14 帰郷
屋敷に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
いつの間にかぐっすりと眠っていたらしい。
気がつくとオルガはセルジュに抱かれて部屋まで連れて行かれるところだった。
やはり子供の体は無理がきかないと見えて、スイッチが切れるように寝てしまうのが難点だ。
「セルジュ――エマはぁ」
大きなあくびを一つする。
「お嬢様、エマは部屋で待ってますよ」
部屋の戸を開けるとエマが腕まくりをして湯浴みの準備をしていた。
「お嬢様、目が覚めましたか?」
いつもならマリーがしてくれるのだけど、今日は珍しくエマが湯浴みを手伝うという。
いい匂いのする石鹸を上手に泡立ててオルガの腕から洗っていく。
最後にオルガの髪を洗う。まだ子供だからそんなに長くはないが、一仕事という感じがする。
「街は楽しかったですか?」
「うん。でも疲れちゃった」
「今日は早くお休みになるようにと旦那様から言づてです。何か食べたいものはありますか?」
「簡単にに食べられるものがいいな。お肉をパンで挟んで。あとデザート。」
エマは『わかりました』というとオルガの頭からお湯をかけて石鹸を落とした。
(明日、エマに買ったものを渡そう)
体を拭いてもらい夜着に着替えるとマリーがトレーに夕食を乗せて運んできた。
コールドビーフのサンドイッチと甘く煮たフルーツにカスタードを挟んだクレープがデザートだった。
エマはマリーを下がらせて自身でテーブルの上に夕食を並べオルガを座らせようとした。
「お嬢様——」
その問いかけにオルガは手を伸ばす。
それを見たエマは笑いながらオルガを抱き上げ膝の上に乗せた。
◇◇◇
朝起きると屋敷は上を下への大騒ぎだった。
「どうしたの?」
朝の支度を手伝うマリーに聞いた。
「何でも急用で旦那様が領地へお戻りになるそうです。帰宅の準備でしばらくバタバタします」
ギヨームの何が祖父の神経を逆なでしたのかわからないが、王都での滞在を思った以上に早く切り上げるだけの何かがあったに違いなかった。
「お祖父様はもう朝食は召し上がったのかしら」
「どうでしょうか。見てきますか?」
「ううん、大丈夫。私もすぐ行くから」
ドレスのボタンを留めてもらい、最後に髪の毛をブラッシングして一つにまとめてもらった。
「あ、そうだ。これをマリーに。一緒に街には行けなかったけどお土産」
可愛らしい袋に入ったリボンを手渡した。
「お嬢様……私にこれを?」
マリーは胸の前で袋を抱きしめた。
◇◇◇
【未来】
マリーは前回の人生にはいなかった娘だ。
それを言うならセルジュもマティアスもエヴァンも、私の周りにはいなかった。
エマですら母が死んでからは私の人生から去って行った。いや、降ろされたというべきだろうか。
少し前までなら、私の人生は私の手の中にあり、あの悲惨な未来を回避できると喜んでいただろう。
だが実際は、前回の人生から道筋は逸れているように見えるが、目的地が私の夫・ノエルというのは変わることがないように思われた。
ギヨームが私の目の前に現れたのがいい例だ。
ただ、ルートが多少変更になっただけなのだ。
この新しい人生で、彼の元へ行くまでにどれだけの物を得ることができるのか。
そして不要なものを切り捨てることができるのか。
試されている気がするのは私だけだろうか。
◇◇◇
早々に領地へ戻ると祖父は書斎に団長とマティアスを呼んだ。
中で長い間話し合いが持たれていたようだった。
話し合いは今日で5日目になっていた。
珍しく何日も祖父と朝食さえ共に出来ていなかった。
仕方がないのでオルガは祖父の代わりに皆にお土産を配りに歩くことにした。
もちろん、屋敷の使用人は多く一人一人に渡すことはできないが、チョコレートの大きな箱を持ち場持ち場に届けて行った。
執事に頼めば早いのだろうが、自分で配ると決めたのは暇を持て余していたのが一番の要因だった。
沢山のチョコレートの箱を持つのはマリーの仕事だったが、オルガから自分だけ特別にもらったリボンで髪を結わえ得意げでもあった。
昼食の前には山ほどあったお土産をすべて配り終え、オルガの手の中にはセルジュたちへのお土産だけが残った。
「マリー、疲れてなあい?」
「これくらい大丈夫ですよ、お嬢様」
「そう。それならこれからセルジュのところへ行きたいのだけど」
祖父が選んだ騎士団への土産はすでに騎士たちの腹の中に収まっていた。
オルガは個別にセルジュと今回の旅行で同行した二人の騎士に団長への贈り物を、あの銀細工の店で買っていた。
なんとなくセルジュにだけというのも気が引けたというのもあったし、初めて身近に感じた騎士たちだったからかもしれなかった。
今日はセルジュがお休みを取るとエマから聞いていたので、騎士団の宿舎へ行くことにした。
