プロローグ 魔獣を屠る魔女
煌めく一閃で、闇をまとう魔獣が倒れ伏す。鈍い振動があたりを揺らした。
クララは返す剣で別の魔獣を切り裂く。返り血を気にすることなく、次から次へと薙いでいき、とうとう最後の一体が地面に転がった。
空を分厚く覆っていた雲が晴れ、日の光が地上へと降り注ぐ。見渡す限りの草原と踏み固めただけの道が陽光に照らされていく。王都へと続く街道に安全と平和が戻ってきた。
剣を振って返り血を落として鞘へ納めると、クララは後ろを振り返った。ひとくくりにまとめていた濃茶の髪が背中で跳ねる。
「師匠、少しくらいは手伝ってくださいよ!」
クララの視線の先では、岩に腰を掛けた青年がのんきにあくびをしながら、剣の手入れをしていた。この場に到着してからこっち、手入れが必要なほど剣を使っているのをクララは見ていない。たぶん、クララが魔獣を討っている間暇だから、手入れをしていたのだろう。
手入れの手を止めずに、師匠――ビルドはちらりとクララに視線を向ける。それからすぐに剣に視線を戻し、輝きを確認した。そして納得したように剣を鞘に納め、満面の笑みをクララに向けた。
「クララなら一人でできると思っていたから」
「だからって……」
クララは唖然とする。
確かに魔獣の群れを倒したクララは、傷一つ負っていない。この程度の魔獣なら、クララにとってはもう脅威ではない。十年前とは違って。
「俺がクララの指導ができるのも、あと少しだろ? 俺がいない討伐隊にも慣れないと」
「そうはいっても、私、騎士団員ではありません」
「みんな君を当てにしてるよ。今日だって、魔獣の気配の濃いこっちを俺と君の二人に押し付けていたじゃないか」
肩をすくめながらビルドは岩から降りた。
「押し付けたんじゃなく、師匠がこっちにするって言ったんです。他の団員は、ちゃんとこっちに来るって言いました。っていうか、団長が育て上げた部下達ですよ、これくらいはちゃんと退治できますって」
「うん、知ってる。君が彼らを信用しているように、俺も彼らを信用しているから。俺もクララもいなくなっても、ちゃんと魔獣を倒して、国の安全を守ってくれる」
ビルドはクララの前に立ち、こげ茶の目で弟子をじっと見降ろした。クララも頭一つ分上にある師匠を、精霊色と呼ばれる不思議な色合いの目で見つめ返す。師弟関係でいられるのもあとわずか。複雑な思いがクララの中にこみあげてくる。
「……魔獣退治は進んで参加しますよ」
沈黙がいたたまれなくなって、クララはそう告げる。それを聞いたビルドは破顔一笑した。
「それは助かる。森の魔女が守護しているうちは、この国は安泰だな」
そう言いながら、ビルドは先ほど手入れしていた剣をクララに差し出した。
「これは餞別だ。ぜひ、受け取ってくれ」
「これ、師匠が大事にしていたものじゃないですか。おじいさまの形見なんでしょう?」
「そう。だからこそ、クララに持っていてもらいたい。あ、ちなみにマシュリナには代々伝わる指輪を渡してる」
「確かに、マシュリナが持っているより私が持っていたほうが役に立ちますけどね」
憎まれ口をたたきながら、クララは剣を受け取った。頬が自然に緩む。
長いこと使い込まれた剣は手入れがきちんと行き届いており、今も刃こぼれせずに使える。鋼の精霊たちが剣の周りをゆらゆらと飛び交っていた。
「あれから、もう十年たつのか」
ビルドは懐かしそうに目を細め、つぶやいた。
クララは昨日のことのように覚えている。初めてビルドに出会った日のことを。あの日、クララは幼馴染とともに森を散歩していた。そして、魔獣に襲われた。攻撃のための魔法も剣の使い方も知らなかったクララは、ビルドに助けてもらわなければ死んでいた。幼馴染であり王女であるマシュリナとともに。
「まだ十年、じゃないですか? これから先、まだ何十年もあるんですから。……でも、思い返してみれば長かったかな。師匠がマシュリナを女性としてみてくれるのがとにかく長かった」
過去を振り返り、クララは額に手を当て深く息を吐く。この十年のうちの九割は、ビルドにとってマシュリナは『小さな女の子』でしかなかった。十年前の襲撃直後にビルドに弟子入りしたクララのほうが彼に近い存在だったくらいだ。
「十六の男から見れば、六歳の女の子なんて恋愛の対象になるわけないだろ? いきなり好きですって言われても、助けた礼の代わりに出てきた言葉としか思えん」
だがマシュリナは本気だった。毎年毎年ビルドに思いを告げて、ようやく願いは成就しようとしている。
「マシュリナを泣かせたら、呪いますからね」
クララは睨みつけるように目を細め、脅しの言葉を告げる。
「クララが言うと、本当に呪われそうだからやめてくれ」
「本気ですよ。マシュリナを幸せにさえしてくれれば、呪いませんから」
降参と両手を上げるしぐさをするビルドに、クララはピッと指を突きつける。
半分冗談交じりの笑みを浮かべていたビルドは急に顔を引き締め、右手を心臓に当てる。
「私ビルド・ヒューダーはマシュリナ・スピリュティアを永遠に幸せにすることを精霊王と森の魔女に誓います」
正規の礼にのっとった誓いに、クララは満足げな笑みを浮かべる。
「よろしい」
「って、今度精霊王の前で誓うんだから、今はしなくてもよかったんじゃないのか?」
ぐったりとした表情でビルドが言う。
確かに今わざわざ誓いを立てなくても、いずれ彼らは国民の前で誓うことになる。
「わかってませんね、師匠。私の前で特別に誓ってくれるから、意味があるんですよ」
クララはにっこり笑って遠くに視線を移した。
大勢の前での誓いでは、ダメなのだ。クララは、マシュリナにとってもビルドにとっても特別でありたかった。
「さて、そろそろ部下たちと合流するか」
そういった時、ビルドの懐が突然光った。通信用の水晶が緊急音を告げる。
「向こうで何かあったんですか?」
「いや、これはマシュリナからだ」
ビルドは懐から水晶を取り出し、通信を開始した。マシュリナの映像が宙に投影される。
銀髪にエメラルドの目の、クララと同い年の少女が、切羽詰まった様子でビルドに訴えかけた。
「大変なことが起きたの! ウィザダネス帝国から、嫁を差し出せって書簡が来たの。差し出さなければ、スピリュティアに攻め込むって。あの大国の軍勢に攻め込まれたら、スピリュティアになんてひとたまりもない!」
マシュリナの声が、悲痛に響いた。




