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24 セルジュ(手紙)

エマは帰りの馬車に揺られながら信じられない思いで左手にはまった指輪を見ていた。


「司祭様が本当は枢機卿猊下だなんて信じられないわ」


司祭が婚姻証明書に署名をした時だった。


「せっかくだから正式な署名をしておくかな」


そう言って”教皇庁大使 アウグスト・マリーノ・ピエラントーニ”と署名をしてから枢機卿の証である印章を押した。

あまりのことに言葉を失った二人を見て司祭は悪戯っぽく笑った。


「あまり大きな声では言えないが、お役所仕事に息が詰まってな。聖遺物を探す偉業と偽って出奔してたのだ」


そして誰に言うともなく祭壇に向かってつぶやいた。


「しかし、それももう終わりだ。あやつが私に聖遺物を押し付けていきおった」


あの時渡した皮袋の中に教会の修理代と聖遺物が入っていたという。

聖遺物がどんなものかは秘匿だというので教えてはもらえなかったが。


「在るが儘でいられたのも、もう終わりということだ」


その後、勧められるがまま、その日も教会に泊まった。

司祭の本当の身分を知って恐縮していた二人も、普段と変わらない気さくな司祭の姿に次第に打ち解け始めた。

いつもの司祭と思えば昔話にも花が咲いた。

昨日は思うことが多すぎて十分に話ができなかったエマが、今日は司祭を独り占めして話をしていた。

読み書きや算術は呪い師が、行儀作法や手習い、手紙の書き方は司祭が手ほどきをしていた。

そのせいか思い出話には事欠かなかった。

エマにとって二人はこの村での第二の両親のようでもあった。


「さて、私も自分のいるべき場所に戻らなくてはいけなくなった......」


司祭はエマの手を取り目を見つめて優しく諭すように話し始めた。


「エマ、おまえの心が求める場所がこれからの故郷になる。子供が生まれればお前自身が故郷になれるように生きなさい」


エマは深く頷いた。


「恨みや嫉みは決して良きものを生むことはない。だが、生きる糧になるのも否定できないのが悩ましいところだ。しかし、エマ。お前にはそんなものがなくとも十分生きていけるはずだ。そうだろう?」


エマは司祭の言葉がよくわかった。

これからセルジュが私の故郷になる。生まれた場所は関係ないのだ。

そしてエマ自身もセルジュの故郷になりたいと切に願った。


 ◇◇◇


早朝、セルジュが厩で出発の準備をしているところへ朝の祈りを終えた司祭が訪れた。


「セルジュ卿、君は騎士だというじゃないか。結婚早々悪いがこの手紙を教皇庁へ届けてくれまいか?かれこれ10年以上も音信不通にしていたからな。私の知る者が生きてるかわからんのでな」


