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16 悼み

オルガはもう一度、新聞の記事を読みなおした。

『間違いない。ノエルは今14歳で私ではない令嬢と婚約をしたと書いてある。

前回は私と一つしか違わなかったのに今回は4つも違う。

やはりただ時間が巻き戻ったわけではないようね』


喜ぶべきニュースのはずだった。

オルガはノエルの婚約者になる道は閉ざされたと言ってもいいはずなのに、なぜか心の底から喜べないでいた。

それは、夫・ノエルに気持ちが残っているからなどという感傷的な話ではなく、過去というか未来に経験した事のない事実に困惑したからだった。

テーブルの上に新聞を広げたまま、いつしかオルガは無意識に前回の婚約の経緯を思い出していた。

申し出は公爵様からで、使者が手紙を携えてきたのを父がすごく喜んでいたのを覚えている。

体裁を整えるために準男爵の爵位を下さるというので父は大層乗り気だった。

反対に自慢の娘、エリーズが選ばれなかったことを継母は父に不満をぶつけたらしいが、高位貴族の壁を打ち破るほどの気概も後ろ盾のない継母は、振り上げた拳をオルガに向けることで憂さを晴らしていた。

あの時は誰かに認められた嬉しさで深く考えが及ばなかったが、いくら伯爵の孫娘で学園での成績が良かったとはいえ、平民に近い娘を公爵という家の許婚にするだろうか。

しかも公爵家だ。父の人となりは事前に調査をしていたに違いない。

本当に祖父が用意した持参金だけが目当てだったのだろうか?

他にも何か裏があったに違いない。いや、むしろ無いほうがおかしいだろう。

今では、あの婚約がいかに貴族の道理に外れたことだったかよくわかるだけに、不可解な謎は今世でも引き継がれているように思われた。


オルガは我に帰り新聞を眺めた。

―――マリエル・シャルパンティエ侯爵令嬢。

『私の知らない婚約。私の知らない令嬢』

オルガは前世で彼女の名前を聞いたことはなかった。

前回、シャルパンティエ侯爵とは親交がなかったが、高位貴族に名を連ねている家門なので存在は把握していた。

しかし、ノエルと結婚をした後でも社交界で彼女の噂を聞くことはなかった。

侯爵令嬢だったなら結婚をし、夫の領地へ引っ込んだとしても、どこかで聞いたことがあるはずなのにどうしても思い出せなかった。

『もしかして若くして亡くなってしまったのかしら』

そんなことを考えながら何気なく新聞に載っている挿絵を見た。


挿絵の少年は、確かに初めて会った時のノエルに面差しが似ている。

『かなり腕のいい挿絵画家を使ったわね』そうオルガは思った。

挿絵画家の創作か、それとも本心からのものなのか、挿絵のノエルはオルガが一度も目にすることがなかった穏やかな喜びに満ちた笑顔をしていた。

そのノエルに寄り添うように立っている令嬢の顔をじっくりと見て驚いた。

白黒の挿絵では髪の色や瞳の色まではわからないが、顔立ちには馴染みがあった。


『エリーズ』


まだ今世ではあったことのない義理の妹。

いいや、腹違いの妹というべきか。前世でのエリーズに顔立ちが似ていた。

気味の悪いくらい瓜ふたつと言っていいほど。



 ◇◇◇



【予兆】


私の知らないところで何かが大きく動き出している気がした。

早く何らかの手を打っておきたかったが、まだ10歳(もうすぐ11歳だけど)の体では動ける範囲が狭く、大きな決断を下すこともできないでいるのが現状だった。

手持ちの資金はお祖父様からもらうお小遣いだけで、商売や投資の機会は、あの時のギヨームのよって潰された。

肝心のジャンも探すことができないでいた。


今の私は祖父に守られて平穏に暮らせてはいるが、反面、祖父の庇護下から出ることもできなくなっていた。

前回は母の死によって大きく動き出した運命も、今世ではまだ母は生きている。

手紙からも、落ち着きを取り戻しているのが手に取るようにわかる。

それにマイエ先生の見立てでは、母の体調はすこぶるいいらしい。


でもエリーズは存在しているし、ノエルも、ギヨームすらも私の前に現れた。

パズルのピースは埋まりつつあるのに、前回とは形も大きさも違っているようだった。

私がこの運命を変えたのだろうか?


前回とはノエルとエリーズの歳が違う。それにノエルは婚約をした。

それでも、運命に導かれている気がするのはなぜだろうか。



 ◇◇◇



”#ノエル=14歳

 婚約

 ノエルの婚約者・エリーズに瓜二つ

 エリーズ=9歳?10歳?

