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27 日常と変化

 閉ざされたカーテンの隙間から一筋の光が漏れ、オルガの顔を照らした。

 眩しさに顔を顰めながらオルガは目覚めた。

 光の元を辿ると、春用に取り替えたばかりのカーテンが僅かだが開いていた。

『はあ。マリーってば、またカーテンをきちんと閉めてない』

 マリーは仕事はできるのだが、時々、うっかりなところがある。

 オルガは体を起こしベッドの横にぶら下がる辛子色の組み紐を引いた。

 紐は使用人の待機部屋へと繋がっており、その先には部屋ごとに違う音色の鐘がついていた。

 オルガの部屋の鐘が鳴ったので、待機していたマリーは自分よりも年下のメイドを連れ、オルガの元へと急いだ。


 エマの結婚を機に、マリーがオルガの担当をする機会が増えていき、この春、正式にオルガ付きの侍女へと昇格をしていた。

 専属を表すお仕着せを執事長から手渡された時の興奮を、マリーは今でも思い出すことができた。


「おはようございます。お嬢様」

「おはよう、マリー」


 そのままマリーは窓辺へ進みカーテンを開けると、メイドから受け取った水差しから洗面ボウルへお湯を注いだ。

 オルガはゆっくりと顔を洗い歯を磨く。

 その後は急き立てられるようにドレッサーの前へと促されるのが日課となっていた。

 ドレッサーの前に座るオルガを、窓から差し込む柔らかな春の日差しが包み込むように照らしている。

 時の流れは思った以上に早く過ぎ、オルガが祖父の元を訪れてから六回目の春を迎えていた。

 オルガは、誰からも見向きのされない哀れな7歳の幼女ではなく、もう直ぐ14歳の”乙女”と言ってもいい少女へと変貌を遂げていた。


「お嬢様、今日のご予定はどのように?」


 マリーがオルガの髪を丁寧にブラッシングをしながら尋ねた。


「お祖父様は、朝食にいらっしゃるのかしら」


 早春の伯爵領は何かと忙しく、ここ最近は一人で食事をすることが多くなっていた。


「今日は北の領地の陳情で朝早くお出かけになりました。ですが、明日の晩餐には間に合うように戻られるとおっしゃっておられました」

「そう。なら明日の晩餐のドレスはマリーに任せるわ」

「かしこまりました」


 そう返事をしたマリーの顔がほころぶのを、オルガは鏡越しに見ていた。

 晩餐の正式なドレスを任されることはお嬢様付きとしてのマリーの誇りであった。

 それからマリーの『今、王都で流行っているドレスや髪型』のお喋りがひと段落つく頃に、やっとブラッシングが終った。


 オルガは、前に一度だけ、あまりにもブラッシングの時間が長いので『手短に』と伝えたことがある。

 その時のマリーは、まるでこの世の終わりかとでも言うように、長々とブラッシングの有用性を説かれてからは、彼女の気が済むまで付き合うことにしていた。

 しかし、マリーの言う通り、回帰前はありきたりな茶色でしかなかった髪も、マリーの日々の弛まぬ努力のおかげか、艶のある琥珀色の美しい巻き毛へと変貌を遂げたのをみれば、流石にオルガも無下する訳にいかなかった。