枢機卿の親書は枢機卿本人の重さと同じ金の価値がある。

それを子供に使いを頼むような気安さだ。


「急がんでもいいぞ。私はここでの生活が思いの外、気に入っているからな」


悪戯っぽく笑った司祭は、驚いて微動だにできないセルジュの手に無理やり手紙をねじ込んで行った。


枢機卿からの手紙という恐れ多いお使いを頼まれたセルジュは、そのまま伯爵邸に帰る訳にもいかず、予定を急遽変更せざるをえなかった。

伯爵邸に戻り、王都にある教皇庁へ向かうとなると最低でも三日はかかるだろう。

領主館からなら馬を飛ばせばで1日、少なくとも1日半で済む。

このままエマを伴っていくことも考えたが、今回は帰郷が目的だったので最低限の装備しかしていなかったし、さらにエマを連れての遠出は心もとなかった。

何と言っても枢機卿の親書を携えての旅であれば、ある程度の装備をしなくてはいけないだろうし騎士の正装服も必要だ。

それに万が一を考えて最低でも騎士一人連れて行くべきだろうとセルジュは考えた。


なんにしても伯爵邸によってからでは遅すぎる。

枢機卿は急がなくても良いと言っていたが、セルジュは一刻も早くこの親書から解放されたかった。

考え抜いた末、セルジュは一番近い領主館で準備をした上で急ぎ教皇庁へ行くことにした。

その間、エマを領主館に預けるつもりでもあった。


「ふふふ。大変なお使いを頼まれて気が重いって顔に書いてあるわよ」

「まあね。悪いけど俺が帰るまで領主館にいてくれないか?それか騎士に付き添わせて伯爵邸に帰ってもいいけど」

「そうね。でも領主様にお願いをして旦那様に内密にドロレス嬢について話しをしておきたいわ」

「そうだな。着いたら領主様に頼んでみるよ」


程なくして二人は昼を少し回った頃に領主館に着いた。

少しばかり馬車を飛ばしたのでエマの顔は青ざめていたのを申し訳なく思った。

それでもセルジュは近くにいたメイドにエマを預けると、その足で真っ直ぐ詰所へと向かった。

そこには数人の騎士待機しており、その中の一人に出がけに書いた団長宛の手紙を届けるよう言伝た。

騎士の早馬なら半日もかからずに伯爵邸につくことだろう。

知ってしまったからには司祭を今までのように一人で教会に寝泊まりをさせるわけにはいかなかった。

話を聞いた領主様もきっと御前に手紙を書くだろうが、セルジュは伯爵家の騎士として猊下の警護をなるべく早く向かわせたかった。


セルジュは領主にお目通りが叶うと、猊下より教皇庁へ親書を届けるように頼まれた経緯を簡単に説明した。

無論、その際に婚姻証明書の猊下のサインと印章を見せることを忘れなかった。


「私は準備が整い次第、王都へ向かいます。ですが伯爵様にはエマが内密にお話があるというので、猊下への訪問が済んだ後にでも機会を作っていただけないでしょうか」


エリオットは思いがけない申し出に面食らったが、セルジュもエマも生半可な理由でそんなことを言うはずもなかったので余程の訳があっての事と直ぐに承諾した。


「では、詰所に行ってまいります。私が留守の間、エマのことはよろしく頼みます」


そう言って深く頭をさげると再び詰所に向かって足早に去っていった。

詰所に着くと自分と体格の合いそうな騎士から礼服を借り受け、腕の立つ者を一人道連れに王都へと馬を走らせた。



旅は思いの外、楽なものだった。

天候が味方をしてくれたのか雨に降られることもなく、折しもここ数日、晴天が続いていたせいか道も乾いていた。

密かに聖遺物の奇跡ではないかと思うほどであった。

二人は馬を休ませる以外走り続け、わずか1日ほどで王都につくことができた。

馬にも十分無理をさせたが、セルジュと連れの騎士はそれ以上に無理をしていた。

セルジュは出がけに領主の勧めもあり、伯爵家の別邸に立ち寄った。

