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1 オルガ

「悪いが、お前と公爵家との婚約はなかったことにしてもらいたい。

その上で、エリーズを新しい婚約者に立てようと思うのだが。どうだろう、オルガ?」


 黙って頷くしかなかった。

 もう、この家に私のいる場所はない。


「ごめんなさい、お姉様。こんなことになるなんて」


 そう言って殊勝なふりをしても目が笑ってるのはお見通しだ。

 今だけは、好きなだけ見下すがいいわ。これから私の復讐が始まるのだから。


 あなた達に殺された後、なぜか時間が巻き戻り、今ここにいる奇跡。

 これは死を目前とした私の(願望)なのか、それとも現実なのかわからないけれど。

 それでも、死の淵に立つ私への施しだというなら、決して同じ轍は踏まずにやり遂げる。

 復讐という料理は冷めた時が一番美味しいと聞いたから。



「いいのよ。私には過ぎたお話だったのよ」


 そう言って寂しげに笑って見せた。妹の自尊心をくすぐるように。



 ◇◇◇



【私の悲惨な一度目の人生】


 私はドゥボー伯爵令嬢だった母とあまり裕福ではなさそうな男爵家の三男の父との間に生まれた。

 使用人のおしゃべりをつなぎ合わせると、結婚当初より母と父は仲は良くなかったらしい。

 と言うより、父が家に寄り付かなかったというのが正確なところかもしれない。


 それでも、結婚してすぐに私を授かったらしいが、私が生まれた時は、母のナニーだった人と産婆だけだったらしい。

 父は私を抱いたこともなかったと聞いている。


 私と似た凡庸な茶色の髪に、印象に残ることのないくすんだ緑の瞳をしていた母だが、裕福な伯爵令嬢らしく立ち居振る舞いには品があった。

 しかし、残念なことに顔立ちは醜くはなかったが、美しいというほどでもなかった。


 記憶の中の母は、夢見がちなところのある優しい人ではあったが、反面、とらえどころのない人でもあった。

 そして日がな一日、馬車が入ってくる門を望むことができる窓際に座って、父の紋章をハンカチに刺繍している印象しかなかった。


 子供心にも、母の前で父の事を語るのは、タブーだとわかっていた。


 母は、病弱ではなかったと思うが、日に日に生気が失われつつあるのは誰の目から見ても明らかだった。

 それでも時折、邪気を孕んだ顔で何かをつぶやいている時にはかすかに生気は戻っていたが、そんな時は怖くて近づくことはできなかった。

 今なら何をつぶやいていたか聞きたくもあるが、きっと私の予想する言葉だったのではないかと思う。


 私が8歳の春には、母はいよいよ悪くなった。

 寝たり起きたりを繰り返した後、父の紋章を刺繍したハンカチを握り締めたまま亡くなったのは、私が10歳になった秋のことだった。


 それから私の転落が本格的に始まったと言っても良かった。


 母の生前、父がこの屋敷にいたことなど片手に余るほどだったのが、母が亡くなると屋敷に留まるようになっていた。

 初めは母を亡くした寂しさを埋めるように、父の後ろをついて回った私だが、美しい父にではなく凡庸な母に似てしまった私を、父は疎ましく思っているのを隠しさえしなかった。