「今日は暖かくなりそうですわ、お嬢様。あの淡いミモザ色に若草色のリボンのついたドレスはいかがですか?確か髪を結ぶのに丁度いいリボンがあったはず―――」


 マリーはブツブツと独り言を言いながら衣装室へと消えていった。

 きっと明日の晩餐のドレスの下見もあるから時間がかかるだろう。

 オルガはマリーが衣裳室から戻る間、ぼんやりと鏡に映る自分を眺めていた。

 燻んだ青の目は変わらない。が、祖父の元での健康的な生活のおかげか、肌は張りのあるミルク色で、紅がなくとも健康的な赤みが薄っすらと頬を染めていた。

 卵型の顔の中央の鼻はやや長めだが貴族的な鼻筋で形はよかった。

 そして何より唇はふっくらとして健康的な杏色だった。

 お世辞にも絶世の美女とまでは言えないが、それなりに品のある、まずまずの容姿と言えるまでになったのではないか。そうオルガは思った。

『自画自賛だろうか?』鏡の中のオルガは自虐的な笑みを漏らした。


 マリーが手配した朝食を、先ほどのメイドが持ってきた。

 最近、オルガは祖父と食事を共にしない日は部屋に運ばせるようにしている。

 自分だけの為に食事室を開けたり、無駄になる人の手を善としなかったからだ。

 トレーには焼きたてのロールパンにオムレツ、冷製のハムとサラダ、それと濃い紅茶のいい匂いが部屋の中に広がった。


『それにしても遅いわね。マリーは仕立て屋まで行ったんじゃないでしょうね』

 朝食が済み紅茶を飲んでいるところに、やっと腕いっぱいにドレスを抱えたマリーが現れた。


「お嬢様、一着に決めるなんて私には無理ですわ」

 そう言ってクローゼットに晩餐の時に着るドレスの候補をしまうと、オルガにミモザ色のドレスを着せた。

 マリーが持ってきたドレスは、細かいタックのついたアイボリーの生地が胸の辺りで切り替えてある丈の長いワンピースで、若草色のサッシュが腰についたものだった。

 ここ最近は脹脛の見えるドレスは着ていない。

 艶のある髪を編み込み、ドレスのサッシュと同じ色のリボンで一つに纏めてもらう。

 しかし、まだデビュタント前だからコルセットはしていない。

 姿見に移った大人でも子供でもない少女の自分の姿にオルガは満足をした。


「ジャンはセルジュのところかしら」

「はい。今朝はもう修練場へ出かけたようですよ」

「それなら、久しぶりにセルジュの所へ差し入れに行こうかしら。ああ、それと午後にでも手紙を出してきて欲しいの。買ってきてもらいたいものが2〜3あるからジャンと一緒に行ってきてくれないかしら」

「かしこまりました」


 マリーが珍しくぶっきらぼうに答えると、頬を染めたまま、そそくさと部屋を後にした。


 ジャンはセルジュが王都より連れ帰ってきた少年だ。

 どういった経緯で知り合うことになったのか、セルジュは未だにエマにも詳しく話してはいないようだった。

 エマの故郷にいたという枢機卿の使いで教皇庁へ出向いた際に、セルジュが世話になったということぐらいしかわからないでいた。

 使用人の間では、人のいいセルジュが街で見かけた浮浪児どもを哀れに思い、伯爵領へ連れ帰ったのではないか。と言うのが大方の見方であった。

 現に、ジャンの他にも数人の少年がいたそうだが、幼すぎる者は教会に預けジャンとレオと名乗る少年だけを連れてセルジュは伯爵領に戻ってきた。


 ジャンが屋敷に来た当初は、痩せていて体も小さく、目だけがやたらぎょろぎょろと大きいだけの少年で、年も12〜3歳ぐらいと思われていた。

 しかもジャン自身、自分の詳しい年齢を知らず、困り果てた大人たちが彼の話を元に、マリーと年が近いのだろうという事で落ち着いていた。

 ジャンとレオが屋敷に来てから数ヶ月は、二人仲良くセルジュの元で騎士の見習いの様なことをしていた。

 住むところもなく、子供だけでその日暮らしをしていたにも関わらず、ジャンとレオは真面目に見習いの修行に勤しんでいた。

 しかし、ジャンは、騎士というものがどうも性分に合わないと見えて早々に母屋に鞍替えをした。

 暫く下働きの小僧として屋敷の雑用を請け負っていたのだが、オルガがジャンの素質を見抜き、祖父に頼んで自分付きの使用人の様なことをさせ始めたところだった。

 年齢的にも経験上も一人で動けるジャンは、新しい投資先の偵察や王都の周辺の聞き込みをさせるのにうってつけだった。

 オルガの頼みで何度か商業地区へ出向いている事を聞いたセルジュが、『王都へ行くなら身を守る術を持っていた方がいい』と言い張り、またジャンを修練場へと引き戻していたのだ。

 また直ぐに音を上げるかとの周囲の危惧を他所に、今回は大人しくセルジュの言うことにしたがっているようだった。



 ◇◇◇



【ジャン】


 セルジュが王都からジャンを連れて帰ってきた時は、本当に驚いた。

 エマから話を聞いたときに、なんとなく探していた彼ではないかと思ったが、何分にも記憶が曖昧で確信が持てなかった。

 実際会ってみても、あの頃のジャンとは似ても似つかない子供の姿に、かろうじて、薄汚れた印象しかない鼠色の髪と聞き覚えのある下町訛りの話し方から、そうではないかと推測しただけだった。

