38 闇を抱く魔女
『お前たちはまた邪魔をするというのか!』
地の底から響く声は、あたりの空気をびりびりと震わせた。
「手ゴマを破壊しつくされ、お怒りになった本命のお出ましだ」
フィルストは不敵に唇の端に笑みを浮かべる。その額を冷や汗がゆっくりと伝う。
クララも魔王に静かな視線を投げた。魔王から零れ落ちる絶望が、ゆっくりと世界を蝕んでいく。魔王からあふれる瘴気に触れると、世界は溶けて行った。
「クララはここで待っていてくれ。私が育てた絶望だ。私がけりをつける」
クララは首を振った。フィルストを信用していないわけではない。けりをつけないといけないのはクララも同じだからだ。
「私もいっしょに行きます」
闇色に染まった鋼の剣を掲げる。
フィルストに闇の力を分けてもらったときに闇に染まった剣。元の持ち主に申し訳ない気持ちもあるが、それ以上に自分になじんでいくことがうれしい。
「わかった。もう止めはしない」
クララの実力を十分理解しているフィルストは、それ以上言いはしなかった。
二人同時に地を蹴り、魔王に襲い掛かる。息はぴったりだ。
今までの魔獣とは違い、魔王は一筋縄ではいかない。左右からはさみ巧妙に仕掛けた攻撃を左右の腕で何なくとめた。剣を折ろうと手首をひねる。
クララは流れに逆らわず、ひねった手首と同じ方向に体を倒した。勢いよく回転しながら、魔王の手から逃れる。
攻撃をし、攻撃をよけ、フィルストと連係プレイを重ねながら、クララは様子をうかがう。
二重構造になっている虹彩に、焦りの色はない。むしろこの状況を楽しんでいる。それはフィルストにもわかったようだ。
「遊んでいるな、これは」
闇の精霊を食べたとはいえ、体力的には人間のままのフィルストは、だんだん体力を削られていった。
「闇を持って闇を制すと思ったんだが」
フィルストの中に取り入れられたのは闇の精霊のかつての本体で、対峙しているのは分身にすぎなかったはずだ。
『それだけ俺の絶望は深いということだ』
にたりと笑い、闇の精霊は銀の刃を無数に生み出した。フィルストとクララに向かって一斉に浴びせる。
「月の光……アデラの精霊を食べたのね」
月光の刃を剣ではじきながら、クララは魔王を見る。
魔王は満足そうに目を細めた。
「あの精霊の絶望が俺を強くする。美味だったよ」
紫色の下で口の周りをべろりとなめとる。明らかな挑発に、クララは逆に冷静になった。
「あなたの糧は、絶望や憎しみだけだった?」
『当然』
光を取り込み、闇はより濃くなる。絶望がさらに魔王を強くする。
果たしてそうだろうか、とクララは魔王を見ていて思う。
今はこうしてフィルストと離れているとはいえ、かつては彼の中にいた。絶望以外に、愛情にも触れているはずだ。そうでなければ、もっと早くに世界は滅ぼされていたはずだ。
剣を合わせた一瞬でクララにはわかった。魔王は、フィルストの呪いをもっと早くに成就させようと思えばできたはずだ。
魔王もまた、待っていたのだ。クララに再び会うのを。
クララは持っていた剣を放り投げ、両手を広げた。
『何をするつもりだ』
「何をするつもりだ」
魔王とフィルストの声が重なった。
クララはフィルストの顔を見て、とびきりの笑顔を浮かべた。
「過去に行って、わかった。いいえ私自身が精霊になって、かしら。精霊にとって、世界は広くて何もなくて、とてもさみしいところなの。そこで出会う人は、とても特別なの。だって、認識できて話し合うこともできるんだから。退屈で窮屈な世界に色が付く。それを失うのは、とても怖いわ。それを奪う存在が、とても憎いわ。だから、失わないように全力で守りたい」
『誰かを守護したこともない小娘に、何がわかる? 何年も何千年も、俺は待っている。なのにいっこうにお前たちは約束を果たさない』
「精霊は本来は一所にとどまる存在ではない。でもあなたは閉じ込められて、動けなかった。愛情が憎しみに変わった。だから、代わりに私が受け入れるわ。愛した人ほどではないでしょうけど」
両手を広げながら、クララは闇の魔王に一歩近づいた。
周囲を溶かしていた魔王の動きが止まる。
今まで、受け入れたのは初代の皇帝の時くらいなのだろう。二重光彩の奥に戸惑いが生まれる。
「クララ。待て。あれを受け入れたらどうなるんだ」
精霊食いと受け入れるのとでは、まったく違う。完全に支配下に置くのでなく、人格を乗っ取られる恐れもある。
「魔王と融合してしまうかもしれない。でも、本望よ。私は世界を救いたい」
手を広げながら、クララは魔王に近づいていく。心配した精霊たちが近寄ってくるが、クララは防御を拒んだ。
『甘い!』
魔法は吠えながら、鋭い爪を振り下ろした。クララの髪がはらはらと何本か落ちただけで、傷を負うことはない。
「甘いのは、どちらかしら。あなたほどの力があれば、こんな回りくどいことをしなくても世界を滅ぼすこともできたでしょう。本当に世界を憎んでいた月の精霊を消滅させる必要もなかった。あなたはただ、救われたかっただけ」
クララはすっと目を細める。
「約束したでしょう。前の主との契約を破棄させれば、スピリュティアを保護してくれると。スピリュティアは精霊の住まう国。この世界の何処に精霊の住まない土地があるかしら。どれほど小さくても、必ず精霊はいる。私と契約を結んで、この世界を守護して!」
クララが詰め寄ると、魔王は高笑いした。
『なるほど。こざかしい人間が願いそうな内容だ。過大解釈をしてきたか。だが、契約は破棄されていない。よって、お前とは契約を結べはしない』
魔王の返しに、クララは鼻を鳴らしながら笑う。
「フィルスト殿下は次期皇帝よ。あなた自身でもある。精霊は自身とは契約を結べない。よって、この契約は解除されるわ」
魔王の目の前にたどり着く。クララは魔王をそっと抱きしめた。
魔王はクララに対しての害意などとっくに消えていた。
矛盾はいくらでも指摘できたはずだ。クララにはウィザダネスの皇帝を決める権利もなければ、金の髪ではない皇子が皇帝になることもない。
それでも魔王は納得し、皇帝に見立てられたフィルストも否定はしなかった。
「大丈夫よ。私はあなたのすべてを受け入れる。世界に闇は訪れようと、光はまた輝くから。もう、闇を退けろなんて悲しい願いをだれもしないから」
クララの言葉に、魔王の体が溶けていく。
徐々に徐々に小さくなり、最後はクララの体の中に消えていった。




