学科廃止危機と特訓
「えー、改めて通達しますが、来年度より戦史研究学科は廃止になります」
放課後、学年主任の湯田が改めて通告する。
理香は湯田が嫌いだった。常に戦史研究学科を劣等と決めつける。
さらに理香個人に対してはもっと酷いことを言う。
湯田は理香に対して「故郷を失くしても平気で生きている敗者」と言い放ったことがある。ことあるごとに、理香のことを虐めていた。
湯田が意地の悪い笑みを浮かべる。
理香が挙手したからだ。戦史研究学科の生徒はほとんどが大人しい。教師に立て付くのは理香ぐらいだ。
「なんですか?」
「二つ質問があります。一つ目は戦史研究学科の生徒全員が他の学科への編入を認められるか、という点。二つ目は戦史研究学科の廃止理由です」
「お答えします。来期に編入試験を行います。優秀な生徒は各学科への編入が認められます。相応しくない生徒は士官学校を去って頂きます。まぁ、戦史研究学科に優秀な生徒などいるとは思えませんが。それから廃止の理由ですが、『魔導戦士抑制軍縮条約』により、各国の軍備規模の宣言が出来ました。結果的に最大戦力規模5を最大とし、日本の軍備規模は3と決定され、それに従い、士官学校の規模も縮小することになります」
確かに戦略戦術学科や砲術学科に比べれば、歴史研究学科は劣る。
でもいきなり廃止はあんまりじゃないか! と理香は抗議したくなる。
しかし、言い返せるだけの材料がない。理香は助けを求めるように先生を見た。
先生はそれに気付いたようで少し考えてから口を開いた。
「湯田先生の意見は最もですね」
あっ、終わった…………
「でも、それなら戦略戦術学科を廃止すべきじゃないですか?」
その言葉に生徒たちは驚き、湯田先生は怒りを露にした。
「田中先生、ふざけるのは止めてください」
「いえ、ふざけてなんていませんよ。戦略戦術学科の生徒が最も多いのですから、そこを廃止すれば、一番簡単に士官学校の規模を縮小できる」
「戦略戦術学科の生徒たちは未来の魔導戦士軍を背負っている優秀な生徒たちです。落ちこぼれの歴史研究学科の生徒なんかとは質が違うんですよ!」
「果たしてそうでしょうか?」
熱くなる湯田に反して、先生は平坦は口調で話を続ける。
「なんですって?」
「私は私の生徒たちが、戦略戦術学科の生徒より劣っているとは思いません。なんなら、模擬戦で試してみますか? もし歴史研究学科の生徒たちが戦略戦術学科の生徒に勝ったら、学科廃止の件、再検討しませんか? そもそも、戦史研究学科が廃止になる話を学科担当の私が知らなかったのもおかしな話だ」
「あっ」と理香は声を漏らした。普段と口調が変わらないからすぐに気付けなかったが、先生は先生なりに怒っていた。
「本気で言っているのですか? 戦略戦術学科の生徒に、戦史研究学科の生徒が勝てると思っているのですか?」
「思っているので、言っているのですが?」
田中先生は平坦な口調でとんでもないことを言う。
「…………いいでしょう。そこまで言うなら、模擬戦の機会を与えましょう。しかし、もし情けない結果だったら、士官学校と私を侮辱したとみなし、田中先生の進退も検討させていただきますよ?」
それを聞いた理香たち生徒はどよめくが、先生は「構いませんよ」と軽い口調で返した。
「日時は改めて設定します。参加生徒は両学科の全生徒。勝敗の決定は敵の全滅、制限時間内の消耗率の優劣、本陣の陥落でよろしいですか?」
「全生徒!? ちょっと待ってください!」
耐えかねて理香は声を上げた。
「また君ですか?」
「全生徒って、戦略戦術学科と戦史研究学科では人数に倍の違いがあります! せめて人数の均衡を要求します!」
戦史研究学科の方が規模が小さい。
「駄目です。これは学科をかけた戦いです。総力戦を行うのは当然でしょ?」
湯田はまた意地の悪い笑みを浮かべた。
「何が当然ですか!? それに…………」
理香は途中で言葉を止めた。言いたくはないが、個々の戦力だって戦略戦術学科の方が優秀だ。
それなのに数でも負けたら、勝ち目が完全になくなってしまう。
「良いですよ」
それなのに先生はそれすらも承諾してしまった。
「ただし、こちらからも二つ条件を出します。一つのルール追加を要求します」
「なんですか。あまり無茶なら承認しかねます」
湯田は不審そうな表情をした。
「学科の優劣を問うなら、私たち教員も参加すべきではないでしょうか? 司令官を湯田先生と私が行い、もし司令官が戦闘不能になったら負け、というのはどうでしょうか?」
「それは生徒たちの出来の悪さを田中先生が補うということですか?」
「いえいえ、あくまで司令官です。私たち教員は魔術を使うことをしてはいけない。これは今後、行われる魔導戦士競技戦の公式ルールですよ」
「あの運だけで英雄になった女の思い付きですか」
理香はそれが大和冴香を指していることに気付き、食って掛かりたくなったが、今は我慢する。
「あともう一つは学科総力戦というなら、中等部の子たちにも参加権利はあると思うのですがどうでしょうか?」
(中等部? あっ! そっか!)
