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32 血統

ドアから現れた少女は、天使がこの世に現れたのではないかと思う程に美しかった。

まだ髪を上げる前のおろした髪は艶やかで、緩やかなカールがまるで流れる黄金のように揺れている。

乳白色の染み一つないハート型の輪郭の顔に、天の采配のように各々のパーツが収まり、中でもオルガの父と同じマーキーズカットの宝石を思わせる青い瞳が印象的だった。

貴族の令嬢の中にあってもエリーズほど美しい娘は然う然ういないだろう。


だが……

『残念だわ。昔も今も美しさは外見だけのようね』と、オルガは思う。

父に似た美しい少女は、何処から持ってきたのか銀食器を腕一杯に抱えていたからだ。

初めて訪れた(しかも喪中の)屋敷を、主人の断りもなく勝手気ままに歩き回ることすら非常識だというのに、泥棒紛いのことをやってのけている様に、オルガは呆気に取られた。


「ねえ、パパ。これ見て。ジャックの店で幾らになるかなぁ?想像がつかないよ。この銀食器、ミルズさんとこだってこれほど良いものは使ってないんじゃない?部屋に置いてあるもんだけでこんだけスゴいんだから、この家の本当のお宝ってどれだけよ」


両親の前にどさりと腰を下ろすと、嬉しそうに戦利品を広げ嬉々として父に話しかける。

その言葉も抑揚すらも、オルガと同じ歳の少女とは到底思えないものだった。


「エリーズ、静かにしないか」


流石にオルガの父も気まずいと見えて、嗜めるように少女を呼ぶ。

少女はお喋りを止め、声のする方へ視線を移すと次に怪訝な顔でオルガを見つめた。


「誰?この子」

「お前の姉さんだ。挨拶ぐらいできないのか?」


エリーズは、言われた先にいるオルガを頭のてっぺんから爪先まで、不躾なほど品定めをすると『ふっ』と鼻で笑った。

急に矛先が自分に向けられたオルガは戸惑い、それと同時に彼女の嘲りに怒りが湧いた。

亡母の屋敷で傍若無人に振る舞うエリーズに我慢ならなかった。

そして今のオルガは、回帰前のなす術のなかった子供ではないのだ。

オルガは瞬時に顎を上げ姿勢を正し、罰を受ける使用人に向ける口調でエリーズに話しかけた。


「あら、早速、我が家がお気に召したようですわね。でも……この家の物は塵ひとつさえ、父の物ではありませんの」


オルガは不憫な子を見るような憐れみの目でエリーズを見つめるとわざと大きくため息をついてみせた。


「ですから、お持ちいただいたそれらの品は、元あった場所に戻していただけませんこと?」

「っ!」


オルガに見下された態度を取られ、エリーズの白い肌が見る見る間に赤く染まっていく。

それと同時に陶磁器のような美しい顔の眉間にくっきりと深い皺が刻まれた。

オルガはそんなエリーズのことをあえて無視することにした。その方が彼女には屈辱だと過去の経験が物語っていたからだ。


「それよりお父様、お昼はおとりになりまして?まだでしたらご一緒にいかがですか。用意ができていますの」

「ああ、そ、そうだな。お前たちも腹が減ったろう」


エリーズの振る舞いに流石の父も恥ずかしさを覚えたのだろう。

オルガの投げた言葉に躊躇なく飛びつくと、不満げな表情の二人を廊下へと急き立てていく。

そんな父の手をするりと(かわ)しエリーズは何故かオルガの元へと歩み寄ってきた。


「では、お姉さま。お先に失礼します」


急にお淑やかな令嬢のふりをして気取った声を出すエリーズが、そっとオルガの腕に触れて言ったのだ。

瞬時、チクりと不快な痛みがオルガの腕に走る。

『あっ』思わず声が漏れた。

部屋を出るエリーズの方へ視線をやると、醜悪なほど歪んだ笑みをオルガに向けているのが目に入る。


『やられた』エリーズが触れた袖を見ると、小さな血の痕ができていた。

『まち針……。あの子はちっとも変わってないのね』

美しい顔の下に底意地の悪い本性が潜んでいるのは嫌というほど身に染みて知っていたはずなのに、オルガは今、エリーズにまんまとやられてしまった事に気がついた。



<エリーズ・回帰前>


散歩をするには不向きな曇天の空だった。しかし、エリーズは構わず荒れ果てた庭を歩き続けた。

エリーズはこの屋敷が、使用人達が、いきなり現れた姉だという少女が、反吐が出るほど嫌いだった。

屋敷に来た当初は、お城のようなこの場所で『お嬢様』として(かしず)かれ、美しいドレスや贅沢な食事、取り巻きを引き連れたお茶会で王子様にみそめられる。そんなお伽話のような毎日を夢見ていた。