騎士団は数カ所の詰所と訓練場、そして寝泊まりができる簡易ベッドのある宿舎とに分かれていた。
伯爵家の騎士たちは余所の家紋の騎士より恵まれているのだとセルジュから聞いた。
普通なら石畳の上に藁を敷いて眠るのだが、ここでは簡易ではあるが一人一人寝床が与えられていた。
団長や騎士団になれば個室も与えられる。
その前に結婚をすれば領内に家を持つことを許され、出仕の時に詰所で寝泊まりをするだけになるらしいが。
とは言っても、見習いのうちは修行を兼ねて外の天幕や木の下で寝るというのだ。
その話を初めて聞いたオルガはセルジュに問うた。
「大変じゃないの?雨や雪の時はどうするの?」
「そうですね。今は国が安寧なので戦がありませんが、戦になればそのようなところで何年も寝なくてはいけないのです。その時に、雨が降ったから、雪が降ったから寝れないのでは生き残ることはできませんからね。戦場では、己を守るのは己だけなんです」
「ふぇ〜。セルジュもお外で寝てたの?」
「はい。今でも時々、訓練で寝てますよ」
そう笑うとオルガの頬を軽くつまんだ。
「お嬢様は心配しないでください。そのようなことが起きたとしても私が命に代えてもお守りしますから」
その言葉は決して大げさではなく嘘もないことをオルガは知っていた。
マリーと宿舎へ向かう後ろを護衛の騎士が音もなく付いてきていた。
邸に戻ってから気がつくとオルガには護衛の騎士がつくようになった。
きっとギヨームのことで何か悪い噂でも聞いたのだろう。
『お祖父様も大概心配性ね』オルガは誰にも気づかられないようにそっとため息をついた。
宿舎へ向かう道を木漏れ日から落ちる日差しが穏やかな秋の柔らかさを映し出している。
王都はまだ夏の終わりという感じだったが、領地内は既に秋の深い色で染められつつあった。
美しい。
オルガはきちんと整備されたこの家の庭園も好きだったが、伯爵領の季節の移り変わりが何よりも好きだった。
春は畑一面、黄金色に輝く麦の穂に屋敷へむかう街道沿いに咲く薄桃色の花の道。
夏は麦に代わりに植えられた色とりどりの野菜に抜けるような青い空。
今は秋の落ち着いた赤や黄色に彩られた木の葉と街道の赤い実のトンネル。
そして白い雪に覆われた屋敷のキンと冷えた空気を胸いっぱい吸い込む時の高揚感。
前世ではゆっくりと季節を楽しむ余裕がなかった。
幼い頃も結婚してからも。
オルガはいつも何かに追い立てられ、気がつくと一年が終わる。その繰り返しだったなと冷笑した。
『そろそろあの街道沿いの赤い実は収穫どきに違いない』
確か、その頃にエマとセルジュの婚姻式が執り行われると司祭様が言っていたのを思い出した。
別邸で渡しそびれた贈り物を、昨日、エマに渡した。
包みを開け、中から美しいレースのベールを取り出すとエマは泣いた。
びっくりしてオロオロとするオルガをエマは強く抱きしめ顔中にキスした。
「家宝にします」そう言ってまた泣いた。
そんなことをぼんやりと思い出しながら歩いていくと、目の前にセルジュが立っていた。
驚いて駆け寄り叫んだ。
「セルジュ、よくわかったわね」
「お嬢様のことでは勘が働くんですよ。冗談です。先ほどエマが教えてくれました」
セルジュの体一つ分後ろにエマが立っていた。
「昨日はエマに素敵な贈り物をありがとうございました。家宝にするって煩いんですよ」
「あら、ひどい。聞いてください、お嬢様。セルジュは『ベールのせいで綺麗に見える』っていうんです」
言い合いをしているように見えて二人はとても幸せそうだ。
「これから二人でどこかに行くの?」
「ええ、伯爵様が用意してくださった家をエマとこれから見に行きます」
「そう。引っ越ししたら見に行きたいな」
「伯爵様がお許しくだされば是非来てください。お嬢様なら大歓迎です」
「あ、そうだ。これを———」
オルガはポケットに入れていたお土産を取り出すとセルジュに一つ渡した。
「セルジュのイニシャルが彫ってあるの。セルジュの目印だよ。それと、これは団長とマティアスとエヴァンの。セルジュから渡しといて。団長とマティアスはお祖父様とお話ししてて会えないから」
そう言ってそれぞれに名前の書いた袋をセルジュに渡した。
セルジュは受け取ると、少し困ったような顔をした。
「エヴァンは伯爵様のご命令で、暫くの間、伯爵様のご親戚の護衛を頼まれて此処にはいないんですよ。時期を見て届けさせますけど、お嬢様、それでいいですか?」
「うん。そっか。じゃあ、よろしくね」
二人を後にしてマリーと今来た道を屋敷へと戻る。
紅葉した木々の下には木の実が沢山落ちていた。
マリーとハンカチいっぱいに拾いながら、まるで宝石でも見比べるように拾った木の実を見せ合った。
そしてその後ろを静かに騎士は付いてきていた。
草間彌生のスノードーム、めちゃくちゃ欲しいです
読んでくださってありがとうございます




