記したい愛は空に
新年を迎えて数日経ったある夜。
「まだ飲めるよな?!」
なんて同僚に連れ込まれた二軒目を出る頃には、結晶がゆっくりと舞っていた。今年は近年稀に見る積雪シーズンだと夕方のニュースで聞いた気がする。
俺を連れ込んだ本人はと言うと、眉毛に雪を乗せながら背中で顔を赤くして潰れていた。
やれやれ、と思う気持ちがありながらも学生の頃から唯一繋がってる友人。それも二年ぶりに会ったら話す事も尽きず、それと比例するようにお酒が入るのは仕方が無い。
「おい、起きろ」
背中から小さく、「んあ......」と聞こえ、この気温のせいでしっかりと覚めたのだろう。無事に起きた後、また後日会う約束をして自分の足でタクシーに乗り込んで行った。
一人になった途端に込み上げて来るのは寂しさ。
この街を歩くのは何度目だろうか。長い間、と言ってもたった二十数年、生きて見て来たはずでも何も分かって居ないのだろう。
そんな少しだけ等身大からはみ出た頭の中も、すれ違う若者によって元に戻された。
未成年で背伸びした少年達に若い頃の自分を重ねては、あの頃すれ違った大人が今の自分と重なる。
僅かに残された木の葉が雪化粧をして、気がつけば雫を落とす温かさが訪れる。
そうやって皆が、生きているんだ。
人の賑わいを置いて着いた場所は、子供の頃に何度も遊んだ思い出のある小さな公園。
冷たい温もりしかない真ん中で斜め上を見上げる。
最後に来た時はキャンパスの色も、それを彩っていた色も違った。
時折この時代に嫌気がさして、自分も他人も何も、分からなくなる事がある。見失って何度も探し出した未来が希望だと信じて生きてる中で、何が絶望なのだろうか。
捨ててきた過去の日々も無駄では無いし、記憶の中に残っている。
思い出に過去に記憶。
どれも心の何処かにしまい込んだ自分自身。
それと、この公園で浮かんだのはもう一人。
......どうやら今更に酔いが回ってきたらしい。
冬に寄りかかった代償に背中に感じた冷たさは、時期に酔いを覚ましてくれるだろう。
「こんな所で何して〜んの?」
......おかしい。
酔いが覚めて来るどころか酷くなってきたのかもしれない、幻聴が聞こえて来るなんて。寒さで逆にね......ってある訳が無いだろう。
だが聞こえたのが現実だと言うのは、もっと有り得ない事だと分かってるから尚更おかしい。
「おーい......こんなとこで寝たら風邪ひくよ?」
再度聞こえた声に重たい瞼を開けた。
「......は?」
「は?って......酷くない?」
視認した情報が頭の処理に追い付かない。
「いや......優衣......は?」
「分かったってば...埋もれて何してんの?」
その、「何してんの?」はこっちのセリフなんだけど、と口からは出ず心の中で思いながら何度も瞬きを繰り返した。
「はい、掴まって?」
伸ばされた手を躊躇しながら掴み、細い腕で引っ張り起こされる。
笑いながら背中側に着いた雪を払い落とされ、再度目の前にはあの頃より少し大人になった顔。
立っていたのは幼なじみの優衣だった。
「......なんか喋ってよ」
「あぁ......わりぃ......いや、なんでいんの?」
「なんでって言われても......年末年始だから?」
確かに人は年に何度か地元に帰ってくるもので、節目には多くの人々が帰郷する。
優衣とは高校卒業してから数年、一度たりとも帰ってくると連絡が来た事も姿を見かけた事も無かった。
「......一言ぐらい連絡しろよ」
「いやー携帯海に落としちゃってさ......別で繋がってないこっちの友達の連絡先とか全く無くて」
そんな少し抜けてる所も、知ってるあの頃の優衣みたいでどこか安心してしまう。
「それで......こんな所で酔いつぶれてたと」
「別に何も......」
「そっちの方が怖いよ?」
酔い潰れてた訳でも無いが、何も無いのに雪に埋もれている方が怖いのも確かだ。
優衣が手に持った袋の中から見え隠れしてる物で、次に言われる事を期待してるのは、自分があの頃と変わっていないから。
「ねぇ......今実家暮し?」
「いや部屋借りてるけど......」
「じゃあ......今から行ってもいい?」
そう言いながら袋を持ち上げた優衣を見て、自分を蔑んだ気持ちと高揚する気持ち。
最低でずるい、なんて言われても仕方ない。
それだけ優衣という存在が大きく、心から、記憶から消す事が出来ていなかったからだろう。
*
「......ここ」
いざ自分の部屋に戻ってきて、扉を開けようとする手が止まってしまう。
「寒いから早く〜」
重たい袋で背中をどつかれ、白い息を吐き出し意を決して扉を開けて中へと招き入れた。
「......あれ?」
そう呟いた優衣の視線の先には女物の靴が並んでいて、自然と上目遣いになった瞳で見つめてくる。
「帰った方......良いよね?」
引き返そうと扉から離した手を掴んで、一言だけ言い放った最低な言葉。
「明日まで......帰って来ないからさ......」
「じゃあ......上がっちゃおっ......かな......」
結局暫く経ったリビングのテーブル上には、複数本の空き缶と乱雑に開けられたつまみの数々。
「でもずるいよね」
「何が?」
「彼女居るなら最初から断ってよ」
「それはお互い様だろ?」
