11 王都(買い物)
夏の終りを告げる残暑も朝夕のひんやりとした空気のせいか、さほど苦にならなくなってきていた。
それでも時折強く照りつける日差しを避けながらオルガを乗せた馬車は王都へと向かって快走を続けていた。
伯爵邸から馬車に揺られて三日目に別邸へ到着した。
7歳の時に祖父の元へ行ってから二度目の馬車の旅だったオルガは、少しだけ興奮していた。
もちろん、日帰りなら数を数えられないほど馬車には乗ってはいた。
だが、泊まりが入る外出は今度が二度目だったからだ。
前回と違い、今回は祖父と二人で王都へ滞在するということで準備に追われた。
もちろん、オルガはすることがなく使用人達が直前まで右に左に忙しく立ち働いているのを眺めるだけではあったが。
大掛かりな移動を好まない祖父の意向で、同行者は限られたものだった。
その為、何れネイザンの後を継いで次期執事長と目されているセバスは、現地で雇う使用人の選別と準備のためにひと月早く別邸へ行くことになった。
前回、オルガと伯爵邸まで同行したエマは侍女頭として荷物と共にセルジュの護衛で、プロポーズの余韻も冷めやらぬうちに出発していた。
オルガは祖父と二人、質素だが乗り心地は最高の馬車に乗り込むことになった。
既に祖父とは気軽な話ができるほどになっていたので、二人きりでの馬車は返って気楽なものであった。
が、祖父は人の機微を読む才能もあるのか、時間を持て余し始めるとそれを察したかのようにオルガの興味を引くような話を始めた。
空に浮かぶ雲の形のことだったり、偉人の話だったり話題には事欠かなかった。
特に父の出自のことが聞けたのは大きな収穫だった。
お互いに父の話は不愉快でしかなかったので、あまり話題にすることはなかったからだ。
「大丈夫か?オルガ。もう少しで別邸につくが何処かで休憩をしてもいいぞ」
「いいえ、もう7歳の私ではありませんから大丈夫です」
未だに馬車の乗ると、あの時、街道で盛大に戻したことを引き合いに心配されるので具合が悪かった。
祖父の視線を避けながら外の景色を眺めていた。
『こちらから来たことがなかったから新鮮ね』
公爵領は王都を挟んで伯爵領の反対側にあったので、こちらから王都に入ることはなかったからだ。
伯爵領から途中、他の貴族領を抜けて整備された道を行くと、両脇に植えられた糸杉の並木道が続き、その先に石造りの門柱に男の腕ほどの丸太で作られた門が見えてきた。
門番らしき男が通行証を受け取ると門を開けてくれた。
「お久しぶりでございます。御前様」
「おお、ジロー。まだ生きていたのか。もう墓の下に隠居したと思っていたぞ」
「ご期待に沿えずすまんですな、御前。だが、まだ若いもんには負けませんて」
そう言って豪放に笑った。
無礼とも取れそうな門番に笑顔を向けた祖父は、布袋に入った銀貨を投げ与えると「飲み過ぎるなよ」とだけ言った。
馬車は門を抜け閑静な住宅街に入っていった。
「ここからが王都になる。城のある中心地には城壁がめぐらせてあるが、ここはあの門番だけだ」
祖父が言うには王都の喧騒を避けて、あえてここに別邸を建てたということだった。
城壁とまではいかないが、煉瓦造りの塀と鉄の柵で囲まれた入り口から落ち着いた白を基調とした洒落た建物が見えていた。
祖父の持ち物にしてはこじんまりとしているなとオルガは思った。
「ここはエリオットたちが社交のシーズンに使ったり、儂の息抜きに使う家だ」
祖父が言うには、叔父夫婦の為にお茶会は開けても舞踏会は難しい大きさと場所に立てたのだという。
中心地から馬車でも半刻はかかるらしい。
『夜会があればホテルに泊まればいいのだ』というのが祖父の持論だった。
「大体、舞踏会なんぞ面倒なだけだ。どうしても開きたいというなら王都に家を借りればいいのだ」
オルガは前世のことを思って深く頷いていた。
公爵家のタウンハウスは王都の一等地にあり、家格のせいで無駄に広かった。
馬車も20台ぐらいなら待機させておける敷地と王都に滞在している貴族全員を招待できるほどの広い舞踏室。
そしていつもどこか修理が必要で、見栄のために舞踏会をしなくてはならない金喰い虫の屋敷だった。
一度の舞踏会の準備のために丸々ふた月はかかるのを年に最低でも3回は行っていた。
その費用だけでも天文学的だったものを今まで公爵家はどう工面していたのだろうか?
