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31 来訪者

葬儀の朝、荘園は靄に包まれていた。

荘園すらも押し潰してしまいそうなほど重く垂れ込めた乳色の靄は、オルガの全ての世界を埋め尽くしているように見えた。

『葬儀までにこの靄が晴れるといいのだけど』

陰鬱とした天気だったが、オルガは不思議と不快には感じなかった。

かえってまるでそれが日常とでも言うように、荘園のメイドが作った急拵えの黒のドレスを身に纏い、司祭の到着を――滲むように広がる視界の先に何かがあるかのように、いつかの母のように窓の外をぼんやりと眺めて待っていた。


使者を再三送ったにもかかわらずオルガの父は、期待を裏切ることはなかった。

母の最後を看取ることも葬儀に駆けつける素振りも、電報の一本すらもない。

それでいい。とオルガは思った。

最後の最後に、わずかの時間だが母娘らしく心を通わせることが出来た思い出を、あの男のせいで台無しにされたくなかった。


葬儀のミサが始まる頃、重く垂れ込めた靄は霧雨に変わった。

天気のせいだけではないだろう。母を悼む為に集まったのは、オルガと祖父、マイエ先生、叔父と叔父が連れてきてくれたエマとセルジュだけで、他はこの屋敷の使用人だけだった。

ミサは母の人生そのものと言えた。

オルガの母は社交を始める前に王都を去り、素性のわからない男と婚姻を結んだ。そんな女性を歓迎する社交場はないに等しい。

『社交場での友人が真の友とは限らない』回帰前を知るオルガには身に染みていた事実だとしても、知人と呼べる者さえいない葬儀は寂しいものだった。


教会から墓地へと向かう道、傘の意味を持たないほどの小さな雨粒が、そこかしこに張り付いてきた。

祖父が用意をした白い棺も、上に乗った白い薔薇のリースも既にしっとりと濡れている。

母の好きな(と、侍女に教えてもらった)淡いピンクの薔薇の花束を抱え、祖父と共に棺の後を墓地までついて行くオルガのドレスも濡れて重くなっていた。

濡れて鉛と化したドレスを引き摺るように、オルガは墓地に新しく掘られた穴の横に立つ。

今まさに、母の横たわる棺は暗い穴に飲み込まれるように降ろされていくところだった。

親子の情を感じるほど親密さはなかった。それなのに言いようのない喪失感がオルガの心を満たし始めていく。


司祭が祈りを捧げる間、祖父とオルガで一握りの土を棺の上にかけた。

続いて叔父、セルジュ、エマと続く。

残りの土は墓守と荘園の使用人がショベルで埋めていく。

あっという間に平された土の上にオルガはそっと薔薇の花束を置いた。




七日目のミサも終わり、三十日目のミサまで少し間が空く事になった。

祖父は取り急ぎ、伯爵邸に戻り所用を済ませてから戻ると言い残し、セルジュとエマをオルガの元へ残し、叔父と連れ立って領地へと戻っていった。

後に残されたオルガとエマは、それまでの間、母の遺品整理に充てる事にした。


「お嬢様、奥様のドレスはどうされます?」

「そうね。この家の者に形見分けとしてあげましょう。それに流行遅れだとしてもバザーで売れば幾らかのお金になるでしょう。後は教会に寄付するわ」

「お嬢様はお持ちにならなくてもよろしいのですか?」

「―――いいのよ。彼らの方が母と長い時間を過ごしてきたのだし……」


全てのドレスは皺を伸ばし、メイドの手を借りて衣装ダンスに吊るしていく。

数は少ないがボンネット、日傘などの小物も種類ごとにまとめていった。

途中、片付けを手伝っていた母の侍女がオルガへ、大小の美しい箱を渡した。

小さい方の箱は母の宝石箱だと言う事だった。

母の宝石箱は既に確認していた。

結婚してから先、荘園の中だけで暮らしていた母の宝石は物は確かだったが、質素で倹しかった。

それとは別に美しい装飾が施された宝石箱があったとは初耳だ。回帰前でも知らなかった事だった。


「こちらは先代の奥様が奥様に残された品でございます。奥様より万が一の時は、と私が場所をお聞きしておりました。中に奥様がお書きになりました目録もございます。どうかご確認を。それと、これは奥様がお嬢様のために……」