追い討ちをかけるかのようなアルコールと優衣の話で、既に見失いそうになっていた。
「だって私はちゃんと言ったもん」
「それでも家で二人きりはどうなの?」
「それこの状況で言えるの?」
「悪かったって......」
優衣に彼氏が居る話を聞いて、自分だけが劣勢な位置じゃないと分かると饒舌になるもの。
少しぼやけた視界で時計を見ると、既に日付は変わっていた。
「もういい時間だけど」
「そうだね〜」
「帰んないの?」
「......帰っていいの?」
再開した時の赤さとは違う、紅く染まった頬はいつだって分かりやすい。だからこそあの頃は何も言えなかった。
自分の勘違いで傷つくのが嫌だったから、もしかしたら失うかもしれないと怖かったから。
ただ自己防衛の為に目を伏せたんだ。
「県外に進学するんだ」
優衣がそう告げた唯一忘れられない春。自分の気持ちに素直になれず、応援することでしか自己肯定出来ないから気付かないふりをした。
だから勇気を出して言ったんだ。
「頑張れよ」
って。
優しさに殴られて混乱してるだけかもしれない、だけどまだ終わっちゃいない。その証拠にこうやって優衣にまた会えたんだ。
酔ってるだけで本心は知り得ないけど、この痛みを今日ぐらいは分かち合えるかもしれない。
今のその笑顔はあの日のように幼く、大人と子供の境目すら分からなくなるようだった。
*
「ねぇ......その服とって」
「うん?」
ベッドの下に脱ぎ捨てられた優衣の服を渡すと、それを頭の上から被せられる。
「今ぐらい私だけ考えてよ」
ずるいのはどっちかなんて、今の俺達にはどうでもよかった。ずっと独り占めしたかった愛がここにはある。
「初めて......だから......」
「彼氏とは......?」
小さく首を横に振ったのを見て、誤魔化せない喜びに絡み合った指に力が入る。さっきまで着ていたワイシャツを、いつの間にか優衣が握り締めながら口元に当てていた。
狭くなった世界にたった二人だけで、空に愛を記して残しておきたいのは忘れない為。
知りたかった痛みの為に最低になったのは、愛も許してくれたりはしないだろうか。
......刻まれた傷に染みるんだ。
翌朝。
身体の重さで目が覚め、そういえば酒を......なんて考えていた。部屋は凍える程の寒さだが、肌の温もりを全身で感じ取った時に蘇ってしまう昨夜の事。
「はぁ......」
ため息はその重さと温もりの原因に降りかかり、動いたせいでどうやらお目覚めのようだ。
「ん......ん?......そっか......さむ」
なんてこっちを見て独り言を喋りながら、もう一度布団に入り込み力強く抱き締められる。安易に一言で表すなら、幸せ、が似合うんだろうが果たして合っているのだろうか。
正確に言うならば、限られた一時の幸せ。お互い分かっていて今この現状なのだから、罪滅ぼしも出来ない程溺れきっている。
なんとなく携帯に手を伸ばし電源を付け、表示された時刻を見て飛び起きた。
「わっ......どしたの?」
「そろそろ時間やばいかも」
「あ......私も予定あるんだった」
そんな束の間の幸せは鳥の声と共に羽ばたき、痕跡も残さないよう細心の注意を払って後片付けを済ませる。
「じゃあ......行くね?」
「昨日のはさ──」
「お互いに、忘れた方がいいんじゃない?」
忘れる、そう言って忘れられるなら、昨日もあんな事にならなかったんじゃないのか。だけどそれを言ったら本当に終わってしまいそうで、拳を握ってしまう。
「優衣......」
「......さよなら」
閉められた扉の前でただ立ち尽くし、最後に見えた優衣の涙が残って消えてくれない。
本当に何も残っていない元の部屋と化した部屋で、携帯だけを持って座り込む。連絡先も交換してないし、今までの同窓会でも見た事が無かったからもう会う事は無いのだろう。
後で片すから、とベッドに残しておいた昨日のワイシャツに手を伸ばしていいのだろうか。きっと、いや絶対、忘れられないのは変わらないのにこんなに躊躇してしまうんだ。
またね、でも、ばいばい、でもない。さよなら、は言う方が辛い、のは......そうなんだろう。
突然鳴った通知音で戻された現実。
『こっち来てる友達連れてもうすぐ帰るから』
悩んでる時間は無く、なんの意味も無い罪滅ぼしでワイシャツをそのまま洗濯機に投げ入れる。
記憶を消す事が出来るなら楽なのに、そんな歌詞が今ならよく分かる気がした。
チャイムが鳴って玄関へ向かうと、彼女が沢山の荷物を持ってきたらしく押し付けられる。
「どうしたの? 早く入りなよ!」
彼女にそう言われた友達が、遠慮がちに顔を覗かせた。疑ったのは自分だけで罪悪感が襲う。
そんな罪悪感も一瞬で、この鼓動を抑える術を誰かが教えてくれるなら今すぐに教えて欲しい。窮屈な世界でも空はそこにあって、忘れる事なんて出来なかった。
「高校別だったんだけどすごい仲良くてさ! 高卒で県外に出て今年久々に帰ってきたんだって!」
喋るだけ喋って彼女は自分の部屋に消えていく。
まさかこんな巡り合わせがあったなんて。
意地悪......いや。
残酷だよ。
「優衣......」
「もう戻れないよ?」
「逆にいいの?」
答えは靴を脱いで上がる時、互いに微笑んで掴んだ手。
「愛していいんだよ」
そんな言葉が大きな空から聞こえた気がした。




