知らない自分
最初の方なのでどこがホラーなの?、って感じですが、これから頑張る予定です(でも、これからも怖くないと思います)。だいぶ前から書きためていたもので、ペンネームはここからとっています。
世間一般では、いじめられっ子はいじめられたことはずっと覚えていると言う。そして、いじめられっ子はいじめたことなんてすっかり忘れてずっと昔から仲の良い素晴らしい友達であったかのようにいじめられっ子に接すると聞いたこともある。
(私は例外だ。)
私は、よく独特といわれる笑い声を漏らした。覚えているのだ。いじめたことを。父親はいなかった。生まれた時からいなかった。シングルマザーとして私を一人で育て上げた母が毎日帰ってくるのは、次の日の朝はやく。見事にグレた私の世話なんて、焼いてる暇ない…そういう感じだった。母の気を引きたいがために、学校はサボるし行ったとしても面倒なことばかり持ち帰ってきた。
それでも母は、私のことなんて全く興味がわかないというように、何があっても、
「ああ、そうなの。」
その一言しか言わなかった。……このような身の上話も、だからストレスが溜まっていていじめても少々は許されるのではないか……そういう言い訳に過ぎないのだが。
結局いじめていたおさげの女の子は、両親と先生にチクリ、。正直、良いなぁって思った。チクる両親がいることが、私にとってとても羨ましいものであった。私には、怒ってくれる人もいないのに。良いなぁ。良いなぁ。お説教の間もそのことしか考えることができなかった。
今、私は21歳。大学生だ。なんだかんだで成績はまぁ普通、食堂のような雰囲気のごく普通のカフェでバイトして、バイト先でごく普通の彼氏ができた。この先、どこかのごく普通の会社に勤めて、ごく普通の人と結婚して、ごく普通の家庭を持つ、ごく普通の女の人になる。絶対。私は普通の人になる。一人暮らしのアパートの玄関に置いてある鏡を見て、そう思った。そして玄関を出て、今日も普通の日を過ごすのだなと雲のある青い空を見て感じた。
午後4時。電車に揺られて13分。バイト先のカフェへ向かう。電車が駅のホームに滑り込んで、私はホームに足を下ろす。いつも通りにエレベーターをのぼり、右から2番目の改札を出る。駅から徒歩2分。店の裏口から入り
「こんにちはー」
と声を張る。店の奥にあたる厨房で、オーナーのおばちゃんが
「ああ、与謝野ちゃん。こんにちは。」
にこやかな笑顔を向けた。ふくよかな体がこちらに向いて、
「今日はね、新しいバイトの子が入るから、いろいろ教えてあげてね。」
そう言った。私は、おばちゃんに負けないくらいの笑顔を作り、
「そうなんですか!いくつくらいの方なんですか?」
と聞いた。
「ハタチくらいの子だったかしらね。あなたと同じくらいよ。」
おばちゃんが答えた。本当に笑顔を絶やさない人だ。いい人だな、といつも思わせられる。
「それじゃ、今日もよろしくね。」
「はい。」
そんなありきたりの会話をした。
しばらくして、同じアルバイトで今付き合っている三浦涼介が店に入ってきた。
「こんにちは…こんばんはの時間かな?こんばんは、青藍さん。」
「こんばんは」
私たちは付き合っている今でもお互いをさん付けで呼ぶ。堅苦しいので、敬語はやめにしようということになっているが、まだ堅苦しさは残っている。そういえばだが、私の名前は青に藍色の藍で、せいらんとよむ。与謝野青藍。なんとブルーな名前なのだろうと最近思い始めた。まあ、気に入っている名前なので別にいいのだが。私に興味のない母親が唯一私のことを思って、くれたプレゼントなのだ。
「今日から新しいバイトの子が入るらしいよ。」
「へぇぇ。そうなんだ。いつ来るのかな。」
そんな会話を交わしていると、おばちゃんのよく通る声が私たちを呼んだ。その声に引き寄せられるように厨房へいくと、小柄で可愛らしい茶髪のツインテールの子がおばちゃんの脇に立っていた。おばちゃんが
「新しく入った、加藤美紅ちゃんでーす!」
といつものニコニコとした表情で言って、
「ちょっと注文取ってくるから、自己紹介でもしててね。」
という言葉を残して、厨房から去った。
「加藤美紅です。よろしくお願いしまーす。えーっと、この前ハタチになりましたー。」
その加藤美紅とやらがやけにクネクネとしながらそう言った。
(こいつは絶対に涼介のことを狙ってるな)
とわたしは感じた。明らかに涼介の方を向いているからだ。店の制服でもあるエプロンの下で、私よりもはるかに大きな胸が揺れた。大きな目が上目遣いに私たちの方を見ている。
「よろしくね、美紅ちゃん。与謝野青藍、21歳です。」
一生懸命に作ってみた笑顔を振りまいて、そう言った。作り笑い、バレているかしら?