渡されたもう一つの大きな箱には、母が刺繍したと思われるハンカチとリボンがぎっしりと詰まっていた。

中の一つを取り出し、指で刺繍をなぞっていると、ドアを叩く音が響く。続いて執事と思われる声がした。


「お嬢様、サー・ヴィヨンがお見えになりました」



 ◇◇◇



【父のこと】


父の家門のことは終ぞ分からずじまいだと祖父は私に告げたが、それは嘘だと気がついていた。

あの祖父に調べられない事などあるはずがない。

きっと私に知られたくない過去があると踏んでいた。

祖父の元で10歳から投資を始めてから3年目、私は祖父に内緒の資金を持つことができた。

その資金で初めにしたことは、ノエルのことでもギヨームのことでもなく、自分の父の調査だった。


調査報告を受けた時、ある程度、覚悟と予想はついていたが事実は酷いものだった。

父はアラン・ヴィヨンと名乗っていたので、とりあえずヴィヨン男爵という家門を探した。

当初、難航を極めると思われた父の出自だが、ヴィヨンという家門は比較的直ぐに見つかった。

王都より北に位置する領地を持つ、爵位こそ低いが歴史のある家門ということがわかった。

だが今は、ヴィヨン家とは縁もゆかりも無い成り上がりの金貸しが継いでいる。

爵位を買ったと思われる金貸しは王都に程近い商業地区に本宅を構え、領地へは夏の避暑に気まぐれに訪れるだけだという。

領民にそれを聞き出すまで随分、時間がかかった。

しかも、前の領主に関して皆一様に口が重く難航をしたと、調査を請け負った者がぼやいた。


結論を言えば、父は確かに男爵に繋がりのある人間だった。

しかし、父が言う直系の三男ではなかった。


ヴィヨン男爵家は昔より容姿に優れた者が輩出される家門だったが、朴訥とした気性で驕ることなく実直に領地を収めていた。

男爵という地位もあって、王都での社交活動も然程、重要視されていなかったせいもあり、領地を出ることは滅多になかったと言う。

だが、いつの時代にも異端は現れるものだ。

その異端こそ、家門きっての放蕩者と名高い父方の祖父だった。

男爵家の三男であった彼が放蕩の末に廃籍され、流れ流れて王都で知り合った酌婦との間にできたのが父ということらしい。

無論、二人は結婚などはしていない。

父が生まれた後も、彼はふらふらと賭場と酒場を渡り歩き、気まぐれに父の前に現れては自分が追われた家のことを父に話していたとのを、当時の酒場の店主が覚えていた。

更に、祖母に新しい男ができた12歳の頃、祖父の行方は知れなくなり(おそらく何らかのトラブルに巻き込まれたのではないか)誰からも顧みられることが無くなったということだった。

