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戦史研究学科の異端教師  作者: 楊泰隆Jr.
4/25

大和冴香

 早朝、東京、上野。

「娘さん、もう着いたよ」

 バスの運転手の言葉で理香は目を覚ます。

 理香が周りを見ると自分以外には誰もいなかった。慌ててバスを降り、時間を確認する。


 現在時刻は午前6時。

 慰霊祭は午前9時半。


 移動時間を考えてもまだ時間に余裕があった。

「せっかくだし、公園を散歩しようかな」 

 公園は静かだった。犬の散歩をしている人やランニングをしている人を見かける。

 それを見ると日本が平和なのだと思える。

「戦争をしたら、この光景もなくなるのかな…………」

 先生に言われたことを思い出してしまう。

 平和と沖縄の奪還。

 理香はまだこの二つが対極にあると思っていた。

 平和の為には沖縄を諦めるしかない。

 沖縄を奪還する為には戦争をするしかない。

「なんだか最近、悩むことが多くなった気がする…………」

 しんみりとしていた心は突然、搔き乱された。

 騒がしい演説が聞こえてきたからだ。

 一人の男が力強く演説し、両脇には遺影を持った少年少女たちが並んでいる。

「この子たちの親はあの戦争で殺されました。そして、土地を奪われました。このままでいいのか? 良いわけがない! この子たちのために沖縄を奪還すべきなのです。それなのに今の政府は帝国と友好を結び、沖縄返還の交渉を行っていると言っているが、実がない。今の政府は腑抜けである。あの戦争に負けなかったことで満足している。そんな政府に日本の未来を委ねるわけにはいかない。皆さん、我らと共に現体制打倒のために発ちましょう!」

 理香は演説をしている者たちに見覚えがあった。一緒のバスに乗っていた無政府主義者たちだ。


 …………なんでそうなる?

 

 理香はそう思った。

 あの戦争で日本は資源も土地も賠償金も得られなかった。国力を消費しただけで日本政府は苦しい財政だったのにも関わらず、破綻しなかったばかりか、戦争難民に対して最低限度の生活を保障した。

 遺影を持っている少年少女も、恐らく国からのお金で生活をしているはずである。軍事ではなく、国民の生活を第一に考えた国の方針は決して非難されるものではなかった。

 理香はそれ以上その場に居たくなかった。

「まだ時間は早いけど、あの演説を聞くよりはマシかな」

 理香は世界大戦戦没者霊園に向かうことにした。 



「人が多いなぁ」

 理香は世界大戦戦没者霊園に到着すると人の多さに驚いた。経験の無い人混みに苦戦する。

 まだ、午前七時である。それなのにもう人で溢れていた。

 そして、いる人たちが何者なのか、理香にはすぐ理解できた。

「私と同じ沖縄の人たち…………」

 顔つきや肌の細かい違いから、直感した。

 誰かが『薔薇の義勇連隊』のことを口にする。

 理香の耳がそれに反応した。


『薔薇の義勇連隊』

 20歳前後の若者が有志で集まり、結成された非正規兵の連隊である。第13特別攻撃連隊の沖縄上陸を支援し、その後は共に沖縄の収容所を襲撃し、多くの人々を救った。

 地理の無い土地で第13特別攻撃連隊が沖縄で戦えたのは、薔薇の義勇連隊の存在が大きかった。たった2個連隊で帝国軍を翻弄し、沖縄からすべての民間人を脱出させるという奇跡を成功させた。



