女々しい俺に涙が止まらない理由を誰か教えてくれないか
今日は久しぶりに大学時代の友人と飲む約束をしていたため仕事を早めに終えて職場を出た。
駅構内の帰宅ラッシュの中、電車に乗り込んだ俺は車窓の向こうに見えるイルミネーションをぼんやり眺めていた。
騒ぎが加速しているハロウィンが終わった途端、世の中はクリスマスに向けた街並みに変わっていく。
年末年始はクリスマスにお正月にとナイスコンボの行事に皆浮足立っていた。
「クリスマスか、、」思わず呟く。
彼女と別れてからはこの時期になると「楽しかった思い出」が思い出す事が「辛い思い出」となる。
3年も続くこの不毛な想いに未だ出口は見えない。
荒んだ気持ちを飲んで晴らそうと足が急ぐ。
電車を降り改札を出て徒歩5分の居酒屋へ入ると既に友人の優也が待っていた。
「喬、遅ぇ」
「悪い。待たせた」
店員が注文を聞きに来る。
とりあえずビール、と言うとしばらくして持ってきた。
「「おつかれ〜」」
ジョッキを当ててくくっと勢いよく飲み干す。
うめーと言いながら優也は話の口火を切った。
「喬、まだリサって子と付き合ってんの?」
思い出したくない話に俺は憮然とする。
「何年前の話だよ。理沙とは・・半年続かなかったかな」
「ふうん・・。何で別れたの?今は彼女は?」
畳み掛けるように聞いてくる優也に
「聞くなって。今は誰とも付き合ってない」
手で制してそう答える。
「え、そうなの?お前昔からモテてたからさ。すぐに彼女出来たかと思ったよ」
そして本題に入る、とばかりに優也は真顔になった。
「・・リサって子の前に七夏ちゃんと付き合ってたよな?」
今も想い続ける前カノの名前。
動揺してる間も無くそれは唐突に言われた。
「七夏ちゃん、結婚するってよ」
一瞬頭が真っ白になった。
「へぇ。そうなんだ」
努めて平静を装って何とか振り絞って返事をしたものの心は穏やかじゃなかった。
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七夏とは大学で同い歳のサークル仲間だった。
頭の回転が速い彼女との会話は打てば響くようで心地良く、笑うツボも同じで気が合うってこういうことなんだな、と思った女の子だった。
そして卒業と同時に俺が告って付き合い始めた。
卒業してからはお互い仕事が多忙だったが土日にはよく遊びに行ってたし何より一緒にいて居心地が良く自然体で居られた。
だが2年ほど経った頃、俺は職場に入ってきた新人の女の子と急速に仲良くなっていった。
会社の50周年の式典が無事に終わったあの日、後片付けも大方終わって俺は一息ついていた。ふと目に付いたレセプションに置かれたスタンド花。
捨てるのはもったいないなと花を摘んでしばらくすると、今年入った新人の子――唐澤理沙が通りかかった。
「あ、唐澤さん」
俺は後ろから彼女を呼び止め
「はい、これ」
足を止め振り向いた彼女に俺はその摘んで束ねた花を渡した。
「え?・・わぁ!!花束?!こんなにたくさん!!」
彼女はぱあっと花がほころぶような笑顔をした。
その笑顔の微笑ましさに思わず
「今、サイコーにいい笑顔、もらったなぁ」
と俺もつい笑顔になる。
すると理沙は大きな瞳で俺の顔をしげしげと見つめた後照れ臭そうに俯いた。
「ありがとうございます。あとで女子みんなで分けます」
「うん、そうして。あ、これだけもらってく」
俺は七夏へ渡そうと2、3本の花を抜いた。
「花をあげて喜ぶ彼女じゃないんだけど、一応ね」
すると理沙は、そのままじゃ枯れちゃうから、と言ってアルミホイルと湿らせたペーパータオルでその切り花を包んで
「これなら渡す時まで保つと思います」
他の花やかすみ草も合わせてちょっとした可愛い花束にしてくれた。
「お、ありがとう」
「いいえ。喜んでくれるといいですね」
花束を抱えた理沙はとても可愛らしかった。
この頃から彼女と会話することが多くなっていった。
理沙は暑気払い、忘年会などの席には必ず俺の隣に来るし毎日コンビニ弁当の俺の昼飯を見た理沙は
「迷惑じゃなければ・・」とある時から弁当を作ってくれるようになった。
何度か断ったが理沙の淋しそうな表情とこっそり弁当の中身を捨てているのを見て胸が痛み、受け取るようになってしまった。
弁当は俺の好みを把握して作ってくれた中身で味も文句無しに美味かった。
七夏は料理が苦手で「私が作ると材料がかわいそうだから」と一見慈悲深そうな理由を盾に滅多に料理はしなかったから俺の好みに合わせて作ってくれた理沙の弁当は新鮮だった。
