13 王都(懸念)
デザートを前に黙り込んでいたオルガの手を祖父が握った。
暖かく優しい大きな手だった。少し、カサカサしていたけれど。
前世では何が起きても弱みを見せることはできなかった。
全て自分自身で解決するしかなかったから、優しく手を差し伸べられることなど思いもつかぬことだった。
握られた手を見つめていたオルガが顔を上げると自分と似た瞳をした祖父が優しげに微笑んでいるのが見えた。
まるで遊び疲れた孫をいたわる好々爺の様であった。
「オルガ、疲れたか?」
「うん、少し。お腹もいっぱいになったし」
その言葉は嘘だとお互いに分かっていた。
『お爺様、お爺様もあの男の危うさを感じましたか』
声には出さずとも考えていることは手に取るようにわかった。
「そうか。エヴァンが戻ってきたら屋敷に戻ることにしよう」
エヴァンはギヨームを連れて表に出ていた。
話す内容を知られたくなかったのか、私たちをギヨームに見られたくなかったのかわからないが(多分後者だろう)『すぐ戻ります』とだけ言って店の外へ出て行った。
その後でマティアスが支払いと馬車の手配をするために席を立った。
祖父と二人待っている間にも、外からはギヨームと連れの粗野な笑い声が聞こえてきた。
暫くするとエヴァンが戻ってきて、すまなそうに祖父に告げた。
「ご迷惑をおかけしました。暫く待ってから出たほうがいいでしょう」
祖父は黙って頷いた。
マティアスが戻ってくると「馬車で待っています」と言い残しオルガを抱き上げて表へ出て行った。
顔を隠すように大きな手で頭を覆っていた。
残った二人は店の奥で何やら話している様だった。
元より家紋のついていない馬車できたのだが、さらに窓には来た時と違い目隠しがしてあって中が見えないようになっていた。
中に乗り込むと薄暗く陰気な感じがした。
「御前が戻るまで少しだけ我慢をしてくださいね」
マティアスはそう言うと、オルガを自分の横に守るように座らせた。
オルガはギヨームに感じた忌まわしい何かを皆が気づいたのだと理解をした。
あえてオルガからギヨームの危険性を話題にしなくてもいいのは助かった。
しかし、危険を察知した祖父がこのまま領地へ帰ると言いだしかねない。
オルガとしては、ギヨームに会ったからにはなるだけ早くジャンを探し出したかった。
『あの男は既にフロベールの右腕だろう』
そう思うと、この街に来たのも何かやましい理由に違いなかった。
オルガが眉間にしわを寄せて子供とは思えぬことを考えていたのを、マティアスは怯えだと勘違いをした。
マティアスは、今一度、オルガを自分の傍に引き寄せるとブランケットを巻いた。
寒くはないが、気休めとしても何かあった時には多少違うはずだ。
そして『エヴァンは遠征で知り合ったと言ったが、どこの者か調べる必要があるな』と、ギヨームのことを考えていた。
あの男、傭兵崩れの用心棒かと思ったが、公爵家に世話になっていると言っていた。
良い働き口を得て気の良さそうなフリをしていても、隠しきれない陰湿な何かがあの男にはこびり付いている。
そしてエヴァンのことも心配であった。
まさか伯爵の元を離れてあの胡散臭い男の元へ行くとは考えられなかったが、目をつけられたには違いないなかった。
伯爵に許しを請うて一度エヴァンを領に帰したほうがいいのかもしれないとマティアスが考えてる中、二人は戻ってきた。
マティアスは座っている場所を祖父に明け渡すと二人の向かいに座り直した。
ギヨームと名乗る男が、この馬車を襲うことはないだろうが、それでも椅子の下に忍ばせた剣を出しておくに越したことはない。
椅子の下から布で覆われた長剣を二本取り出すと自分とエヴァンの横に立てかけた。
馬車は屋敷に向かって走り出していた。
オルガは祖父にもたれかかり少しだけウトウトとしたはずなのに、気がつくと祖父の膝の上に頭を乗せていた。
目覚めるでもなくぼんやりとしていると、オルガが寝ていると思った祖父たちが声を潜めて何かを話しているところだった。
馬車の走る音にかき消されぼそぼそと雑音のようにしか聞こえない声であったが、ギヨームのことに違いなかった。
オルガは寝たふりをしながら声に耳をこらすと果たしてそうであった。
「——あの者が、……だな?」
「頼まれていた……今日中に……らしいです」
「やはり……ここは……」
「噂は......」
オルガは切れ切れに聞こえて来る言葉を必死に拾い集めていた。
◇◇◇
【ギヨーム続き】
あの男が私にしたことは今でも鮮明に覚えている。
何をされたのか、仲間と何を話していたのか。
忘れてしまえるのなら忘れてしまいたい記憶でもあった。
だが反面、ギヨームという男について知っていることは驚くほど何もないことに気がついた。
どこの生まれなのか、何をしていたのか、いつ、公爵家に入り込んだのか———
知らなくて当たり前だ。
あの男と会う時は決まって夫の拷問室か薄暗い地下牢でしかなかったのだから。
それでも、いずれジャンか信頼できるものが見つかった暁にはあの男の過去を調べるべきだだろう。
それにしても、エヴァンがギヨームと面識があるというのは嬉しい誤算でもあった。
10歳の今は、彼について詳しいことは聞くことはできないだろう。
