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「聞いたぜソマリ。 良い男拾ったんだって?」
にやにや顔のトーヤに話しかけられ、ソマリは思わず睨み返した。
ソマリが青年を拾った話は、その日のうちに村中に知れ渡っていた。小さなこの村では、隠し事をしようなんて方が土台無理な話なのだ。
「もう、笑い事じゃないんだってば。 どいてよ、急いでるんだから」
「どこ行くんだよ」
「サーシャの家。 おばさんに人探し手伝ってもらうんだ」
「人探し? なんで?」
「拾ったお兄さんね、自分のことなんにも覚えてないんだって」
「はあ? なんだよそれ」
喧しいトーヤに事の成り行きを説明しながら、ソマリはサーシャへの家を目指した。
噂の青年は、今もソマリの家で休んでいる。
昨日は村の男性に手伝ってもらい、森から一番近くのソマリの家に運び込んだけれど、記憶がないという彼を、これからどうしたらいいのか分からなかった。だからソマリは、知り合いの多いサーシャの母親に助けを頼もうと思ったのだ。
ソマリから話を聞いたサーシャの母親は、よし分かったとすぐに頷いてくれた。
「とりあえず村の連中に聞いてみようかね。 それから隣村にも報せを出してあげよう」
「ありがとうおばさん! すごく助かる」
「なあに、困ったときはお互い様だよ。 ところでソマリ、その男えらく男前だって言うじゃないか。 私にも会わせとくれよ」
「もちろんだよ。 おばさんの知り合いかもしれないしね」
そうしてサーシャとサーシャの母親、それからトーヤも一緒にソマリの家に戻って、青年と対面してみた。けれど残念ながら、その中に顔見知りはいなかった。
さらにそれから数日をかけて、村の人や、隣村の住民にも尋ねてみたけれど、やはり答えは同じだった。
――青年の素性探しは、早速難航してしまったのだった。
「すみません……」
夕餉を運んできたソマリに、青年はまたしても頭を下げた。
ベッドの上で半身を起こしたまま、申し訳なさそうに項垂れている。
「ソマリさんには、一番ご迷惑をおかけしていますよね」
刃物で切り付けられたような青年の怪我は思ったよりも深く、その為か熱も中々おさまらなかった。
加えて、足の骨にもヒビが入っていた。青年は歩くことさえままならず、あれからずっとソマリの家に泊まり続けている。
「そんな、気にしないでください」
ソマリはその間、サーシャの家にお邪魔していた。
青年はソマリの家を占領していること、ソマリに身の回りの世話をさせてしまっていることを日に何度も謝ってきた。彼の方が、身体も心も辛いだろうに。
「困ったときはお互い様ですよ」
ソマリはサーシャの母親の言葉を借りて、安心させるように微笑んだ。
しかし青年はまた、「すみません」と謝ってくる。
「切れ切れに……何かから逃げていたような、断片的な記憶はあるのですが……夢の記憶みたいに曖昧でつかみどころか無くて……どうしても思い出せないんです」
「なるほど。 逃げていたんですね」
何からだろう。とソマリは考えて、あの森の奥は、深い山に繋がっていることを思い出した。
「……お兄さんは、山向こうから来たのかもしれませんね」
「山向こう、ですか?」
青年が、瞬きをする。
「はい。 険しくて中々大変な道ですが、山向こうにも確か街があるはずです。 お兄さん、そこから何かに追われてきたのかも」
「……」
青年は考え込むように眉を寄せた。ソマリは「それと」と続ける。
「ついでに、これはわたしの憶測なんですが……」
「はい」
「たぶんお兄さんって、いいところのご出身じゃないかと思うんです」
「……いいところ?」
はい、とソマリは頷く。
「言葉づかいも丁寧だし、なにより律儀で礼儀正しいし……。(そんな人村にはいないし)。 もしかしたら、都の人なのかもって」
「都の」
訝し気に呟いて、首を傾げる。いまいちピンと来ていない様子だった。推理は外れたらしい。
いい線行っていると思ったんだけどな、とソマリは肩を落とした。
「ごめんなさい、忘れてください。 私も都の人と喋ったことなんてほとんどないから本当に憶測だったんです。 ただ、もしかしたらと思って」
言ってソマリは、夕餉を片付けて立ち上がる。
そうして隣村の医師からもらった薬を彼に差し出した。ソマリたちの村には医師がいない。だから病にかかった時は、隣村から医師に赴いてもらうしかなかった。しかしつきっきりで看病してもらうわけにはいかず、拾ったそのままの成り行きで、ソマリが看病を続けていた。
「ありがとうございます、ソマリさん」
青年は、薬を受け取って柔らかく微笑む。
「あなたがいなかったら、俺はあの世行きでした」
それは比喩でも大げさでもなく、真実だった。
彼を診た医師によると、怪我をして数日は経っていたようで、傷口は膿み、生きていたのが不思議なほどだったそうだ。
ソマリは「いいえ」と首を左右に振る。
「私もお兄さんを助けられてよかったです。 早く良くなるといいですね」
「はい」
青年の笑顔に笑顔で返し、ふたりは微笑みあった。
と、それからソマリは、少し迷いつつ、提案をする。
「あの、お兄さん」
「はい?」
「お兄さん、しばらくここにいるかもしれませんし、その間ずっと“お兄さん”って呼ぶのも変な感じなので、よければその、仮のお名前で呼んでもかまいませんか?」
「仮の名前、ですか」
「はい。 皆にもお兄さんのこと伝えやすくなりますし、本当によければ、なんですけど」
青年は、快く頷いた。
「ええ。もちろん構いませんよ。 ソマリさんたちの呼びやすい名前で結構です」
良かった、とソマリは安堵して、それから青年を“ノア”と呼ぶことにした。それは、この辺りの土地を守護する神ノアイルにあやかったものだった。黒髪と黒目というところが神話通りなので、名を借りることにしたのだ。
ノアと、呼ばれた青年は嬉しそうに笑った。
「ノア……いい名前ですね。 しっくりくる」
「よかった。 私のことも、ソマリでいいですよ」
「……じゃあ、ソマリ。 これからしばらく世話になります」
そうしてふたりは、ノアの素性探しをはじめた。
けれどノアが歩けるようになって、隣村や街まで赴いても、ノアを知る人物に出会うことは出来なかった。一か月が過ぎ、二カ月が過ぎ、半年が過ぎても、ノアの記憶が戻ることはなく、ノアはソマリの畑を手伝いながら、しだいに、村になじんでいったのだった。