26 エリーズ
身体特徴の揶揄、不快な表現があります。
表現として譲れない部分もありますが、不快に思われた場合、変更の余地もありますのでご一報ください。
トゥッカトッカトゥッカトッカタターンタターン
馬車の音が好き。パパとママが馬車で帰ってくる日は機嫌がいいから。
真夜中のベッドの中で馬車の音が聞こえたら、パパがカードで大勝ちしていっぱいお金を儲けたってこと。
だから次の日はご機嫌なパパとママとでお出かけできるからすっごくうれしい。
トゥッカトッカトゥッカトッカタターンタターン
パパとママといつも乗ってる馬車は間にギシッとかミシッて音が聞こえるけど、この馬車の音はステキ。
クッションも柔らかいし、あまり揺れない。
それになんだかいい匂いがする。
トゥッカトッカトゥッカトッカタターンタターン
それなのにママは朝から不機嫌でイライラしてる。
ママの機嫌が悪い日は、エリーズはいない人になることにしている。
なるべくママの目につかないようにするのがコツなんだけど、この狭い馬車じゃ少しむずかしい。
さっきまでご機嫌取りをしていたパパも諦めてそっぽを向いてしまった。
あ~あ。
トゥッカトッカトゥッカトッカタターンタターン
◇◇◇
「どうしても行かなきゃいけないの?」
ずっと不機嫌だった母が、やっとのことで重い口を開いた。
「ハニー、もう何度も言ってるじゃないか。行かなきゃ金がもらえないんだぞ。金がなきゃお前の新しいドレスの支払いはどうするんだ?流行遅れのボンネットを被って街を歩きたきゃそうしろよ」
「だって……」
「俺だってあんな辛気臭い屋敷に行きたくないさ。だからいつものように家で待ってろって言っただろ?」
エリーズは窓の外を見るふりをして二人の話に聞き耳を立てていた。
父が月の何日か仕事で家を空けるようになって数年になる。
「お前があんまりうるさく言うから連れてきてやったのに」
「だけどあんたはお屋敷に泊まるのにアタシらはただの宿屋なんでしょっ」
「仕方ないだろ。連れて行けるわけがないじゃないか。第一、お前たちの事をなんて紹介すんだ。え?」
いつもは甘い父もごねる母の扱いに手を焼いて機嫌が悪くなっていた。
「あ~あ、あんたの計画ってやつにのるんじゃなかった。もう10年以上も待ってるのにさ。いつになったら”奥様”とやらになれるのさ。エリーズだってあと4~5年もしたら大人の仲間入りだよ」
男を溺れさせると言われる自慢のエメラルド色の瞳で恨みがましく母は父のことを睨んだ。
「片方の娘は貴族のお嬢様で片方の娘は私生児だなんて―――」
「おい、言葉に気をつけろよ!」
父から叱責された母は不貞腐れて顔を背けると、また黙り込んでしまった。
しかし、二人のやり取りを聞いていたエリーズの耳に”貴族のお嬢様”と”私生児”と言う言葉がこびりついた。
『私生児……』
エリーズは胃の辺りから迫り上がってくる不快感を必死に押しとどめた。
その言葉の意味をエリーズはよく知っていた。
それを初めて聞いたのは、裕福な商家の娘からだった。
彼女とは同じ位の年頃で背格好も似ていた。
が、似ていたのはそれだけで相手はエリーズの半分も美しくはなかった。
手入れは行き届いてはいたが、髪の色はありきたりな茶色で冴えなかったし、瞳は緑がかった茶色で取り立てて美しくもない。
令嬢らしい華奢なところなど一つもないガッチリとした体型もエリーズの自尊心をくすぐった。
そして何と言っても致命的なのは鼻で、顔の中で一番の存在感を示していた。
そんな彼女とは、知人の家のお呼ばれで初めて会った。
エリーズは初対面にもかかわらず、彼女のことを不躾なまでに見つめた。
『―――あのドレスはマダム・フェロンのドレスに違いない』
その娘が着ていたドレスの生地に見覚えがあった。
それは、淡いクリーム色の生地に凝った青い小花が全面に刺繍がしてある品で、いつもなら華やかさのないその生地に見向きもしなかっただろう。
しかし、マダムの店のウィンドウの一番いい所に飾られていた生地に、何故だかエリーズは自分のために在るのではないかと思ったほどその生地に入れ込んだ。