(私が嫁いでからは公爵家の財政を管理しながら舞踏会を開いていたのに夫だけではなく誰もその苦労を労ってはくれなかったけど)
済んだこととはいえ未だにオルガは恨みがましく思っていた。
それぐらい夜会とは興味のないものには悩みの種でしかなかった。
馬車が到着したとの先触れがあったのか、執事と使用人が表で待っていた。
使用人は叔父夫婦があらかじめ王都で雇ったらしく知らない顔が並んでいた。
御者が馬車の扉を開ける。
祖父が先に降り、次いでオルガを抱き上げた。
両脇に整列した使用人の中を祖父はオルガを従えて玄関の前に進んでいくと、セバスが恭しく扉を開けた。
「大旦那さま、おかえりなさいませ」
そう言ってセバスは祖父のコートを脱がせ帽子を預かった。
おろしたての白い手袋が目に鮮やかだ。
新たに侍女頭になったエマがオルガのコートを脱がせ、控えていたマリーに渡した。
祖父から話が入っていたらしく、執事と料理人以外は現地で雇った者ばかりで、エマの形ばかりの侍女頭が不自然に見えないような配慮がなされていた。
ダイニング・ルームに通されるとお茶と軽食の準備がしてあった。
祖父はお茶を断ってウイスキーを注ぐとオルガを肴に飲み始めた。
オルガは温かいミルクティーと焼き菓子をつまみながら祖父に尋ねた。
「お爺様、投資のお勉強はいつから?」
「オルガ、そう慌てるな。とりあえず一週間は情報収集に歩かねばならん」
そう言って今度はパイプに火をつけた。
「まずは休むことだ。明日から一緒に王都を見て回ろう。その後で儂が一週間ほど夜会やなんかで夜は不在になる。まあ、エマもセルジュもいるから心配ないだろう。実地はその後になるかな」
早めの夕食をとると明日に備えて二人は早々に寝室に下がった。
オルガの部屋は新緑の間と呼ばれる淡いグリーンを基調とした部屋でクリーム色の差し色が涼しげだった。中央にある天蓋のついたベッドは華奢なワイヤー飾りがヘッドに施してあった。
ドレッサーも衣装ダンスもボーンホワイトの優しい色合いをしたものだった。
案内したセバスは
「お気に召さないようでしたらお取替えいたしますのでお申し付けください」
とだけ言って下がった。
流石にもう子供部屋ではなかった。
まだこの屋敷には子供部屋がなかったのもあるが、エマは形ばかりとはいえ、侍女頭としての仕事の手は抜けなかったからだ。
それでオルガのことはマリーが一手に引き受けることになった。
初めて会ってから3年でマリーはすっかりメイドらしさが身についていたが、エマのように親鳥になれるわけもなかった。
部屋には緊張した面持ちのマリーが部屋着を手に待っていた。
「今回はお嬢様のおかげで王都にまでお供させていただきましてありがとうございます」
神妙な顔をしてマリーがお辞儀をした。
「ぷっ。マリーったらどうしちゃったの?」
途端に緊張が緩んだのか、笑ってるのか泣いているのかわからない顔になった。
「だって、今日から私がお嬢様の専属になるんですよ。本当に夢みたいで。ああ、早くエマさんみたいなお嬢様の専属侍女になりたいですぅ」
「あははははは」
マリーがあまりにうっとりと話すのでオルガはお腹を抱えて笑った。
「とりあえず、明日はエマから仕事を引き継いで。その後はマリーも街に連れて行ってあげられるかも」
「本当ですか。約束ですよ、お嬢様」
マリーは6歳上とも思えない幼さで答えた。
初めてあった時は15歳くらいかと思ったマリーが実は自分と6歳しか離れていないと知った時は驚いた。
翌朝、いつもより早く目が覚めたオルガが朝食が用意されているサンルーム行くと祖父はもう朝食を取り終えたところだった。
テーブルの上には卵とハム、季節のフルーツにパンが数種類乗っていた。
「おはよう、ゆっくりできたか?」
「はい。素敵な部屋をありがとうございます」
