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3 それから

「奥様、お嬢様が目を覚まされました。お医者様を呼んでまいります」


 メイドの声が遠くの方から聞こえてきたように思う。

『奥様?お医者様?お嬢様とは誰のことだろう』

 私は助かったのだろうか。私の助けを聞きつけて、誰かがあの棺から助け出してくれたのか?


 長い長い眠りから目覚めたような気だるいような、そんな不思議な感覚だった。

 頭と体が別々に働いてる。そんな感じがした。

 うまく手足を動かすことができなくて、目だけで辺りを見渡した。


 そこは、まだ使用人の部屋に移される前、子供の頃に使っていた部屋にそっくりだった。

 でも、この部屋はもう私のものではなかったはずだ。

 死が近づくと過去のことが思い出されると誰かが言っていたが、これがそうなのかと思った。


 また意識が朦朧としてきたところに、お医者様と呼ばれた初老の男性が入ってきた。

『マイエ先生?』

 マイエ先生は私が子供の頃の主治医だ。でも、私が結婚した年に馬車の事故で亡くなったはず。


「オルガお嬢様、お加減はいかがですか?」


 そう言って私の手を取り脈を測っている。


「お熱が下がられましたね。でも、しばらくは大人しく寝ているんですよ。もう三日も寝込みましたからね」


 ああ、昔の優しいマイエ先生だと思ったら自然と涙が溢れてきた。

 思い出を懐古するとは、どうやらもう直ぐ死ぬらしいとオルガは思った。

 そして、あの苦しさから逃れるための思い出が、これなら悪くないとも思った。

『でも、なぜマイエ先生なのだろうか?』


「おやおや、びっくりされましたか?それとも熱で涙が出ましたか?」


 そう言って持っていたハンカチで優しく涙を拭ってくれた。


「苦いですけど、お薬を飲んでお休み下さい」


 茶色の薬壜を取り出すと小さなスプーンに薬を乗せた。

 オルガは、あの薬がすごく苦くて嫌いだったのを思い出した。


「飲まなきゃダメ?」


 苦しげに言った声は驚くほど幼く聞こえ、オルガは困惑した。


「早く元気になっていただきませんと、エマが心配しますから」


 そう言ってスプーンをオルガの口に押し込むと苦い薬を流し入れた。

 吐き出したいのを我慢してゴクリと飲み込むと、マイエ先生は「よくできました」と言って水飴を舐めさせてくれた。


 薬の味と水飴の甘さに、昔の記憶が呼び覚まされる。

 夢なのか現なのか定かでない中、オルガはまた眠りについた。



 ◇◇◇



【母のこと】


 26歳の誕生日を前にして非業の死を遂げた私は、目覚めると7歳の自分に戻っていた。

 多少の戸惑いはあったが、私は復讐することに囚われていたので、やり直す人生をすんなりと受け入れた。

 それよりも父が継母や腹違いの妹を連れてくるまで三年の猶予があった方が重要だった。


 つきっきりで看病してくれたメイドのエマの言うことには、私は突然熱を出したかと思ったら、そのまま三日も意識が戻らなかったということだった。

 神が私の祈りを聞き届けてくれたのか、それとも執念に近い私の思いが、過去へと私を押し戻したのかはわからないが、(いず)れにしても過去へ戻る為にかなりのエネルギーを使ったのだろう。

 それで三日も熱で意識が戻らなかったのではないか。と考えた。

 人知を超えたことを、どんなに考えても憶測に過ぎないけど。


 確かにこの体は私の幼い時のものだが、今までの私がどこに行ったのか、それとも行っていないのか、それは私にはわからなかった。ともかく時間を逆行し、あの時死んだはずの私が今ここにいる。それだけが事実だった。


 それにしても、目覚めてから暫く経つが、未だに母が私の元を訪れる気配を感じなかった。

 期待はしていなかったが、違う意味で期待通りの(ひと)だな。と思った。

 一応、エマは言い訳をするように『お嬢様がお倒れになった心労で———』とか言ってはいたが、大方、来るはずもない()のことを待って窓際に張り付いているのだと推測できた。