おそらく『世が世ならパパは貴族の紳士でエリーズはそのお嬢様だ』と父から聞かされていたせいかも知れなかった。
それから暇さえあれば店のウインドウを何度も見に行った。
合わせるように同じく美しい刺繍のしてある青い幅広のリボンも飾り出した時、その生地で作ったドレスを着た自分を想像さえしていたから見間違えるはずがなかった。
『なんで?』
しかもエリーズが夢に見たデザインそっくりのドレスに仕立て上げられているのだ。
自分より明らかに見劣りのする少女が”エリーズの物”を勝手に着てる不快感。
苛立ちが沸々と湧いてきた。
『本当ならあたしが着るはずだったドレス......』
生地が飾ってあった店は、市井の中でも高級品を扱っている店だった。
そこで仕立てることができるのは、上流階級の子女か裕福な商家の奥方で子供が強請るにはいささか高価すぎる品物だと流石にエリーズは諦めていた。
そんなある日、父がカードで大勝ちして機嫌がすこぶるいい時があった。
エリーズは菓子やリボンを買って欲しいと言うのとは違う真摯さで初めて父に強請った。
初めは渋い顔をしていた父だったが、エリーズは根気強く父を説得した。
最後には父の首を縦に振らせることに成功したエリーズの気持ちは、”天にも昇る”とでも言うのだろうか、父の気が変わる前にと急いで手を取り店まで案内した。
が、結果としてエリーズは生地を手にするどころか店の中にさえ入れなかった。
店の品位が下がるからと言うようなことを遠回しに慇懃無礼に伝え、マダム・フェロンはエリーズ達を門前払いしたのだったからだ。
その時のエリーズは、喜びが大きかった分、悔しさと恥ずかしさで一杯になり、それ以来、マダム・フェロンの店に近寄ることはなかった。
『今はボツラクしてるけど貴族なんだとパパは言ってた。エリーズだってホントなら貴族のお嬢様だって。それなのにエリーズはマダム・フェロンの店に入れてもらえなかった。似合わないドレスを着てる滑稽なほど鼻のデカイあの子よりあたしにこそふさわしいのに……』
エリーズの心の中に形容のし難い感情が溢れてくる。
『悔しい』
感情が言葉になって心から漏れ始めた。
そして、一度溢れ出た言葉はエリーズ本人にも止めることはできなかった。
明らかな八つ当たりだとしても、エリーズには自分はかわいそうな被害者であり、似合わないドレスを着ている彼女こそ悪であり敵なのだ。
『悔しい 悔しい 悔しい 悔しい 悔しい―――』
あまりの強い思いに目眩が起きそうだった。
ギュッと噛んだ唇からは血が出てもおかしくなかった。
それでも、エリーズは一つ大きく息を吸うと、ギャンブラーの娘らしく感情が表情に出ないように気を遣いながら、ドレスの少女の方へ近づいて行った。
「こんにちは。あたしエリーズ。あなたは?」
「あ、初めまして。私はポーラ。よろしくね」
そう言ってポーラはスカートの裾をちょっと摘んでお辞儀をしてみせた。
上流階級っぽい仕草を見せつけられてエリーズはイラッとした。
「ポーラさん、こちらこそよろしく。ねぇ、あなたのドレス素敵じゃない。マダム・フェロンのドレス?」
「ええ、よくわかったわね。お誕生日のお祝いに作っていただいたの。この後、お祖父様にドレスを見せに行くのよ」
はにかみながらも得意げな様子が見てとれた。
ポーラに向ける気持ちがもはや悪意しかないエリーズにとって、彼女の仕草の一つ一つが苛立ちでしかなかった。
それでもエリーズは、さも感嘆したようにポーラに笑顔で相槌を打ったのだった。
その唇は悪意で醜く歪んでいたけれど。
「素敵。でも残念ねぇ。大きな鼻が目立ちすぎてドレスの花が目立たないわ」
ポーラはハッとして自分の鼻を両手で覆い隠したものの、その顔はみるみる真っ赤に染まっていった。
「それに大変だったでしょう。普通より生地もたくさん使ったのではなくて?」
更に顔を真っ赤にしながら小刻みに震えている彼女を見てエリーズはスッとした。
「そうだ。髪の色も私みたいなブロンドに染めてみたら?そうしたらドレスがもう少し似合うようになるのではないかしら」