 子供ながらにも、父は美しいと思える人だった。

 金髪碧眼、容姿端麗という形容詞がぴったりとくる顔立ちをしていたが、冷たい印象はなく、どことなく人好きのする優しげな表情を絶やさない人に見えた。

 適度に鍛えた肢体のせいで立ち姿も艶やかな父は、年を重ねても、なお衰えることを知らない容姿であったのを覚えている。


 そして、そんな父の顔色を伺うのに忙しかった私は、敬意を示してくれていた古参の使用人達が一人、二人と辞めていったことに気がつかないでいた。

 気づいていたとしても、幼い私に止める術などなかったけれど、それでも何かがおかしいと思った時には、使用人の大半が入れ替わった後だった。


 新しく入った使用人達は、私を明らさまに無視した。それをなぞるように、元いた使用人達も私を無視するようになっていった。

 孤立無援。まるで私がそこにいないかのように皆が動いていた。

 食事は最低限だけ与えられたが、その他は一切聞き入れてもらえる事はなかった。


 母を亡くし、父に拒絶されることで次第に私は自分の殻にこもりがちになっていった。

 今にして思えば、父にとって忌まわしい母の面影しかない私を、疎ましく思うのは当然至極だったのかもしれないが。

 しかし、それは子供の私の罪ではなかったはずだ。


 父が屋敷に戻ってから程なくして、母の喪も明けないというのに私の為という大義名分で父は後添いをもらった。

 子持ちの寡婦という事だったが、連れ子はどう見ても実の娘の私よりはるかに父に似ていた。


 新しくできた私の2歳下の義妹は、父に似たゆるいウェーブのかかった淡い金髪に、長い睫毛に縁取られた春の青空のような瞳をしていた。

 そして、クリーム色の肌に赤い唇をした、おとぎ話のお姫様かと見紛うばかりの美しい器を持つ妹だった。

 中身は嫉妬と貪欲さと欺瞞で満たされていたけど。


 反対に私はというと、痩せぎすで、ありきたりな茶色の髪に、瞳は青といっても、くすんだ冬空のような色で冴えなかった。

 肌も不健康なほど青白く、血の気の薄い唇のせいで生気に乏しく見え、取り立てて美しいと呼べるような容姿でもなかった。


 どう見ても、連れ子と言いながら本当は父の子であり、私の腹違いの妹にあたるのだと子供ながらにもわかった。


 継母と義妹が屋敷にやってきて初めにしたことは、私の部屋を使用人の階に移す事だった。

 新しい部屋は、流石に使用人の階とはいえ一番いい部屋を与えられたが、前の部屋と比べれば、全てが見劣りするものだった。

 それでも以前の部屋は、父の好みに寄せるよう、母が設えたもので好きではなかったし、優しかった母の死を、思う存分悼むことのできるこの部屋は、私にとって悪いものではなかった。


 次に彼らは、私から母の形見の宝石やドレスを全て取り上げた。

 もともとそれほどいい物は持ち合わせていなかったが、着るものは喪に服すと言う建前で地味な色のモスリンに変わった。

 そしてそれは、侍女ですら袖を通さないような質の悪い生地でできたドレスだった。

 母が私に、嫁ぐ時にくれると言った伯爵家伝来の指輪も、気がつけば継母の指にはまっていた。


 しかし、今更何をとも思ったが、父は外聞を気にして侍女だけはつけてくれた。

 だが実情は、侍女とは名ばかりで、小間使いの下女が身の回りの面倒を見ることになっただけだった。


 少なくとも母が生きていた時は、母や私が中心で回っていたこの家も、今は、父と新しい家族がその座を奪っていた。

 拠り所を失った私は、家族でありながら、自分だけが異物であるかのような居心地の悪さに、食事も呼ばれなければ極力部屋でとるようになっていった。

 彼らの目に入らないように、日中は図書室で過ごし、晴れていれば父親の目を盗んで乗馬もしたが、母が亡くなってから5年間、私はこの屋敷で影のように暮らす、いないも同然の存在だった。


 15歳で王立学園へ入学する時は、この家を離れることができて心底、安堵したのを覚えている。

 学園の近くにある別邸か寮かの選択の時は、迷わず寮に入ることを選んだ程だ。


 その為、義妹が入学するまでは、一度も家には戻らずに済んだ。

 いや、戻れなかったという方が正しいかもしれない。

 長期休暇になろうと、使用人が迎えに来ることも、帰省を促すような言伝すら貰ったこともなかったからだ。


 そういった訳で、皮肉にも学園での2年間が、亡くなるまでの人生で一番楽しかった時と言えた。

 友人も沢山できたし、そのうちの何人かとは親密な付き合いができるまでになっていた。


 彼女たちから、ありきたりな髪も艶が出るまでブラッシングをすると印象が変わると教えてもらったり、血の気のなかった唇や頬も、規則正しい食生活と活気にあふれた生活のせいで、徐々に健康的な色を取り戻していった。