それでも旅の汚れを落とし騎士としての正装に着替えると、馬を替え休憩もそこそこに教皇庁へと向かった。


「おい、セルジュ。何もそこまで急がなくともいいんじゃないのか?」


連れの騎士が不満を漏らした。


「そうなんだが…...猊下の親書に何かあったらと思うと」

「確かにそうだな。俺らの首は地面を転がるだろうな」


そう言って連れは手を首のあたりではねる仕草をした。



王都とはいえ別邸のあるところはまだ牧歌的なところが残っていたが、中心部に近づくにつれ石畳と煉瓦造りの実用的な建物が目立ってきた。

二人は商業地区を抜け王宮とは反対側に位置する教皇庁に馬の頭を向ける。

教皇庁は大きな聖堂の側にあった。

聖堂の威厳を保つためなのか、周囲には大聖堂より大きな建物は見当たらない。

そのせいもあるだろうが教皇庁はすぐにわかった。

入り口の前には聖騎士が白地に教会の色である淡いブルーの縫取りのある礼服を着て立っている。

セルジュたちは教皇庁の入り口近くで馬を降りた。


「手紙を届けたらどこかでゆっくり飯でも食おう」


思えば二人は昨日からきちんとした食事を摂っていなかった。


「ああ…うん。そのことなんだが……ちょっと知り合いに会っておきたくてな」


奥歯に物が挟まったような物言いにセルジュは女だろうと直感した。


「そうか。ならこれを持っていけ」


出がけに領主であるエリオットから渡された路銀の半分を連れの騎士に渡した。

『すまんな』と連れは言うと再び馬に跨り商業地区の方へと駆けて行った。


「では明日、別邸で落ち合おう」


そう背中越しに叫ぶと馬を引きながら簡単に身だしなみを整え門番の方へと歩き出した。


「枢機卿猊下か大司教様がいらっしゃれば御目通り願いたい。アウグスト猊下の親書を預かっている」


アウグスト猊下の名前を聞いた途端、その場にいた門番はおろか近くにいた司祭までもが一斉に慌てだした。

聖遺物を探す旅に出たまま10年以上も音信不通だった枢機卿の名前が出たことだけでも驚きなのに、親書まであるという。

一部の聖職者は高位聖職者の元へ走った。


それからのセルジュはまるで嵐の中に放り込まれたようだった。

皇族か高位聖職者の控えの間のような部屋に通された後、入れ替わり立ち代り主教や司祭が訪れて質問を浴びせかけていった。

同じことを何度も答えている所へ明らかに他の聖職者とは違う祭服を身に纏った男性が部屋へ入ってきた。

その後ろから侍従のような者たちがついてきて、お茶やお菓子を二人の目の前に並べると大司教の後ろに控えた。


彼はベルバルト大司教と名乗った。


「遠いところから申し訳ありません。貴殿はブラザー・アウグストの親書をお持ちだとか。今、お渡しいただいてもよろしいかな?」

「はい。ここに」


そう言ってセルジュは胸の内側のポケットに隠し持った親書を渡した。

親書を受け取った彼は封蝋の紋章を確かめてのち、侍従が持っていた銀のトレーにのせた。

そして大司教は穏やかな笑みを浮かべ「明日の朝、またこちらへ足を運んでいただけないだろうか」と話すと「神のご加護を」とセルジュに祝福を与えて去って行った。


取り残されたセルジュはひどく落ち着かなかった。

教会などエマの気を引きたくて通い始めた身としては、大司教からの祝福は至福ではなくただ恐れ多いだけだ。

そして侍従だけが残された豪奢な部屋に一人お茶とともに残されてはなおさらだ。


「——あの、明日もということですが、どこかいい宿があれば……」


沈黙に耐えられず、この部屋にセルジュとともに残された侍従に話しかけた。


「ああ、そのことでしたらご心配なさらずに。宿の手配はできております。それよりも猊下の祝福が込められましたお茶ですので、どうぞお飲みください」


侍従の穏やかな表情とは裏腹に断れない圧を感じ、手元のお茶を一息で飲み干した。

