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33 妨害

結局、オルガの父は渋るエリーズ達を連れて屋敷近くの宿へと移って行った。

こちらが滞在費の全額を払うこと、祖父が来れば今までのような自堕落な生活が許されない事が大きかったようだが、ここでの暮らしが思ったほど安楽ではないことも一因のようにもみえた。

父やエリーズたちの見下すような横柄な態度に嫌気をさした使用人らが、思うように従わなくなったからだろう。

とまれ、父がいなくなった屋敷はいつもの平穏さを取り戻していた。


そんな中、オルガはただ一人、鬱々とした思いを抱えていた。

今はまだ爵位を継げると思っている父が、祖父の顔色を窺いオルガに理不尽な縁談をすぐさま押し付けることはないだろう。

しかし、現実はどう転んでも爵位を継げないのだ。そのことを知った父が、オルガを何処かへ売り飛ばすような縁談を押し付けてくるかもしれない。

『伯爵の孫娘』そんな取るに足らない肩書でも欲しがる輩は何処にでもいる。

それが父の知り合いならば、オルガは自ら業火に飛び込んでいくようなものだ。


これまで祖父の元で安穏として過ごした日々は、オルガが回帰者としての記憶のせいだけではなく、祖父という庇護者がいたからだと、エリーズの一言で身をもって知った。

『お祖父様に相談しなくては』

結局のところ、今の14歳のオルガにできることはそれしかなかった。



 ◇ ◇ ◇



オルガが独り気を揉んでいた頃、祖父は王都からオルガのいる荘園へ馬車を走らせていた。

景色を楽しむでもなく、ただ黙々と馬に揺られ進むしかない。その単調さが、忌まわしい記憶を蘇らせた。


危篤の早馬を聞いてオルガと荘園へ駆けつけたあの日。

ロクサーヌの部屋へ通された自分が『マルグリット』と、思わず亡くなった妻の名を呟いていた。

既視感。

いくら早春の日差しが差し込む明るい部屋だとしても、拭うことのできない死の影が覆い被さる部屋。

そんな重苦しい空気が、妻を亡くした時と嫌になるぐらい酷似していた。

娘がそう遠くない未来に、自分の元から永遠に去ってしまう。その事実が更に自責の念に駆り立てた。


『何もしてやれなかった』


オルガの祖父は、ロクサーヌに屋敷と使用人と十分な金は与えた。しかし、それ以外は何もしていなかった。

とは言っても、娘から歩み寄りがあれば、いつでも受け入れるつもりではいた。

だが、歩み寄るのは、本当は自分の方なのだと気がついた時には手遅れだった。

あの時、ロクサーヌのやつれ果てた姿を目の当たりにし、少しでも娘の気持ちが軽くなるのなら、なんでも言う事を聞くつもりでいた。例え、あの男のことだったとしても。


オルガが部屋の外に出たのを確かめたロクサーヌは、苦しい息の下、愁訴した。

身重のロクサーヌをひとり、この屋敷に置き去りにしてから初めて聞いた娘の声。

かすれて聞き取りづらい。それでも、確かに聞きなれた娘の声だった。


「お父様の……言う通り、一人で…オルガを産み、育てるべきだった。あの人が……」その先の息が続かず苦しそうなロクサーヌの姿に心が傷む。

慌てて駆け寄り、体の下に手を差し込仕込んで「少し、起こしてやろうか?」と、問うと、ロクサーヌは力なく頷いた。


枕をいくつか背の下へと押し込み、枕元の水を渡してやった。

妻がまだ元気だった頃、熱を出したロクサーヌを二人で看病をしたことを思い出す。

思えば、おおよそ貴族らしくない行いだ。それだけ娘を慈しみ愛していたはずだというのに。


「さあ、飲みなさい」


ロクサーヌは、グラスから少しだけ水を飲み息を整えると、ゆっくりと話し始めた。


「あの日、あの人は言ったんです……オルガの結婚相手を見つけたからと。知り合いの金持ちの男爵が後添いを探していて……だから娘をくれてやる約束をしてきたと」

「何だと!」祖父は考えもしなかったオルガの結婚話に次の言葉が見つからなかった。


「相手は元は平民だけれども、金貸しで築いた財産で爵位を買うほどの金持ちだから、と。しかも、オルガと結婚したなら、全ての面倒は見ると言っているし、何より相手は歳をとっているから直ぐにオルガはお金持ちの未亡人になれるはずだ。そうなれば、大金と爵位が自分の元へ転がり込んでくる……と」

