7 湯あみする魔女
話の区切り的に、今回は短めです
立ち上る湯気は、ほんのりと花の香りがした。
「源泉のまま楽しむのもいいのですが、クララ様は初めてということでバラの香油を垂らしたものにしてみました。硫黄の香りが苦手という方もいらっしゃるので」
続き間の湯あみ場に用意された浴槽には、湯がなみなみと注がれていた。
複数の侍女が腰まであるクララの髪を洗い、きめ細かな白い肌を磨いていく。
されるがままになっていたクララは、呆然と湯気を見ていた。バラの香りに紛れる硫黄の香りの中に、精霊が潜んでいる。薄い黄色の羽を揺らめかせ、飛び跳ねていた。
髪を洗い終えると、今度は香油が梳きこまれていく。それを見ていた硫黄の精霊が、顔をしかめて立ち去ろうとする。クララは慌てて、香油を梳きこむのをやめさせた。手入れは湯上りにしてくれと言って。
あとは大丈夫だからと言って侍女たちを下がらせて、クララは髪についた香料を湯で落とす。
それからなみなみとした湯に身を沈めた。頭まで潜り、湯の中を確認する。
やや熱めの湯は、肌に吸い付くような不思議な感触だった。何より、湯の中にはたくさんの精霊が潜んでいた。
『ひめさまひめさま』
精霊たちがクララに語り掛ける。
『わたしたちにもキラキラをくださいませ』
精霊たちの言葉を聞き届け、クララは湯から顔を出す。ぷはっと息を吐きだすと、その吐息にさえ精霊が集まってきた。
「星のカケラのこと? 隣にあるから待って」
湯から上がり、脱衣所に置いてきた耳飾りを持ってこようとする。だが、精霊はそれを止めた。
『違うよ、ひめさまの髪の毛』
「これ、本物じゃないけど」
そういえば、精霊は金の髪や銀の髪が好きだったなと思いだしながら、クララは自らの髪を指ではじいた。
『ちがうよ。ひめさまの本能の髪の毛が欲しいの。大地の色の』
大地の色。そう言われて、クララは自然に頬が緩んだ。クララの地毛は、濃茶の髪をしている。スピリュティアどころか、世界で最も人口の多い色だ。
「いいわよ。持って行って」
硫黄の精霊の生まれは大地の奥深くだから、きらきら光るものよりも大地の色のほうが好きなのかもしれない。精霊のすべてが明るいものを好むわけではない。時には闇のように、暗いものに惹かれる精霊もいる。
クララの許可を受け、硫黄の精霊がクララの髪先に集まった。それぞれが毛先を数センチほど持っていく。クララから切り離された銀の髪は、本来の土色の髪へと戻っていった。光沢のある髪は、まさに肥沃の大地を思わせる。
「あなたたちも私に協力してくれる?」
『いいよ。グリフェルを助けてくれるなら』
「グリフェル……。初代のウィザダネス皇帝?」
ウィザダネスの歴史の知識を頭の片隅から引っ張り出しながら、クララは確認する。硫黄の精霊は羽をパタパタと振った。
『ちがうよ。今のグリフェル』
「ああ、グリフェルって皇帝のことをさすのね。助けるってどういうこと?」
『よくわかんない。困ってる』
「困ってる、ねえ。でも皇帝を助ければ、恩を売りつけることができるわね。いいわ、助ける。その代り、協力を惜しまないでね」
『よろしく、ひめさま』
クララは人差し指を出して、精霊と握手を交わした。
「クララ様?」
長湯を心配した侍女が、浴室へ顔を出す。クララは硫黄の精霊に向かってにっこりとほほ笑んで、湯から上がった。肌が驚くほどつやつやになっており、温泉にはまりそうだと感じる。
湯上りでちょうどよい感じに頬が赤らんでいるクララを見て、侍女たちが浮足立つ。中でもしっかりしているクララ担当長が、はしゃぐ侍女たちを統制する。
侍女の一人が魔術道具の一つ、ドヤイヤーというもので髪を乾かしながら、髪に香油を梳きこむ。
「晩餐を断りましたら、料理長がお腹の空いた時ようにと、お夜食を用意してくださいました。いつでも食べられるように、ベッドわきの保管庫に入れておきましたから」
なんでも、作りたての状態で置いておける箱らしい。魔術道具の一つで、中の時間を停滞させておくのだとか。
「ドライヤーと言い、保管庫と言い、ウィザダネスは便利なものがたくさんあるのね」
「ウィザダネスは私たちの誇りですわ。さあ、就寝のご用意ができました。どうぞ朝までごゆっくりお休みなさいませ」
侍女たちは恭しく頭を下げて出て行った。
そしてクララも、ベッドについて眠りに落ちた。