エリーズはそれだけ言うと、少女達が集まっている方へと踵を返した。
満足そうに歩くその後ろ姿に向かってポーラは毒づいた。
「―――私生児のくせに」
エリーズの動きが止まる。
振り向きざまに凄んだ言葉はポーラに向けられた。
「ろくでなし?あたしが?」
「違うわ。私生児って言ったの。あんたは結婚していない二人から生まれた罪の子だって司祭様がおしゃってるのを聞いたもの」
「嘘、嘘よ。パパとママはずっと仲良しだし、ずっとあたしたちは一緒だもの」
「司祭様は嘘はおつきにならないわ。エリーズ、あんたはどんなに綺麗な顔でも本当は薄汚い私―――」
エリーズは近くにあったテーブルから紅茶の入ったカップを掴むと彼女に投げつけた。
カップはパニエで十分に膨らませたドレスに当たって大きな紅茶の染みをつけると床に落ちて割れた。
「あっ」
紅茶はポーラの自慢のドレスに不恰好な染みをつけた。
お気に入りの高価なドレスが汚されたポーラの顔は、見る見る間に顔から血の気が失せて青ざめた。
その様子を見ていたエリーズは、あれ程執着していたドレスだったのにもかかわらず、汚れて惨めなポーラを見た瞬間、急速に気持ちが冷めていくのを感じた。
そして、それとは反対に、爽快感に近い不可思議な感情が湧き上がるのも感じているところだった。
「ふんっ」
ポーラを一瞥すると、エリーズはその場を後にして家へと帰った。
それ以来、その事はエリーズの胸に仕舞われた。
彼女の執着と手に入らない物なら壊してしまえばいいと言う歪んだ感情と共に。
◇◇◇
カタン。
気づかないほど緩やかに馬車は止まった。
いつの間にか窓には目隠しが下されていたが、エリーズは指で隙間を作るとそこから外を覗き見た。
そこにはエリーズが今まで見たこともないお屋敷があった。
エリーズが住んでいる家もあの街ではなかなかのものだったが、ここはそれとは比べようもないほど立派で大きくて美しかった。
エリーズは今まで馬車留めのあるお屋敷を訪れたことなどなかった。そんな立派なお屋敷でパパが”お仕事”をしている。
カード以外の仕事。そう思うと少し誇らしかった。
「さあ、パパはここでお仕事だ。ママとこの先の宿屋で待っていなさい。明日は二人にドレスを買ってあげよう。それともお前はその自慢の胸を飾る宝石の方がいいかな?」
そう言うと父は母の胸元を指でなぞる。母はくすぐったいのか父の指に合わせてクックと声を押し殺して笑った。
「もう、降参。わかったわ、ダーリン。その代わりルネの店で見たアレを買って頂戴。それ以外は嫌ぁよ」
「もちろんだとも。その代わり今日はおとなしくしててくれよ」
苛立っていた時とは見違える程、舌ったらずに甘えてみせると、母は父とビズを交わし、手を振って行くようにと促した。
二人はエリーズがいることを忘れているかのようだったが、彼女自身は初めてみる馬車の外に興味津々でそんな事は全く気にならない。
現に屋敷から見たこともないような白い手袋をした上品な男性が、玄関なのだろうか。大きな木の扉から出てくるのが見えた。
『誰なんだろう』
しかし、その男性は父が降りる時、馬車の中に目をくれたにもかかわらず、エリーズと母がいないかのように振る舞った。
そして父は彼から主人のような扱いを受け、エリーズ達を振り返ることなくそのまま屋敷へと消えていった。
その後ろ姿に、とてつもなく大きな見えない壁が目の前に張り巡らされたのは子供心にもわかった。
屋敷の中に父が吸い込まれた後、御者は扉を閉め、宿屋へ馬車を走らせた。
父の抜けた馬車は急に広く寒々とした。
あれ程甘えた声を出していた母は無表情になり、エリーズのことを忘れた様に遠くを見つめるだけだった。
エリーズはそんな母親の顔を横目に、宿屋までの道のりを馬車の音を聞きながら、また自分の世界に閉じこもって言った。
今までのPCがかなり古くてOSが今のネット事情に追いつかなくなりました
新しく購入したのはいいのですが、設定や操作が驚くほど変わっていてPC赤ちゃんになりました
感想をありがとうございました
励みになります。ここでのお礼で失礼します




