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 ◇


「ソマリ、そろそろ帰ろう」


 薬草探しに夢中になっていたソマリの背に、柔らかな声がかかった。

 ノアだ。

 ソマリははっとして顔をあげる。

 気づけば、日はだいぶ傾いていた。


「ノア、ごめんなさい。 迎えに来てくれたの?」

 

 いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう。

 季節柄、欲しかった薬草があちこちに育っていて、それらを追い求めるあまり、時間にまで気が回らなかった。

 ソマリは慌てて立ちあがると、ノアのもとに駆け寄る。

 ノアは、そんなソマリを見下ろして微笑んだ。


「お目当てのものは見つかった?」


 手を握られながら、ソマリは笑顔で頷く。


「うん、今日は大量だったよ。 ほら見て。 スイレンがこんなに咲いてた」

「それは良かった」


 籠いっぱいの薬草を見やって、ノアが両目をやさしく細める。


「でも、もう少し早く帰っておいでよ。 心配した」


 そう付け足すように囁かれて、ソマリは狼狽える。

 平気そう見えるけれど、彼はまだきっと、不安でいっぱいに違いなかった。


「ごめんね、ノア」

「そう思ってるなら、次は早く戻ってね」

「うん」

「貸して。 持つよ」


 ノアがソマリから籠を受け取り、ふたりは並んで帰路に就いた。

 ノアが村にやってきて、一年と少しが経過していた。

 彼の記憶は未だ、戻っていないーー。




 あれからもずっと、ソマリ達はノアの素性探しを続けていた。

 隣村や街に足繫く通い、ノアを知る者がいないか尋ねて回り、そうして、その度に気落ちしていた。そうまでしても、有力な情報をなに一つ得られなかったからだ。


「……やっぱり、山向こうに行ってみた方がいいのかな」


 ノア作の美味しそうな夕食を眺めながら、ソマリが息をつく。

 配膳を終えたノアも向かいに着席し、心許なそうに顔をあげた。


「でも、山向こうって危険だし遠いんだろ? そこまでしなくていいよ。 ソマリにまで何かあったら、それこそ俺は耐えられない」


 ノアは言って、じっとソマリを見つめてくる。


「う、うん」


 この視線が少し苦手で、ソマリはギクシャクと硬直してしまった。

 ノアに見つめられると、ソマリの鼓動は妙に速くなる。落ち着かない気持ちになるのだ。


 ーーノアと知り合い、この一年でわかったこと。それは、彼が慎重派で、器用で、物腰がひどく上品だということだった。

 そう、なんというか彼はとても、シンシテキなのだ。

 言葉遣いや無意識であろう所作の端々からそれが窺い知れて、サーシャの母親などは、〝どこぞのやんごとないご落胤じゃないかね〟なんて勘繰りをしている始末だった。


 確かに、ノアがどこぞのお坊ちゃんだった可能性は高い、とソマリも思ったことはある。

 彼を拾った当初もそんな推理をしていたし、日焼けの少ない綺麗で滑らかな肌や細い指先は、労働階級でない男性のそれだと街の人間に指摘されたこともあったからだ。(ソマリの畑を手伝うようになった今は、それほどでもなくなってしまったけれど)

 いつも穏やかな雰囲気を放ち、ソマリの荷物を率先して持ってくれるノアはどうしたって、シンシっぽさが抜けないのだった。


 そうしてソマリは、そんなノアに骨抜きになっている。

 寂しそうな瞳で見つめられると、胸の奥が燻り、手を差し伸べずにはいられないのだ。

 母性本能、という奴だろうか。


 ソマリは彩り豊かなサラダを引き寄せる。


「あの、でもね、ノア。 ノアのこと知ってる人、山向こうにならいるかも知れないし、一度行ってみるのはいいと思うんだよ。 知り合いに会えたら、なにか思い出せるかもしれないし。 どうかな」

「ソマリはさ」


 ノアがふと、困ったように笑った。

 

「やっぱり俺に、記憶を思い出して欲しい?」

「え?」


 まさかそんなことを聞かれるだなんて思いもしなくて、一瞬、きょとんとしてしまう。


「あ、当たり前だよ。 ノアだって思い出したいでしょ? 自分のこととか、家族のこととか」

「ん」


 ノアはよく似合うようになったエプロンを外しながら、重そうな口を開いた。


「俺は正直……最近はこのままでもいいかなって思ってる。 ここまでしてくれたソマリ達には悪いけど」

「……どうして?」

「ソマリといられたら、それだけで楽しいから、かな」

「ノア……」


 嬉しいことを言ってくれる、と思う反面、ソマリはそれを素直に喜ぶことが出来なかった。


「……でも、ノアの本当の家族は今でもきっと心配してるよ」

「ソマリだって、俺の本当の家族だよ」


 穏やかに言われて、ソマリは口ごもる。

 この一年で、ソマリの生活には大きな大きな変化が訪れていた。その最たるものがノアとの結婚だった。



 数ヶ月前のことだ。彼から突然求婚されたのは。

 その夜のことは、今でもはっきりと覚えている。


 ーーずっとソマリと一緒にいたい 

 

 最初は、命の恩人だからノアは自分を信用してくれているのだと思っていた。けれど、一緒に協力して過ごすうち、ノアはソマリに惹かれてくれたらしい。

 一緒にいると楽しいと、彼は朗らかに笑ってくれた。

 そうしてソマリもまた、だんだんとノアに好意を寄せるようになっていた。ノアといる時間は楽しくて、穏やかで、ほっとする、彼の笑顔をずっと近くで見ていたいと思う、彼の匂いが好きだと思う――。

 ああ、これが恋なのかな、とソマリはぼんやりと思った。

 サーシャ達も、こんな思いで一緒にいるのかな、と。

 

 当初、ノアの素性が知れないことから、村人からは心配する声もあがっていた。

 この小さな村は、皆の助け合いで成り立っている。

 いくら〝のどかな〟と形容される村の住人でも、得体の知れない住人を受け入れることには抵抗があったのだ。しかしそこは、それまでに培ったノアの人当たりの良さが作用して、なんとか認めてもらうことができた。


 晴れて夫婦となったソマリとノアは、毎日仲睦まじく暮らしている。

 ノアはソマリの畑を手伝いながら、時々、子供たちに読み書きも教えている。ノアは一切の記憶をなくしながらも、日常生活や、食事の仕方、知識などはそのまま有していたのだ。

 その知識の幅広さに、やはり彼はやんごとない身分だったのではないかと勘繰らずにはいられなかったけれどーー。



 ソマリは、ゆっくりと流れるノアとの日々に幸せを感じている。

 けれどやはりそこにはいつだって影のように不安が付き纏っていた。 

 ノアが記憶を取り戻した時、果たして彼はここに留まってくれるのだろうかと。


 そんなソマリの思考を読み取ったかのように、ノアが言った。


「記憶があってもなくても、俺はずっとソマリといるよ。 約束する」

「ノア」

「……過去とか家族のこと、気にならないって言ったら嘘になる。 けど、ソマリやこの村が好きなのは本当だから」

「うん」


 そうだ、ノアを信じよう。

 ソマリはノアに微笑みを返す。


「わかった。 でも、ノアのこと聞いて回るくらいはいいでしょう?」

「危険がないならね」

「そんなのないない」


 ふたりはそれから笑い合って、いつも通りの夕食を終えた。

 大きな影が、ついそこまで近づいていることにも気づけないまま。

 

 

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