 そんな母を思うにつけ、死ぬ前の私も似たようなものだったなと自虐的になる。そう思えば、母にはある種の親近感を覚えた。

 だからと言って、このまま母と一緒に倒れるつもりは毛頭ないが。


 過去に遡ってからひと月程経った頃から、私は母を見限り始めていた。

 幼い私の立場でできうる限り、母の関心をあの男以外に向けさせようと努力はしたが、全て徒労に終わったからだ。

 そして、生前(というのも変だけど)、優しい印象しかなかった母だが、実は病的なほど父に恋焦がれるあまり、父以外の全ての事に無関心な人であったのだと気付かされた。


 私には心のない人形のような母だったのだ。

 ともかく母は盲目的で不毛でしかない愛を、私の父である夫に一心に向けていただけの人だった。


 悲しい事実もあったが、一つ新たな発見もあった。

 この当時、私の祖父であるドゥボー伯爵が生きていたということだった。

 母に依存し何も見えなくなっていたのは、私も一緒だったのだなと痛感した。

 確かに10歳にも満たない子供にできることはなかったけれど、あの時、祖父の存在を少しでも思い出していればと悔やまれた。


 この時代に戻ってきてから、私は情報の収集に多くの時間を割いた。

 幸い父も母もいないような生活は、探索にはもってこいだった。


 案の定、使用人の大半は、退屈なこの屋敷での娯楽に、母と父の噂話を選んだようだった。

 私は、子供という立場を利用して、よく彼らの話を盗み聞きした。


 噂話からわかってきた事は、『祖父は、当初から母と父の結婚には反対だった』と言うことだった。

 父は貴族とはいえ男爵の三男で、見た目こそ美しかったが、地位もそれに見合う役職も持っていなかった。


 反して、確かに母は絶世の美女ではなかったが、伯爵家の一人娘として愛され、十分な教育と淑女としての立ち居振る舞いを叩き込まれた生粋のレディだった。


 その二人がどこでどう知り合ったのかは謎だが、とにかく二人は出会い、そして結婚を約束するまでになっていったのだった。


 ただ、見た目だけのジゴロのような父を毛嫌いし、決して会おうとしなかった祖父がなぜ結婚を許したのかといえば『私ができたから』だった。


 世間体と愚かな娘に愛想をつかした祖父は、内内に結婚式を挙げ、持っていた領地の一つを持参金に伯爵邸から婿共々追い払ったのであった。

 もちろん、孫の私が生まれた時でさえ、形式的な手紙だけだったという話であった。


 いずれ祖父の養子になり伯爵家を継げると踏んでいた父は、結婚式が終わるや否や屋敷に近づくことはなかったと聞いた。母が恋い焦がれた男は、明らかに財産を狙って母に近づいたのだと誰が見ても明らかだった。


 そして、私が死ぬまで伯爵邸だと思っていたのこの場所は、実は母の持参金だったと気がついたのはこの時だった。


 私は、何としてでも祖父に会いたいと思った。

 このままでは何もできずに同じことを繰り返してしまう危険性があったのと、父に盲目的な愛を捧げる母と暮らしていては、自滅するより他はないと実感したからだ。


 それから、主人(あるじ)のいない書斎を丹念に調べ上げ、引き出しにあった手紙から私は祖父の領地と屋敷を知った。

 直ぐさま、祖父に手紙を出したのは言うまでもなかった。


 時候の挨拶、現状、そして救済を請う内容の手紙を、7歳とは思えない、だが、幼さを残しつつ書いた。

 案の定、祖父からは手紙とともに迎えの者がやってきた。



 ◇◇◇



「お母様、先ほどお祖父様からお手紙をいただきまして、こちらに遊びに来るよう言われましたの。お母様も一緒にいかがでしょうか?」


 オルガは一縷の望みをかけて母に聞いた。

 見限っていたとはいえ、やはり実の母親だ。目を覚まして欲しかったのだ。だが帰ってきた答えは想定していたものだった。悲しいことに。


「いいえ、オルガ。あなたのお父様がお帰りになった時、私がこの屋敷にいなくてはどうしましょう」


 そう言って、父の幻影を見るかのように微笑んだ母を、オルガは哀れに思った。


「では、私だけでお伺いしてもよろしいですか?」


 このまま、ここにいてはダメだと理解をしていても、まだ何処かで母に止めてもらいたい。そう、思っている自分にオルガは驚いた。


「ええ、お父様によろしく伝えて。そうだ、オルガ。お父様に会ったら、アラン様の希望してた伯爵家にある手持ちの爵位を授けていただけないか聞いて欲しいの。アラン様は爵位がなくて社交界で肩身の狭い思いをしているようなのよ」