 いずれにしても、私自身、王立学園(アカデミー)に入学するまでは身動きが取れそうにないし、取れたとしても、果たして今の曖昧な記憶で彼を探し当てることができたか甚だ疑問が残る。

 ならば、この新しい”ジャン”に託してもいいのではないかと考え始めていた。


 ジャンが伯爵邸に来た当初、セルジュの元で騎士の見習いのような事をしていて、私自身、噂とエマの話だけでジャン本人に会うことはなかった。

 しかし、気がつくと、ジャンは屋敷の下働きになっていて、あの鼠色の髪をあちこちで見かけるようになっていた。

 マリーが言うには、元々下町っ子の彼に騎士は重荷だったようだ。

 それにしても、回帰前のジャンの印象は、陰鬱な空気を身に纏う、とっつきにくい男だったのに、ここでの彼はまるで別人だ。

 誰にでも親切で人懐っこいジャンに、マリーも弟のように目をかけているようで、屋敷のことや仕事のことをあれこれ教えてやっていたらしい。(人懐っこい事こそ、あのジャンとは想像がつかない)

 そして数ヶ月前、マリーから、色々な調べ物の手伝いを『自分にもやらせてもらえないか?』と頼まれたと聞いた時に、なんの確証もないにも関わらず、彼があの”ジャン”だと感じた。


