12 湯あたりする魔女
汚れがすっかり落ちて、露天風呂につかるころにはクララはぐったりとしていた。
石鹸で洗い、荒れないようにと一旦保湿クリームを塗り、また石鹸で洗いを繰り返していたので、通常の何倍も時間と労力がかかっている。
されるがままのクララでさえ体力を消耗したのだ。侍女たちの疲れはもっと強いだろうと思っていたが、彼女たちの表情は生き生きとしていて疲れ知らずだった。
「やっと終わりましたのね」
白い頬をわずかに上気させ、けれど表情は涼やかなまま、雪花が言う。
クララが体を磨かれている間に、二人の姫はすでに入浴していた。かなり長いこと入浴しているようだが、二人とものぼせた様子はない。
「長かった」
ぽそりとクララがこぼすと、雪花は切れ長の目を軽く閉じてため息をこぼした。
「待ちくたびれたのはわたくしたちのほうですわ。まさか魔獣の血がこんなにも落ちにくいなんて、だれが予想できたかしら。わたくしたちの侍女もつれてきて正解でしたわ」
「それに関してはありがとう」
石鹸を泡立てる役や、石鹸を流すための湯を運ぶ役。頭を洗う役に爪を磨く役。本来なら二、三人いればいいところを何人もクララにかかりっきりだった。
クララが浴槽に身を沈めると、アデラが近づいてきて言った。
「侍女たちはクララ姫に感謝しているんだよ。フィルスト殿下をお守りしたから」
だから、自分の担当関係なくクララに感謝の意を表明したかったのだという。通常、自分の担当を超えて何かをすることなのどない。
「専門家の話によれば、あれほどの魔獣は衛兵では太刀打ちできなかった、と。本来なら軍の投入が検討されるべきところだけど、王宮内は特殊だから軍の総指揮官では判断を下せないんだって。唯一許可を下ろせる皇帝陛下は昨日わたしたちと会った後、所用で出かけていたし、緊急時かろうじて命令を出せるフィルスト殿下はあの場にいて軍に指示が出せなかったでしょう? だから、クララがあの場にいたのが、不幸中の幸いってこと」
褐色の肌に玉の汗を浮かべつつ、アデラがにっこりと笑う。
普段は髪を下ろしている雪花も、今は湯につからないようにと高い位置でまとめている。湯のおかげでほんのりと赤くなっている頬に、額に張り付く前髪を見るのは、なんだか新鮮だった。
風が吹いて、浴槽の上にたまっていた湯気をさらっていく。確かに室内で入る風呂よりは熱がたまりにくい。
クララは視線を露天風呂の外に向けた。
竹の衝立が、外からは見えないように絶妙に配置されている。直射日光を防ぐために空にもひさしが設けられているが、隙間から見える青空はくっきりとしていて気持ちがいい。
石造りの庭園には砂利が敷き詰められ、合間に置かれた岩から波紋のように線が描かれている。わきには松の木が植えられていた。植生が違うのに生き生きしているのは、魔術のおかげだろう。魔力の流れを感じる。精霊の息吹は感じられないから、魔術なのだとクララは判断した。
「さて。そろそろ腹を割って話しましょうか」
雪花が切れ長の目をすっと細めた。
裸の付き合いとやらが目的だと言っていたことを思い出す。
「単刀直入に聞きます。クララ様の狙いはどなたかしら?」
「わたしはもちろんフィルスト殿下」
右手を挙げて、アデラは宣言する。
「当然わたくしもですわ」
切れ長の目をクララに向けながら、雪花もうなずいた。
「私は……」
できれば帰りたい、とここで言うのは場違いだろうか。言うのは構わないが、これが回りに回って皇帝の耳に入り、じゃあスピリュティアに攻め入るぞ、となることだけは避けたい。
迷うクララに、雪花はさらに目を細めた。
「遠慮なさることはありません。今現在、一歩抜きんでているのは間違いなくクララ様ですし、選ばれたのがクララ様でも、わたくしたちに恨みはありません」
「そもそも一夫多妻制じゃないのがおかしいんだよね。三人ともフィルスト殿下に嫁いじゃえば問題ないのに。宗教観がそれを阻んでいるのでもどかしいくらい」
