればまず間違いなくゴー・アラウンドを選ぶのが自然だ。
「だが何らかの理由で機長はゴー・アラウンドを選択しなかった。警報は無視され、機長は入港コースの航路に戻すことを最優先にして加速を続けている」
「減速を始めたのは……航路が戻せた後、このタイミングですね」
「衝突15秒前か。絶望的だな」
原因は判明した。パイロット・エラーだ。しかしこの原因こそが不可解であった。
「パイロット・エラー、ですか」
「航宙時間2万時間だぞ。副機長も、機関士までベテランぞろいだ。こんな初歩的なミスを全員で犯すなど、普通ではない」
「普通ではない状態にあった、ということでしょうか」
「調べよう。CVRを聞けば何か分かるかもしれない」
原因を調べるべく、私たちは今度はCVRの復元データの、特にミスを犯した時点に着目して分析を始めた。
コックピット内の音声、棺桶にいる人物たちの最後の会話とコックピット内の機材の発する無機質な音がスピーカーから再生される。
『……ふう、聞きしに勝る、なかなか難しいルートだったな』
『監視衛星も機雷原も、目視では全く見えませんでしたね』
『まったくだ。チャートと睨めっこでこんなにグネグネするなんぞもう二度とごめんだ。……次で最後の進路変更だったな。場所はどこだ』
『えーと……左前方に青色点滅灯を確認できた時点で減速を開始し、推力を35に。その後、ポイント5-3-2で機首方位0-45に変更』
『了解。青色点滅灯か』
コックピット内では入港コースの難所を超えたクルー達が穏やかに話し合っているようだ。操縦を担当する機長とチャートを確認する副機長で役割分担しているらしく、問題は見られない。しかし暫く後、不穏な様子が聞こえだしてきた。
『青色点滅灯とはどういったものだ』
『衛星の一つらしいです。そこに誘導目的の青色点滅灯が付いているとか』
『……見えるか?』
『あれではないですか』
『どれだ』
『あれですよ、あれ』
『あれはその先の恒星だろう。点滅していないじゃないか』
『いえ、あれですよ』
チャートにのる青色点滅灯が確認できないらしく、機長は副機長、機関士までをも巻き込んで青色点滅灯を探し出し始めたのだ。彼らが青色点滅灯を探している間も宇宙船は一定の速度で航宙し、チャートに記載された減速ポイントどころか進路変更のポイントをも通過してしまう。
その後青色点滅灯の捜索を諦めた機長は操縦に戻り、進路変更ポイントを通過してしまったことに気づいた彼は入港コースの航路に宇宙船を戻すためエンジン指向性の変更後に加速。彼は航路への復帰を優先し、速度超過の警報が鳴りだしてもそれに気付かないかのように航路復帰に注力し続けていた。
その後はFDRのデータどおり、減速が間に合わずにステーションへ衝突である。
「やはり、あまりに不自然だ。
1つ目に、青色点滅灯の捜索にクルー全員が集中し、操縦や計器の監視を疎かにしている点。
2つ目に、入港コースにいるにもかかわらず航路への復帰のみにとらわれて速度への注意を全くしていない点。
3つ目に、機長の致命的な判断ミスにもかかわらず副機長も機関士も何も注意していない、或いはミスに気づいていない点だ」
「とても信じられません。……判断能力が低下する何らかの要因があったということですか」
「おそらく。そうでなければ説明がつかない」
機長だけではなく、コックピットクルー全員に判断能力が低下していた何らかの事情がある。
そう考えた私とコジャックは事故機の空調フィルタの検査に加え、機長たちの直前の食事、解剖結果のアルコール・薬物反応欄、更には生活リズムの確認を含めおよそ判断能力に関係しそうな全てのデータを搔き集め、分析することにした。
当たり前だが空調に問題はなく、そして模範的なプロらしく食事やアルコール、薬物反応にも問題はなかった。
唯一見つかった問題は生活リズム。特に睡眠時間だった。それも、クルー全員に問題があった。
「睡眠時間が短いな。機長の最後の睡眠は23時間前。副機長も19時間前だ。日毎の睡眠時間もバラバラで、優良な睡眠はとれていなそうだ」
「交代要員のいない長距離航宙が多いですね。事故当日の航宙も、ほとんど休みなしで宇宙港から宇宙港へ飛んでいます」
「これは……航宙に向けた安全な心身の状態とはとても言えないな」
彼らは会社の要求する過剰な貨物ノルマにより長時間の業務時間に拘束されることが多く、その生活リズムは非常に不規則なものとなっていた。医師に所見を求めてみれば、パイロットの体内時計が完全に狂っていた可能性も高いという。
30日換算での休暇日数は法定条件と合致しているものの、安全とは全く言えない。
「短い睡眠時間に、肉体的・精神的な疲労、そして体内時計の乱れ。どれも思考・判断能力に悪影響を及ぼす状態といえるな」
「機長らのパイロット・エラーである1つの問題への過剰な執着、複数の問題への対応力の悪化、状況判断力の悪化、そして機長の行動の正誤性への無関心化。どれも説明がつきますね」
更にCVRの音声を分析していったところ、全てのクルーが事故前12時間の航宙中に平均以上の回数の欠伸をしていること、肩や首を回す動作を頻繁にしていること、疲労や睡眠についての話題を何度も上げていることなども確認され、クルー達が疲労状態にあったことはほぼ確実と判断された。
では、なぜ経験豊富なクルー達は自己の万全とは程遠い状態で航宙に臨んだのだろうか。
私とコジャックは手分けしてユナイテッド・インターナショナル社の航宙貨物部門に取材し、匿名を条件に多数の回答を得ることに成功した。
・航宙貨物業界は参入のハードルが低いこともあり、競争が激しいこと
・旅客輸送と比べてライセンスが取得しやすいこともあり、貨物ライセンスを有するパイロットは旅客部門と比べて会社の命令を拒否しづらい環境にあること
・基本給は安く、貨物輸送量に応じた歩合給の割合が高いため、パイロット側も無理をしやすいこと
「どれも安全重視とはなりづらい環境要因だな」
「ええ。パイロットには替えがあり、会社側は合理化の圧力をかけ、給与という形で従順性に対する飴も用意されています」
「安全意識は利益には繋がらない、か」
事故の原因も、その背景も明らかとなったことで私は調査報告書を纏めることとした。
この事故の直接的原因はあまりにも単純なものであったが、その背景は根深く、巨大であり、一朝一夕には解決できないものであろう。それでも、事故という最悪の形で問題が表面化した以上、その改善は必須であった。
調査報告書
「ユナイテッド・インターナショナル080便衝突事故に関する報告」
事故機は長時間の航宙と不規則な生活リズムにより判断力の低下したクルーによる、入港時の速度超過ミスである。
ただし、パイロット・エラーについては業務体質に依拠する比重が多いものと推定される。
我々は以下の点の改善を強く推奨する
1.長距離航宙におけるコックピットクルーの交代人員の義務化
2.コックピットクルーに対する、航宙前の睡眠時間制限の義務化
3.クルー・マネジメントの強化
SAIB主任調査官 アラキ・フミヒト
題材:アメリカン・インターナショナル航空808便墜落事故
感想、誤字脱字報告などいただけると大変うれしいです