 オルガは改めて母の返事に、それは7歳の娘に頼むべきことではないと落胆した。

『私が物心ついてから、お父様が来たことなど何度あったというの?それなのに娘を一人旅立たせる事より、来るあてのないお父様を待つというの?』

 そう思うと、わかってはいたが少し悲しくなった。



 ◇◇◇



【出発】


 祖父からの手紙には、一度会いたいからこちらに滞在するように。その際、父の同伴は却下と簡潔に書かれていた。

 どうやら父を容認する気は今もないらしかった。当たり前だが。

 ただ、母については何も書かれていないので誘ってはみたものの、案の定断られてしまった。


 逆行してより、3ヶ月。毎日のように母の気持ちを変える働きかけをしてきたが、母は娘の私より、夫である父の方が大事だとわかるとやるせなくなった。この時点で、母の事は諦めるしかないのだろうなと悟るしかなかった。

 もしかしたら、もう少し時間をかければ母の心を開くことができたかもしれないが、とにかく私には時間がなかった。

 予定からすれば、母が亡くなって転落が始まるまで、2年と半年ほどしか残されていなかったからだ。


 とりあえず、無気力な母に、翌日には祖父の家に出立したいと懇願してみた。

 幻想に耽る時間が惜しいのか、母は私を一瞥し一切を執事に頼むと、それきりまた窓の外を眺め黙ってしまった。父の紋章が入ったハンカチを握りしめて。


 その後、執事の指示で何人かの使用人が荷造りを手伝ってくれたが、持って行く荷物は驚くほど少なかった。

 自分でも、こんなに少なかったのかと驚愕するほど。


 7歳とはいえ、貴族の娘が持つにはあまりにも質素なドレスしかなかったし、気がつけばお気に入りの人形などというものもなかった。


 ついでに言えば、誕生日のプレゼントもついぞ両親から貰ったことがなかったことに気がついた。

 3歳の時に使用人一同からの贈り物だった子供用のティーセットを貰ったきりで、翌年には、誕生日自体なかったことのように扱われていたのを記憶している。


 自分の娘の誕生日さえ母は無関心だったのだから、使用人がそうであるのも当たり前といえば当たり前であった。

 そのくせ、父の誕生日には無駄になるとわかっていながら、正式なディナーを用意させていたのを覚えている。

 使用人達は、毎年、食べられることのない料理を肴に主人を祝う名目でパーティーをしていたと、後でエマから聞いた。

 まあ、彼らの憂さを晴らすことができて良かったのではないかと、皮肉の一つも言いたくなる。


 荷造りの最中に、エマが重大なことに気がついた。

 外出用のドレスがなかったのだ。

 いくら子供とはいえ、伯爵家を訪問するのに部屋着ではまずいだろうと、急遽誂えることになった。

 それならばついでに正装、お茶会に出れるようないい普段着もとなり、結局、出立は5日後になった。(仕立屋と使用人が総動員されたらしい)


 その間に、私は、あの伯爵家の指輪だけは母の部屋に忍び込んで持ってきていた。

 公爵夫人だった私から見れば、それほどの価値のある指輪でもなかったが、母の気持ちを思うと流石にあの女の指に嵌めさせる訳にはいかなかったからだ。


 そして、私を妹のようにた可愛がってくれたナニーのようなエマを一人連れて祖父の元へ行くことにした。

 この頃には、エマは単なるメイドではなく、私付きの侍女として昇格させていた。


 契約書には、私の了解なくして辞めさせることはできないとしておいたが、時期を見て祖父にエマの身の振り方を相談しようとさえ考えていた。

 母が亡くなってから辞めさせられた使用人の中で、エマが一番最初だったと気がついたからだ。


 その日は、清々しくもなければ、かといって鬱陶しくもない曖昧な天気で、まさに私の先行きを暗示させるような気がした。


 母が不在の中、大勢の使用人だけに見送られ、私は自分の運命と復讐の為に祖父の家へと出立した。

お付き合いいただきありがとうございます

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