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黄昏を抱く魔女  作者: 不二香
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1 王女を騙る魔女

 一寸の身じろぎも許されないような緊張感が満ちていた。

 場の雰囲気にのまれないように、クララは軽く目を閉じ唇から細く長く息を吐きだした。落ち着け、私は大丈夫だと自分に言い聞かせてから、ゆっくりと息を吸い込むとともに目を開けた。


 客人を迎え入れるためにあつらえられた部屋は、派手過ぎず華美すぎず最上の贅を凝らされている。一つのゆがみもないガラスが窓にはまり、高い天井には精緻な絵が描かれている。広い部屋に敷かれているのは東方民族が織ることで有名な毛織のじゅうたんで、大きさからいって作成に何年もかかっていることが容易に推測される。部屋の中央に置かれている一枚板のテーブルは飴色に輝いており、側面から足にかけての彫刻は職人さえ唸らせる繊細な彫が施されている。


 壁際に置かれている装飾は彫刻や焼き物、絵画といろんなものが飾られている。実際に見たことはなくとも名を知らぬものはないほどの巨匠の作品もある。その一つで、いったい何人の国民の一生が養えるか。

 目の前に置かれている茶器一式も骨董で有名な陶磁器だ。口をつけられずにいるが、漂ってくる香りは一級品どころか特級クラスだ。


 この部屋に通されているということは、表向きクララの存在を歓迎しているということだ。けれど、クララはあくまで三人いる花嫁のうちの一人にすぎない。

 座っているようにと言われたソファに腰を掛けながら、クララは横目でほかの二人の花嫁を確認した。ウィザダネス帝国に入る前から存在は聞いていたが、お目にかかるのは初めてである。


 ソファの一番左に座るのがクララで、反対側に座るのはジューンメイーデュの姫君、アデラザラームだ。南国の姫君らしく肌は褐色、まとう服も薄い生地で身軽そうだ。向こうが透けて見える生地で顔の下半分を覆っており、妖艶な香りがにじみ出ている。赤い髪を一筋も漏れることなく高く結い上げ、瞳の赤さも燃える炎と情熱を思わせた。


 そしてクララとアデラザラームの間に座るのが東方の国――先ほどのじゅうたんを織る国よりももっと東方、最果ての国・赫陵(かくりょう)の姫君、雪花である。その名の通り、雪のように透ける肌が印象的な少女だ。闇を閉じ込めたかのような黒い髪を結わずにおろしている。着ている服は絵画のような織物を使っている。金糸も織り込んだ艶やかな織物は鶴と牡丹が描かれていた。たしかキモノと言ったか。クララの目には一番、複雑な形状をしているように見えた。


 二人とも、クララと同じ十六歳だと聞いている。

 見た目が派手でインパクトも強い二人に対し、自分はなんて地味なのだろうとクララは内心でため息をつく。決して顔には出さない。横目で見ていたことも悟らせない。

 クララの恰好は、スピリュティア人が式典などで着るいたって普通のドレスだった。首も高く、手首まで覆う細い袖、パニエやクリノリンなどで膨らませてはいないが、たっぷりと布を使った足首までのスカート。パニエがないからこそ、足にまとわりついてうっかり裾を踏んでしまいそうになる。色も青色と、無難なものを選んでいる。髪はきっちりシニョンで後頭部にまとめ、一筋の後れ毛もない。

 初対面の印象を悪くしてはいけないと、無難にまとめすぎただろうか。

 クララは顔立ちもスピリュティアでは平均的で、唯一平凡ではないのは見事な銀髪とエメラルドの目だが、本来の色彩ではない。精霊たちの魔法で一時的に色を変えているだけだ。本来ならこんな高貴な場所にいることなどなかった。


 クララは視線を前方に戻した。迎えに側には黒いソファが静かにたたずんでいる。まだ誰も座っていないのに、圧倒的な存在感を放っていた。

 クララはもう一度、そろりと深呼吸をした。故郷スピリュティア王国を守るためには、怖気づいてはいられない。何としてもスピリュティアの王女を演じ切らなくてはいけなかった。

 永遠に続くかと思っていた待ち時間が不意に終わりを告げる。ここで待つようにと告げていた使用人の男が扉を開け、続いて明らかに使用人ではない風貌の男たちが入ってくる。


 クララは自国の作法にのっとり、立って貴人を出迎えた。ほかの二人は動かないが、それでいい。服装に関してもそうだが、歓迎の儀が終わるまでは自国流でと言われている。

 クララは衣擦れの音を立てることなくソファの後方へ下がり、手を胸に当て片膝を地につける。

 アデラザラームは両手を合わせて目を閉じ、雪花は座した姿勢のまま深く頭を下げた。雪花も目は閉じている。目を開けているのはクララだけだ。


 だから、金髪金目の男たちの様子を確認できたのもクララだけだった。

 最初に入ってきた青年は白い服を着ていた。クララの故郷のスピリュティアの服装に近い。軍服のような立ち襟の上着に、センタープレスがしっかりとされているズボンだ。上着は太ももを隠すほど長いが、入ってきた二人とも背が高いのでよく似合っている。服に装飾はほとんどなく、唯一といっていい飾りはボタンで、細かい図柄が彫られている。太陽と鷲の図案はウィザダネス帝国の紋章だろうか。


 クララは手持ちの情報から、最初に入ってきた皇子がウィザダネス帝国第一皇位継承権を持つフィルストだと判断する。第一王位継承者にだけ許されている長い髪を緩く束ね、後ろに流していた。年齢は二十。背も高く、顔立ちも整っていて、何より表情が柔和だ。かといって軟弱な印象もない。なんでもそつなくこなす、優秀な人間といった印象だった。