「馬鹿馬鹿しい! 中学生が戦力になるとでも?」
「それはどうでしょうか? やってみないと分かりません」
「良いでしょう。二つの条件、ルール追加を受け入れましょう。詳細は後日、発表します」
「構いません」
戦略戦術研究学科と戦史研究学科の模擬戦は大々的に宣伝された。
それには理由があって、今回の模擬戦が全国で初めて魔導戦士競技戦ルールで行われることになったからだ。
軍の上層部の人間が見に来るという噂が流れた。
それに比べれば小さいが、学校内でも話題になっていた。優等生に劣等生が噛み付いたと校内新聞で発表された。
戦いは一週間後の金曜日、と決まった。
理香は先生に会う為、図書室に足を運んでいた。
「中学生を巻き込んだのは良い作戦だと思います。戦史研究学科は中等部にもありますけど、戦略戦術学科は中等部にありませんもんね。これで兵力は互角にまで持って行けそうです」
先生はそれを狙って中等部の参加を認めさせたのだと思った。
「いや、湯田先生も言っていたが、中学生じゃ大した戦力にならない。今回参加させるつもりはないよ」
「えっ!? じゃあ、何で中等部の生徒を参加させるなんて条件を認めさせたんですか?」
「ああは言ったが、正直、この戦いは厳しい。普通にやったら勝算は二割ってところかな」
「二割もあれば十分、と思いたくなりますけど…………もっと絶望的な戦力差を私は感じています」
「それを五分にまで持っていくのには優里亜の力が必要だ」
「あっ、そうだ、優里亜ちゃん! 中等部には優里亜ちゃんがいたんだ。あの子なら即戦力です」
「さらに勝率を上げる為には真境名さんの力が必要だ」
「…………もしかして、あの『黒い刀』ですか?」
「いえ、あれには頼らない。頼りにはしちゃいけない。君には優里亜と特訓してもらう。やってもらうことは風魔術の研磨だ。大会前日まで訓練場を借りているから、優里亜とそこで特訓をしてもらう。いいかな?」
「もちろんです!」
理香と先生と生徒の学科存亡をかけて、戦いが始まった。
「どうも、これからは私のことを教官って呼んでもいいですよ。阿婆擦れ先輩」
「その呼び方、やめてよ!? 引っ叩くよ! それに教官なんて呼ばないからね…………で、私は何をやるの?」
現在、理香は優里亜は二人だけだ。小規模な訓練場の一つを貸し切っている。
士官学校の訓練場には特殊な装置が存在する。この訓練場内で魔術を発動すると物理ダメージが無効化される。全て精神ダメージに変更される。
「簡単ですよ。私に一撃を与えたら、合格です」
「えっ、それだけ?」
「簡単、と言いたげですね? 阿婆擦れ先輩」
「今すぐにやってやる! 《風打刀》!!」
二時間後。
「阿婆擦れ先輩、もう終わりですか?」
「う、うるさい………………それとその呼び方、本当にやめてください。結構、傷ついてるんです…………」
理香はボロボロにされていた。精神を。
「情けないですね。《水蘇》」
優里亜は理香に対して、三度目の魔力の回復を施す。
普通なら風の魔導戦士は《水壁》を苦にはしない。
しかし、優里亜の《水壁》は理香の想像より堅固だった。未だに優里亜へ一撃を与えられていない。
「なんで勝てないの!?」
理香は悪態を付く。
「教えてあげましょうか?」
「えっ?」
「ただし、『お願いします。教えてください。優里亜教官』って、言えたら、教えてあげます」
「優里亜ちゃん、私を虐めて楽しい?」
「はい」
「即答するな! お願いします! 教えてください!! 優里亜教官!!! これで満足か!」
「キレながら、お願いって中々、面白いことしますね。…………先輩、あなたは雑念が多いんですよ」