七夏が『美人』の部類なら理沙は『可愛い』の部類で好みといえば好みの顔だったし身なりや趣味も一生懸命俺の好みに合わせようとする健気さにほだされて、誘われるがままに2人で出掛けるようになっていった。
そしてある日帰りの車の中でポツリと理沙が言った。
「沖縄の海が見たいな」
「沖縄はちょっと遠いなぁ。日帰りじゃ無理だよ」
笑いながら答えると
「2人で旅行に行きたいの」
思い詰めたように理沙は言う。
俺は運転しながら暫く黙り込み、赤信号に車を止めた。
「・・旅行は無理かな」
「そう、よね。ごめんなさい」
そして
「旅行に行けなくなった友達から飛行機のチケットを安く譲ってもらったの。私、喬君以外の人とは行く気がないから、、これ勿体無いから誰かと行って来て」
と理沙から飛行機のチケットと―――ホテルの予約票を渡された。
俺は頭を垂れた。
男なんて誘惑に弱い。
現実を見ずに夢を見てしまう。
信号が青に変わった。
俺はアクセルを踏み気持ちも一緒に進んでしまったのだ。
俺たちが一線を超えた仲になってからも理沙は七夏と別れろと強引には言わなかった。
いいの、会ってくれるだけで・・・。
控えめにいじらしくそう言うだけだ。
それをいいことにサイテーな俺はそのままズルズルと二股をかけること3ヶ月。
俺に審判が下った。
週末、俺の部屋で七夏と一緒に夕食を食べていた時だった。
「この間の日曜日、女の子と一緒にいたね」
七夏の抑揚のない話し方と俺に向けた射るような視線。
すうっと血の気が引く。
見られたのか?
そう、理沙と一緒に居たんだ。
「リサって子?」
七夏はそう言うと驚いた顔をしている俺の目を見てため息をつき、堰を切ったように話し始めた。
"気付きたくなかった。喬の口からリサって子の話がよく出てたことも。喬の好みの服を着たり好きな髪型にしたり甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いたり、、全力で喬を知ろうとしているその子はすごく喬を好きなんだろうね。
でも私とは想い方が違うからーーだからそこで張り合おうとは思わない。だけど私に求められてるものがそれなら、これから喬と一緒に居ることは無理だと思う"
責めることも問い詰める事もなく七夏はただ穏やかに言う。
『全力で喬を知ろうとしているその子は』
俺は理沙のどんな話をした?
"新人の子がスタンド花を花束にしてくれたんだ。七夏が喜ぶようにって"
"その子、入社した頃はショートボブだったのに今はセミロングなんだよなぁ"
"出張から帰ると机の上が綺麗に片付いててびっくりしたよ"
"七夏もこういう服着てみたら?絶対似合うと思う"
社内旅行の写真に写る理沙を指してそう言ったこともある。
いっそのこと浮気したことをなじって裏切りを責めてくれれば、
悪かった、もう二度としない、とひたすら謝り戻れるチャンスを作れたかもしれない。
けれど七夏はそれをさせなかった。
弁解も許しを乞うことも。
何も言えずにいた俺に七夏は淋しそうに微笑み
「じゃあ、帰るね」
とまるで明日も変わらず会えるかのように手を振って部屋を出た。
けれどこの日以降、七夏が俺の部屋に来ることはおろか会うことも二度と無かった。
*********************
週末の居酒屋は21時も過ぎれば店内は一杯で喧騒に包まれていた。
俺は七夏の事で全く酔えず、優也に違う店行こうぜ!と誘われたが週明けにプレゼンがあるからと断った。
とにかく早く1人になりたかった。
優也との会話は上の空で聞いていて何を話していたのか全く覚えていない。
「なんだよ、飲み足りねぇのに」と不服そうに言う優也に「ごめん、今度奢るからさ」と言って店を出て俺たちは別れた。
ゆっくり夜道を歩き始める。
住んでるアパートまでこの居酒屋から歩いて30分くらいで帰れる距離だ。
「もっと会社の近くへ越したほうがいいんじゃないの?」
当時七夏に言われたことを思い出す。
俺の職場からアパートまで電車とバスで80分。
このアパートは七夏の職場に近い位置にある。
週末に一緒に過ごすため彼女が通いやすいようにと決めたアパートだ。
未だにここから離れられない俺の未練がましさが女々しくて我ながらウンザリする。
あれから七夏と別れ理沙と付き合い始めたがなぜか俺は理沙と過ごして行くほど、七夏と比較している自分に気付き始めてしまった。
俺は『彼女』に何を求めているんだろう。
料理か?見た目か?