 ジャンの行方

 ギヨーム

 女性の失踪

 フロベール公爵……”


寝る前のひと時、オルガは日記帳にこれまでの重要なことを箇条書きにしていたところだった。

突然、屋敷内が騒然となった。

一人の騎士が祖父の書斎へ飛び込むと直ぐに祖父が飛び出して行った。

エマが呼ばれ、お抱えの医師も呼ぶように執事は下男に言い渡した。

そして司祭様も屋敷に待機するようにと。


『ああ、あの娘が見つかったのか』


オルガはその時ほど自分の予想が外れていればいいと思ったことはなかった。

ギヨームが関わったとするのなら、生きているより死んだほうがマシだと思うような地獄に彼女は放り込まれているはずなのだから。


日付が変わる頃、オルガは司教様の祈りに浅い眠りから覚めた。

エマのすすり泣きと司祭様の止むことのない祈りの声が深閑とした屋敷の中に響いている。

エマは失踪した娘の面倒を見るためにだろう、祖父に呼ばれて屋敷を後にしていた。

娘とは面識がないからという理由だった。


そのエマが戻ってきている。

いつ戻ってきたのだろうか。娘は助かったのだろうか。

『どうかギヨームが関係していませんように』

司祭の厳かな祈りの声を聞きながらオルガはそう願うことしかできなかった。


翌朝、屋敷の陰鬱な雰囲気とは反対に秋の清々しい青い空が広がっていた。

空気は澄んでいて日差しも穏やかで、時折、気持ちのいい秋風が屋敷の木々をそよぐだけだった。

こんな日は誰しも仕事などほっておいてピクニックや川釣りに行きたいと思うだろう。

そんな気持ちにさせる朝だった。

だが、屋敷の中は恐ろしく静かで針の落ちる音さえもしなかった。


早朝、いつもより早く支度を手伝いに来たマリーの目は泣きはらしたように真っ赤になっているのにオルガは気がついていた。


「お嬢様、おはようございます」


心なしか声にいつもの張りがない理由をオルガはなんとなくわかっていた。


「マリー。どうかしたの?こんなに早く」

「お嬢様、旦那様から今日は礼拝堂で司祭様がお祈りをするので来ていただきたいとのことです。こちらの服に急いでお着替えください」


そう言って渡してきたドレスは濃い灰色の質素なものだった。

それは領地で不幸があった時に着るためのドレスだった。

オルガは小さくため息をつくと顔を洗い手早く着替えをした。


小さなロザリオを持ちマリーと連れ立って礼拝堂へ行く。

礼拝堂へ続く回廊の壁には春夏秋冬を模したステンドグラスがはめ込まれており、秋の澄んだ朝日に照らされて色とりどりの光が回廊全体にこぼれ落ちていた。

そんな幻想的な廊下をオルガは無言で歩いた。

いつもおしゃべりなマリーでさえ、口を固く閉じたままオルガの後ろをついてきていた。


礼拝堂に入ると秋の穏やかな日差しが祭壇を明るく照らし、その中に司祭服を着た司祭が穏やかな面持ちを崩すことなく立っていた。

それはいつもの礼拝堂の光景でもあった。

違うところといえば、使用人席が空いている場所を探すのが難しいほど人で溢れかえっていることだろうか。

誰しもが昨夜のことを悼み祈りを捧げたいと考えているに違いなかった。


マリーは中に入ると使用人席の方へと進み、反対にオルガはベンチの間をぬって祖父の元へ急いだ。

その途中で見たエマは、セルジュに抱きかかえられ明らかに憔悴していた。

『エマ……』

あの悪魔の所業を見てしまったとしたら、彼女の心には消えることのない傷が残るだろう。

そしてもう一人、オルガの心配すべき人が礼拝堂のベンチの最前列に座っていた。

『お祖父様……』

祖父の背中は曲がっていて小さく見えた。

隣に座ると祖父は小さく「エマに悪いことをした」とだけ言って、さらに首を深く下げた。


『いいえ、悪いのはあの娘を貶めた者たちです』

そう言って慰めたかったが、今はその時ではない。

オルガが席に着いたのを待ちかねたように司祭は祈りの言葉を口にしたからだ。

それは希望へとつなぐ慰めでもあり、鎮魂歌のようでもあった。


「———私たちの娘であり妹であり良き友人だった者が主の花嫁になるために今朝、旅立ちました。無事、主の元へ行けるよう皆でお祈りしましょう———」


司祭の言葉に皆は会ったこともない娘を悼み一心に祈りを捧げていた。

そして司祭は祈りの中で『赦し』を説いた。


「———憎しみに囚われてはいけません。復讐という悪魔のささやきに屈してはいけません。罪深き者はいずれ報いを受ける時が来るのです。罪を罰するのは私たちではなく主だという事を私たちは忘れてはいけないのです」


オルガは司祭の言葉を聞きながら考えていた。

『悲しみはいずれ癒えるだろうが、忘れることはないだろう。そして憎しみは心の中で澱のように沈むのだ。それが時折、ふとしたきっかけで舞い上がり私を苦しめている』



祈りの時が終わると、使用人達は三々五々に自分の持ち場へと別れて行った。

誰もが下を向き、口は重かった。

エマは泣き声一つ漏らすことなく、セルジュに抱きかかえられ礼拝堂を後にしていった。


人々が立ち去り、礼拝堂は平素の静寂を取り戻していた。

司祭は未だ座ったままの祖父のそばに近寄り『葬儀は洗礼を授けた司祭が執り行うそうです』とだけ言って下がっていった。

司祭が去った後、礼拝堂には祖父とオルガの二人だけになった。


子供らしくベンチに座り足をぶらぶらさせてみた。

祖父はそれでも動くこともなく、そこだけ時間の流れが止まっているような気がした。

オルガは祖父が何を考えているのか、皆目わからなかった。

それでも、このままではいけないのも分かっていた。


オルガはそっと祖父の手に自分の手を重ねた。

「お祖父様、久しぶりに私と朝食をいただきませんか?」

カソリック、プロテスタント、正教会、異世界の聖女信仰を混ぜた宗教観にしてあります


ありがとうございました

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