 しかしながら、身元は不確かで、辛うじてセルジュが面倒を見ているというだけの少年を、伯爵の孫娘である私の手足として使うことに心配の声があった。

 それでもマリーから、これまでも”秘密”と言われたもの以外はジャンの手を借りていたと告白され、思い切って祖父に懇願し、私のそばに置くことができたのだ。

 ジャンには悪いが、これからギヨームのいる公爵家と対峙するのに、マリーひとりでは危険すぎると思っていたところでもあったので、彼が来てくれてどれほど安堵したことか。


 さらに驚くべきことに、ジャンは簡単な読み書きすらできた。

 マリーには私の耳と目になってもらうために、簡単な読み書きを教えていたが、学校にも教会にも行っていないジャンが知っているのは奇跡に近かった。

 独学だとジャンは私に説明をしたが、どうもレオに教わっていたらしいと、後にマリーから聞いた。


 レオ。

 ジャンと共に伯爵領へ来た少年で、回帰前には会ったことがなかった。

 整った顔立ちと忘れることのできない美しい青色の瞳をした少年。

 最近、彼のことを貴族の庶子ではないかと噂しているのを聞くが、あながち間違いでもなさそうだ。

 修練場ではセルジュとしか話したことはなく、黙々と素振りをする彼を遠くからしか見たことがない。

 それでも、下町っ子のジャンとは違う立ち居振る舞いに、貴族の品のような物が感じられた。

 しかし、本当に貴族の庶子でありながらジャンと同じ身の上であったなら、余程辛い思いをしてきたに違いないだろう。




 ◇◇◇



 セルジュは騎士団の中で昇進をしていた。

 若手を指導する先輩騎士ではなく、教官として見習いの若手を統括するようになっていた。

 初めて会った時の兄のような雰囲気は消え、若い少年たちを相手に稽古をつけるセルジュは、すっかり一端の騎士という風情を醸し出していた。


「お嬢様、珍しい」

「久しぶりに差し入れを持ってきたの。もう、訓練は終わり?」

「ええ。ジャンは終わりです。他の者はこの後もありますが」


 オルガにとって、ここに訪れることができるのは後わずかだ。

 学園(アカデミー)へ上がり、王都でデビュタントを迎え淑女になれば、今までのように修練場へ出向くことは叶わない。

 幼い時の、誰にも咎められず自由にエマと二人でセルジュに会いに来たことが懐かしく思えてきた。


 あれから随分とオルガを取り巻く環境は変わった。

 エマはセルジュと結婚し、時々、帳簿付の手伝いに伯爵邸へ来るだけになっていた。

 祖父は相変わらず忙しそうだが、叔父夫婦のところには待望の嫡男が生まれた。

 それを機に、オルガは爵位の継承はしないと正式に決めた。

 その代わり、成人して父との関係を清算した暁には、叔父夫婦にオルガの後見人になってもらうよう話がついていた。

 本当は後見人も辞退したかったが、叔父夫婦はそれだけは譲れないと頑として突っぱねたため、オルガが折れる形となった。

 そして、オルガが入学でこの地を離れる際に、叔父夫婦が伯爵邸へ移り住むことになっている。

 生き残ることだけを考えて、この地に足を踏み入れた7歳の頃には予想がつかないことであった。

 その中でも、唯一変わらないものといえば、オルガの母ぐらいなものだった。


 オルガは、もう直ぐこの地を離れることを考え、珍しく感傷に浸っていた。

 回帰前は、母と住んだ家を出たが最後、死ぬまで戻ることができなかった。

 今度はどうだろうか。

 この先、父やエリーズ、夫であったノエルと道が交わり復讐を成すことになれば、この風景を見るのも、ここで過ごすのも最後かもしれないのだろうか。

 そんな取り止めのないことを考え、ぼんやりと修練場を見ていた。

 目に入るのは、ナラの木に囲まれた固く平されたむき出しの地面に簡素な木の柵。

 小さい時は秋にどんぐりを拾いに来たものだった。

 遠い思い出と共に、その木の柵にもたれる二人の影が目に入ってきた。

 それはジャンの鼠色の頭とそれより頭一つ大きいレオと思われる緑がかった焦茶色の頭で、何やら軽口を叩いているように見えた。


「ジャンと一緒に来た者は続いているようね」

「そうですね。意外に見所がありました。見習いという年には遅いですが、それでもなかなか根性があります」


 そう言ってセルジュは二人のいる方を眺めた。

 オルガには敢えて言わなかったが、レオは貴族の庶子ではないかとセルジュは思っていた。

 初めて模擬刀に触れたとは思えない太刀捌きと構えが、随所に垣間見れた。

 幼い頃にそれなりの訓練を受けたに違いない。しかも、ちゃんとした師について。

 それよりも敢えて表に出さないようにしているが、博識で読み書きができることも侮れなかった。

 とは言っても、ジャンと共に浮浪児として下町を寝ぐらにしていた過去を思えば、いくら貴族の血を引いていようとも、この世界では枷にしかならないのをセルジュはよく知っている。

 団長も他の団員も薄々は気がついているが、彼の為にそのことには触れないでいた。


「そうだ。今日はね、差し入れを持ってきたの。あと何回、来れるか分からないから」

「あのお小さかったお嬢様も、もうすぐデビュタントですか……」


『エマのお嬢様が成人される』セルジュはまるで父親のような感慨に浸った。


「それと、ジャンには用事を頼みたいからこのまま連れて行ってもいい?」

「もちろんですとも」「おい」


 セルジュの声は腹の奥底から修練場の隅々まで響いた。

 上官の呼びかけに、レオは一瞬で背筋を伸ばし走り出した。

 遅れて、ジャンも汗でぐちゃぐちゃになった髪を片手で梳かしながら、レオと共にセルジュの元まで走ってきた。

 二人はオルガの方へ敬礼をすると、直ちに後ろ手に組みセルジュの言葉を待った。


「ジャン、お嬢様の用事があるそうだ。それと、レオ。お嬢様からの差し入れがあるからお昼に配るのを手伝え」


 レオとジャンはセルジュの命令に神妙な顔で返事をすると、マリーの元へ差し入れを受け取りに走っていった。


 オルガは走り去るレオの後ろ姿を一瞥し、勿体ないと思った。

 オルガの父を思わせる整った顔に夏の空のような青い瞳。

 それなのに、その容姿に似合わないなんともいえない髪の色。


『私にはどうでもいいことだけど……』


 思わず口に出た言葉は、誰にも聞かれることなく早春の風に乗って消えていった。

花粉症はいかがですか?

いろいろ閉塞感がキツくなる季節ですね

ご自愛ください


日本では鼻が高い低いと言いますが、向こうでは長い、短いというようです

日本人にはわからないスロープ?の長さってことでしょうかね

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