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4 贈り物

 祖父が迎えによこした馬車は4頭立ての立派なものだった。

 華美ではなく機能性に富んだ趣の馬車は、長旅に耐えうる作りになっていた。

 落ち着いた濃いチョコレート色の外装に控えめについた金の伯爵家の家紋が美しかった。

 中は四人が座っても余裕のある作りになっており、落ち着いた赤色の椅子にはベルベット、窓には高価なガラスがはめ込まれていて伯爵家の富の一端を垣間見たような気がした。


 馬車には従者と御者、馬丁が一人づつとお付きの護衛の四人が付き添った。

 本来なら荷物用にもう一台馬車が必要なのだろうが、生憎と言おうか幸いと言おうかオルガにはそれほどの荷物がなかったので、伯爵の馬車一台で事足りた。


 従者に手助けしてもらい、オルガは馬車に乗るとエマと向かい合わせに座った。

 普通なら両親か女性の親戚、最悪でもナニーかガヴァネスが同行するものだが、そのどちらもいないオルガは侍女と馬車に同乗するしかなかったからだ。

 とは言っても今更知らない親戚やガヴァネスと長い道中を共にする気はなかったので、この時ばかりは母の無関心に感謝したかった。


 馬車が敷地から出ると、オルガは自分の運命が少し変わるのではないかと期待に胸が弾んだ。

 祖父に会うということもだが、学園に行くまでこの屋敷から出たことがなかったからだ。

『未来が変わるといいな』そんな淡い期待を抱く。

 そのせいかわからないが、中は20歳を超えている大人だということも忘れ、7歳の子供らしく馬車の窓を開け外を眺めていた。


 しばらく外を眺めていると、エマが冷えてきたからと言って窓を閉めた。

 そして、手に持っていたカバンから、白いリボンのかかった青い包装紙に包まれた四角い箱のような物をオルガに差し出した。


「お嬢様、よかったらこれをお受け取りください」


 私は前世でも、今この時でも、人から贈り物をもらったことが皆無と言っていいほどなかった。

 感動と期待に震える手でリボンを外し、包装紙を丁寧にはがすと中から一冊の本のようなものが出てきた。


 それは、美しい装丁に小さな鍵のついた日記帳だった。

 だが、先日侍女になったばかりのエマが買うには高価すぎる品だ。


「マイエ先生と執事のヤコブと私からです。ご病気から全快されたお祝いに。伯爵様のところで書かれたらどうかと……」

「ありがとう......」


 そう言ったきりオルガは言葉に詰まってしまった。

 こんな心のこもった贈り物は初めてだったかもしれない。死ぬ前もその後も。

 生まれてから今まで、人からこんな優しさを受けた記憶がなかった。


「お嬢様?」


 急に黙り込んだオルガに驚いたエマが、どうしていいかわからずに狼狽えている。

 オルガはエマにぎゅっと抱きつき静かに泣いた。



 ◇◇◇



【記憶のこと】


 馬車の中で、エマが唐突に自分の家族の話をしだした。

 不覚にも泣いた私をなだめる為に、子供が興味を持ちそうな話がそれしかなかったからではないかと思ったが、私には興味深い話であった。


 エマの妹が過去の記憶を持っていたというのだ。

 おしゃべりが達者になる3歳ぐらいの時に、エマの妹は、突然『自分はこの家に生まれ育ったハンナだ』と言ったのだ。

 驚いた両親が妹に問いただしても『自分はハンナだ』というばかりで埒があかなかった。

 もしやと思い、近所や親戚にも聞いて回ったがそんな女性は知らないという。

『父はその時、母からだいぶ疑われていたみたいですが』そうエマは、クククっと思い出し笑いをした。


 それから妹は、自分の名前を忘れたかのようにハンナと呼ばなければ返事をしなくなった。

 時折、誰も知らないような昔の話をするようになったのをきっかけに、ほとほと困り果てた両親が教会に連れて行き司祭様に訳を話すと、黙って聞いていた司祭様が分厚い台帳を持ってきたと言う。


