6 褒められる魔女
ラスターとの面会の約束を取り付けた後、フィルストは早々に立ち去った。もう一つ、マナー講師をクララにつけることも約束して。
フィルストが去った後、クララはやっと侍女に着替えを手伝わせた。先ほどからなんか窮屈な気がしていたのは、式典用のドレスを着たままだったからだ。
フィルストの接待を終えた後の侍女たちは実に機嫌よく着替えを行った。祖国から持ってきたドレスも、しきりに褒めていた。薄紫のふわりとしたドレスだ。首元は鎖骨が見える程度に開き、袖は手首までと一緒だが、スカートの長さは脛が隠れる程度だ。式典のドレスと比べると生地の量もだいぶ少なく、軽い。
隣室に下がる際、侍女たちは機嫌よく、何かありましたら是非呼んでくださいね、と親切をふるまってくれた。
フィルストが来て疲れてしまったが、侍女との関係が向上したという点ではよかった。
ベッドに座り、先ほど中断した通信を再開しようか考えあぐねる。フィルストから聞いた、ウィザダネスの目的をすぐに師匠に伝えたい気もする。精霊の加護ではなく、還らずの森の資源だと。
だが、あちらはあちらで忙しい。次期国王とその伴侶の婚姻の儀の準備が取り急ぎ行われているはずだ。
予定では、あと一年は先だった。それをできるだけ早くしようということになった。最悪、人間のほうは貴族たちが一部不在でもなんとかなる。
問題は、スピリュティアを守護する精霊たちだ。王と王配は、四季折々の精霊たちから祝福をもらわねばならない。だから、本来なら婚約してから婚姻までは最低でも一年かかる。それをすべてこの一か月でやろうとしているのだ。一か月とは言わず、クララは明日にでも婚姻の儀を済ませてほしいと思っている。
幸い、精霊王との連絡はとれている。精霊王から指揮の精霊へ通達が行っているはずなので、眠りについている精霊たちも事情は分かっているはずだ。ただ、いくら精霊の王の命令だからと言って精霊は必ずしも従うとは限らない。
「私がつなぐのが一番なんだけど。ウィザダネスに来るほうが重要だしな」
頭を抱えて、クララはうなった。
精霊と人間たちのつなぎ役は本来、クララの役目だ。けれど、王女の身代わりとしてウィザダネスに来ることのほうが重要だと、国王とともに判断した。
なにせ、スピリュティアの王は代々銀髪で、それは王以外に持ちえない色だった。銀の髪が精霊の守護を持つ証で、それ以外のものが王につくことを精霊は許さない。山脈と荒波の海に挟まれたわずかな土地で、人々がなんとか暮らしていけるのは精霊の加護があるからに他ならない。この時点で、銀髪の王女を他国に嫁がせるという選択肢は完全に消える。
だがウィザダネスが今回、花嫁にと望んだ王女は「銀髪の王女」という指定だった。髪色銀に変えられるのは、森の魔女しかいなかった。しかも、変えられるのは本人の髪のみ。とるべき方法は一つしかない。幸いなことに、王女マシュリナとクララは同い年。クララはすぐに決意して、こうしてここにいる。
できることならば、ウィザダネスの弱みを見つけるか、恩を売りつけるかして縁談の話自体をなくす。無理ならば、代案として花婿として皇子を連れ帰る。それすらも無理であれば、ウィザダネスに嫁いで夫とは不仲になり、婚姻状態を結んだまま、クララ自身はスピリュティアに帰るというのが、今回の計画だ。
それすらも無理であれば、クララはウィザダネスで暮らすことになる。そうならないための作戦を考えなくてはいけなかった。
クララが目を付けたのは、ラスター皇子だ。まず、皇位継承者から最も遠い。国に連れて帰ることも可能だし、後継ぎが生まれなくても問題ないから別居も可能。彼自身が縁談をぶち壊そうとしているのだから、利害が一致する。
彼の直接の謝罪を求めたのは、本当に謝ってもらいたいからではなく、少しでも彼と接触しておきたかったからだ。
「よし、もろもろのことは明日からやるとして、今日はもう休もう」