熱かったのか冷めていたのか、お茶の味も何もしないただの液体がセルジュの喉を通り過ぎた。



侍従の案内を断り、セルジュは用意された宿屋へと向かった。

大聖堂への巡礼者が多く訪れるこの場所には、専用の宿屋が何件も立ち並んでいた。

手配したという宿は見ただけでもその中で一番いい宿屋のようだ。

教皇庁からの言伝があったと見えてセルジュは騎士が泊まるには分不相応な部屋に通され、また落ち着かなかった。


『そういえば、親が商業地区に支店を出したと言っていたな。次兄がそこを任されていると』


実家を継いだ長兄がなかなかのやり手なのと次兄が商業地区にある名の通った商家に入り婿に入った伝手で支店を出すことにしたと両親から聞いたのは二年前のことだった。

それなりに上手くやっているから王都の寄った際には来てくれと次兄からも手紙をもらったのを思い出した。


『せっかくだから行ってみるかな』


セルジュの家もそれなりに裕福ではあったが所詮、市井の民でしかない。

貴族のような扱いには慣れていなかった。

しかも、教会からのお墨付きの元で寛ぐことなど到底出来はしない。


『思い立ったが吉日だ』


セルジュは礼服を脱ぎ、簡素なシャツの上から皮のチュニックを羽織ると「兄の家に行くので夕飯はいらない」とだけ言って表へ出た。


外はもう暗かった。

しかし、遠くに見える商業地区は明るいのが見て取れた。

いきなり行ったら驚くだろうな。と思ったが、子供の頃より次兄とは仲が良かったので歓迎してくれるだろう。


セルジュは三人の兄とは年がかなり離れている。

皆、父親譲りの赤毛だったが容姿はまちまちで、長兄と末兄は父親に似てスラリとした体型に商人らしい女受けをする面立ちをしていた。

反面、次兄は母方の祖父に似て骨格のしっかりした、どこか武骨の感じがする男だった。


男子が三人もいれば十分なはずが、聞けば両親がどうしても女の子を諦められず生まれたのがセルジュということだった。

それまでは長兄と末兄はつるむことが多く、自ずと次兄が蚊帳の外ではあったが、当の次兄自身も一人を好む男だった。

というか、家族の中でも一人毛色の変わった人間だと思われていた。

それがセルジュが生まれると人が変わったように、次兄は生まれてきた弟を可愛がったという。

請われればどこへでも連れて行ったので、最後には『実はルシャン(次兄)の隠し子なのでは』とまで言われるほどだった。

セルジュが騎士になりたいと言い出した時も後押しをしてくれたのも次兄だ。

エマとの婚約も一番喜んだのは兄、ルシャンだった。

当初、エマは伯爵家の侍女ではあったが実家は取り立てていいとは言えなかった。

両親は『騎士爵があれば家門が選べる』と難色を示したが、次兄が『貴族でもない俺たちが身分についてとやかく言うべきではない』と両親をたしなめてくれた。


その次兄も数ある有力商家からの縁談を断り、幼馴染の女性と結婚していた。

ずっと望まれていた女の子が二人、次兄の家に生まれている。

次兄が商業地区に行くと決まって、両親はかなり落ち込んだと後で聞いた。


『姪に何かお土産でも買うか。それと義姉さんにも』


次兄の家へ向かう途中、露店で子供の喜びそうなものと義姉には甘いものでも買っていこうと少し遠回りをすることにした。


暗くなった通りを露店が明るく照らしていた。

ここはこれからが本番のようだ。

簡単な軽食を売る店や、怪しげな薬を並べている店、景品がもらえるちょっとしたゲームの出来る店などが所狭しと通りを埋め尽くしていた。

そこで木彫りの動物の人形と商家の奥方になってからおいそれと買えなくなったという揚げ菓子を義姉のために買い、自分も串に刺した肉を頬張りながら冷やかしまではいかないがブラブラと通りを歩いていた。