 そこには、エマたちの村の信者の名前がずっとずっと昔から書かれているのだと言った。

 司祭様が探すと、エマたちがあの家に住む前の家族の名前が記されており、その中にハンナという名前が確かにあったと教えてくれた。

 それは100年も前の話だということだが、司祭様は『神はお忙しい方なので、たまにこんな手違いをすることもあるのです。いずれ元に戻りますから心配しないように』と言って妹に祝福を与えてくれたそうだ。


 それから程なくして、妹はすっかり元に戻り、自分がハンナだった事もその時の事もきれいさっぱり忘れてしまったようだ。と話してくれた。


 不思議な話であった。

 その話を聞いて私は、自身が時間を遡ると言うありえないことが起きたが、ない話ではないようだと思った。そして、そのことよりも、今の記憶がある日突然なくなる可能性がある事が恐ろしかった。


 あの悪魔のような夫の所業を忘れてしまって、見た目にほだされまた同じ事を繰り返してしまったら。

 一度めは自分の無知とは言え、二度めも同じ轍を踏めば愚かとしか言えなかった。


 それに、復讐するにも計画が必要だ。

 行き当たりばったりでは望むような結果は生まれないだろう。


 エマがくれた日記帳。これは天啓だと思った。

 この先、私が前世の記憶を忘れてしまっても、ここに書いてあることを読んで思い出してくれればいいと思った。

 復讐が成し遂げられなくとも、あの男から逃げることさえできれば。



 ◇◇◇



 祖父の屋敷までは馬車を飛ばせば二日の道のりだったが、子供を連れて、しかも初めての遠出になるオルガのことを考慮して、途中、宿に2泊することになった。


 一泊目は子供とはいえ貴族階級にあたるオルガの為に、下のパブで酔っ払いがたむろしているような安宿ではなく、それなりの宿があらかじめ用意してあった。


 馬丁や従者などの男性陣は、近くにある、酒場がメインのパブが併設された宿がいいとそちらに移っていた。

 オルガとエマ、それに護衛だけが取り残される形となった。


 宿のメイドに通された部屋にはベッドが二つあり、扉を挟んだ奥にもう一つ、使用人用の部屋があった。

 手前の部屋にエマとオルガが寝ることにしたが、護衛は外で寝ずの番をするという。

 そんな護衛を説き伏せて、奥の部屋を使ってもらうことにした。


「お食事はどうされますか?あと一時間ほどで下の食堂が開きますけど」

「お嬢様がお疲れのようですので、部屋でいただくことはできますか?」


 エマがメイドに尋ねた。


「大丈夫ですよ。お嬢様の分だけでよろしいですか?」

「そのよう———」

「三人で食べる。三人分持ってきて!」


 始めエマはオルガの給仕をしてから、護衛は下の食堂でと思っていたらしいが、食事時は相手のことを観察するのに最適だと考えたオルガは、あえて階級の垣根を無視したわがままを言ってみたのだ。