 華やかさはなかったが、学園に来てからの私は乙女として花開いた時でもあった。


 学業も、家にいるよりは勉強をしている方がずっと気が楽だったし、何度か優秀賞を貰ったこともあった。

(元来、優秀な家系だと気がついたのは死んだ後だったけど)


 そして、自分の人生の頂点とも言えるその時に、私は公爵家の跡継ぎとの婚約の打診を受けたのだ。


 後に、婚約は公爵家当主からのたっての申し出で、私が学園でも女性でありながら常に上位にいた事と公爵家の女傑と言われた女当主に面ざしが似ていたからだと聞いた時には、冷笑するしかなかった。

 そして、跡取りとしては心もとない息子の為に優秀な家令のような嫁をあてがっただけと気付いたのは、彼と結婚した後だった。


 父と継母は当初、分不相応な婚約だからと固辞をしたが、公爵の気持ちは固く、これ以上の固辞は失礼にあたる為、渋々だが婚約は結ばれる事になった。

 疎ましく思っていた私が、愛する我が子では望むべくもない公爵家との婚約にやっかんでいたのは明白だった。


 婚約者は、ノエル・パトリック・ジョフロワ・フロベール小公爵という、私の一つ年上のハニーブロンドの髪にエメラルドの瞳を持つ美しい男性だった。


 ずっと否定され続けた私が、初めて認められた嬉しさで、私は彼に思い込みの恋をした。

 彼の美しさと、貴族の淑女に対してのマナーでしかない振る舞いを、私への優しさと完全に誤解したせいだった。

 自分の父の振る舞いを嫌という程見てきたのに、教訓は全く生かされなかったという訳だ。


 初めて会った時、婚約者のクラバットが流行の最先端を行く結びを見ても、私には不釣合いなのは見て取れたのに、その時はどこか自分に過信していたせいで、進むべき道を見誤ったとしか言えなかった。

 義母と義妹の悔しげな顔に溜飲を下げるのに気を取られ、自分の婚約者が義妹と私を見比べていたのに気がつかなかった事からも、この婚約は、初めから破滅の匂いしかしなかったのに。