そう言って皿に卵とフルーツをよそう。
「ハムはどうだ?切ってやるぞ」
2枚ほど切ってもらうとロールパンを手にした。
「お爺様、今日はどちらに?時間があればエマのお祝いを買いたいのですが」
「そうだな。今日は天気もいいことだし商業地区に行ってみるか」
新聞をたたみながら祖父は言った。
「もう少し食べなさい。大きくなれないぞ」
「食べ過ぎると馬車に酔います」
空いた皿にハムをもう2~3枚置こうとする祖父を全力で阻止した。
◇◇◇
【商業地区】
祖父は王都の中心地より僅かに離れた商業地区に連れて行ってくれた。
今回、お忍びで街に繰り出すということだった。
祖父は砕けた感じのくたびれたツイードの服に身を包み、遠目には引退した小金のある商家の隠居と言う態だ。
私も緑のモスリンのワンピースに三つ編みをして、暇を持て余した祖父に可愛がられる孫となった。
あながち間違ってはいないけれど。
たまにこういう格好をして街に繰り出すのだと祖父は笑った。
その祖父の気まぐれにはいつもマティアスと初めて見る騎士がお供につくらしい。
その騎士はセルジュの2年先輩で名をエヴァンと名乗った。
日に焼けた肌に髪の色がわからほど髪を刈り込んだ二人が町着を着ると、どこかの用心棒のようだった。
お金のある商人が屈強な使用人を連れて街に繰り出すのは珍しくないそうだ。
たまにひと月ほど叔父の家に送り込まれていたのは、こういうことだったのかと納得をした。
馬車に4人で乗り込むと商業地区でも高級店が立ち並ぶ路地に近いところで降りた。
生前、ここには仕事で何度か訪れたことがあったが、あの時と同じ活気のある街だった。
たまに変わり者の貴族(祖父のことだが)がお忍びで来たりはするが、基本的に庶民向けの店舗や露店が並ぶ。
商品の質は貴族御用達店に比べれば落ちるが、値段は良心的と言えた。
もちろん交渉次第でだが。
祖父と私はエマとセルジュの結婚祝いに銀食器を買った。
使用人の贈り物には”貴族が使うものではいざという時に売ることができない”からこういうところで最高のものを買うのがいいのだと教えてくれた。
『もちろん、お祝いを売らないに越したことはないが、人生、先のことはわからんからな』
そう言って笑った。全く、その通りだと思った。
祖父は私に贈り物を選ばせてくれた。
私は持ち手にツタを模した模様が美しい銀食器のカトラリーのフルセットとブルーの花模様が美しいティーセットを選んだ。
祖父はこれ以外にきっと金貨の袋を渡すのだろう。
私は別にエマに婚約のお祝いにレースのベールを選んだ。
裾に繊細な花の模様が美しい品だった。
これをかぶったエマはさぞ美しいだろうと思った。
ついでにお留守番をしているマリーに瞳の色と同じブルーのリボンとアディにはシルクのドレスグローブを買った。
それから祖父達に見つからないよう、彼らへの小さなプレゼントを買った。
銀食器やレースの高級店が並ぶ通りを抜けるとぐっと砕けた感じになり、更に活気付いていた。
簡易な店が立ち並ぶ路地と露店が並ぶ路地が交差する広場は人で溢れかえっていた。
その中の一軒に見覚えのある店があった。
『ガルシアの店』
白壁に黒い柱、窓は小さく緑の扉。
間違いない。
前世の記憶通りなら流行り始めたボードゲームなどを扱っている店だ。
あの店の裏にジャンのいた路地があったはずだ。
今日は時間がなくてガルシアの店もその裏にある路地も調べることができなかった。
今回、滞在している間に必ず訪れたい。できればジャンに会うことができたら尚いいのだが。
なんかこの当時、ブロックになった大きいハムを家主が切り分ける、もしくは切り分けてあるのを取り分けてホースラディッシュで食べたようです。
あとハチノスと呼ばれた牛の臓物も食べたらしい。