 彼らを裏の仕事に使う気はないが、大人になるまでの間、表に立って味方してくれる大人が必要だったからだ。


 そんなこととは知らず、二人は子供の他愛もないわがままと受け止め、あの母親の元で暮らすオルガを不憫に思い、断ることなくすんなり受け入れてくれた。


 しばらくしてメイドと小間使いが料理を持ってやってきた。

 使い込まれた素朴なテーブルには所狭しと料理が並べられた。

 焼きたてのいい匂いがするパンに大きなお肉の入ったシチュー、キノコがたくさん入っているというパイもあった。

 エマは水で薄めたワインを、護衛にはちゃんとした赤ワインを頼んだ。

 オルガにはオレンジを絞った果汁を水で薄めて蜂蜜を入れた飲み物をもらった。


 屋敷では決して食べられないものばかりだった。


 オルガは物心ついてから温かい食べ物を食べたことは数えるほどしかなかった。

 エマがいなければ、食事が温かいものだと気がつかなかったとさえ思われた。

 いつだって冷めた料理を乗せたトレイをメイドが面倒くさそうに運んできたからだ。

 特に、父と暮らすようになってからは食事が運ばれるだけありがたかった。


 護衛が、食事の席で上司の武勇伝を面白おかしく話してくれた。

 オルガとエマは料理を食べるのも忘れ笑った。

 テーブルは笑いに包まれ、オルガは久しぶりにデザートの果物が入らなくなるぐらい、お腹いっぱい晩御飯を食べた。


 護衛はセルジュといい、20歳くらいの赤毛の青年だ。

 容姿は普通だが実直そうな好感の持てる好青年という感じがする。

 話し方や話題の振り方から見て、かなりの知性が見受けられた。


 祖父の屋敷から派遣されてきた彼は今年の春に騎士になりたてで、この護衛が一人での初仕事と言っていた。


「ドゥボー伯爵様は領地内を隈なく統治されていらっしゃるので、本当は護衛が要らないくらい安全なんです。だから若輩の私にお鉢が回ってきたのですが、こんなに綺麗なお嬢様方と食事の栄誉が与えられるとは思いませんでしたよ」


 そう言って笑って見せた。

 笑いかけられたエマは頬を染めて、うつむいたまま料理を弄んでいた。


 エマは美人というよりは愛嬌のある可愛らしい顔をしていた。そして、濃い焦茶色の髪を後ろにまとめてるせいで年より老けて見えるが、まだ20歳にはなっていなかったはずだ。と、オルガは思った。

 お爺様のところでロマンスが花開けば、それもいいだろうとも。


 食事が終わり、湯浴みをさせてもらうとオルガのすることは寝ることだけになった。

 セルジュが時間を見計らってお休みの挨拶をしに来た。


「お嬢様、明日も長旅になりますからゆっくりお休みください」

「はい。おやすみなさいませ。でも騎士様、その前に騎士様の手を見せてくださいな。ずっと気になっていましたの」


 オルガは子供らしくおねだりしてみせた。

 セルジュは嫌がりもせず、オルガに手を見せてくれた。

 傷だらけの大きな手には剣だこが厚く盛り上がっていた。

『この男は信用できる』とっさにオルガは判断した。

 やはり孫娘の護衛には、若いとはいえ手練れをつけたのだな。


「おっきいぃ」


 子供らしい感嘆の言葉を漏らすと、セルジュは大きな声で笑いオルガを抱き上げてくれた。



 ◇◇◇



【不安】


 復讐に準備と計画は不可欠だ。

 合わせて完璧な復讐の為にはそれなりのお金は必要だ。


 そういえば、結婚するときの持参金と私が死ぬことになった一番の原因である、信託財産。

 確かそれは祖父が用意したものだったと聞く。

 考えてみれば、領地運営もせず母の遺産を食い潰していた男に私の持参金が用意できるはずもなかった。

 自分の愛娘にさえ満足な持参金を用意することができずに、私の信託財産を担保に夫に売り込んだ男なのだから。


 記憶に間違いがなければ前世(便宜上、そう呼ぶことにする)祖父に会ったことはなかった。

 母があんな風だったから祖父の家に行くことはなかったとしても、祖父や祖母が母や私に会いに来たことは一度もなかった。

 母は祖父母のことは私に話したことは一度もなかったし、母の容態が悪くて死にそうだった時も、会った覚えは全くなかった。

 と言うか、今の今まで祖父母が生きているのか死んでいるのかすらわからなかった。


 一度、前世で祖父に会おうと思ったことがあったが、結婚前は父に、結婚後は公爵家に阻まれて叶わなかった。

 そのうち公爵家の建て直しの方が忙しくなり、それどころではなくなったのを覚えている。


 疎遠だった祖父に会いに行く。


 今回のことは一つの賭けでもあった。

 持参金と信託財産を残してくれたことから、祖父は私にある程度の愛情のようなものを抱いていたと仮定してのことであった。

 そして、祖父は私に会ってもいいと従者と馬車を向かわせた。

 賭けの半分は勝ったようなものだが、私の運命はもう半分にかかっていると言っても良かった。


 祖父が受け入れてくれたなら、私の願いを聞いてもらいたかった。

 復讐の為の第一歩を踏み出す為に。

オルガは25〜6歳で亡くなったことにしてください

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