晩餐は疲労を理由に断ることにして、クララはもう眠ってしまうことにした。明朝、日の出前から活動してウィザダネスの弱みを探すのもいい。
持ってきた衣服はすでに衣装棚に収められているので、クララはそこから夜着を取り出した。ベッドの上に置き、着ているドレスのファスナーに指をかける。もともと一人で着替えることを前提に作られているドレスだから、侍女の手を煩わせる必要もない。着替えを手伝ってもらった直後で、また手を煩わせるのが気の毒な気がしたのだ。
たぶん、その判断がまずかった。
脱いだドレスが床の上に落ちると同時に、荒々しい音ともに扉が大きく開く。衛兵が止める声も聞こえたが、間に合わなかった。
「兄上をたぶらかす魔女め! 身の程を思い知らせて……」
威勢の良かった声は、しりすぼみになる。
大きな音に扉側を振り向いたクララは、スリップドレス一枚という下着姿で硬直して、金髪の男の顔をまじまじと見た。
金色の目が、これでもかというほど大きく見開かれる。
「すすすすすまない」
挙動不審な動きでジークは扉を閉めた。
控えの間から侍女たちが慌ててやってきて、たった今脱いだばかりのドレスを再びクララに着せる。
思考が止まったままのクララは、侍女がされるままになっていた。
着替えを終えると、気の利いた侍女が椅子を持ってきて、クララを座らせた。固まり続けるクララを確認してから、扉の前に立っている侍女に合図を送る。扉前の侍女は頷いて、それから扉を開いた。
「ジーク様。いくら殿下でも、レディの部屋を訪ねるのにノックもなさらないなんて、マナー違反ですわ」
身分が上であっても、さすがにこれはひどい。侍女は鋭く指摘した。
ジークは叱られた子犬のようにしょぼんと肩を落としていた。
「クララ様、ご自身からもご抗議なさいませ」
侍女の言葉で、クララははっと我に返る。ゆったりと立ち上がり、ジークの前まで歩んだ。
ジークは怖気づいたように一歩下がる。クララはもう一歩詰めようかとも思ったが、ただの嫌がらせでは大人気ない。それ以上距離を縮めることはしなかった。
「ジーク殿下。今の行動はいささか浅慮すぎます。ここがあなたの住まう王宮とはいえ、わたくしが他国の代表としてきている以上、あなたもまたウィザダネスの代表。もっと慎み深い行動をなさいませ」
クララはできるだけ感情的にならぬように、告げた。
国の代表、とまで言われてしまえば、ジークも大人しくせざるを得ない。先ほどまで何かに憤っていたようだが、その勢いはすっかり消えていた。
「それで? どのようなご用件で?」
フィルストの訪問時とは違い、侍女たちはお茶会の準備をする気配がない。クララとしても歓迎するつもりはないので、侍女たちを促しはしなかった。下着姿を見られたショックをいまだに引きずっている。
「いえ、なんでも……」
ジークの目がせわしなく動き、視線をクララに合わせようとはしない。
クララはすっと目を細めた。
「言っておきますが、フィルスト殿下をたぶらかしてはおりませんから」
兄上とは、たぶんラスターのことではなくフィルストのほうだ。
「じゃあなぜいきなり、あんなことになっているというのだ!」
ジークは弾かれたように、クララに目を向けた。一瞬だけ視線が絡まる。絡まった視線はすぐにほどけ、ジークは頬を赤らめてそっぽ向いた。
「あんなこと?」
「兄上が楽しそうに鼻歌交じりで執務を行ったり、普段は見向きもしない温室で花束を作らせたり」
ジークの言葉に、クララは首をかしげた。
「どこかおかしなことでも?」
仕事が乗ってきたりすると、鼻歌交じりで作業するのは普通ではないか。逆に順調に言ってないときでも、気分を盛り上げるときには鼻歌を歌う。なんだったら、口ずさんだり、本格的な合唱になったりすることも、スピリュティアではよくある。そのほうが、精霊が喜ぶからというのもあるが。