そこまで話すとロクサーヌは大きく息を吐いた。


あの男は、自分の私利私欲のために、デビュタント前の娘を老人に売りつけようとしている。

それだけでも耐え難いのに、祖父はあの男の爵位への執着の強さを、再度、突きつけられたのだった。

やはり、あの時、一緒にさせるべきではなかった。

『愚かな娘』と癇癪を起こし、懲らしめるような結婚をさせてしまった自分を、今更ながらに呪った。


「私……初めてあの人と喧嘩をしました。そして、やっと自分がいかに愚かだったのか、どれほどオルガが大事なのかが分かったんです。……お父様、お願いです。あの人が何をするのかわからない。どうかオルガを、オルガを守って––––––」


自分の手を強く握りしめ、オルガの行く末を頼む娘に、亡き妻の姿が重なった。

今際の際に、やはり妻が自分の手を握り、ロクサーヌのことを何度も何度も頼んだことが鮮やかに蘇る。


しかし、その約束が果たされることは、最早、ない。

『年を無駄に重ねただけの大馬鹿者め』馬車の中で祖父は己に向かって毒づいた。



 ◇ ◇ ◇



オルガの祖父が、このような時期に王都まで足を伸ばしたのには訳があった。

本来なら、母を亡くしたばかりのオルガの元にいるべきなのは重々承知している。

自分が側にいてやれないなら、せめてエマかマリーを残すべきなのも。

だが、事は急を要していた。しかも、表立って動けない理由もあった。

貴族同士の婚約だとしても、口約束ならいくらでも撤回することはできた。しかし、教会の名のもとで正式に婚約の誓いが行われて仕舞えば、この国では王族とて反故にすることは不可能に近かった。