「勇敢に戦った人たちがいる。この人たちに続かないといけないよね」

 理香は呟く。迷いが無くなり、気持ちが楽になっていく気がした。

「最近見ないと思ったら、こんなところで会うとはね」

 理香はその声が幻聴だと思った。いや、思いたかった。

 群馬ならともかく、ここは東京だ。そんなはずない。

「やぁ、こんなところでうちの士官学校の制服が見えたんで」

「…………なんでここに先生が?」

 理香は嫌そうに言う。

「別に一般参拝なら私服でいいんじゃないかな?」

「服はどうでも良いじゃないですか。それよりも先生は軍服を着ないんですか? 一応、軍人でしょ?」

 先生は私服だった。特徴の無い服を着ていた。

「私はあまり軍服が似合わないものでね。それに強制ではないだろ?」

「そうですか。別にいいですけど。それにしても意外ですね。先生がここにいるなんて」

「私としては混む日を避けたかったんだが、どうしても来いっていう昔の友人がいてね」

「昔の友人? 軍人の方ですか?」

 質問した後に私は迂闊だったと気付く。この人のプロフィールは白紙、過去を聞くのはめんどくさいことになるかもしれない。それ以前に教えてくれるかも分からない。

「そうだね。今も軍にいる。何と言ったかな。最近新設された部署で…………」

 先生はあっさりと言った。最後は誤魔化したというより、本当に忘れているようだった。

「老化の第一歩は固有名詞が出ない所かららしいですよ」

「それなら、心配いらない。昔からものを覚えるのは苦手だ。好きなことは頭に入るんだがね。まぁ、これから会うから、本人に直接聞くさ」

 理香はこの人の友人という人物に興味が沸いた。先生と同じくらいの歳ならあの戦争で最前線にいたかもしれない。

 もしかしたら、沖縄を戦っていた人かも知らない、と考えてしまう。

「さすがにそれはないかな」と理香は呟く。

 戦争で沖縄に上陸したのは第13特別攻撃連隊だけである。戦場は太平洋や東南アジア、北海道と多方面にあった。沖縄戦を戦った軍人はごく一部だ。

 門の方が騒がしくなった。

「どうやら政界か軍部の偉い人が来たみたいですね」

「そうだね。ちょっと行ってみようか」

「分かりました」

 先生は驚く。

「んっ? どうしました」

「いや、君がそんなに素直についてくると思わなかったよ」

 言われて気付き、理香は焦った。

「こ、これは慣れない土地で知り合いに出会ったから、その…………行きますよ!」

 理香は会話を無理やり終わらせて、騒ぎの方へ向かった。

 向かった先にいたのは、理香がもっとも尊敬する英雄だった。


 大和冴香准将。


『元第13特別攻撃連隊連隊長』、『九州奪還の七柱英雄』の一人、『風神』と言われる日本国の英雄だ。

 理香の鼓動は自然と早くなる。

「凄い、凄い凄い! 私、今、凄い英雄に会っている!」

 理香は飛び跳ねていた。

「年相応の顔も出来るんだね。安心したよ」

 しまった、と思い、理香は深呼吸をして心を落ち着かせる。

「大和准将は私にとって、一番の英雄なんです。少しくらい気持ちだって高鳴りますよ」

「そうかい。んーー、それにしても冴香さんは私を呼び出しておいて、来賓として式典の中心にいたら、ゆっくりと話は出来なさそうだ」

「…………はい? ちょっと待ってください。あなたの友人って…………」

「冴香さんだよ」と先生は大和冴香を指差した。

「う、うそですよね?」

 理香の声は震えていた。


「うそじゃないわよ」


 その声は後ろだった。礼服、サングラスと大きめの帽子を身に着けた女がいた。

「なるほど、そういうことでしたか」

 先生は納得する。

「まったく、あなたは仮にも英雄ですよ。替え玉さんを式典に出すなんてとんでもないですね。それにそんな簡単な変装じゃばれるんじゃないですか?」

「目と頭を隠せば、意外と気付かれないものよ。ところで君は…………」

 謎の女性は理香の顔を覗き込む。

 理香はその顔をよく知っていた。緊張で息が出来なくる。

「ブン君、もしかして、あなた…………」

 謎の女性は先生を睨みつける。

「誤解しないでください。自分の半分の年齢の子供に手を出すようなことはしていませんよ」

 先生は苦笑する。

「えっ、ちょっと待って、もしかして…………大和准…………」

 将ですか? と聞く前に、その女性は理香の口に人差し指を当てて言葉を封じてしまった。

「今回はお忍びで静かに来たかったのよ。あなたも協力してくれるかしら?」

 理香は無言で頷いた。冴香に触られた唇がやけどしたように熱かった。

「よろしい。さて、行きましょうか。君も一緒にくる?」

 理香はのけ者にされるかと思ったが、嘘のような英雄からの誘いを受けた。断るはずがなかった。

 行きついた先は、薔薇の義勇連隊の慰霊碑だった。

 沖縄戦戦死者の名前が彫られていた。

 いろんな人が国の為に死んでいった。

「信ちゃん…………」

 冴香は悲しそうな目で慰霊碑を見つめた。

「信ちゃん」と呼ばれた女性は『薔薇の義勇連隊』の連隊長、我那覇信重。

 冴香は戦後、自身の書記をまとめたものを出版した。その中で我那覇信重との友情が綴られている。

 最期は迫る帝国軍に対して、殿を務めた、と冴香の書記に載っていた。

 沖縄からの帰還した冴香に日本政府は英雄勲章を贈ろうとした。

 しかし、冴香はそれを固辞した。

「私よりその勲章を先にもらわなければならない人物が少なくても三人います。だから私はその三人が勲章を受けた後に貰うべきです」

と記者に言い、世間を驚かせた。そのせいか、冴香は英雄でありながら、いくつかの名誉職を転々として、出世街道からは外れた。

 といっても三十代半ばで准将なのだから、その名声を羨む者を多い。

「こうやって、名前が刻まれると何かが変わりますか?」

「分からないわ。変わった気になっているだけかもしれない。あの日、私はどうすることが正しかったのか、分からない。あなたにも辛い思いをさせているし、私だけ英雄として称賛されている」

「暗い出来事ばかりでしたから、そんな時こそ英雄が必要だったんです。それも仕事です」

「君も本当は英雄として称えられるべき存在なのよ」

 えっ!? この先生が英雄? と理香は口に出しそうになった。

 しかし、二人の間に割って入れない。そんな雰囲気があった。

「私は遠慮しておきます。あの戦争で一生分働きました。残りは歴史の研究をして過ごしたいのです」

「それは隠居するってことかしら?」

「本道に戻るだけです。しかし、中々、軍からは抜け出せそうにありませんが」

 理香は何だか取り残されている気がした。

 本当は昔のことのお礼を言いたかったが、救った子供の一人を覚えているはずもない。そんな自分がいきなりお礼を言っても困らせてしまうと思った。

「冴香さん、私の生徒は混乱してしまっていますよ」

「ごめんなさいね。こんな話、置き去りよね。そうね、口止め料も兼ねて、この後ランチなんてどうかしら?」

「えっ!?」

 理香は思いもよらない提案に驚いた。

「予定があるなら無理強いはしないけど…………?」

「そ、そんな、夢のような話です。ぜひ、お願いします。ありがとうございます。あっ、でも私、服が…………」

「確かにその格好のままだと目立つわね。まずは服の調達かしら?」

 冴香は理香の手を引っ張った。

 理香はうれしさと畏敬の念で鼓動が早くなるのを感じた。

「あ、あの、大和准…………」

「こら、こんなところでそんな呼び方されたら、注目されるでしょ。私のことは冴香さんって呼びなさい。これは命令よ」

「えっ、ええっ!?」

「それは職権の乱用ですね」

 先生は苦笑していた。

 理香は震えるとても小さい声で「冴香さん、自分で歩けますから手、繋がなくても大丈夫です」と言った。


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