「三浦涼介です。青藍さんと同じで、21歳です。」
涼介もつられたように自己紹介をした。
「美紅ぅ、こういうこと初めてなのでぇ、いろいろ教えてくださぁい。」
例のクネクネとした言い方で加藤美紅はそう言った。目線は……涼介の方を向いている。一方の涼介はそんな熱い視線には全く気づかないようで、よそ見をしていた。
昨日、いつもと同じようにバイトから帰って、いつもと同じようにお風呂に入って、いつもと同じように布団に入った。そして今、いつもと同じように朝ごはんを食べている最中だ。温かなインスタントのコーンスープを飲んでいると、薄ピンク色のスマホがブルブルと振動した。画面を見ると、加藤美紅からのラインだった。入れた覚えはないな、と不審に思って内容を見てみた。
【おはようございます☀加藤美紅です!涼介さんから、ライン聞いちゃいましたwww今日のバイ
トって、何時からですか❓あと、与謝野パイセンのこと、青藍さんって呼んでいいですか❓】
やたらと絵文字を使っている。
(なんだよパイセンって……。)
そう思いながらも、画面をタップして可愛らしいクマちゃんが「よろしく!」と言っているスタンプを送った。
【おはよう!今日は、美紅ちゃんは4時半からきてください。呼び方のことだけど、好きなように
呼んでいいよ!】
スタンプの後にそんなメッセージを送った。
(私、今いい先輩だなー。)
なんてことを思った。そして、いつも知らないうちにやってしまっている、口の端から息の溢れるような笑い声を漏らした。時計を見ると、いつも家を出る時間が迫っている。スープを口の中に流し込んで、慌てて家を出た。ドアを開けて、見上げた空は少し冬に近づいた、それでも晴れている、そんな空だった。
家から駅まで徒歩1分。駅から駅まで約8分。それまでの間は満員電車に揺られながら空想にふける。駅に着いたら満員電車から押し出されたサラリーマンたちの波に乗って左から3番目の改札を抜ける。駅から大学までは徒歩5分。一人で歩いていると、
「青藍、おは!」
という澄んだ声が後ろから聞こえた。振り向くと、カジュアルな格好に身を包んだ佐藤千春がポニーテールを揺らしながら駆け寄った。一方の私は、毎日同じような白いブラウスに、黒いスカートだ。最近は冷えてきたので、薄いコートを羽織るようにしている。彼女とは3年前に知り合った。今では一番仲の良い友達かもしれない。
「おはよう。」
私は笑顔で挨拶を返した。そして、二人で並んで校舎の中に入って行った。
「つーかーれーたー。」
千春がそう言って伸びをした。今日の授業が終わって、みんなが一斉に帰った後のガラガラの教室で二人、残ってグダグダしていた。そんな千春の姿を見て、
「帰る?」
と私は行った。その言葉を聞いて、千春は
「そうしよう!帰ろう!」
と伸びをやめた。荷物をまとめて、二人で話しながら教室を出て、廊下へ出た。見える範囲では、私たち以外に人一人見えない。しばらく歩いていると、同じクラスの変わった感じの話したことのない女の子……中宮葵和とすれ違った。特に声をかけることもなく、会釈して過ぎ去ろうとすると突然に中宮葵和が叫んだ。
「与謝野さん。あなた、もうすぐ良くないことが起こるわ。気をつけて。」
「……え?」
……まぁ、そんなことを急に言われて戸惑うのも無理はない。そうでしょう?
「気をつけて。」
中宮は再度言うと、走り去って行った。しばらくして、千春が爆笑する声が廊下に響いた。
「ねぇ、青藍。あれは絶対冗談だって。そんなわけないじゃん。」
「だとしても、またたいそうな冗談ね。」
私たちの中で先ほどの中宮の言葉は冗談だと決定し、少しの間二人で笑いあった。
「そういえばね、私の推しキャラが尊すぎてね、もうすぐコラボイベントもあって、その限定ファイルがめちゃくちゃ可愛いの。」
千春はかなりのアニヲタなのだ。
「つまり、私にそのコラボイベントについて行って欲しいと?」
私は少し呆れてような顔でそう言った。千春は、まん丸の目をパチクリとさせ、
「何?青藍はエスパーかなんかなの?」
と私に質問を返した。そんな感じのごくいつも通りの会話を繰り返した。中宮の言った言葉など、すぐに忘れてしまった。
外は青黒く星が都会では珍しく、気持ち悪いくらいに瞬いている。あたりはしんしんと雪を降らせる様子を思わせるくらい、静かに、静かに、月光が差している。そんな真夜中。午前3時頃。私はふと目を覚ました。身体中に汗が滲み、恐怖心がどこかにこびりついたまま剥がれない。体全体が小刻みに震えている。怖い夢でも見たのだろうが、内容を全く覚えていない。
冷や汗はやがて体をじんわりと冷やしていき、冬に向かって行っているこの季節にはしんどいくらいに冷えた。起きてからなかなか寝つけそうな様子でもないので、朝までゴロゴロとして過ごそうと思った。……しばらく考えて思い出したことは、何かに追いかけ回される夢であったということ。そして、追いかけてきたものが恐ろしく不気味であったことであった。