「執務中の兄上は基本的に難しそうな顔をしている」
「そうなんですね。何かいいことがあったんじゃないですか。当てにしていたものが、想像通りだったりとか。花束に関しては、先ほどいただきましたが、たんに贈り物があったほうが人を訪ねやすいからじゃないですか?」
「違う、そうじゃなくて……」
もどかしそうにジークが言おうとした時、扉のノックが響いた。この期に及んで誰が尋ねてくるというのだろう。まさか面談を申し込んだからと言って、ラスターではあるまい。彼は今、懲罰房にいるはずだから。
扉のそばに控えていた侍女が応対をする。すぐに顔を輝かせて、クララを振り返った。
「クララ様、フィルスト様からの贈り物ですわ」
そういって、侍女は一抱えもありそうな花束を訪問者から受け取っていた。どうやら、使いの者が花束を届けに来ただけらしい。
今度は黄色い花束だった。バラにカーネーション、ユリ、ヒマワリ、マリーゴールド、カタバミ、オミナエシ、ガーベラ、カンナ、コスモス、キンシバイ、キンセンカ、キンラン、カレンデュア。城で咲くすべての種類の黄色い花を集めたかのような花束だった。クララが知らない花もある。黄色というよりはオレンジに近い色からクリーム色まで、濃淡のグラデーションが目を楽しませてくれる。これだけの量があるにもかかわらず、香りがけんかしていないのも見事だ。
花束には手紙が添えてあった。『あなたの笑顔は太陽のようでしたので。金の花はないので、金に最も近いといわれる黄色の花を。花言葉の良くないものもありますが、花には罪がないのでご容赦を――フィルスト』そう記されている。
「俺が言っていたのは、これのことだ。訪問が終わった後なのに、なぜ花束を贈る必要がある? 兄上の花嫁は赫陵の姫君でほぼ決まっていたのに、なぜ今更それを覆す必要がある?」
「ちなみに、雪花姫に花束は?」
侍女に花瓶に生けるようにいながら、クララはジークに尋ねる。侍女は、花瓶一つじゃ足りないわぁどうしましょうと言葉では困惑していたが、表情は喜びを隠しきれないでいる。
そんな侍女の様子などまったく目に入らないかのように、ジークは首を振った。
「贈ってない。それどころか、訪問さえしていない。もちろん、ジューンメイーデュのところにも。だとしたら、あんたが兄上に何かの魔法をかけたとしか思えないじゃないか」
ジークのあんた呼ばわりも気になったが、フィルストの行動のほうが気にかかった。顎に手を当て、クララは考え込む。耳飾りの中身が星のカケラであるのを一目で看破するのは難しい。けれど、彼がクララの持っていない情報を持っている可能性だってある。
クララには、精霊が好む以外の星のカケラの使い道を思いつくことができない。けれど、長年魔力研究を進めているウィザダネスの人間には、他に利用方法が思い浮かぶのかもしれない。
「心当たりはない、か」
真剣に悩むクララの表情を見て、ジークは一人で勝手に納得する。
クララが視線を彼に向けると、ジークはまた頬を赤らめて目をそらした。なんだか彼とは、まともに話し合える気がしない。
「私が何もしていないことはご理解いただけましたか?」
もっとも、魔女だという言葉は間違ってはいないのだが。
「……今のところは、ひとまず下がろう。騒いで悪かったな」
ジークはそう告げて、部屋から出て行った。
「今のところはってことは、また来るってこと?」
できることなら、あまりかかわりたくはない。いや、保険として彼を狙うのもいいかもしれない。どうやらジークはクララにいい印象を持ってないみたいだ。形だけの結婚も可能かもしれない。いや、逃げ道を作ってどうする。ここはガツンと、すべてを破断する位の心意気で行かなくては。
いろいろと計算するクララの視界の隅で、花を生け終わった侍女たちが楽しそうにささやきあっている。
「これは意外だわ。フィルスト様とジーク様が一人の女性を取り合うなんて!」