毎日弁当を作ってくれて、髪を俺好みのロングに伸ばししっかりメイクをして胸を強調した服を着た、友達に自慢できる可愛い『彼女』か?
七夏はショートヘアで化粧はたしなみ程度。
服装も仕事ではスーツだが普段はシャツにジーパンとまったく俺好みじゃない。
仕事で上司にこっぴどく叱られ同僚にもイヤミを言われ落ち込んでた時
「仕事で見返すしかないのよ」
と慰めるどころかハッパをかける。
熱出して無理して出勤した挙句職場でぶっ倒れ、やっとの思いでアパートに帰り着くと
「何無茶してるの」
とアパートの玄関先で待っていた七夏は冷たく俺にそう言い放ち、風邪薬と食べ物と飲み物が入ったコンビニの袋を押し付けてさっさと帰った。
料理が苦手な七夏がクリスマスケーキを作った時は台所の惨状に俺は驚き、さらにはケーキの見た目はのけぞるくらい酷かった。
なのに七夏は
「私にしては上出来。傑作!」
と自画自賛。
--まぁ、うん。ある意味傑作だよな、、、。
良く言えばポジティブ。悪く言えば能天気。
2人でケーキをつつきながら
「七夏は長生きするよ・・」と俺は苦笑いした。
すると七夏は鼻息を荒くし
「私は一世紀は生きるつもりよ」
と豪語するも、翌日俺と七夏は腹痛には勝てず仕事を休んだけれど。
あの日、エプロンにも額にも跳ねたチョコを付けた七夏のあの顔は今でも笑える。
そう。
俺はとても楽しく幸せだった。
俺が好きで止まないのは七夏だ。
その後しばらくして俺は理沙と別れた。
何がいけなかったの?
ダメなところは直すから。
いや、別れたくない。。。
行かないで。
彼女のところへ戻らないで。
そう言って泣かれ――理沙は会社を辞めた。
俺の自分勝手さにヘドが出る。
こんな俺はどうしようもなくクズでサイテーだ。
だけど、そんな俺でも七夏の元へ戻りたかった。
電話しようか。
会いに行こうか。
自分の裏切りで七夏を傷付けた挙句、謝る機会すら逃した俺は許されるわけがない。
それでも声が聞きたい、顔が見たいと思いつつ優柔不断でいつも迷っているだけのみっともない3年が過ぎた。
それでも3年という月日が経っても俺の中ではまだ七夏は『過去』じゃなかった。
だけど
『結婚するってよ』
一気に『過去』だと思い知らされた現実。
七夏のことだ。
きっと俺なんかより男気のある、見た目も中身もカッコいい奴と一緒になるんだろう。
今更ながら思い知らされる。
一緒にいた時のあの笑顔はもう俺に向けられることはない。
純白のドレスに身を包み最高に綺麗な七夏が俺が見たこともない男の隣で微笑む姿が思い浮かんだ。
そうか。
七夏は幸せになるんだな。。。
一雫頬を伝う。
「雨かな・・」
俺は満天の星空を見上げた。
嗚咽が漏れる。
いく筋もいく筋も頬を伝うそれは綺麗な夜空を霞んで見えなくさせた。