「本当に。血族を重んじておきながら、血を残すための努力をしていないなど、腹がよじれるほどにおかしゅうございます。側室を設けず、本妻が子をなせないときなど、どうお考えなのかしら」
「必ず子をなせるからこそ、神の祝福なのでは?」
小首をかしげながら、クララは返す。
スピリュティアの場合は、精霊の守護だ。神の祝福が、精霊の守護があるからこそ、伴侶がただ一人であっても必ず子孫を残せる。血脈が連綿とつながっていく。もういっそのこと、呪いと言ってしまってもいいほどに。
「結婚は子孫を残すためだけのものではないでしょ。部族間のつながりをと強めるものだよ。だからジューンメイーデュでは必ず、王は各部族からの花嫁をもらい受ける。王妃筆頭っていう存在はあるけど、基本的にみんな妻として平等だ」
「赫陵では血を絶やさないためですね。王が男であれ女であれ、複数の伴侶を持ち確実に血筋を残します。子が多いほど、家の繁栄につながるといっても過言ではありません。そういった意味では女性よりも男性が王にふさわしいのですが、霊力――こちらでは魔力というのでしたっけ? 魔力が高いのは基本的に女性なので、女性の王のほうが好まれます」
国が変われば、習慣も変わるということなのだろう。
「まあ結局、家のつながりを重視するから最終的にはフィルスト殿下じゃなくてもいいけど」
「そうですわね。赫陵の意向としてはわが血脈にウィザダネスの血筋を取り入れることが目的なので、別にどなたでも」
「でもやっぱり一番がいい、ってのが二人の意向」
唇の端を吊り上げるアデラを見て、クララは首を振った。
「戦争さえ、避けられれば」
スピリュティアにおいての貴族は、地方をうまくまとめるだけのただの役人だ。一般国民から見てちょっとだけ給料が高く、ちょっとだけいい生活をしている。その代り、何かあった時には財をなげうって国民を助けなければならない。
王でさえ、所詮は精霊王の代理人。精霊の土地を借りている代表者にすぎない。精霊王は人を統治しない。だから代わりに、精霊が気に入っている銀の髪の王が治世する。
王の伴侶選出も、貴族からだけではなく国民全体が対象だ。王が気に入るか、精霊が気に入るかの判断しかない。
精霊の機嫌さえ損ねなければ、それでいい。精霊の守護を失えば、それだけで国は荒れ狂う波か、鬱蒼と茂る森か、凍てつく雪の世界に飲み込まれる。
クララをじっと見ていた雪花は、大きく息を吐き出した。
「まあ、国同士のつながりを得られれば、攻め込むどころか守ってもらえるでしょうけど。国の意向というのは分かりましたが、あなた自身の考えは? 三人の皇子から選べるのなら、どなたがよろしいかしら?」
雪花とアデラについては分からないが、クララはウィザダネスに墓を持つつもりはない。
「皇帝になる方以外なら」
百歩譲って、許せるのがそれだった。
「私はいずれ、スピリュティアに戻るつもりですから」
クララの存在は、危うい。マシュリナが嫁ぐよりはまし、といった程度だ。だからこそ、必死で逃げ道を探している。
「競争相手にならないのなら、よろしくてよ。先ほどの状況を見る限り、ラスター殿下はあなたに一目置いてそうね……クララ様?」
雪花が不思議そうにクララの顔を覗き込む。
クララの視界がぐらぐら揺れてきた。足元がふわふわしていて頼りない。
雪花は手を口に当て、驚いたように息をのんだ。それから、はっと気づいて侍女を呼ぶ。
「申し訳ないわ。そういえばあなた、食事もろくにとっていませんでしたね。しかも慣れぬ温泉に長湯など」
雪花の声が遠くに聞こえた。どうやらクララの耳の調子もおかしいようだ。
「わたしは平気だけど?」
さらに遠くから、アデラの声も聞こえる。
「アデラさまは多分、熱い国のお方ですからこれくらいの湯は平気なのかと」
湯をかき分ける声が聞こえて、侍女が数人がかりでクララの体を持ち上げる。ひんやりとした布がクララの額やわきに押し当てられた。
襲ってきた抗いがたい眠気に、クララは身をゆだねた。
硫黄の精霊に、湯あたりから守ってもらうべきだったと今更考えながら。