「しかも相手は秘匿の姫君だなんて」
ほう、とため息をつきながら、侍女たちは熱い視線をクララに注ぐ。気づかなかったことにしようかと思ったが、クララは無視することができなかった。
「その秘匿の姫君って、まさか私ではないよね?」
「もちろんクララ様ですわ。神秘の国スピリュティアの王女。わかっているのは、その髪が銀色だろうということだけ。絵姿さえ出回らないのは、あまりに醜いか、美しすぎて絵師が描けないかのどちらかといわれるほどです」
「言われてみれば、確かに絵師が肖像画を描いてるのを見たことがないけど」
肖像画が描かれるのは、王位についてからだ。だからマシュリナの肖像画もないし、当然王族ではないクララの絵もない。そもそも魔女であるクララは己の姿を描き留められるのを嫌う。風景画や抽象画を見るのは好きだが。
「まあ、でも意外と普通でしょ? 噂なんて、しょせん噂なの」
苦笑交じりに侍女に目を向けると、彼女たちは目を潤ませて首を横に振った。
「想像以上にお美しいです。まつ毛は長いし目は大きいし、鼻筋も通っているし唇もきれいな形をしているし、でもそのくらいの方は貴族の中にはたくさんいます。クララ様はその配置というか、合わさった時の雰囲気というか。とにかく全体を見た時に、こう、ぐわっとくるんです。要するに、完璧です」
「褒めすぎ」
そうはいったものの、褒められてうれしくないはずはない。スピリュティアでは容姿に関して何かを言ってくるものがいなかったから、素直にうれしい。
クララの口角は自然に上がり、侍女たちに微笑みかけていた。彼女たちの口から、自然に歓喜の声が漏れる。
「フィルスト殿下もジーク殿下もクララ様の美しさに一目ぼれしたんです、きっと」
「ありがとう。でも、二人の皇子は私の取り合いをしてるのではなく、私の牽制に来たのよ。ラスター皇子の一件で、すこしだけ私が有利になったから、花束でそれを相殺しただけ。ジーク皇子は、あからさまに私を嫌悪してたでしょう。フィルスト皇子のことがとても敬愛していらっしゃるのね。ラスター皇子のように床に組み敷くことのないように言いに来たとかじゃないかしら。トラブルがあって、すっかり忠告を忘れたみたいだけど」
下着姿を見られてショックを受けたのは、クララのほうだ。が、見たほうも何らかのショックを受けてはいるのだろう。目が合うたびに顔が赤くなり避けられていたのだから、少なくとも異性として意識はされているのだろうが、イコール惚れるにはならない。
「でもあのお二人の様子は……」
侍女たちはなおも好意と結び付けようとしていたが、クララは首を振って否定する。
「まあ、あなたたちが職務の合間に空想するのは構わないけれどね」
クララは侍女たちにいたずらめいた笑みを向ける。色恋の話は、正直クララも好きだ。誰かが誰かを好きになったという類のうわさには、よく耳を傾けていた。
「では、私たちはフィルスト様をお相手として仕事を進めますが、それでも?」
「空想は職務の合間に、と言ったのだけれど……そうね、あなたたちの仕事は、私を花嫁に仕上げることですものね。構わないわ」
どうせ、一か月の間に勝負をつけるつもりでいる。彼女たちとは深くかかわることはもうないだろう。ほんの少しの間、夢を見るのは悪いことではない。
「今日はもう疲れたから休むわ。晩餐は休む旨を伝えてくれる?」
「かしこまりました。お休みの前の湯あみはどうなさいますか?」
侍女に聞かれて、クララは少し悩む。
スピリュティアにも入浴の習慣はあったが、あれはどちらかというと体を温めるためのものだ。程よく暖かい気候のウィザダネスであれば、朝に汗を流すほうが心地よい気がする。
「ウィザダネスには火山があるので、そこから引いている温泉の湯がありますよ」
「入ってみるわ」
スピリュティアには火山がない。温泉について、知識はあるものの現物は知らない。
クララは好奇心を優先させることにした。