「ギヨーム。おい、ギヨームじゃねえか」


不意に聞いたことのある名前がセルジュの耳に飛び込んできた。

訳ありな人相の悪い男と雑談をしているその男は、騎士団の詰所に貼られている手配の男そのものだ。

野ネズミのような色の髪の毛に暗い沼のような瞳。右ほほにある刀傷。それでいて鼻筋の通った形のいい鼻。

もう諳んじることができるほど覚えた特徴と似顔絵にそっくりの男が、今、セルジュの目の前にいた。

エマを絶望に陥れた元凶がいる。

あの日、追っ手から逃げきってからの行方が分からなかったが、まさか又ここに戻ってきているとは思わなかった。

『落ち着け。落ち着くんだ』

セルジュは何気ないふりをしながら買い物客を装ってギヨームと呼ばれた男のそばに近づいていった。

不意に頭の中に聞こえてきた団長の『地の利の無い場所では深追いはするな』という言葉を無視して。


「最近見かけなかったじゃねえか。いつもいた奴らはどうした?」

「リュカ?彼奴らはもっと実入りのいいとこへ行ったよ」

「薄情な奴らだなぁ」


話しながら二人は笑っていた。

それを聞いていたセルジュは嘘だと言いたかった。

奴らのアジトに押し入った時には手下は始末され、生きている者は誰一人いなかったからだ。


「これからどうだ?」


訳ありな方が酒を飲む仕草をした。


「いや、悪いがこれから野暮用があるんだ」

「そうか。俺も今一人だからよ。うまい話があれば声をかけてくれよな。なんでもやるぜ」


穏やかじゃない約束を交わし二人は別れた。

一人はパブのある方へ、もう一人は露店の通りを抜け光の届かない裏路地へと進んでいった。

セルジュは迷うことなく裏路地へと向かった。


すえた臭いと乱雑に並んだ木箱を抜けて男は裏路地を進んでいった。

目隠しをしても目的の場所まで行けるのではというくらい慣れた道のように思われた。

セルジュはある程度の距離をとりながらも見失わないよう男の後を追い続ける。

男が不意に通りを曲がり姿が見えなくなった。

セルジュは慌てて彼の後を追って曲がり角まで急いだ。

いつもなら一人でこんな深追いはしないはずだった。

明らかに冷静さを欠いたセルジュが通りを曲がるとそこには誰もいなかった。

『くそっ!誰もいないか』小さく毒突くと元来た道を戻ろうとした瞬間、暗闇から一本の腕が伸びてきてセルジュの首を絞める。同時に、もう片方の腕に握られた短剣は脇腹に当てられていた。


「ほほう、鎖帷子を着てるのか。どこの騎士だ?」


男は言い終わらぬうちに、反撃に出ようとしたセルジュの顳顬を持っていた短剣の柄で思い切り殴った。



目がさめるとそこは見たこともない小屋の中だった。

正確には見たこともない天井だった。

一瞬、自分の身に何が起きたのかセルジュはわからなかった。

殴られた顳顬がズキズキと痛む。布で猿轡がされていて埃の味が口一杯に広がっていた。

動かそうとした手と足はベッドの脚に縄でがっちりと縛り付けられているようだった。


かろうじて動かせる目で部屋の中を見渡すとこじんまりとした部屋の割にベッドがやけに大きく豪華なのが気になった。

それと、白粉とも香水ともわからない艶かしい匂い。

人の気配のする方を横目で見ると椅子の背に腕をかけて座る男がこちらを見ていた。


「ドュボー家の騎士か。しつこい奴らだな」


所属の家門を型押しした騎士の証をなで回しながら、目を覚ましたばかりのセルジュに男は言った。

見た目は悪くはないのに笑うと薄気味が悪い男。


「俺が生きてることを言いふらされちゃ困るんでな。悪いが貴様にはここで死んでもらうよ」


またニヤニヤと笑う男の顔は蛇のように狡猾だった。


「この部屋で酔っ払ったお前はそこの娼婦と火事で焼け死ぬっていうのはどうだい?」


男が手に持っていた酒瓶でさした方を見ると一人の女性が倒れたランプを抱いて床の上に倒れていた。

不自然に青ざめた肌の色を見れば息をしていないのは明らかだ。


「騎士様は知ってるかわからねぇがな。こうやって手足を縛られながらヤルのが好きな御仁が居るんだとよ」


そう言って酒瓶を開け無色透明の液体を床にまき始めた。

男は不名誉な死が絡むと遺族の意向で捜査がうやむやになることを知っているようだ。

『ああ、エマ。君だけは俺の無実を信じてくれ』

今更ながらに団長の言葉が身にしみる。


「本当ならここで貴様の絶望を見ておきたいんだが、野暮用があるんでな。残念だよ。」


鼻歌を歌いながら男は特に扉付近には丁寧にまいていた。

強いアルコールの匂いに飲まずとも酔ってしまいそうだった。

まき終わると酒瓶をセルジュの方へ投げ、次にマッチの火を女に向かって投げた。


「良い夜を」


扉越しに聞こえる男の笑い声がだんだんと遠くに消えていった。


火は酒をまいた所を舐めるように広がっていく。

特に扉付近は激しく燃えていて縛っている縄が解けたとしても出て行くのは難しそうだった。

それでもセルジュは縄で擦れ手首から血が滴り始めてもなお、抜け出す方法を模索していた。

やがて部屋が激しく燃え始め、煙が充満してくるとセルジュの息が苦しくなってきた。

炎の明るさとは裏腹に目の前がだんだん暗くなっていく。


『くそっ。こんな所で死ぬ訳にはいかない』


そう思ったのを最後にセルジュの意識は遠のいていった。

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