 次に入ってきた皇子は、同じ形の服を着ていたものの、ボタンの色は銀色だった。ウィザダネスにおいて、銀は金色に次ぐ色だと聞いているので、これが継承権第二位の皇子なのだろう。少々ややこしい人間関係があり、彼は三男で、十六歳のはずだ。名は確か、ジーク。前髪を短く刈り、形の良い額をあらわにしている。後ろも襟足できれいに切りそろえている。


 ジークはフィルストとは違い、やや険のある表情をしていた。あからさまに三人の花嫁を毛嫌いしているわけでもないが、心からの歓迎でもないようだ。裏を返せば、他国から来た花嫁たちに媚びることのない意志の強い人間、ともいえる。

 二人とも、見事な金髪と神秘的な金色の目だった。ここに通される前、謁見室で一瞬だけ顔を見た皇帝もそうだった。さすが、太陽神の末裔を名乗るだけのことはある。一番高いところに上った太陽の、一番強い光の色だ。

 クララたち三人の花嫁は、迎え入れの態勢のままもう一人の登場を待った。同じ姿勢を保っているのがかなりきつくなってきている。特に、片膝立ちのクララは。が、いつまでも現れる気配はない。


 案内係の使用人が慌てて確認に行き、青ざめた顔で戻ってきた。それを見たフィルストが、わざとらしく大きなため息をつく。


「申し訳ない。初手から不手際をさらすところは本意ではないのだが、どうやら行き違いがあったようだ。三番目はいずれ来るので、先にこちらから挨拶をしよう。まずは楽にしてくれ」


 その言葉に座っていた二人の花嫁たちは背筋を伸ばして座りなおす。相手も立っていることだし、とクララは膝をつく態勢から起立の姿勢へと直した。本当ならば大きく伸びをしたいところだが、そんな雰囲気ではないのは重々承知だ。座らなかったのは、スカートの丈が普段着ているものより長く、緊張を自覚している今とんでもないへまをやらかす恐れがあるからだ。


「遠い国からわざわざお越しいただき、光栄に思う。私はウィザダネス帝国第一皇位継承権を持つフィルスト・クリストファ・ウィザダネスだ」


 流れる動きで、右腕を腹に当て、左手は背に、そして礼をする。単純な動きなのに、一挙手一投足に目を奪われるような花があった。

 続けてもう一人の皇子が名乗る。


「ジーク・アルファス・ウィザダネス。第二皇位継承権を持つ」


 ジークの動きもきれいなのに、フィルストと比べるとどうも見劣りがする。雪花もアデラも、視線をジークにではなくフィルストにのみ向けていた。


「ここでもう一人、ラスターの紹介があるんだがそれは後回しにして、そちらの姫君から自己紹介をしてもらおうか」


 フィルストが最初に指名したのは雪花だった。雪花は薄い唇に艶めいた笑みを浮かべる。


「東方の赫陵国からやってまいりました香月殿雪花と申します。姓はございませんが、香月殿は称号のようなものと思っていただければ。名は雪花のみです」


 凛とした声だった。透き通った声は、真夏にも溶けない氷を思わせる。

 クララはふと視線を扉に向けた。三人目の皇子が来るかもしれないということで開け放たれたままになっている。外には衛兵が立っているようだが、室内には見張るものが立っていない。案内役の男も、三人目の皇子を呼びに言っているのか、姿がなかった。何の変化もないのに、クララはなぜかそちらが気になった。精霊がざわめく気配に似たものを感じる。


 次いで指名されたのはアデラザラームだ。アデラザラームは薄い布越しに妖艶に笑う。


「ジューンメイーデュからやってまいりました、アデラザラーム・ファナ・デ・デュリキュマイオウス・カルシフォンヌ・オルム・ジューンメイーデュですわ。長い名ですので、アデラとだけお呼びくださいな」


 アデラの声は溌剌としていた。そしてまるで歌うように、呪文のような長い名をよどみなく告げる。

 最後にクララの番が回ってきた。

 大丈夫、スピリュティアの本物の王女の名は他国には一切漏れていないはずだから、クララは本名を述べても問題ないはずだ。そう言い聞かせて、言葉を紡ぐために息を吸う。


 その途中でクララの動作が止まった。


 先ほどまで見ていた扉から、奇妙な人物が入ってくる。頭からフードをすっぽりとかぶって全身もローブで包んでいた。背は長身のフィルストよりもやや高い。奇妙というよりも怪しさしかないのだが、違和感を覚えたのはこれほど怪しい姿をしていれば扉の前に立つ衛兵が通すわけがないからだ。

 不思議そうに眼を瞬かせるクララの視線を追って、室内にいる他の四人が同じ方向を見る。だが不思議そうな顔をしただけで、すぐにクララに視線を戻した。

 あの奇妙なものはクララにだけ見えているのだ。

 クララは他人の目に見えないものをよく見る。それは主に精霊なのだが、謎の人物は精霊とは違うオーラを持っていた。というか、どう見ても人間だ。


 謎の人物の動作に気を取られていたクララはすべての段取りが吹き飛んで、その挙動を追っていた。謎の人物は二人の皇子の横を通り過ぎ、三人の花嫁を見比べた。かと思うと、一人だけ立っているクララのもとにまっすぐ向かってきた。まとっているローブの隙間、ちょうどクララの胸の高さの位置から銀色に光る何かがちらりと見えた。


 それが何なのか、認識する前に銀に煌めく光はクララに向かって突き出される。



 それがナイフだと気づいたとき、クララの脳裏を十年前の出来事がよぎった。



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