しかし現実は、日に日に荒んでいく屋敷と、エリーズたちを陰で馬鹿にする使用人たち。(その使用人たちも、大半は辞めていった)

それに料理人はとっくの昔に辞めてしまっていたものだから、ご馳走には程遠い、パンとスープ、運が良ければ茹でた野菜にソーセージの食事が主になっていた。

しかも、この屋敷にあった高価な調度品が粗方姿を消した今、エリーズのドレスどころではなかった。


『この屋敷の場所が辺鄙すぎるせいだわ』

ここは、エリーズの父の領域である賭博場どころか、ちょっとした賭け事ができる酒場すらない。

『パパはここに来れば、お茶会を開いたり、舞踏会の招待状が送られてくるって言ってたのに。毎日お菓子が食べられるって言ってたのに。綺麗なドレスを山ほど作ってやるって言ってたのに……』

『それより、どうして私は伯爵令嬢になれないの?』

エリーズの疑問は今や不満となって燻り始めていた。

憤りをぶつけるように黙々と歩いて来たせいか、気付けば屋敷から随分と離れている事に気がついた。

もう、ここらでいいだろうと後ろを振り返ると、冴えない少女がエリーズの方へ走ってくるところだった。


「エリー、待ってよ」


かけられた声にエリーズは頭が痛くなった。不満の種のひとつでもある、腹違いの姉がエリーズを愛称で呼んだからだ。

オルガ。ここに来ていちばんの誤算はこの腹違いの姉の存在だった。

エリーズは幼い時より、父から『美しさが善』と歪んだ考えを植え付けられてきた。

実際、エリーズ親子は自他ともに認める美しさが、今までは生きていく上で大きな武器であり力でもあった。

それなのに、ここではエリーズたちの美しさを賞賛するより、彼らの立ち居振る舞いや無知さを陰で嘲笑う者がいる。

醜い愚図な姉が自分より使用人達に重用されている事実を、エリーズは死んでも認めたくなかった。


「アンタ、その名で呼ばないでってアタシ、何度も言ったよね」


エリーズは後ろから一生懸命ついてくる姉に向かって吠えるように怒鳴った。


「でも、私たち姉妹なのだから……」

「いい?アンタみたいな冴えない奴がアタシの姉だなんで絶対、絶対、お断りっ!」


いつもならまち針で刺してやるところだが、今はオルガの二の腕の柔らかい所を思い切りつねあげた。


「痛いっ!やめてちょうだい。エリー……エリーズ。お願いよ。痛いわ」

「だから?」


エリーズはオルガの泣きそうな顔を見て、少し気持ちが落ち着いた。

それに、これからもっと面白い事になるのだ。そう思うと口の端がひとりでに緩む。


「ねえ……知ってた?アンタの大事な大事なエマが今日、この家から追い出されるって」

「え。どういうこと?」

「あの女は馘首。ってこと」


驚きと失望、諦めが綯い交ぜになったオルガの顔がエリーズの琴線に触れる。

エリーズは愉快そうに側に咲いていた花を手折ると、嗅ぎたくも無い花の臭いを嗅ぐ仕草をしてみせた。


「使用人のくせに、身の程知らずにも最後にアンタに会わせてっていうから、アタシがアンタをここまで連れてきたワケ」

「ありがとう、エリーズ。それでエマは?エマは何処に?」


オルガはいつもは意地悪なエリーズの思いがけない申し出に、今しがた酷くつねられたことも忘れて感謝した。

『バカな子。ああ、愉快』人を疑う事を知らないオルガの間抜けな姿がエリーズには楽しくて仕様がなかった。


「さあね。今頃、来るはずのないアンタを玄関で待ってるんじゃない?」


エリーズの答えを聞いたオルガの顔はみるみる青ざめ両の目からは涙が溢れ出した。

それから呆然と立ち尽くしていたオルガが弾かれるように屋敷に向かって走り去る様を、エリーズは腹を抱えて見送った。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



結局、オルガの父達は宿へ移ることなく屋敷に留まった。

オルガが三人のことを目の届くところに置いておきたいと思ったからだが、予想していたとは言え、父達の傍若無人さに頭の痛い日々が続いていた。

妻の喪中だというにも関わらず、父はワインセラーから日に何本も部屋へ持ち込んでは継母と泥酔するまで酒を飲み、エリーズは短気を起こしてはメイドに八つ当たりをしていたから、使用人達から疎まれるには、さほど時間はかからなかった。