 今となってはどうでもいい事だけど。


 正式に婚約が整い、公爵様の強い希望で、私の卒業を待って私たちは結婚をした。

 そして案の定、結婚当初より私は夫から捨て置かれたのだった。


 結婚式は、広大な領地が広がる公爵家の城の中にある、荘厳な教会で行われた。

 公爵家の手前、いつものように質の悪いモスリンという訳にもいかず、その日は最高級のシルクで誂えたウエディングドレスに身を包んだ。

 初めてのシルクの肌触りに体に震えが走ったのを、今でもはっきりと覚えている。


 だが、夫は結婚式の初夜もそこそこに、翌朝には首都へと出立していたのだった。


 しかし、嫁いで見れば公爵家とは名ばかりで、爵位を傘に借金で暮らしているようなものだとわかった。

 使うだけで運用することを知らないのは、夫だけでなく義理の父に当たる公爵閣下もそうであったのだ。

 領地運営もできず、ただ負債だけが増えていくこの家を建て直すのが、夫に顧みられない私の最初で最期の使命となった。


 取り敢えず資金確保のために投資を行い、それを元手に領地を立て直していったのだが、まさか自分に投資の才能があるとは思わなかった。

 再建の兆しが見え始めた頃、投資とは別に事業にも手を出した。


 初めは、夫への不毛な恋心から慣れない領地の管理を一手に引き受けていた私も、だんだんとその面白さに虜になっていった。

 私の母方の祖父も投機の才があったと聞いていたので、血筋なのかもしれなかった。


 そして借金を返し終え、わずかながらも蓄えと呼べるだけの物が手に入るまで、五年で済んだのは幸運としか言えなかった。


 気持ちと生活に余裕が生まれたその頃から、夫の様子がおかしいと気づき始めた。

 いや、本当は結婚当初からおかしかったのを、気づかないふりをしていただけだったのだと思う。

 結婚当初より領地と別邸を行き来していた私と、この首都で浪費を繰り返す夫との間に共有できる何かがあると思う方が不思議だったのに。



 そしてそれは、或る日突然やってきた。



 ◇◇◇



「オルガ、今いいだろうか」


 久しぶりに家に戻ったノエルが執務室にやってきて言った。

 本来、ノエル自身が座るべき椅子にオルガが座り書き物をしていても、彼は全く気にする様子を見せなかった。


「悪いが離婚をしてくれないか?」


 なんの前置きも、言い訳もせず要点だけを淡々と言う夫に、オルガは驚き手紙を書く手が止まった。


「何故です?私に至らないところでも?品格維持費が足りないのでしたら言っていただければ……」

「いや、良くやってくれているさ。ただ、彼女に、エリーズに子供ができたんだ」


 オルガは目の前が暗くなる経験を初めてした。気を失わないのが不思議なくらい動揺を隠せなかった。

 使用人の部屋に追いやられた時も、母の形見を取り上げられた時も、父親の愛情を一切受けられなかった時ですら耐えられたのに、何故、離婚ということが、こんなにもオルガにショックを与えるのか不思議だった。


 しかし、心の奥底ではオルガは気がついていた。

 無関心を装ってはいたけれど、憎んでいた義妹と夫が通じていた事に失望したのだ。

 そして、朝食は何を食べるかと言うような口調で、自分ではない他の女の妊娠を告げた夫の心に。


「父も君のことは高く評価しているが、結婚して五年以上経つのに跡継ぎができないのであれば、致し方ないというんだ」


 夫はオルガに後継も産めない役立たずといったも同然だが、結婚の初夜以外、彼が彼女に触れたことはなかった。

 オルガは自虐的に笑った。

『いったいどこから子供が生まれるというのだろうか。コウノトリか?キャベツ畑か?

 借金の清算が終わればお役御免ということなのか』


 悔しさでこぼれ落ちそうになる涙を必死で堪えて言った。


「ですが、私と別れて直ぐ子供が生まれては外聞が悪いのではありませんか?」

「それは大丈夫さ。結婚式が終わったら新婚旅行に外国に行くから、そこで生んでしまえば問題はない」


 オルガは、あなたが行くという旅行のお金は誰が稼いだのか。問いただしたかった。

 厳密に言えば、夫の流行りの服装もアクセサリーも、義妹へかけたであろう全ての物は、一体、誰が生み出したのか、と。

 夫の腕をとり、何も考えられなくなるぐらい揺さぶってやりたかった。


『どうすればこうも残酷になり得るのだろうか』オルガは、失望と同時に、自分の夫だという男の鈍感さに怒りが湧いてきた。

 つい反抗がしたくなり、気がつけば、きつい口調で言い返していた。


「嫌だと言ったらどうなります?借金さえ返してしまえば私は用無しですか?あなたは外国で産めばいいとおっしゃいますが、私は許す気はありません。ずっとこの地であなた方のしたことを訴えますわ」


 それを聞いたノエルはうんざりしたような顔をして言った。


「穏便に済ませたかったのだが仕方がない。君が悪いんだからね」


 そう言うと、お茶を頼むかのように側に控えていた使用人に合図をした。

 直ぐさまオルガは取り押さえられ、薬を嗅がされていた。


「うっ……」


 夫や使用人の声が次第に遠くなり、そして何も聞こえなくなった。



 気がつけば、オルガは地下牢の冷たい床に横たわっていた。

10話ぐらいでまとめたいです

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