4 連絡を取る魔女
案内された部屋は、王宮の一番奥だった。
アデラと雪花もそれぞれ、近くに私室を割り当てられている。
本来なら、もう少し談笑タイムがとられるのだったが、第三皇位継承者のラスターが暴挙に出たため、顔合わせのみになってしまった。
普段侍女にかしずかれる生活を送っていないと言って、クララは着替える間もなく、部屋に控えていた侍女たちを皆下がらせている。もちろん部屋の外に衛兵はいるし、続き間に侍女は控えているだろうが、とりあえず視界に入らなければいい。
三人並んで寝ても寝返りに余裕のあるベッドに転がり、クララはため息をついた。
「疲れた……」
国のトップを相手にするのが、こんなに気疲れするとは思わなかった。故郷スピリュティア国王と対面するのと全然違う。
なんだかんだ言って、スピリュティア国王はクララにとって親戚のおじさんみたいなものだ。正式な場でこそ敬語は使うが、普段はぞんざいな口の利き方しかしていなかったことに、今更気づく。
「ああ。こんなことしている場合じゃないんだ」
このまま眠ってしまいそうなほど居心地のいいベッドから体を起こし、右耳で揺れていた耳飾りを外す。ガラス玉の耳飾りで、中にはきらきらと光る装飾が入っている。クララは指先ほどの大きさのガラス玉を器用に開けた。
ベッドサイドにおいてあるコップにガラス玉の中身を移し、水差しの水を注ぐ。水の中で、装飾が揺らめいた。星のかけらと呼ばれる、スピリュティアの特定の場所でしか採取できない砂だ。
星のかけらのきらめきに誘われて、コップの外に赤や青、黄色緑といった光の粒が集まってくる。精霊の多くは、煌めくものが好物だ。
「うん、成功。思ったとおり、精霊の加護を持っていない国にもちゃんと精霊がいるじゃない」
クララは満足そうに笑顔を浮かべ、コップの中の水を指でかき混ぜる。指を引き上げれば、星のカケラがいくつかまといついてきた。その指に数体の精霊が止まる。
「ウィザダネスの精霊さん、私と契約してちょうだい。仕事をこなしてくれたら、この星のカケラを上げる。……あらありがとう。そうねえ、まずはこの部屋の音が外に漏れないようにお願い。そして、この星のカケラがある場所と水通信をつないでほしいの。簡単よ。向こうはもう待機してるはずだから」
クララが精霊に頼むと、グラスに注がれたコップが光った。そこから揺れる画像が空中に投影される。焦げ茶の髪の男が映っていた。画像が荒くて輪郭さえあやふやだが、この通信をできるのは一人しかいなかった。
「師匠、お久しぶりです」
ぼやけた茶の髪の青年に向かい、クララは簡単な挨拶をする。あまりにぼやけすぎて、ビルドの顔立ちが全く分からないほどだ。
『――十日ぶりだな』
声は映像よりも鮮明に聞こえた。やや時間差があるものの、許容範囲だ。
『――クララにしては長旅だったんじゃないか?』
「そうですね。国境から八日間、ずっと馬車に揺られっぱなしでしたから。あ、馬車じゃなくて、魔術自動車っていうんでしたっけあれ。液化した魔力が動力源なので、スピリュティアでも使えそうですよ。輸入が大変そうですけど。あと、タイヤが最高です。ゴムタイヤとかサスペンションとかっていうの。あれを取り入れるといいと思いますよ」
『――お前はそこに何しに行ったんだ? 技術交流じゃないだろ?』
ビルドの指摘に、クララは「あ」と声を上げる。
「そうでした。でも考えておいてくださいね、乗っても疲れにくい馬車。とりあえず、潜入完了です。今のところ、完璧にスピリュティアの王女ですよ」
クララはぐっとこぶしを握って笑顔を見せる。
『――ついた早々ばれるほうが問題だが。それより、何か弱みは握れそうか?』
「それこそ、ついた早々に掴めるわけないじゃないですか」
言ってから、クララはラスターのことを思い出した。先ほどは弱みとしては足りないと感じたものの、刃物を向けられたことを理由に、縁談そのものをなかったことにはできないだろうか。
それとも、ラスターを仲間に引き入れるか。彼も縁談に納得していなかった。目的の一つは一致しているのだから、案外陥落しやすいかもしれない。
『――クララ?』
考え事をしていたクララは、師匠の声に我に返る。
『――もしかして、ついた早々にやらかしてないよな?』
「してませんよ」
クララは慌てて勢いよく首を横に振った。
ラスターを組み敷いたことは、やらかしたうちに入るのだろうか。いや、悪いのは先に仕掛けてきた向こうだ。師匠に報告する必要はないと判断する。
『――いいか、目的と手段を間違えるなよ』
「大丈夫ですよ、師匠。目的はこの婚姻の申し出をなかったことに。ついでに、十年前から始まった魔獣の出現にウィザダネスが関与していないかを探ること」
『――そうだ。魔獣の件はあくまでついでだからな。危険だと思ったら、関わるな』
「はーい。危険だと思ったらそうしまーす」
クララにとっての危険なんてそんなにないから、クララは適当に返事を返した。
スピリュティアに魔獣が出現するようになったのは、十年前から。それまでは一切出なかった。調べていく過程で分かったのは、ウィザダネスが十年前に魔術がらみで何かを行ったということ。それも、世界規模で。その影響で、精霊の力が強いはずのスピリュティアにも魔獣が出現したというのが現在の学説だ。
今回、ウィザダネスの王宮に乗り込むのだから、どうせならついでに調べようという計画になった。クララとしては、これ以上スピリュティアを魔獣の危機にさらしたくはないから、意地でも解決して帰る気でいる。
そう、必ず帰るのだ。スピリュティアに、吉報とともに。
『――さらに言えば、身代わりが本気で嫌になったら、いつでも戻ってきてもいいんだぞ。お前の犠牲で成り立つ幸せなど、俺もマシュリナも望んではいない。戦争になっても、お前を取り戻す』
「師匠、最後のその言葉はマシュリナにこそ言ってくださいね。それに、私だって心からマシュリナと師匠の幸せを願っているんです。守り抜きますよ、スピリュティアを。なぜなら私はスピリュティアの魔女にして……」
言葉を紡いでいたクララは、不意にそこで切った。
扉をノックする音が聞こえたからだ。
「すみません、師匠。また連絡を入れます」
そう言って、水通信の魔法を遮断する。室内の音漏れの術も解除した。コップに入っていた星のカケラはすべて消え去っていた。
クララは扉の前に立ち、どうしたのかと声をかける。
衛兵が扉を開け、訪問者の存在を告げた。
今のクララを訪ねてくるものに心当たりはない。あるとすればアデラか雪花か。三つの国から三人の花嫁。けれど相手はまだ決まっていない。
一か月の間、三人の花嫁はここで暮らし、誰が最も帝国に恩恵をもたらすか探られるのだ。最も貢献するものが時期皇帝フィルストの花嫁に。次がジーク。そしてもっとも役に立たないものがラスターの花嫁に。
クララは嫁ぎたくてここ似るわけではない。他の花嫁がどういうつもりでウィザダネスとかかわっていくのかクララは知らないが、相手の出方を探るために訪ねてきてもおかしくはなかった。
知っておくのも悪くはない。クララは通すように言う。
そして入ってきたのは、最も予想外の人物だった。