「雑念?」
「頭が良いせいで後のことを考えて動いてます。私が《水壁》を破られたら、何をするかを考えています。それに対しての余力を残そうとして、目の前のことに対して中途半端になっています。先輩、まずは目の前のことに対して、全力になることです。あのテロ事件の途中からあなたはそれが出来ていたじゃありませんか」
「それって、《疾風の脇差》と《疾風の縮地》を使った時のこと? でも、あれはほとんど制御できないよ」
理香は強力すぎる上級魔術に振り回されていた。もし、寺岡が冷静なら負けていたかもしれない。
「最初は何でも制御できないものです。今のあなたはほとんど負荷のかからない重りを使って、筋力トレーニングをしているだけです。負荷がかかってこそ、成長があります。まぁ、負荷をかけすぎるとぶっ壊れますけど。先輩、あとのことなんて考えないで全力で来てください」
「分かった。やってみる」
「あれ、素直ですね?」
「今は何でもやってみたいから。それに優里亜ちゃんの方が魔導戦士として優秀なのは事実だし」
「先輩は成長期ですから、すぐに追いつけますよ」
「それ、普通は年上が言うセリフだよね? …………《疾風の脇差》、《疾風の縮地》」
理香の速度は飛躍的に上昇する。
先ほどまで苦戦していた《水壁》を簡単に突破する。
「出来たじゃないですか。だけど、まだまだです! 《多重水壁》」
理香と優里亜の間に複数の《水壁》が出現する。
こんなことまで出来るの? と理香は驚くがすぐにその気持ちを消して、目の前の《水壁》を破ることだけ考えた。
「うおおぉぉぉ!」
ただ必死に目の前のことに集中した。
理香は九枚の《水壁》を破ったところで力尽きる。結局、理香の攻撃は優里亜のところまで届かなかった。
「また駄目だった!」
理香は力尽きて、仰向けに倒れる。
「でも、さっきまで一枚も破れなかったのに、一気に九枚も破れましたね」
「攻めることしか考えてなかったけどね」
「それでいいんです。戦場では各自やることが決まっています。風の魔導戦士はただ攻めることだけ考えていれば、良いんです。視野は雷の魔導戦士に任せればいい。防衛は水の魔導戦士に任せればいい。遠くの敵は火の魔導戦士に任せればいい。戦線の維持は土の魔導戦士に任せればいい。風の魔導戦士がやることは敵の戦線を崩して、敵に致命傷を与えることです」
「脳筋になれ、って、言われている気がする」
「間違いじゃないですね。さぁ、訓練所はあと一時間も使えますから、回復したら、再開ですよ」
「ねぇ、優里亜ちゃんは大丈夫なの?」
「何がですか?」
「何がですか、じゃないよ。私に魔力の補充をして、何度も《水壁》を出して、魔力は尽きないの?」
水の魔導戦士は他の属性に比べて、魔力量が桁違いに多い。
しかし、平均から考えると優里亜の魔力はもう尽きているはずだった。
「心配しなくても大丈夫です。私の魔力貯蔵量は普通の水の魔導戦士の十倍ですから」
「じゅ、十倍!?」
どこまでも規格外だ、と理香は呆れるしかなかった。
出てきた魔術の補足説明。
《水蘇》
水の魔導戦士の低級特技。対象者の魔力の回復を行うことが出来る。傷などを回復させる能力はない。集団戦において、水の魔導戦士の必須魔術の一つ。
《多重水壁》
水の魔導戦士の特技。《水壁》を複数枚出す魔術。出せる《水壁》の枚数によって難易度が変化する。二枚までは中級相当の魔術。三枚以上は上級相当の魔術。集団戦では風の魔導戦士の突撃や火の魔導戦士の攻撃を防ぐことに使う。枚数が増えるごとに魔力の消費量が増し、魔力制御も難しくなっていく。