だからこそ、祖父は、娘から話を聞いて直ぐ、教皇庁へとエマを向かわせた。

婚約の告知がまだならば、教会の許しが得られないように枢機卿に助けを請うしか残された道はない。

不本意ではあるが、根回しをしている時間がない今は、枢機卿と懇意なエマの力を借りるしか無かった。


そして、マリーには、王都であの男が言う爵位を買った金貸しを探させるのに同行させた。

王都に在住する男爵の多くは領地を持たない一代貴族で、それだけに、爵位の売り買いは日常的に行われている。

そんな数多(あまた)いる爵位を買った富裕層の中から、目当ての金貸しを探さなければいけないのだ。


伯爵領にいる騎士ならば口も硬く、信頼が置けただろう。だが、商売人や裏稼業の中では警戒され、噂が瞬く間に広がることを考えれば得策ではない。

その点、マリーなら侍女としての経験の元、上手く使用人達から情報を引き出せるだろう。

それに祖父は、マリーがただの侍女ではなく、オルガの目や耳となっている事を知っていた。

多少の危険はあったが、王都の土地に明るいジャンとマリーを送り出すしかなかった。

それでも、恐らく『あの男が潰した家門』と言う見当がなければ、ここまで短期間で見つけ出すことは難しかっただろう。


オルガの祖父が”婚約”の話を聞いた時、相手は、あの男が没落させた家門を買い取った人間だと確信していた。

直ぐにでも屋敷へ押しかけ、いかに自分達がやろうとしていることが恥知らずなことなのか、問いただせずにはいられなかった。

しかし、爵位は自分より低いとしても、継承の正当性に欠けるとしても、男爵は男爵。

曲がりなりにも貴族であることに変わりはなかった。

確証もなしに乗り込むわけにはいかない。不本意だが、それが貴族のルールだからだ。


十二分にマリーとジャンに調べさせた後、満を持してその男の住む屋敷へと赴いたのが昨日のことであった。

兎にも角にも、オルガの祖父との面会の後、件の男爵はつい口車に乗った自分の『迂闊』の恐ろしさを身をもって知ることになった。



 ◇ ◇ ◇



「ずいぶん遅れてしまった」


窓から降り頻る雨を、恨めしそうに眺めながらオルガの祖父は独りごちた。

王都を出たときは順調に見えた旅程も、思わぬ春の長雨に祟られ、街道沿いの宿屋に足止めされてから三日が過ぎようとしていた。

先の道が思った以上にぬかるみ、馬車が通れないと言うことだった。

気は早るものの、無理をして事故となっては本末転倒だ。

それに、エリオットが一足早く荘園へ向かっている頃だと思えば、一先ずは安心できた。


「心配だが、ミサまでには間に合うだろう」


オルガの祖父は、手元に幾つかの書類を確認するかのように広げていた。

ロクサーヌからある程度のことは聞いていたが、果たして上手くいくかは未知数だった。

『愚かな男の手は読めんからな』

あの男は見栄っ張りで愚かで、地力以上の欲をかき、自滅をしてきた。

そんな愚かな男が父親だと言うだけで、巻き込まれ犠牲を強いられるのがオルガであってはいけない。


腹ただしいが、正道を通るだけが道ではないのだ。

あの男に穏便に手を引かせるには、ある程度の欲は満たしてやる必要がある。

この程度の金でオルガの安全が買えるなら安いものだが、自分にとっていくら端金であってもあの男に。と思うと、不穏だが、もっと手早く済ませる方法が、いくらでも思い浮かんだ。

今更、自分の手が少しばかり汚れるのは大した事ではないように思えてきさえした。

『この程度の駆け引きなら幾らでもしてきたはずなのだが、あの男が絡むと理性が働かなくなるのだな』

憤りを抑え、今一度、書類を丁寧に折りたたむと書簡入れにしまった。


祖父の心を知ってか知らずか、雨は其れから丸二日降り続いた。

忌々しい雨が止み、道もいくらか持ち直したのを見た一行が宿屋を出たのは、予定を大きくずれ込んだ後だった。

それでも、休まず馬を走らせ、当日の朝ではあったが、どうにかミサに間に合うことができた。


馬車止めまで迎えに出たオルガの悲嘆に暮れる表情に、祖父の心は傷んだ。

言いたい事も聞きたい事も山ほどあるだろう。だが、今は時間がない。

旅の汚れを落とす時間すらないまま、礼拝堂へと向かうしかない祖父は


「大丈夫だ、オルガ。儂に任せておけ。まずはミサにいかんとな。司祭が待ちくたびれてるぞ」


それだけ言うと、オルガと共に礼拝堂へと向かった。




『お前の父親はどうした』

小声で祖父が尋ねてきた問いに、オルガは『さあ』と答えるしか無かった。


ミサの後、母の遺言状が読み上げられると言うのにオルガの父はどこにもいなかった。

オルガは前日に、彼らが宿泊する宿に使いを出していた。

ミサの時間は勿論、遺言状が読み上げられる大まかな時間も詳しく伝えたはずだった。

オルガは、父が本当に来ないのだろうかと訝しんだ。

あの利己的で強欲な父が、母の遺産を思い通りにできると疑わない父が来ないとは、どうしても考えられなかった。


「まだお見えになっていない方がおいでですが、先に始めさせていただいてもよろしいですか?」


母の顧問弁護士のよく通る声が、使用人らでごった返している部屋に響く。

弁護士の言葉は父を指しているのだろう。父がまだ来ていない事に気がついた使用人の一部がどよめいた。

どの道、親族は最後の方なので、今、オルガの父が不在でも問題はないが、仮にも故人の夫だ。

弁護士の言葉があるまで誰も父の不在を気にも留めていない有様が、オルガには可笑しく思えた。


「それでは、始めたいと___」途中まで言いかけた弁護士の言葉を遮るように、勢いよく部屋のドアが開く。


「おい、おい。主役抜きで何を始めるって言うんだい?」


大根役者顔負けの白々しいセリフと共に目の覚めるようなブルーの服を着た父がオルガ達の前に現れた。


年明けに自身のぎっくりの再発、身内が体調を崩したりと、周辺が慌ただしくここまできてしまいました


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