今では、執事からはやんわりと父達を嗜めてほしいと訴えられ、メイドから苦情を聞かされるのがオルガの日課となっていた。


今日も、ようやく起きてきた彼らと遅い昼食をとっていた。

食事の前のお祈りは元より期待はしていなかったが、肘やほお杖をついてフォークで皿を突きまわす継母と使用人の手を借りず、手酌でワインを昼からグラスに並々と注ぐ父。

エリーズに至っては、気に入らない料理をフォークで床やテーブルクロスの上に飛ばしていた。

『相変わらず、食事のマナーの悪さに辟易する』オルガは食欲がすっかり失われた。

しかも、ワインを飲みすぎた父の大きなゲップを、残りの二人が面白そうに手を叩きながら笑う声が聞こえた時には、同じ部屋に居るのすら我慢ならなかった。

いつもなら彼らの不作法に先に席を立つところだが、今日は父に伝えなければならないことがあった。


「お父様」


既に酔いの回った父が空な目をオルガに向けた。


「お祖父様が三日後にこちらへ戻られます。それから三十日目のミサの後に遺言状の公開があります。勿論———お父様も出席されますわよね。お祖父様がいらしても、このまま滞在に?それとも宿をお取り……」

「はっ!アタシ達が何処に泊まろうとアンタに関係ないでしょ?一体、アンタって何様のつもり?」


不意に父との会話を聞いていたエリーズが突然、口を挟んできた。

今までの鬱憤を晴らすように捲し立てるエリーズの声が部屋の中に響く。


「パパはね、いずれここを継いで伯爵になるのよ。この屋敷だってパパのものなんだし、なんでアンタにいちいちお伺い立てなきゃいけないワケ?」

「あら、おかしな事を。まだ遺言も公開されてないうちにから所有権ですか?この家の持ち主は父ではなく私の亡くなった母のものですけど」


いつもならこんな挑発に乗ったりしないオルガだが、エリーズが絡むと知らず知らずのうちに頭が熱くなる。


「まだ父のもにになっていない屋敷のことを、なんの権利もないエリーズさんが口を挟むことではないのではなくて?今だってお情けでこの屋敷に置いて差し上げてるのに」


オルガはよほど叔父のことを打ち明けたくなった。父にはなんの権利も初めからありはしないのだと。

しかし、そんな伯爵家の事情など露ほど知らないエリーズは美しい顔に邪気を含ませゆっくりと言い放った。


「はははは、アンタがそう言ってられるのも今のうち。パパが伯爵になったらね、アンタなんかどっかの年寄りの後添いに嫁に出して、アタシにこの家を継がせるってパパが言ってんだから」


オルガは驚いて父を見た。

エリーズの言葉に酔いが醒めたのか、父は気まずそうな顔をしてオルガを見た。

まるで隠していたキャンディーが見つかった子供のようだ。

それにしても。と、オルガは思った。

自分が爵位を継いだ後、私を何処かへ嫁に出してエリーズに跡を継がせるつもりだったとは。

相変わらず父の妄想には驚かされる。

まさか、そんな突拍子もないことを本気で考えていたとはオルガは考えもつかなかった。


叔父がいなかったと仮定しても、母が亡くなった後の後継者はオルガしか有り得ない。

仮に父が真っ当な男だったとしても、姻戚の立場で伯爵を継ぐことはできないのだ。

貴族の正統性を保つ為、子爵以上の爵位継承は貴族法で細かく規定されており、なんの(ゆかり)もない人間が継げる物でもないと言うことをオルガの父は知らないのだろう。

しかも、全く血筋でもないエリーズが伯爵家を継ぐなど、砂浜に落ちた針を探すようなものだ。

オルガは阿呆らしくて反論する気すら起きなかった。


それより気になるのは、オルガが『嫁に出される』というエリーズの言葉だった。

母が亡くなった今、未成年のオルガの親権は父にある。

この国で、未成年の子供の婚姻を決める権利は親にあるということをオルガは失念していた。

そして正式に婚約して仕舞えば、出来なくはないが、この国では取り消すことは不可能に近かった。


オルガは、ノエルに気を取られすぎて、こんな単純なことを見落としていた自分を呪った。

26歳まで生きたオルガであっても、今は大人の庇護下にある14歳の少女でしかないのだ。

『眩暈がする』

オルガはこの碌でもない父に人生を握られていると気づき、血の気が引いていくのを感じた。

近々、題名を変えようか思案中です

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