そこから18歳になるまでの父の消息は、彼らには掴めていない。


そんな父が18歳の夏頃、突如としてヴィヨン男爵の元へ身を寄せることになる。

どの様な経緯で受け入れられたのかは分からない。だが、その頃、父の従兄弟にあたる者が爵位を継いでいた。

放逐された叔父の子で、貧困に喘ぐ父を哀れに思ったのか、従兄弟は周囲の反対を押し切って父を受け入れた。というのが大方の見解だったらしい。

それが全ての元凶だということをわかっていれば、大伯父も決して父を受け入れる事などしなかっただろう。


何れにしても、父を受け入れた日から男爵家は没落への道を突き進んでいく。

最終的に領主である父の従兄弟が大掛かりな詐欺に引っかかり全財産どころか、爵位までも手放す羽目に陥ったことは確かな様だった。

その後、領主は亡くなり、妻と幼い息子がいた様だがどちらも行方が分からないということだった。

まあ、もう少し調査をすれば行方がわかるだろうが、残酷な様だが、探し出したところでどうしようもないのが現実だ。

父の調査はそこで終了した。


最後に亡くなった領主の名は一族の墓地に名前を見つけることができなかったということだった。

領民の口の重さを兼ね合わせると、恐らく非業の死を遂げたのは想像に難くない。



 ◇◇◇



「お父様が?やっとお出ましになられたのね」

「それが……その…お連れ様もご一緒で」

「連れ?誰が一緒に来たというの?」


執事の歯切れの悪さにオルガの語気が少し荒くなる。


「ご婦人とその御息女と言うことでした」


オルガにはその二人が誰なのかわかった。


「なんてこと......」

「お嬢様、いけません」


エマに手を握られ、オルガは初めて指からは血が滲むほど強く噛んでいることに気がついた。


「三人は客間かしら。急いで客室を用意して――それと使っていない部屋は……」

「承知いたしました。ご用意するお部屋以外は閉めさせていただきます。ああ、ワインセラーの方はいかがなさいますか?」

「―――そちらは開けておいて」


エマと母の侍女に手伝ってもらいながら、簡単に身繕いを済ませると客間の方へ足を向けた。

回帰後、初めて会うことになる父とエリーズに対面するために。




「遅かったじゃないか」


客間のソファにだらしなく座る父は、ドアを開けたオルガの顔を見るなり怒鳴りつけた。


中身は礼儀もない裏町にいる破落戸の様な父だが、悔しいことにオルガの記憶そのままの美しい男だった。

王族にも引けを取らない美しい金髪を流行りの髪型に整え、瞳のサファイアを思わせるブルーがよく映えていた。

背は標準より少し低かったが、華奢な雰囲気があるせいであまり気にはならない。

むしろ中性的な魅力が増したとも言えるだろう。


その父の横にはストロベリーブロンドの女性がしなだれかかっている。

彼女もまた、目鼻立ちの整った目立つタイプの美しい女性だった。

美しさの点で言えば母や自分など足元にも及ばない。オルガはため息と共に女性の顔を凝視した。

記憶に残る彼女の顔に、この女性が継母となる未来が避けられないことを実感した。


そして、二人の軽薄な装いに頭が痛くなった。

使用人ですらお仕着せの何処かに黒い物を身につけているというのに、巷の流行りなのか、黒と黄色の縞模様の派手なベストが目に入る。

女性も昼だというのに胸元の大きく開いたコーラルピンクの派手なドレスを身に纏っていた。

父は妻を亡くした夫というには、あまりにも場違いすぎた。

オルガは、母の喪中にも拘らず愛人を引き連れて母の屋敷に乗り込んで来た恥知らずな男を、腹立たしいさと蔑みとない混ぜとなった複雑な思いで見下ろすしかなかった。


「おい、そこのお前。突っ立ってないで早く部屋に案内しろ。俺はこの屋敷の新しい主人になるんだからな。モタモタするなよ」

「そうよ。新しいご主人様と奥様には、うんと立派な部屋にしてくれなくちゃ」


オルガは、娘だと言うことも気づけない父と厚かましい未来の継母に呆れ果て、『はあ』と小さくため息をついた。


「ようこそいらっしゃいました。お父様。いいえ、初めましてと言うべきかしら」


オルガは貴族らしく表情には出さず、しかし、姿勢を正すよう背筋を伸ばし手をお腹の前で組み、更に慇懃無礼な声色で先を続ける。


「今日はどう言った御用向きで?申し訳ないのだけど、今は母の葬儀で立て込んでいるせいで十分なお世話ができかねますわ。近くの宿屋の方が良ければお部屋をお取りしますけど」


公爵夫人だった回帰前に培った相手を見下し威圧するあの技が、まさかここで生かされるとは思わなかった。

オルガの父はすっかり気後れしたようで、『娘か』と呟くと居心地悪そうにソファに座り直した。


「それで、そちらの方のお部屋も必要なのかしら?」


父は気まずそうに髪に手をやった。


「うん、まあ、そうだなぁ……」


歯切れの悪い答えに隣にいた女性が口を挟んできた。


「ねえ、ダーリン。この()にちゃんと言ってよ。アタシが新しいママだからわきまろってさ」

「おい、今それは……」


オルガの父は形だけ制する仕草をした。


「ここに来る前に始末はつけてきたんだから、これからはお母さまって呼んでもらわないと」

「———それって」


オルガは次の言葉が見つけられなかった。いずれこの二人が結婚することはわかってはいたが、なぜまだ喪も明け切らない、母が亡くなってひと月にもなっていない今なのか?


「本当にお父様と結婚されたのですか?」

「疑い深い娘ね。ほら」


そう言って女性が手提げカバンから教会の結婚証明書を出した。

記してある日付は、母が亡くなった日に限りなく近かった。


「はあ。お父様。お母様の喪もまだ明けてませんのに、このお話は早くありませんこと?」

「いや、だってお前はまだ子供だろ?誰かが面倒を見なくちゃ。俺は男だし女手が……」


オルガは今の今まで何の音沙汰もなく過ごしてきたのに、この後に及んで面倒を見るなどと言われるとは。オルガは思わず吹き出しそうになった。

『この笑えないジョークをどうしたらいいのかしら』


「それで、お部屋はどうします?宿にします?それともこの屋敷に?」

「もちろん、ここに決まってるだろ」

「それはかまいませんけれど、もうすぐ三十日目のミサのためにお祖父様がいらっしゃいますわ」

「なにっ!伯爵が———」

「ええ。その後でお母様の遺言状が開示されますのよ」

「ううむ」


伯爵の事を聞いたオルガの父は、本当なら今すぐにでも逃げ出したいと思った。

が、しかし、遺言状の中身を聞かずしてここを離れれば自分に不利になりそうだと本能的に察してもいた。


「それなら、宿屋の方に———」その時、


「パパ。この家すっごいの。お宝だらけ。全部、あたしの物になるのよね」


興奮し、大声を上げた少女が一人、肩をねじ込むようにドアを開け部屋へと入ってきた。







お久しぶりです

オルガの父が着ている黒と黄色の縞のベストですが18世紀ごろ(バイロンか?)にちょっとだけ流行った。という記憶があるのですが何処で読んだ文献か思い出せない

取り敢えず、非常識ってことを言いたかったので

それだけです

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