だが、知る機会が与えられただけでもよしとするべきか。
公爵とのつながりが出来た時にでも聞いてみることにしよう。
祖父たちの会話はほとんど聞き取ることができなかったが、それでも幾つかの言葉を知ることができた。
”遠征、馬賊討伐、逃げ足、裏の顔、疑念、フロベール公爵、依頼された品物”
わずかであったが、それでも収穫といってもよかった。
ギヨームの過去を探るにしても、今、何をしているのか知るにしても調べるきっかけができたからだ。
それにしても夫の実家であるフロベール公爵家。
私が嫁した時よりも、禍々しい気配が拭えないのはなぜだろうか。
ギヨームの言う依頼された品物が私の予想するものであったのなら、一体誰があの男に頼んだというのだ。
前世と変わらないのであれば夫は11歳になったばかりのはずだ。
いくらなんでも、まだ11歳であの厭わしい行為に喜びを見出すには早すぎるだろう。
とすると、私の義父であったフロベール公爵か。
蛙の子は蛙。
私は開けてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのかもしれなかった。
◇◇◇
『迂闊だった——』
馬車に揺られる中、祖父は悔やんでいた。
オルガがいるのだからもう少し気をつけるべきだったのだ。
久しぶりの勝負に熱くなりすぎて足元をすくわれた感じがした。
ここ数年、フロベール公爵の噂で良いものは一つもなかった。
怪しげな男たちの出入り、禁制品の輸入、麻薬、女たちの失踪。
王族の流れをくむ家門のせいで表立ってはいないが、かなり境界線スレスレのところを渡っている印象だ。
しかも社交シーズンにもかかわらず、公爵が表舞台から姿を消したと聞く。
今日はその一端を垣間見れたが、オルガを彼らに知られたのはまずかった。
『フロベール公爵、君は今、何をやっているのか』
彼のことは背筋が怖気立つような嫌な気配しかしなかった。
彼の父親のことはよく知っていた。
彼と同じ金髪に青い目をした貴族然とした華やかな男だったと記憶している。
学園に入学した時、同じクラスに公爵家の次男がいた。
彼もまた華やかで鷹揚な人柄が皆に好かれていた。
気難しいと言われていた自分と何が合ったのだろうか。
なぜかわからないが二人は自然と仲良くなり、一緒にいることが多くなった。
親友と呼んでもいいぐらい気心が知れる中になった。
屋敷に招かれた時、5歳上の彼の兄は早逝した先代の後を継いで公爵となっていって、もうすぐ子供が生まれるところだった。
多忙な身でありながら、時間を作っては友人と共に遊びを教えてもらったものだった。良いものも悪いものも全部。
ずいぶんと可愛がってもらったお返しに投資や賭け事のノウハウを伝授したのを覚えている。
その伝で王宮の財政担当になったと言っても過言ではなかった。
実際、彼が口利きをしてくれたと後から知った。
財政顧問になってから結婚をしロクサーヌが生まれると、公爵が冗談交じりに自分の息子と婚約をさせようと言ってきたこともあった。
その頃に例の事件を起こし、王宮での役職を解かれ領地に戻ってきたのでその話は立ち消えになった。
領地に戻り半年ほどだろうか、公爵が亡くなったと風の噂で聞いた。
職を辞したばかりであった為、王陛下の手前、葬儀に出席することもままならなかった。
後日、参列した友人が詳細を教えてくれた。
キツネ狩りの落馬が原因だったらしい。
ちょうど30歳の誕生日を祝っての狩りの最中のことだった。
たまたま猟番が見落としたウサギの穴に馬が足を取られて落馬したということだった。
10歳の息子が後を継ぐらしいが、ショックのあまり青ざめていて不憫でならなかったと聞いた。
ここ何代かのフロベール公爵家はなぜか短命で30歳の声を聞くか聞く前に相次いで亡くなっていた。
病死や事故と死因はまちまちだったが、偶然も重なればそれは呪いではないかと噂になっていた。
呪いの噂が流れる中、嫡男である今の公爵が10歳で家督を継いだ。
後見人には母方の叔父がなった。友人は数年前より体を壊し療養中だったからだ。
ここでも噂は付いて回った。
息子が家督を継いですぐ、我が家門を探らせているのは気がついていた。おそらく後見人か親戚の仕業だろう。
公爵の口約束にあったロクサーヌのことを探っていたのか、結局、何の目的かわからぬまま今まで忘れていた。
それがここ最近、不審な者がオルガの身辺を探っているとの報告が上がっていた。
てっきりオルガの父親が人を雇って様子を伺っているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
これもフロベールの家のものか。
公爵には確かオルガと歳の近い嫡男がいたと記憶している。
普通なら願ってもない縁談のはずだった。
高位貴族がオルガと子息の婚約を望んでいるのなら、こちらもそれ相応の体裁を整えた上でオルガが引け目を感じないほどの持参金をつけることもやぶさかではない。
それに公爵、侯爵ぐらいであれば、あれの父親とて早々何かやらかしても秘密裏に処理ができるだろう。
だが、フロベール家だけは駄目だ。
嫌な予感。感じるのはそれだけだったからだ。