結局朝日の登る2時間ほど前からウトウトとし始め、いつも通りの時間の目覚ましで目を覚ました。久しぶりに見た怖い夢のことは、そこまで気に留めていなかった。トースターでこんがりと焼いた食パンをくわえて、物思いにふけっていた。考えていることは、この前見た可愛い髪飾りを買うかどうかという、とてつもなくしょうもないことであった。結局次の給料日に考えるという結論を出した。時間に余裕を持って身支度を済まし、玄関のドアを開けた。この季節には珍しく、生温く不気味な風が吹き込んできた。何か嫌のことが起こるような、そんな風であった。
午後1時少し前。今日は大学の講座が昼までなので、1時からのバイトなのだ。いつも通りの時間に電車に乗り込み、いつもの駅で予定通りの時間……1分の遅れはあったが、いつもの右から2番めの改札口を抜けた。今日も2分ほど歩き、おしゃれな外観のカフェの裏口へ回る。
「こんにちは」
と店の内部へ声をかけた。ふくよかな印象を受けさせる女性(みんなからおばちゃんと呼ばれている)が振り向いて、こちらの方を向いた。
「あら与謝野ちゃん。こんにちは。」
いつもと同じような笑顔で笑った。表でカランカランという鐘の音がした。お客さんが来たのだ。「私、ご案内してきますね。」
私はおばちゃんと同じような笑顔を作り、そう言ってエプロンを着た。
表へ出て、笑顔を作り直した。
「いらっしゃいませ。1名様でよろしいでしょうか?」
マニュアル通りのつまらないその言葉を、私は大きな声に出した。
「与謝野、青藍。」
その「お客様」はそう口にして呟いた。私は空いている席を見渡していた視線を、「お客様」の方へ戻した。さっき呟いたのは、私の名前?
「与謝野、青藍。私。覚えてないの?」
聞き覚えのある声。凛としているように見えて、目が少し弱さを帯びている。知っている。
「双葉?」
双葉とは、私が高校時代にいじめていた優等生の女子だ。親は小田医院でかなりのお嬢様である。「久しぶり。」
緩く編み込みに結った黒檀のように黒い髪は昔と全く変わらない。髪と同じように真っ黒な目は、よく似合う丸眼鏡の奥からこちらの方を見ている。その目の様子は、「look」というより「watch」といったところだ。何の用かが全く読めず、しばらく立ち尽くしていると
「どうしたの?席はどこなの?」
と、双葉が全く表情を変えずに言った。チリンチリンとドアのベルが鳴り、新しいお客さんが入ってきたことを示した。いつからきていたのか、店の奥から美紅の姿が現れた。
「席はこちらになります。ご注文が決まりましたら、手をあげてください。」
必死の思いで私は言った。私は突然の再会に、なんとも言えない気持ちを抑えられなかった。しかし、
(お客様であることに変わりはない。)
なんておばちゃんの言葉が頭をかすめた。知り合いが店に来たとき、どうすればいいですか、なんて涼介が聞いた時のおばちゃんの返答である。
(…そうだよねぇ。)
なんて思おうとしたが、感情というものはなかなか変えることができない。私のことを知っている「お客様」に水を出した時も、まだ複雑な感情を抱いていた。
「こちらお水です。」
また、マニュアル通りのことを言った私に、「お客様」……双葉は尋ねた。
「おすすめメニューは?」
なんだなんだ?そんなことはマニュアルにない。おすすめメニューなんてものは人によって違うんだもの。
「おすすめですか?こちらのコーヒー牛乳が私のオススメです。」
「ふーん。じゃあそれにします。あとこのクッキーのセットで。」
「かしこまりました。ご注文確認させていただきます……」
ここまできたらマニュアル通りだ。私のペースでやらせてもらう。
しばらくしてセットを届けると、黙って1枚の二つ折りにされた紙を手渡された。バイトが終わってから中を開くと、双葉のであろうラインのIDが書かれていた。
家に帰って、夕飯の準備に取り掛かった。といっても、簡単に作れるようなものばかりだ。休日に作っておいた作り置きの惣菜をレンジでチンした後、冷やご飯をまたまたレンジでチンするだけだ。物足りないので、レトルトの味噌汁もつけた。いたって普通の夕飯を食べていると、ポケットに入れていたスマホがスカート越しに振動するのを感じた。画面を確認すると、珍しい。母からのラインだった。文面を確認して、目を見張った。
【突然ですが、膵臓癌になりました。ステージ4です。死にます。ごめんね。】
あまりの衝撃に、しばらく画面を見ながら固まってしまった。気が落ち着いてから、画面をタップする。
【余命は?あと、病院はどこなの?】
(必要な情報は全て聞いておこう。)
そんなことを思いながら返信を待つ。
【余命は半年くらい。】
半年ねぇ。タンスの上に置いているカレンダーを確認する。今日は10月の初め頃だから、4月ごろ
【病院は○✖️大学病院】
また返信がブルブル振動とともにやってきた。○✖️病院なら、ここから電車で30分くらいだ。
病室のことなど、必要な情報を聞いてから、今度面会に行く。また連絡して。そう伝えた。無機質な文面は、それで途絶えた。